口コミ
整体師をしている理学療法士です。
勉強会に参加した流れでこちらにお世話になることになりました。
先に言ってしまいます。私はかなり「斜に構える」人間でした。勉強会に参加していても発言もせず「ああ、ふ~ん、そういう感じね」とマウント姿勢で参加。凄い恥ずかしいことをしていました。今となって考えてみると恐ろしい。。。。「知らない」ってこういうことですよ!皆さん!
ええ、これが国家資格病です。無資格の方を無意識に下に見てしまう。おかしな話ですよね、国家資格の世界から降りて整体院を開いたというのに。こういうところにも自分の弱さというか醜さが出てるなぁと我ながら思う。
さて!最初は斜に構えての参加からで、話半分の中にいたのですが、なぜ自分が変わり始めたのか。それはやっぱり自分のカルテを見せつけられてからです。ヨガやってます。ジム通っています。水泳だってやってる。マラソンも走っていますよ!
でも、ランクはCとC。テストはどんどん×がつく。頑張って力を出しているのに「力は出ていますけど、繋がっていないんです」と撃沈撃沈撃沈。
自分がパーソナルで学んだ力の使い方が殆ど「チェーンを意図的に切っています」と指摘される。これはあくまでジム用の使い方であって健康的な使い方とはまた違うんだ。と学ぶ。考えてみたら当たり前なのに。
そうか、ここはあくまで健康的な体の使い方を学ぶ場所なのか。なるほど、そういうことなのね。とここに気づいてから急に楽しくなりました。
ピラティスインストラクターしています。資格だけなら沢山持っています!先生の5倍くらい!
でも集客以外ではな~んにも役に立ちませんでした!私の不安を払拭してくれるだけの賞状です。私は頑張ってる!頑張ってきた!って。
私はここのヘビーユーザーです。最初はノウハウ取っちゃえ!的なノリで潜り込んでいたのですが(ちゃんと同業枠ですよ!!嘘ついていない!)、早々に白旗。もうチンプンカンプンで理解が追い付かない。教科書で学んだ部分はわかりますよ。でも問題はその先!そこから先!
自分が如何に「教科書通り」の指導しかしていなかったかを思い知らされる恐怖の2時間。先生は「わかっている人」扱いでどんどん解説をしてくれる。「わかりません」が言えない私。もう真っ赤っか。こんなに恥かいたのっていつ以来だったかしらん?
「スキルを盗むとか言うてる場合じゃない」とまじめに1から勉強させてもらおうと通い始める。私は月2回です。それ以上のペースは許可されません。どれだけ早く来させてといっても隔週です。私のクラスなんて週3とか入れてたよ。私、生徒さんに何をさせていたんだろう。。。。今となっては本当に恥ずかしい。
ああ、当分は専門家って名乗れないです。本当に。ピラティスもヨガも基本的な知識は確かに私の方がありますよ。実践だって私の方が先生より圧倒的。でも、本質の理解は先生の方が段違い。この悲しみ、わかってもらえますか?
自分が「形だけ」だと思い知らされるんです。先生と深く掘り下げて会話するほどに。足りない、足りない。ああ、私足りてない。ってT_T ああ、枕を涙でどれだけ濡らしたことか!!!
おっと私の愚痴みたいになってしまった。いかんいかん。
私がこうして口コミを紹介させてもらおうと思ったのは、私もようやく感じ取れたから。俊カイロ名物「あ」を迎える事ができたから。
何で私は感じ取ることができたか。
1.ウォーキングシューズ
2.加圧ストッキング
3.姿勢矯正ベルト
4.加圧ソックス
5.5本指ソックス
かつての私がとても愛用していたものばかり。
ここでカラダを整えて、2軸歩行もそれなりに理解が進み。そしてその感覚がやっとわかってきたなと自画自賛できるくらいになった今!今!今!
先生にいわれてからずっと封印してきた「割といいお値段」をされていた美の軍団!
さぁ封印を解くときがきたわ!私にその力を示しなさい!
もうビックリした、なんてレベルじゃありませんでした。
え?何これ? 私に何が起こった?
無理無理無理無理無理、何か変、何か変。ナニコレ!
先生がおっしゃっていた「知れば戻れないと思ってください」はこういう事?
衝撃的でした。私はここに来るまではこの感覚の中でずっと暮らしていたの?何も感じる事なく。
世界の色が変わるって、全然大袈裟じゃなかったよ!
私、子供の靴も靴下も、全部買い換えましたもん。
旦那のは・・・知らん。
ああ、知れてよかった。感じ取れる様になって本当に良かった。
先生、これからも宜しくね!
