口コミ
シンプル
凄いシンプル
でもはっきりとしている。
「先生、何が悪いんですか?」
→カラダのここ、そこ、あそこが本来の状態では無いです。
「先生、どうしたらいいですか?」
→まずはこれをこうしたらいいですよ。ここから始めましょう。
「先生、どれくらいで良くなりますか?」
→この「×」と「▲」が「〇」になったら良くなっていると思いますよ~
「先生、どのくらいの期間かかりますか?」
→それはもうあなた次第ですよ~頑張る程に早く終わる!
キチンとやれば良くなる可能性が高くなる。
ダラダラすれば、良くなる可能性が低くなり長期化する。
ここは問いに対する答えがしっかりとしている場所。
こちらが問い掛けていたはずなのに、逆に問い掛けられる場所。
健康は他人任せではなく、自分で責任をもって向き合うモノだと学ばされます。
ここは健康、予防に向けての最高のパートナーを得られる場所だ。
あれだけ「無理無理無理!!!!こんなん人が履くモンとちゃう!!」と言っていた歯が後ろについている一本下駄。
そして「これこれ!これはホンマに履きやすい!」と言ってた歯が下にある一本下駄。
それが
それが。。。
そ・れ・が!!!
まさか逆転するなんて誰が想像していたであろうか、いやない(反語)
こんなに後ろに歯が付いた一本下駄が「履きやすい」「力を抜いても立てる!」と感じる様になり、
普通の下に歯がついている一本下駄は「うわ!無理!こけるって!」「足首やられるって!」と意識しないと立てなくなった。
信じられないけれど、それが私の足に起こった真実である。本当に感覚が180度引っ繰り返った。引っ繰り返っていた。
じゃあ、やっぱり自分が今まで感じていた「普通」「楽」「自然な感じ」が全くそうでは無かったという事か?自分にとっては普通であっても、本来のカラダにとっては「普通では無かった」という事か。
感覚的にわかってきたけれど、どうしても理解が追いつかない。カラダって自然とベストな状態に戻る働きがあるんじゃなかったっけ?どうして自然じゃない状態でカラダを固めてしまうのか。
感覚ってこういうふうに変わっていくもんなの?もっと何かこうわかりやすい感じで変わっていくのだと思っていました。でも実際は突然でもあり緩やかでもあり、何せ理解が追いついていないので表現するのも一苦労。
ナニコレ?
という感じで起こる。
いや、この1本下駄は本当に衝撃的だった。当たり前の様に立っている自分を見て未だに「え?何で?」となっている。
ここは「当たり前」が崩れていく場所なのかも。だってその「当たり前」って普遍的なものではなくて「自分にとっての当たり前」に過ぎない訳で。
ここでは「人間にとっての当たり前」という正に普遍的なモノを教えてくれる場所であって。「自分とニュートラルな人間」の間に広がったギャップを埋めてくれる場所じゃないかな。
自分の感覚が正しい、間違いないと思いたいけど、これを経験しちゃうとダメだな、認めざるを得ない。
自分が培った感覚、普通はやっぱり「独りよがりのもの」だったんだな。大きなけがをする前に修正できるものはした方がいい。間違いない。
何処で?
ここでしょ!
自分にもやっときました。「あ」の瞬間が!
控え目に言って凄い!感覚が本当に一瞬で変わる。変わる?いや違うと思うな。これは「気付く」だと思います。
カラダの変化はじんわりと起こっていて、でも自分はそれを拾い上げる事ができてなくて。で「いつになったら変わるんやろか」と思いながら過ごしていたのかなと。
でも、確かに予兆はあったんですよね。車を運転していてやたらと目線が上に向いている。やたら広く見える。足元が疎かになってしまって逆に怖かったけど、慣れてくると遠くを見通せるから危険予測がとてもしやすい事に気付く。あれも立派な予兆だったのかなと思う。あくまで「今となっては」です。その時はそれとこれが結びつくなんて思いもしていませんでした。
2軸歩行、先生がいう「置く」の感覚がわかると面白い様に身体が進む。本当にカラダが前に進む。「蹴る」「引く」だとどれだけ自分が地面を引っ張り込んでいたかが良くわかる。本当に全くの別物。動き自体はよく似ているのに。凄い不思議。これ本当にコロンブスの卵だ。本当に世界がコロンと引っ繰り返った。ヒトのカラダってめちゃ面白い。自分が知らない事ってあとどれくらいあるんだろう。
で、感じた2軸歩行はどんなものか。
あくまで自分感覚になりますが、キチンと残します。まず、一番の感覚変化は「太腿の筋肉が溶けた」という感覚です。今までも太ももの筋肉が歩く動作から抜けていくのは感じていました。でも今回の「あ」は全くの別物です。スルッと溶けていった。膝の筋肉が歩く中で運動には参加しているけれど、前みたいに主役を張る事はなくなった。
