くのあまね さん
2023-06-28

久野川添いのスポーツ施設群

4.00

​雲南市木次体育館は すべての窓口です。
テニスコートやゲートボール場、グラウンドゴルフ場、
木次運動公園野球場、斐伊川河川敷公園を利用してい人は申し込み必要です。

木次体育館の利用料は中学生まで1時間50円、高校生以上は110円。
土日も開いてるので 練習したい人にぴったりです♪

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木次体育館
  • 木次駅
  • スポーツ施設
くのあまね さん
2023-06-28

木次町の料理旅館

4.00

雲南市の中心部、木次町の料理旅館...だと思います。
宿泊はしなかったのですが、仕事で会合=会食があり、ここに案内されました。
法事や宴会など、会食だけの利用も多そうです。
1974年には映画「砂の器」の撮影陣が1ヶ月滞在したそうです♪古くからある宿なのですね!

1
天野館
  • 木次駅
  • ホテル・ビジネスホテル・旅館
くのあまね さん
2023-06-28

温泉自慢の宿

4.00

開湯1300年の歴史を持つ源泉掛け流し。ぜいたくですね( ´艸`)
45度だそうなので、露天にぴったりですね('◇')ゞ
源泉の管理は大変だと思いますが、オカミの指導や虫嫌いの客の苦情に負けず、頑張って頂きたい♪ 貴重な秘湯をいつまでも~
こちらの宿は 大盛の料理と温泉。連泊をお勧めします。

1
海潮荘
  • 出雲大東駅
  • ホテル・ビジネスホテル・旅館
くのあまね さん
2023-06-28

メインはどちら?食堂&宿

3.50

桜の季節におススメの宿です( ´艸`)
「かね平旅館」は「食事処かね平」を併設していて、地元食材を使用した家庭料理を提供しています。
なので食事だけの利用も全く問題ありません( ´艸`)
JR木次線から徒歩約2分と電車でのアクセスに便利
「日本さくら名所100選」にも認定されている斐伊川堤防桜並木にも徒歩2分♪

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かね平 食事処
  • 木次駅
  • ホテル・ビジネスホテル・旅館
くのあまね さん
2023-06-28

雲南市のビジネスホテル

3.50

必要最小限の設備が整ったビジネスホテルです。
雲南市は近隣の温泉郷に観光客が流れる?宿泊業者泣かせの立地だと思うのですが、そんな中で、良心的な宿泊料金で奮闘してると感じました♪
予約不要の駐車場なので、車での利用に便利です。

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ホテル上代
  • 木次駅
  • ホテル・ビジネスホテル・旅館
くのあまね さん
2023-06-28

雲南市の国民宿舎

4.00

雲南市は静かでのどかで山陰に来た( ´艸`)と実感できる好きな街。
ちょっと足を延ばして豪華な温泉旅館も捨てがたいのですが、あえて ちょっと古風...な宿も味があって素敵♪
この国民宿舎は全室トイレ付なので、不便さは全くなし('◇')ゞ

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清嵐荘
  • 日登駅
  • ホテル・ビジネスホテル・旅館
maffinman さん
2023-06-28
間々田八幡宮
  • 間々田駅
  • 暮らし・生活サービスその他
maffinman さん
2023-06-28

藤原秀郷も源頼朝も参拝した神社

4.00

今年4年ぶりに行われた国重要文化財「じゃがまいた」の舞台となる神社です。祭りの起こりは色々いわれておりますが八大竜王を祀ると農作物が程よい雨で豊作になることから竜をまねた大きな蛇体を作って担ぎ回り雨乞い、五穀豊穣、疫病退散を祈願するようになり効果があったので毎年行われるようになったというお話です。頼朝の松が植えられております。頼朝が奥州の藤原泰衡を征伐する途中で藤原秀郷が平将門の戦勝祈願をした神社だと聞き真似して立ち寄り戦勝祈願をしソノ記念に1本の松を植えたそうです。現在は3代目で若木ですが初代、2代目を超える大木になってもらいたいものです。力石が増えておりました。元々あった石(105キロ)より大きな石(143キロ)です。以前からある石は持ち上げた人が3人いたと伝えられておりますが後から来た石を持ち上げる人の顔が見たいと思いました。芭蕉の句碑の看板が新しく設置されておりました。2つの手水舎に色鮮やかなアジサイが浮かべられていて季節感があります。弁天池を見るとスプリンクラーがフル回転で涼やかでした。池の周りには観客席も整備され7/1の音楽祭も多くの人で賑わいそうです。

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間々田八幡宮
  • 間々田駅
  • 暮らし・生活サービスその他
maffinman さん
2023-06-28
光照寺
  • 小山駅
  • 暮らし・生活サービスその他
maffinman さん
2023-06-28

元大名のお墓

4.00

光照寺境内には初夏の花々が色とりどりに咲いておりました。尾藤塚と
いうお話があります。尾藤知宣は豊臣秀吉の家臣でしたが九州の島津軍との戦いで彼の
部隊が退却したために友軍が大きな打撃を受けてしまい秀吉の怒りをかい知行地を取り
上げられ追放されてしまいました。帰参の機会を狙っていた知宣は小田原の陣で秀吉に
拝謁を願い面会しましたがかえって秀吉の怒りをかい下野に護送され路上で処刑されま
した(那須地方で斬殺されたとの話もあり)。時は流れ1630年に知宣の子息知則は
亡き父ゆかりの地に石塔を建てて供養しました。そののち1656年には孫の知成が左
右に二基の石灯籠を加えました。これが尾藤塚で畑にありましたが管理していたお寺が
廃絶してからコチラのお寺の管理となっております。門を入ってスグの所にそれらしき
物がありましたが念のためお寺の人に伺うとズバリでした。中央の宝篋印塔は分かりま
すが左右の石灯籠に笠がないことを伺うとコノ状態で移って来たそうです。また子孫の
方も横浜に住んでいるのでお墓参りも稀にしか来ないというお話を伺えました。讃岐国
5万石の大名から転がり落ちた尾藤知宣の墓に手を合わせました。正に悲劇の武将です

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光照寺
  • 小山駅
  • 暮らし・生活サービスその他