忖度無し、媚びない、徹底して本質を追い求めていく。
完全に職人さんです。
ビジネスとしては「ふんわり」したものを提供した方が確実なのですが、個々の先生は全くそれをしません(笑 清々しいくらいに基準は「健康か否か、自然か否か」で判断をされます。
だから「聞きたい言葉」を聞ける場所では無いのかも。求める側が求める「願望・都合の良い解釈・言葉」とは真逆の「悲しいくらい現実的」な正しい情報をとても優しく伝えてくれます。そう、スパッとは伝えないんです。優しくでも正しく伝えてくる感じです。
それが先生なりの思いやり、気遣いなのだと思います。専門家としては間違いは正す。でも言葉にはきをつける。そういう先生です。
私も例にもれず。ありとあらゆる健康グッズをここに持ち込み、そして全ての説明を受けました「だから余りおススメはできない」と。
悲しいくらいに理路整然と説明されるので、値札の〇万円が悲しくなりました(笑 私は今まで何をしてきたのだと。
だって、商品の半分くらいは整骨院、整体院、ヨガ、ピラティスの先生からおススメされて購入したモノばかりだったから。
自分がある程度の理論武装をしておかないとこうなるのか。。。。。と身をもって思い知りました。
でも、この先生を前にしてちょっとだけわかったこともあります。今までの先生だって悪気があったわけじゃない。本当に私にとって必要だと思ってくれたから、そして先生自身も良い商品と思っていたから私に勧めてくれただけ。
そう、私もそうだがその先生方もまたそこまでカラダや健康を掘り下げていなかったのだと思う。俊先生がある意味特異的なだけで。
施術を受けるというより、話をしっかり聞いてみて欲しい。そして自分が知りたいことを全部ぶつけてみて欲しい。
きっと自分の中にあった「健康」「カラダ」についての概念がボロボロと崩れ出すと思います。ああ、私はこんなにも知らなかったのか。知ったつもりになっていたのかと。
そう、もっと言うなら世の中にはどれだけいい加減な情報があふれているのか。それも「もっともらしい」体をなして。
知れば知る程、世界がドンドンシンプルになる。
今までは専門家の先生の言葉を指標にしていましたが、どんどん自分自身が自身の指標として成長していく実感。
認める事、知る事、経験する事、考える事、訊ねる事
ここで学んだ、身に着けた事は、根本的に一般的な整体院とは違う。全く違う。
からだをほぐすとか、整えるとか、パキポキするとか、そういった一面的なものではありません。
こんな整体院?見た事ない。経験したこともない。
でも、先生は積極的に引っ張り込む様な事も無いです。本当に「ご自由にどうぞ」みたいなスタンス。
でもこちらが聞けば、問えば、とんでもない情報があふれ出てきます。私達の働きかけに対して対応してくれる感じ。
本当にここは「お任せします」では何も変わらない。先生も「お任せします、が慢性化の原因なんです」と先に伝えてくれます。
目的をもって学びに行く場所だ。そういう意味では理想的な環境だ。
カラダの使い方をひとつひとつ積み重ねていく感じがします。
私の症状は首/肩が主なものでしたが、こちらでは足元から身体を作り直していく感じです。
ここまでに幾つかの病院や整体院、整骨院などにお世話になっていましたが、首肩を直接触ってくれて、その場はとても楽になるのですが、やっぱり数日で段々と症状が戻ってくる繰り返しになっていました。
頭ではわかっているつもりですが、どうしても手っ取り早く解決をと考えてしまいズルズル続けていたのかなと思います。
途中でヨガやマシンピラティスも挟んでみましたが、中々状況に変化が見られず。
最初からこうしておけばよかったな、とここまで掛けていた時間とコストに後悔を滲ませつつ。こちらにお世話になる事に。
症状自体は3カ月あたりで特に気にならなくなりました。宿題は丁度、肩甲骨剥がしに入ったくらいです。
今まで通った期間は軽く1年オーバーでしたので、期間としてはとても短く助かりました。
自分としては「カラダの事」を沢山学べたのでとても良かったです。先生も仰っていましたが、施術そのものよりも「生活の引き算」が本当に効果的だったと思います。
特にスマホ。
スマホを手放せないので、使用する時間帯を少し調整する事から始めた形ですが、確かに変化が生まれます。
お風呂の入り方も少し変えただけで、ビックリするくらいぐっすり眠れる様にもなりました。当然、朝もスッキリ目覚めます。
寝る前の着圧スパッツもやめて、カラダが軽い!今まで自分は「カラダに良い事」と考えて取り組んできたことの多くが実際はマイナスに働いていた様です。
キチンと知るだけでこんなに健康が近付いてくるなんて。今までは「知る事」を大切にしていましたが、今度は「正しいことを知る」事を意識して頑張ろうと思います。
というより、わからないことはもうこの先生に聞いたら解決する気がします。
自分で調べると絶対に「自分に都合よい解釈」をしちゃいそう。
同業者です。整体院しています
一応、教える立場にもなっている程度の評価は受けています。
こちらの先生の勉強会には可能な限り参加させてもらっている状態です。それだけでは足りないので月1で通っています。自分のカラダをメンテナンスしてもらう、というより自分のカラダを通して学ぶ為にです。
同業の人がこれ以上増えて欲しくない。それが本音です。何故なら「同業枠」という限りある枠を常に争っているからです。前もって抑えておかないと一瞬で埋まる。私は常に3回分をキープしています。
この文章は一般の方向けの紹介文にしてあります。同業者はもう増えて欲しくないので!T_T
「他と違う点」
1.たぶん、関西で最も同業者が通う院です。
通称「俊詣」と呼ばれる儀式で、私達割と古参組には「挑戦」と呼ばれています。
ほぼ全員が「私は私、自分は自分」と強がって戻ってきます。これが通称「思考停止(完全敗北)」と呼ばれる現象です。※別に勝ち負けでもなんでもない。
自分の過去に慰めてもらう事で自我を保つ状況です。(私も経験何度もあり)
2.たぶん、関西で最も知識・情報量が豊富な先生です。
個人的には西日本でもトップクラスだと思います。
いや米国公認DCには届かないだろ!って思いますよね。普通は。細菌学や公衆衛生学やらまで手を伸ばすDC見た事ありますか?物理学やら力学まで掘り下げてるDC見た事あります?
私は過去出会ったDC1人もいなかったです。
更にはそこにコンサル時代の知識と経験が組み込まれています。昔でいう官民一体みたいな感じ。おいうちとばかりに毎回こなす200?くらいの検査カルテがday by day に積み重なっていく。
もう別モノなんです。我々みたいな「痛みを取るぞー。楽にするぞー」なんて言っているレベルとは。
だから会話が噛み合いにくい(汗
先生が伝える本質的な話は我々には極めて抽象的に聞こえてしまう。
なのでここに来る多くの人、そして先生自身もとても苦労されていると正直思う。
ステージが違い過ぎて視点のすり合わせが大変なのだ。
3.たぶん、関西屈指の患者寄りの先生です
ここまで患者側に寄ってくれる先生はまずいません。
