国重要文化財の建造物と勝道上人像
勝道上人が日光で最初に創建したお寺で日光山発祥の聖地とされていて今は廃寺となっている四本龍寺です。本宮神社を奥に進むと現在は輪王寺が管理されている四本龍寺の2棟の建造物(国重要文化財)が残されております。その前に紫雲石があります。外見は特徴がある石とは思えませんでしたが勝道上人がこの石の辺りから紫の雲が立ち上り男体山の方へたなびくのを見て四本龍寺を建てるキッカケとなったことから史跡として重要な石であります。807年に建立された当時の本堂である観音堂は飾り気はありませんがイブシ銀の出で立ちです。中を窺うと大きな厨子があり御本尊の千手観音様が祀られているとのことです。対照的にモウ一つの建造物である1685年再建された三重塔は朱色を主体とした目立つ造りとなっておりました。最下層が特に凝っていて軒下の十二支、速子窓の鮮やかな青緑、板唐戸の装飾とに目が留まりました。そこから暫し歩き輪王寺駐車場に建立されている勝道上人像を見つめました。彫刻家の巨匠である新開国臣さんのブロンズの作品です。日光山の一通りの完成によりホッと一息いれた表情のように映りました。また高い石の上におられるということは霊峰男体山を表していて上人は頂上から日光山の様子をくまなく眺め見守っているのではないかとも感じました。
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伊豆の地名の言われ、伊豆大権現、走湯大権現と言われた
熱海駅から4番のバス停から10分程度に伊豆山神社のバス停があります。坂道登っていって、途中で、土石流があった谷も過ぎました。800段を登って上に本殿がありました。
参道はバス停の下側にも続き、かつて一帯に宿坊があったそうです。源泉からお湯が沸き出る洞窟が下側にあるそうですが、降りていく時間がなかったです。
バス停から登る参道の途中に、祖霊殿、役の業者を祀る御堂もありました。修験道の霊地でした。
湯が沸き出るので、走湯大権現、沸きイヅルから伊豆の地名が生まれ、伊豆大権現とかつては言われたた神社です。本殿裏からお経をいれた銅製の筒が発掘されました。経塚の遺跡があります。国学院大学の考古学チームの発掘調査が最近もあったようです。
源頼朝と政子が縁を結んだ地で鎌倉幕府からも霊地として参詣が絶えなかったようです。そして湯治場として栄えた場所です。
上からは、初島、伊豆大島も見えます。
伊豆山郷土資料館は熱海市が運営しておりました。銅像走湯権現立像はさびをそぎ落として、見事に復元された逸品です。
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熱海の観光城
ホテルから見えて、とても気になったので、バスでこちらの熱海城に行きました。熱海駅からは、東海バスのゆうゆうバスが、熱海市内を周遊していて、熱海城に行けまさした。お城の上からの絶景はさすがで、これだけでもすばらしいです。中は6階くらいになっていて、家族で子供から、大人まで楽しめました。
一階は日本の侍の象徴ともいえる武具の展示で、本物が見られました。かなりレベルの高い甲冑、鎧、具足、刀、火縄銃。真田幸村が大阪冬の陣で利用したとされる六連発の火縄銃は、家康が長く隠して来たといわらる逸品で戦国時代の最後を飾る銃器と思われました。また、桜田門外ノ変で、薩摩藩の有馬が利用して井伊直弼の首を落としたとされる名刀もあり、驚きました。正宗の包丁という名刀もありました。源平合戦の屏風絵、大阪夏の陣の屏風なども同じ階にありました。その上は、日本全国の現存するお城の水彩画、楼門、マッチを利用して再現したお城など、お城マニアにはたまらない作品、さらに城や大阪夏の陣などの歴史的資料も展示してあり、かなりレベルが高いです。
浮世絵、18歳以下は入室禁止の浮世絵展示もあしりました。江戸文化の研究に必須の滑稽、諧謔の風を学べます。
その上は、浮世絵から現代までのトラックアート。子供むけの解答用紙で家族さんが楽しんでいました。
足湯の階。
最上階は、絶景です。初島、伊豆大島、伊豆半島、熱海市街、真鶴の海が一望できて素晴らしかったです。
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