寄っているふりをしている先生は沢山見てきました。この先生は元患者と言う立場があるせいだと思いますが、それが絶対にできない。「師匠の楔」とも仰っていました。
よくある10分、20分ほどの施術で毎日、週数回通院といった事は絶対に提案しません。必ず2週間は空けてもらっています。
この2週間の意味が理解できるかどうかで色々なものが大きく変わる。先生は毎回伝えてると思いますが、それが残念ながら「今、必死!」な患者さんには中々届かないとも思う。
私はそれでいいと思う。先生は誠実に伝えた。あとは当事者本人さんが自分で決めればいい事だ。何せ自分のカラダ、健康なのだから。
4.関西屈指の低価格院
支払いコストは10,000円/回
これを高いとするか安いとするか。それは完全に支払う側の意識に委ねられると思います。
高いと感じる人は、結果をとにかく求めているはず。今何とかして欲しいんだと。そうなると先生から提供される情報に価値は生まれません。間違いなく高い。言葉で痛みが取れたら苦労しないんだよとなる。
安いと感じる人は「確かな情報」を求めているはず。何をすべきなのか。今どうなっているのか。「知りたい」という気持ちが強いはず。そして「わからない」事が不安を生んでいると理解している。そういう人にはここで提供される情報がとてつもなく宝に映るはず。当然「安すぎる」となる。
5.間違いなくビジネス感覚でしていない
これは経営者として良いのか悪いのか判断に困るw
ひょっとすると現時点で先生に勝るのはこの点かもしれない。利益率や回転率を割と度外視している。実に先生らしい。
ほぼ全てを患者さんに還元している。時間・情報・手間暇と。
受けるたびに「ここまでして、この金額、この時間ってええの?価格破壊もたいがいにしてよ!」と思ってしまう。
自分の院が遠くて良かった。こんな採算度外視の院が近くにあったら一瞬で比較されてアウトだった。
でもこれもわかる。
この姿勢があるから、先生はこの領域まで辿り着いたという事も。ソロバン勘定していたら無理だ。絶対に無理。リームー
6.関西屈指の探究者
これに尽きる。
学ぶ我々の10倍は新たに「?」を生み出し、単独で「!」へと変換していく。
何よりその過程の仮説数がまた桁違い。
「どうしても気になったからあれから歩いてみたんだ8時間ほど。すると新たな気付きが4つくらい降りてきた!最高だ!」
まだこんなことを言っているし、何より行動しているんですよ。
首肩~腕とぼんやりする違和感と付き合い始めてはや数年。
週1~2回は信頼している先生(こことは違う)の院でパキポキしてもらっていました。パキッとしてもらうと本当に楽になる。スッと抜ける感じ。
でもそれが半年くらい続いて流石に「これは解決じゃないな」と気づく。流石に気付く。
だからこちらに来ました。
まだ通院しているところなので結論までは至れません。でもいえることがある。
こちらの先生はパキポキはしません。それは最初に言われました。「自分の理想とは違う」と。そこは納得。
宿題も出る。それも納得。自分が作った原因を1つ1つ整えていくと。なるほどそうだよなと。
納得していない訳ではなく、驚いたのが「宿題」以外のアドバイス。
私の場合は「湯船につかり、ぐっすり寝ること」でした。
温度も時間もキチンと説明してくれて。そして試した。
3週間後くらいに「あれ?」と何かを感じた私。そう、違和感を感じる。
「あれ?腕のピリピリってこんなんだったっけ?」
宿題はまだ下半身。腕には来ていない。下半身を整えると上が整うという話がこれか?それにしては効果大きくない?
先生曰く「宿題よりお風呂と睡眠時間」だそうで。
えええええええええーーーーーーーーーーー
そっち?そっちなの?
たったそれだけ?
「ええ、それだけです。でもそれだけの積み重ねがそれです」というお返事。
これか。ここで時々出てくる「あ」というのは。確かにそうだわ。呆気にとられるわ。
あれだけ苦労して、週数回パキポキしてもらい続け、レントゲンにMRIに血液検査。なんでもござれでここまできた。そして何も変わっていなかった。
それが何? お風呂? 寝ること?
そんなことでこんなに変化するの?
「はい」と先生。
やめたらどうなるの?
「多分、戻ります」
えええええーーーー
そんなもん?
なるほどな。ここは通う側の理解と納得が必要なんだ。言われたからやる、では元の木阿弥というわけか。
なるほど。確かにここは健康の学校だ。
間違った知識を整え、独り立ちさせてくれる場所なんだろう。
先生任せだった私が、一番他人事にしていたわけね。そうか、そうか、そういうことか。
何か謎が解けたよ。健康ってそういうもんなんだね。
知らないことのこわさ、
知らないからこそいい加減な情報をうのみにしてしまう。
そして頑張る。
その努力が報われないままに。
状況を自ら悪化させている。改善の為と信じながら。
ああ、謎が解けたわ。そら根本問題は私ですわね。私自身ですわね。
先生、ありがとう。
紹介でお世話になっています。
他の方も仰っていますが、本当に「よし行こう!!」と思って「来週だな」なんて思っていたら痛い目あいますw 来週いけたらラッキーくらいです。
その理由は簡単で、
・1日の人数が極端に少ない→4人くらいかと
・1人あたりの時間が長い→2時間くらい
これはもう感覚というか、価値観の話になると思うのですが、パパっとみてくれたらええ。この痛いのを何とかしてくれへんか?という感覚の人はここは絶対に合いません!私が断言する!
本当にそういう場所じゃないんですよ。ここを選ぶ前に何度も自問自答した方がいいです。
・自分は何をしたいのか
・自分は自分で頑張れるのか
自分で頑張ろうと思えない、むしろ「頑張りたくないから任せたい」と思った人!やめた方がいいです。絶対に先生の感覚、価値観とあいません。流れ込んでくる怒涛の情報に溺れちゃいます。
そうじゃなくて
・正しい事を知りたい、教えて欲しい
・自分でもできる事が知りたい
・健康になりたい
・自分健康は自分で守りたい
こんな感じの感覚だったら絶対にここに来た方がいい!私がやっぱり断言する!
「急がば回れ」という言葉「先ず隗より始めよ」という言葉、本当にその通りだとここで学べます。気付けます。そしてハマります。
私達って痛いの何とかして!この症状を楽にして!そう願って縋ると思うのです。でも、その願いは「当事者としては決して間違っていない」一方で「根本解決から最も遠い」という悲しすぎる現実を学べます。ここで。
響くポイント、言葉はきっと1人1人で違う。絶対に違うと思う。私の場合は「ダイエット」のお話でハッと腑に落ちました。
ダイエットが失敗するのは「体重を落とす為の生活」をするから。それも「体重が落ちるまで」の期間限定で。それでリバウンドをしない人類はいない。とまで言われました!
じゃあどうしたらいいんですか?
私にとっては凄いズバン!な答えがやってきた!
「目標体重に適した生活を送れば勝手に辿り着く」
ズバァァァぁぁン!!ドカァァァぁぁン!!ズドォォォぉぉン!
ですよねぇぇぇぇ!!!ですよねぇぇぇ!!!
リバウンドするダイエットをして、リバウンドに悩むこと自体が理解できない。
リバウンドをしない形で取り組めば、リバウンドなしでダイエットができるじゃん。
それが知りたい!と先生に問うたつもりが「いや、それ知ってますよね。単にそれを選びたくないだけで」と論破王ばりにスパンと返されました。
そうなんですよ、私は今の自分の好き放題な生活を変えたくないという前提でかつ「でも痩せたい(今の生活による現在の体重なのに)」という栓の抜けたプールを水で満たしたいみたいな「不可能」を模索していたのです。「きっと方法があるはずだ」と。
先生はそれに対して「栓したらいいだけですよね=その体重をもたらす生活を変えたらいいだけですよね」
と何とも無慈悲な正論が!でも正しい。
そう、ここは試しの院です。
「その目的地に辿り着く方法はお伝えします。が、あなたそれしますか?自分で決めてください」
と私達にボールをポンと投げる。選びなはれと。
やっぱりこれしかないですよね、となるのか。いや他にも道はあるんじゃないか。となるのか。
選ぶのは私達自身なのだ。
忘れるなかれ、先生は私達の味方ではない。カラダの味方である。
ここには「これさえしておけばOK!あれもこれも解決するよ!」なんて忖度された答えはありません。
地道に積み上げる「私達ができれば避けたい方法」ばかりです。でも結果が確かについてくる。
だから私達が試されるのです。
今までみたいに「夢を追い求める」のか「現実と向き合うのか」
もう一回言っちゃうよ!
選ぶのは私達自身なのだぁぁぁ!!!!
凄い新鮮でした。全く違うベクトルの「整体」ですよね。ここ。
先生がズババっと楽にしてくれるのが「整体」だと私は思ってきたのですが、ココの「整体」は全くベクトルが違う。だから皆勘違いをしてしまうのだと思うのです。
本当にここの先生は「痛みを今すぐ何とかしよう」という考えでカラダと向き合っていません。そこをまず受ける側が理解しないと噛み合いません。そして先生はHPや事前のメールでそのことについて凄く何度も確認をしています。
それでも「痛みが取れなかった」と不満を感じる人がいる訳です。→うちの父。
答えは簡単でした。
「殆ど読んでいない」
一方で隅々まで読み倒した私と妹、従妹とそのお母さんはとても楽しく通えました。
何で読まないのか?どうして先生の話に耳を傾けないのか。我が父の話を聞いて分析してみました。→この時点で先生の思考が憑依した気がしますw
父はカラダの事に興味が無い。不便だから痛みは何とかしたい。
理解した体で居ないと施術を受けられないと思ったから頷いていただけで。「受けたら勝ち→良くなる」と思っていた様でした。
・・・・・
そんなわけあるかいや!w
1つ目のボード20度すら立てていない我が父。だがしかしNHKで目にした医師監修の腰痛体操は毎日欠かさず続けている。→NHKの腰痛体操はもう半年続けており、先生のところには2回だけ通った状態。
そして不満の矛先が先生に向かっているwww 気付けおとっつぁん。そりゃあんまりだ。
先生がどうして会話を大切にするのか。どうして自身の捉え方を言葉で伝えてくれるのか。わかった気がしました。
我が親父殿はスタートラインにすら立てていない。予選突破できていない。
「何でもいいから何とかして」の心づもりで臨んでいる。だから何も耳に届かないし取り組みも適当だ。何より興味が無い。関心も無い。
あるのは「痛みがマシになっているかどうか」だけである。
だからか。だから良くならないのか。
私達が当事者としてカラダに耳を傾ける事ができるのか。そしてその気があるのか。
その気が無ければ先生の言葉は何一つ届かないし、価値が無い。先生自身も無理に寄せようとはしない。そりゃそうだ。だから個人院としてやっているのだから。
痛いの痛いの飛んでイケーが欲しければリラクゼーションかパキポキでいいと思う。
もっと奥深い場所にある「健康とは」「自然なカラダとは」と先々の人生を含めた「健康の在り方」「自分の在り方」を掘り下げたい場合はここがいい。
というより
「ここしかない」→私は確信する
紹介でこちらにお世話になりました。
ずっと腰痛や肩こり、不眠と付き合ってきたので一生お付き合いしていくものだとばかりいました。
ここでお世話になったのも「少しでも楽になるなら」と思ってきた感じです。
結論から言えば私の症状も随分と楽になりました。今までは受けたら楽に、その後はまた戻る。だからまた受ける。そんな繰り返しで保っていた状態でしたが、今は時々顔を出す、それも数日でふんわりと消えていく。そんな嬉しい循環に乗っています。
今までは何処に行ってもパターンが変化なかったのに、どうしてここで変化が出てきたのか。私なりには見当がついています。
〇自分で取り組むから
今までの先生はずっと施術を受ける事の繰り返しでした。いわゆる定期通院みたいな感じです。
それがここだと自分で取り組む割合が凄い大きいです。今までの先生にも宿題は出されていました。でもここ程目的がはっきりしたものではなく悪化を防ぎましょうという感じのものばかりです。
〇段階を踏むから
今までの先生は私が症状を訴える部位を中心に対応をしてくれました。ここの先生は症状の場所じゃなくてカラダ全体の構造から順番を割り出して対応してくれます。だから肩の症状なんてもう後回しでした。でも段々と肩の症状が軽くなったりするから不思議です。
順番って大事なんだと知りました。
〇生活からやんちゃを引いてくれる
これが大きい気がする、
生活の中にある「悪さ」をする要因を丁寧に間引いてくれます。でも実践するのはやっぱり私です。できる事から変えていく。その積み重ねが確かな変化につながっていたんじゃないかなと、今となっては思います。
あと、自分では改善策として取り組んでいた事が見事に「斜め上」に刺さっていた。そんなことも沢山ありました。それらも先生に質問をしたり、私がポロっと口にしたことがきっかけとなって間引いてもらえます。
とにかく1つ1つを丁寧に説明してくれるので、何がどう問題だったのか、何故間引いた方が良いのか。それがはっきりとわかります。
〇ズバッと本質をついてくる
これもとっても大きかった。とても優しくズバッと本質的な事を伝えてくれます。
私の場合は「私が変わる事」でした。
どうして良くならないのか。どうしたら良くなるのか。いつ良くなるのか。
通い始めの頃に先生に質問をしたのですが、それに対してスパッと答えてくれました。
「受けるだけ、だったからだと思います」
そういうものだと私は思っていましたが、だからいつまでも変わらなかったのかと、何かスッと入ったことを覚えています。あの一言です。
受けるだけじゃダメなのか。じゃあどうすればいいのだろう
少しだけ自分を変えればいいんです。生活を少しずつ変えたらいいんです。新しい形に。
痛くなるには理由がある。しんどくなるには理由がある
その理由は日常に溶け込んでいる。だからそれを浮かび上がらせ。日常から遠ざければいい。
それは「パキポキ」が担うものではないと。
取り組み方というかモノの見方が全く違う。そう思いました。
でも私の場合はそれで段々と症状は軽く軽~くなっていきました
自分が変われば早かったのかな。ここに来るまでは全く思いもしませんでした。
今まで沢山の先生にお世話になりました。
何とかしてほしい。ただその一心です。
お金に余裕がある訳ではありませんでしたが、体が動かない事には始まらない。
とにかく何とかしなければと本当に沢山の院に通いました。
それでも中々改善しない状況に焦りも募ります。
自分は相当に重症なんだ。もうずっとこの状態なのかもしれない。仕事はできるのかな。生活はどうなるのかな。
そんな不安がよぎっていました。怖かったです。見捨てられるのが怖い、独りぼっちになるのが怖いということもあって色んな院に通い続けていた気もします。
病院はレントゲンとMRIを撮影した後に手術が第一選択ですと言われたので足が遠のきました。
気持ち的にも予算的にもキツイな、そう感じ始めたときに紹介されました。
ただ、紹介してくれた友達にはこうもう言われました。
「できれば、ここは最後にしなさい」と言われました。
もう散々色々な院に通っていたのでこちらにお世話になることに。
電話よりラインがおすすめです。電話は本当に忙しい先生なので殆ど出れないです。ラインは比較的早い対応をしていただけます。
初回から驚きでした。今までの院と全然違う。「院!」という感じがあまりしません。かといってリラクゼーションという感じもしません。
独特です。
そして本当に話を全部聞いてくれます。さえぎられることは全くありません。凄い安心できました。
最初に言われることは「ほんの少しだけ変わる事」「正しく理解すること」「認める事」が大切だと。
先生の動画であった過大評価と過小評価のお話が響きます。このギャップが慢性化している原因だとのこと。
なので埋めればいい。悩むのは埋めた後にしましょうと。
最後にここにきていなかったら「それより早くなんとかして」と思っていたと思います。友達が最後にしなさいといった意味がよくわかる。
早く、とにかく急いで、そう思ってそう願って選んできた院では変わりませんでした。自分で選んでその結果を受けたので今は先生の言っている意味がよくわかる。
近道なんて無かったんだなと。無いものねだりをして自分で追い詰めていただけなのかもと。
でも本当に助かったのは通院が2週に1回でよかったこと。今までは週に2~3回、場合によっては毎日だったので本当に楽でした。
でも一番感動したのは「よくなったこと」です。
半年以上悩んでいたこの症状、それがゆっくりゆっくりと剥がれ落ちていく感覚。毎日1㎜ずつ変化していく感じ。小さな一歩が絶えず起こる。
ああ、私よくなってるのかも。
そう思いながら前に進めることが何より幸せでした。
閉塞感を打ち破ってくれたのは先生です。ありがとうございました。
紹介を受けてきました。
「凄い先生がいるよ」という紹介ではないです。そういう先生はもう何人も通ってきました。
病院はもとより、オリンピック選手が通っている院、国体選手が通っている院。プロ選手が通っている院、タカラジェンヌが通っている院。サーカス団の方が通っている院も通いました。
先生に「頑張りましょう」と毎回励まされて、回数券を買い、その先生が開発した枕やコルセット、靴下にサプリ、全部買いました。オンラインサロンにも入っていた時期もあります。
とにかく元気になりたかったからです。
でも、ダメでした。先生も一緒に悩んでくれて考えてくれて、色々な事に取り組んでくれました。
でも、ダメでした。俊先生に出会うまでに支払った費用は累計で80万くらいでしょうか。でもそれは自分で選んだ結果です。後悔はしていません。どの先生もとても親切で熱心にしてくれました。
いよいよ手術しか選択肢が無いのかな。と覚悟を決めた?というか諦めが入り始めたころに、こちらを紹介してもらいました。どうせ手術なら最後に行ってみるのもありじゃない?と。
「頑張ってください」
初めてでした。「頑張りましょう」「一緒に頑張りましょう」「任せてください」と先生にお任せすれば大丈夫と心強く感じさせてくれる先生ばかりだったのに、「頑張るのは貴方であって私ではない」とスパッと境界線を引かれる様な感覚w
え?と戸惑いました。え?私がしないとダメなの?先生がしてくれるのではないの?え?と。
今の私からすると「当たり前」な事なのですが、当時の私にとっては「見捨てられた」様な「突き放された」様な感覚と言いますか(笑
肩を寄せたらしっかり引き剥がされた様な感覚でした(笑
でも、ここからが俊カイロ。「頑張れ」と突き放す割には想像もつかない情報量がドバドバドバァ~っと流れ込んできます。本当にこちらの都合無視です。次から次へと流れ込んできます。
あと、先生は時間中、ずっと体と本当に会話しています。カラダからの声を私に伝えてくれるみたいな感じ。先生の目は間違いなく私ではなく「私の身体」に向いています。
そしてカラダを擬人化している事にもびっくり。こんな先生は人生で初です。今までに筋肉を「この子」なんて表現をする人は出会ったことがありません。どれだけ体が好きなのか?
今までの先生が私に見せてくれた情報量を初回で軽く凌駕していました。何ここ?何この先生?そんな感じです。
書きたいことがありすぎて止まらないので休憩を。
ここは本当に先生にお願いします!という院では無いです。自分のカラダの事を先生に掘り下げてもらい、必要な事を1つ1つ取り組んでいくという段階的な取り組みをする院です。パキポキしてどうですか?という院ではないです。
本当に「お願いします!」では何も変わらないです。
先生は「ハイどうぞ」とレシピは渡してくれますが調理は私自身に委ねます。
「作るかどうかはお任せします」とばかりに。
そうなんです、ここは「考える事」「自分で決める事」「行動する事」「責任を負う事」を全て私達に委ねると言いますか、請け負わないのです。これが他の先生とは全く違うところ。
私は色んな先生に、それも有名な先生にお世話になっていたのでよくわかります。
俊先生は「依存からの卒業」を教えてくれます。無自覚に「楽」に逃げていた自分からの卒業です。どうしてか?それが「求めている結果」への最短距離だから。
それに気付くまでが少し掛かりました。でも気付いたらあっという間でした。
良い先生に出会えなかったから、じゃない。
先生に任せておけばいい、任せていられる先生を求めていたからダメだったんです。
自源病だったんですよね。私も。自分で良くなりたいと言いながら良くなろうとしていなかった感じ。自分が信じていた道筋は根本的に間違っていた。
ああ、書きたいことがあり過ぎて困る
それくらい先生には感謝しかありません。
手術なんてしていません。必要無くなりました。私はずっと手足の痺れを抱えていて。片頭痛まで出てきて、顔面神経痛まで広がりました。帯状疱疹なんて人生初です。
ずっとどうすればいい、どの先生ならいいと探していました
自分が1つ1つ取り組んでいけばいいだけだったんです。早く早くと新幹線に乗ろうとしていた自分が一番の原因だった。
健康は各駅停車。先生のこの言葉本当に真理だと思います。
そして「痛みも痺れも健康の1部」だという事。これもまた響きました。
遠ざけるのではなく耳を傾ける。それだけでこんなに健康が身近になるなんて信じられない。世界観が引っくり返る。
もう怖くないです。カラダの声がやっと私にも聞こえる様になってきましたから。
ありがとうございました。
どう表現したらいいのだろう。なんて迷う。悩む。思いつかない。
ここを適切に表現する、紹介する為の言葉が中々出てこない。
私が今までに通った病院、整体、パーソナル、ヨガ、整骨院、鍼灸院、どれにも全くあてはまらない。
勿論、カイロにも全くあてはまらない。
何なのだここは。
私と同じ経験をした人がここには沢山いると思う。確かにわかっていた。何となくそうじゃないかと思っていた。でも見て見ぬふりをしていたというか「そこを避けたい」と願っていた道を歩かざるを得ない。
でも、確かに求めていたゴールがやってくる。そんな場所。
足元に忠実に、そして当たり前の事から始める。
確かに今まで通った場所は「そんな事はしなくて大丈夫」と言ってくれていた。ここは全く逆のロジックで来る。
「それをしないからですよ」
やっぱりそうですか。そうですよね。
そんな感じで展開していく。
幾つもあるうちの笑える、いや笑えないケースを紹介しましょう。
偏頭痛外来でも改善に導けなかった私の片頭痛。宿題の中で楽になっていったのもあります。でもそんなことが霞むくらいの衝撃がありました。
帽子
私は勿体ないという気持ちで「少し窮屈」なニット帽を頑張って被っていました。かぶれない事は無いのですがちょっと窮屈だなと。
でも結構な金額だったので勿体ないと被り続けていました。
それをブカブカの余裕ある帽子に変えたところ。
偏頭痛が明らかに減った。軽くなりました。たったそれだけで。
へ?
そんな感じです。
そしてここはそんな小さな、とてもつも無く大きな気付きときっかけを与えてくれます。
自分が悩んでいた問題は多くが自分で作り出していた。でも自分はまさかそうとは思っていなかった。
そう、他でもない自分自身が見落としていたのです。容疑者候補から外して。
それを先生は教えてくれるものの「そんな馬鹿な」と中々信じることができない私。
そう、良くなりたいと言いながら一番の邪魔をしていたのは私。私の固定観念だった。
ちょっと想像力を働かせていたら解決していたのに。こんな足元に原因があるとは。※いや原因の1つだろうけど。
カラダに起こる問題なんて殆どがこんな感じなのかと衝撃を受けた。自分次第で何とでもなる。
自分でマッチポンプをして不健康だーお金がかかるー時間がかかるーもうベテランだーなんて言っていた。
ああ、恥ずかしい。
全部自分やないかい。中心地点におるのは。
健康をかなり簡単に考えていた自分が恥ずかしい。
楽しいです。
元気になりたいと思ってここに来ました。
自分の健康観が崩れると言いますか、認める事ができるまでは時間が掛かりました。
本当に1つ1つの質問にキチンと答えてくれます。それも凄い細かく。
話の半分以上が難しすぎて頭がパンクするのですが、先生は「理解した上で説明をしてくれている」というのが良くわかります。難しすぎるのではなくて私が余りに知らなさすぎるという事。
足元が曖昧な健康情報をずっと頼りにしてきました。靴下にコルセット、スパッツ、サプリも色々買いました。納豆もバナナも沢山食べました。
結局はどっちつかずな状態が続いていた自分ですが、ここで1つ1つ整えてもらっています。カラダもそうですけど知識の方を整えてもらっている感じです。
正しい情報がどれだけ大切か。正しい情報を見極める力がどれだけ大切か。
一番基本的な事をここで教えてもらった気がします。
流れ込んでくる情報は今も昔も変わらない。でも私からしたら見え方が変わる。自分が変わるとこういう風に変わるのかぁと。
健康はお願いして何とかしてもらうものではないんだなと。
健康になる為には自分を変えないとダメなんですね。確かにダイエットと同じです。納得
想像はしていたけれど、想像を超えて深かった。
痛くないことが健康。
痛くなくなるのが神の手
動く様になるのがゴッドハンド
ずっとそう思っていました。
私もそうです。結局は戻り、その度に解決してもらうことの繰り返し。
健康ってこういうことなのか?私は神の手で健康に戻してもらっているのか。
健康を私がまた壊しているのか。日常生活だもんな。
いや、まてもっと大胆な仮説は立てられないだろうか、
そう、そもそも健康に戻してもらっていなかった。なんて。
痛みは取ってもらっていたけれど、健康にしてもらっていたわけではない。あくまで「痛くない」状態にしてもらっていただけ。
そう考えると辻褄が合う。症状がリターンするのも納得だ。痛みを遠ざけていただけなのだから。
そういうちょっとしたへそまがり?な意識を持ち出した以上、ここに漂着するのは時間の問題だった気がする。
複数人の神の手の施術を数年間受け続けていた私のカラダはランクDとC-だった。
神の手が太鼓判を押してくれた身体がこのランクだった。頭からイナズマが走りますが逆に安心もできた。「やっぱりそうだったんだ」と自分で納得できた。
カラダがこの状態なら戻るよね。そうだよね。ああ納得。今から本番だ!と気持ちを切り替える。
本当にいろんなことを考えさせられる。
痛みのないランクDを健康と呼ぶのか。はたまた痛みがあるランクAを健康というのか。
それはもう哲学的なお話だ。先生の受け売りで「痛みをどう定義するか」によると思う。
痛みを遠ざけるべき存在にすると痛くなければ健康になる。一方で痛みもまた理由があると受け入れると痛みの有無、違和感の有無それ自体が健康の一部となる。
そうなのです。そうなのだ。ここの先生が認識する健康という言葉は私達の健康という感覚とは明らかに違う。もっと広義で捉えられた概念だ。
痛みを遠ざけず、耳を傾ける。痛みを抑え込まずに出てきた理由を求め、対処する。結果的に痛みは治まっていくというこの流れ。とてもスマートに感じる。
痛みや違和感、不便を通して健康を改めて学ぶ場所、それがこの院最大の特徴だと思う。
痛みを急ぎ取りたいという人は別に向かうべきだ。こことは空気が合わない。
正しいことを知りたい、教えてもらいたいという人は一目散にここを目指そう。間違いなくここでしか得られない情報が多過ぎる。
検査を受けてみるといい。ここまで細かく検査をする先生が他にいるだろうか。私はそれなりの人生の間に1人も遭遇していない。
1日4人?か5人しか見られないのも頷ける。それ以上は先生の気力が持たないと思う。それくらいこちらのカラダを見通すことにエネルギーを注ぎ込んでくる。
断言しよう
この内容でこの金額は余りに安い。安すぎる。
高いという人は「ミスマッチ」だ。マッチしたなら「安い」と感じるだろう。
それくらいに確実に間違いなく「人を選ぶ」院である。
友達からの紹介です。
健康オタクです。ヨガ、ピラティス、オンラインからスタジオまで。もう軽く15年選手くらいです。でした。ええそうでした。
自分に自信、ありました。
知識にも自信ありました。
人に教えていたくらいですから。
もっともっと自分をレベルアップしたい。健康レベルを上げたい。そう思って先生の所にやってきました。
そう、自分のレベルを上げる為に。
多分、諸先輩にはお分かりになるのではないかと思います。
例外はありません。ご多分に漏れず。
心の傷がヒリヒリしますよね、思い出すだけでも。
私は上げるべきレベルなんて無かったんです。帯で言うなら「ピンク帯」みたいな。思い知りましたよ。
教えられたこと、聞いた事、テレビでやっていた事、それらを組み合わせて創り上げた私の理論。ドヤ理論。
先生がウキウキしながら(本当にウキウキした顔で)聞いてきたその理論をドヤ顔で説明していて、質問を受けて気付いた。思い知りました。
自爆
私が熱く語った内容よりもずっと掘り下げた質問が来るので答える事ができない。質問されたの私なのに。先生は本当にカラダの仕組みを前提に聞いてきます。何の悪気も無く。ただ知りたいというオーラをまき散らしながら。
それに対しての私の答えが何とまぁ。
「基礎代謝を高める」とか「脂肪燃焼をしやすい様に」とか「自律神経を整えるとか」「細胞を若返らせる」とか。
これでもか、というくらいにふんわりしているんですよね。抽象的で。
それって「何も知らないと同じなんだ」と先生との会話で思い知りますよ。あの作業、絶対に必要なんだと思いますが、圧倒的に「痛い」心が痛い。辛い。
何か自分をまな板にさらけ出されている感じ。
ああ、私は今まで「知ったつもり」になっていたんだと。自分のレベルに合わせて話をしてくれる先生にばかりついていってたんだと。
それって本質的じゃないよね。私が認められて褒められて嬉しくなって誰かに伝えていただけで。
そんな宙ぶらりんな私にお金と時間を使ってくれていた生徒さんに申し訳なくなる。これはプロとしてええんか?と。
こんなえぐり取られる様な自問自答がありました。私の場合は。
先生は何もしていないのに。私が勝手に自爆ループに陥っている感じ。それくらいに圧倒的だったんですよね。視点がそもそも違うから。
結果の保証なんて誰にもできない。
でも、できる事は沢山あるし、結果を心配するのは「できる事」をやり切ってからでいいんじゃないの?
先生の軸はとてもシンプルです。
そう、結果保証が当たり前になった今の世の中、なんか変だと思う。
「そうしないと来てくれないから」
私も当たり前の様に受け入れていたその前提、改めて考えるとやっぱり何か変ですよね。
先生との会話は本当に色んなことに目を向けさせてくれる。気付かせてくれるというのでしょうか。
いや本当にここはもう学校だと思う。
入学も退学も自由な学校だ。
リハビリの先生から紹介を受けました。
「自分が一番信頼している先生がいる」と。
でも、紹介を受ける前に1つだけ確認もされました。「痛みを取りたいと思うならそこじゃないです」「健康になりたいと思うならそこが最適です」と言われました。
その時はその言葉の意味の違いが良くわかっていなかったのですが、実際に通ってみてわかりました。確かに痛みを取ろうと通ってはいけない場所です。
もっと奥の深い場所、健康になりたいという人が通うべき場所です。ホントその通り。
話がとても専門的で深いです。そして広いです。本質的な事をお話しされるのであれもこれもと「結びつく」感じです。というか先生が説明してくれて「え、ああ、それって同じ事なんですか?」と気付く。
そしてそれを知らずに過ごしているから、私はいまこうしてしんどくなっていたのねと。ああ、原因って最初からそこにあったんだ。灯台下暗しってこういう感じなの?と思う。
そう考えると、確かに今までの先生は「痛み」と向き合ってくれていた気がします。
どうすれば痛みが出てくるのか、どうすれば痛みが出なくなるのか。
この先生はもっと大きな枠組みで見てくれる感じです。今私のカラダはどうなっているのか。それは自然な形なのかどうか。
突飛な事を言う訳でもなくて、あくまで医学、科学の枠組みで話をしてくれます。ただ、情報量は聞いていた通りに物凄い量です。
とてもついていける量ではありませんが、1つだけ気付きました。
ああ、これだけ私は「何も知らずに」ここまで来ていたんだなと。
あれもこれも、カラダに良いと思って頑張ってきたことが「的外れ」だったという事。その理由まで全部が明らかになっていきます。
この空虚感たるや凄い!
知れて良かった。でも知ってしまって割とショック。
矛盾する感情を整理するのに時間が必要でした。
私の頑張ってきた道筋は、カラダからすれば「自分勝手なふるまい」だったという事。
有難迷惑だったという事実。ああ、だってテレビで言ってたもん!
何て言い訳とサヨナラできる場所です。
仕事に対してとても誠実な先生です。
この先生の言葉には「営業」が無いと思います。散々営業されてきた私が断言しますw
仕事に対してと私に対してとても誠実な人です。何に悩んでいるかといえば「私が言われて傷つかないかどうか」ということばかりです。性格がよく出ていると思います。
きちんと伝えるべきか、オブラートに包んで伝えるべきか。そこについてばかり悩んでいます。
それくらい「きちんと受け入れる人」が少ないということなんでしょうね。私もそうでしたけど!
先生にとっては「キチンと受け入れる」ということは回復へのはじめの一歩でありながらも、そのはじめの一歩で割と多くの人が躓いてしまうそうです。
先生に言わせれば慢性化の多くは「正しく認識できていない=認めることができていない」だそうで。
そりゃまぁ人はそう簡単には変われない生き物で。
でも、健康ではない人が健康になる為には「自分を変えること」が必要であり、そうなると「認めることができない」=「変わらない」ということであり、結果は「以前と同じ」となるということは。。。
あ!堂々巡りだ!
仕組みが理解できても、そこは納得できてもいざ自分にあてはめると自分だけは例外として考えてしまう私。
ああ、私って弱いわ!!!
人間ってなんてわかりやすいのかしら!
リラクゼーションや一般的な整骨院さんみたいな機械とか揉みほぐしで対応してくれる院ではないです。
本当にそれ、ほとんどありません。
それ目的だったらここは避けたほうがいいです。
その代わりに何があるかというと「検査検査検査」の嵐。それも速度がすごい。早い。本当に全身の検査がドンドン進む。
で少し先生が施術?手を加えたり指導が入ったり練習をしたり。そうすると確かに身体は動く様になっているし力も入る。
でも先生はその変化にはあまり興味がないみたい。「すぐ戻ります」といつも言う。そういうものらしい。
目の前の変化に一喜一憂するのが我々である一方で先生はもっとその先を見据えていろいろ考えてくれている感じ。
目先の変化を求めているならここは避けたほうが良い。先生がそもそもそれを目指していない。というか価値を見出していない。
先生は根本的に体を作り替える道筋づくりに情熱を傾けている。トレーナーみたいな感じだと思う。
先生の前では洗いざらい白状したほうがいい。先生は深く追及はしてこないが誤魔化した分だけ損をするのはこちらだ。
何故なら自分が「そう言った」から先生は「そうなんですね」とそこで止まる。先生の掘り下げを自分自身が止めてしまうのだ。先生は深堀を押し付けてこない。
だから自身の参加意欲が大切になる。先生と一緒に考えて試して検証をしてと。
先生はあくまでこちらの情報ベースで考えてくれる。「おかしいな」と思っても追及はしない。こちらを立ててくれる。
全部話したほうがいい。思いつく事は全部。思いがけない要因が見つかる事もある。というか多いそうです。
身体は履歴書だと先生は教えてくれた。その通りだと思う。
使う側がキチンと「どう扱ってきたか」を理解しておかないと解決も何も答えに至る道筋が全く立たないのだ。
いや違うな。先生が道筋は立ててくれるが「維持管理」をするための道筋が立てられないのだ。そうそうそういうこと。
使っている主体が「どう使っているか」を自覚していないのだから当然か。。
色々と気付かされる院です。
紹介できました。
痛みの改善は結果のおはなし。それを目指しつつも道筋は別なところに。
じゃあ痛みはどうなるの?結果的に痛みは改善していく。確かにうっすらと和らいでいく。
変化球と思いきや、実はこれが直球だったみたい。
最初から理解できる人は中々いないんじゃないかな。最初は「何をしようとしているの?」と頭の中には?が生まれる。
先生を信じることができるか。先生の考え方に共感できるか。そこが全てじゃなかろうかなと。
どれだけ信じても、最後は自分のお話になるんだけどね。
健康になりたい、更にはきちんと健康な人間として自立したいという人。
そんな人は是非こちらへ!イメージの10倍くらい流れ込んでくるよ。情報が。
わからなければ質問をすればいい。聞けば必ず答えてくれます。
聞けば答えてくれる。そんな当たり前の事がどれだけ大切かを教えてくれる先生です。
知らないことで損をしている状態からは早く脱出してしまおう!
知った上でどんどん前に進んでいったほうが絶対に良いと思う。
みんなで健康になろうよ!
ひたすら検索をしてたどり着きました。
先に言いたいことを全部言う。最後まで読んでもらえるかわからないから(T_T
〇言いたいこと1
検索結果にこういう院が前に出てほしい!!
天下の検索エンジンでこちらの院は5ページ目?もっと後ろくらいに出てきた。
それより前に出てきていた院は大体通った。その上で私は物申す!
こういう院こそ上に出しておいて欲しいと!いや、こういう院「も」キチンと出してほしい。
病院をはじめとした国家資格をお持ちの先生の院を上にするのもわかる。社会的地位が違う。でも私はそういった院はあらかた通って「ダメだった」のだ。
そんな「谷に落ちた」人間のセーフティネットもきちんと検索上に残しておいて欲しい。今の検索結果の扱いだとたどり着くのが難しすぎる。
〇言いたいこと2
先生の言葉は難解である。専門家がどれだけ嚙み砕いても素人の私たちにわかりやすい説明は難しかろう。わかる。
私はこれでも国語の教師をして「いた」。随分と昔のことである。
だから、というわけではないが感じたことを伝える!
この先生は「誠実に情報を届けてくれている」と。私は確信に近いものをもっている。
今まで通ってきた院で私が聞いた体の情報は「営業トーク」だった。目的がはっきりしていてしっかり伝わってくる。
この先生は「純粋な情報」をその場でフィードバックしてくれている。先生が話しながら悩むのは「どうすれば来てくれるのか」ではなく「どう伝えれば正しく伝わるのか」の方である。
こんな馬鹿正直(失礼)な先生を私は見たことがない。
真面目である。
〇言いたいこと3
安い。
支払い1万円。妻は「高い」といった。リンパフェイシャルに20,000円、歯のクリーニングに15,000円を払う妻がである。
私は逆に歯石取りは3,000円で十分、こちらの1万円は「安い」と感じる。
価値は人の価値観で変わる。
健康が何より大切だと思う人はここでいい。圧倒的に安い。
月2で計2万。
私は過去に6,000円だが週2で45分(スタッフさん15分機械が20分)というケースもあった。割とあった。月予算にすれば2万と4万8千円。
先生と向き合う時間は4時間と1時間20分の差。
正直、安すぎると思う。先生の価値はこんなもんではなかろうに。
言いたいこと4
ここは「任せなさい」の院ではない。「がんばれ」と応援してくれる院である。
手取足取り、コースマップもトイレマップも用意してくれ、アップ作業も付き合ってくれる。何なら装備品まで提案してくれる。
でも「代わりに動いてくれる訳ではない」のだ。
あくまで当事者の問題であり、当事者が行動する必要がある。
我々が最も嫌がる、億劫になることだが「それが一番大事なんです」としっかりと伝えてくれる。
健康に対して誠実だ。仕事に対して誠実である。
自分のすべきことをキチンと理解、決めている御仁である。
だが、妻にはそれが伝わらない。上げ膳据え膳が良いという。
これが価値観の違いであり、それもまたよし!なのである。
私はこの先生が良い!