2番目の変化は「お尻」をしっかり感じ取れるという事。今までは膝で体重を受けてるなーという感覚が残っていたけど、完全に膝は通過して股関節で受け止めている感じが伝わる。お尻の筋肉がしっかり歩くに参加しているのがわかる。凄い楽。しかもお尻がドンドン引き締まる。
3番目は何だろう。先生のいう「力に乗る」という言葉の意味が分かった気がする。そこにある力を循環させるという意味。わざわざ使う必要は無いし力を出す必要も無い。気功の達人みたいやなと思っていたけど、その意味が2軸歩行でわかってきた。本当に力って「最初からある」とわかる。自分で歩く必要が無いんですね。偉大だな万有引力。
歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても
全く疲れない、ペースが落ちない。しんどくもならない。筋肉痛も出ない。あ、でも頑張り過ぎたら「鉛の様に重だるくなる」という変化もでた。筋肉痛じゃなくて筋肉が鉛になる。これも新鮮な感覚。正に筋肉疲労という感じ。しっかり使っているからなのだろうか。
歩くのが楽しい、歩くだけで沢山の発見が見えてくる。カラダからドンドン情報が上がってくる。これが先生の普段の風景なんだな。あの人良くパンクしないなとも思うけど、それは「好きこそものの」だろう。好きな人からすれば確かに天国になるはずだ。
通い続けてもう2年ちょいかな。やっと身体の状態に感覚が追い付いたという事なのかな。カラダはずっと待ってくれているとはこういうことだったんだなーとか、こういうことだったのかなとか。
色々と考えてしまう今日この頃。
カラダ、本当に変わるし、感覚なんてもっと変わる。
健康を掘り下げるって本当に奥が深い!
紹介でこちらにお世話になりました。こちらにお世話になるまでは相当な数の院を回りました。整体、整骨院、鍼灸院、ストレッチ、とにかく何とかしたかった。何とかしてもらいたかった。だから先生を信じて通った。
でも、痛みはマシになるものの、やっぱりすぐに戻ってくる。マシになった!動ける!と感動して帰っても、暫くしたらやっぱり「いる」と感じるあの絶望感。本当につらかった。もう出口無いんじゃないかと思った真剣に。
たまたま紹介されたのがこちら。紹介してくれた人からはしっかり言われました「自分でやらんと何ともならん場所やで」。どこでもいい。現状を打破してくれるなら何でもやる。
とにかく現状を何とか変えたかった。
初めて行ったとき、不安になった。本当に普通の家。実家の家かと思う様な家感が凄い。というか家。そして看板がちっちゃ!とにかくちっちゃ!いかにもな雰囲気が無いので「大丈夫なのか、、、ここ」と不安になる。
最初の説明もノンビリと。説明に使われるイラストも凄い手作り感MAXなイラスト。
ホンマに大丈夫かいな。
どうしても不安がぬぐえなかった。先生もどことなくのんびりしてるし。
だがしかし。杞憂に過ぎなかった。始まったらすぐにわかる。細かい、細かい、細かすぎる!!!そして段取りが早い、とんとんとんとん進んでいく。先生は一人で頷き、私はさっぱり。でも解説はきちんと入れてくれる。入れてくれるし細かいけどさっぱりわからん。何か凄い細かいことを説明されているのだけはわかる。
だがしかし、素人の自分にはさっぱりわからない。でも今までの院とは全然違う。この密度は何だ?やり方も今までの院とは全然違う。
これは何だ?私が受けているのは一体何なんだ?
カイロ?整体?え?という感じで進んでいく。
そして自分の中で驚いたのが、変化がその場でどんどん出てくるという事。先生は余り言葉にしないですが、最初の検査時の動きや感覚が、検査?をされて力を入れたり抜いたりしていると、再チェックの際に明らかに軽い。動く。
え?ナニコレ? でも先生は何も言わない。「先生。何かさっきより軽いんですけど」と聞いてみると「今使ってもらってますからねw、でもこの変化はすぐに戻ります。」と。
戻るのか。。。。良くなったとは違うんかなと落ち込むと、先生すかさず「正しい関節運動で正常化することが証明されていることが大事なんですよ」とフォロー。
そうか、一時的でも回復することが確認できたから良いのか。なるほど勉強になるな。
みたいな感じで気付けばもう2時間。あっという間の2時間である。
そして宿題もきちんと説明される。またこれが細かく説明される。どうして必要なのか、どのようにすべきか。こんな風にしたらダメよなどの注意点も。
何かこう至れり尽くせりとでもいうのか。ここまでサポートしてもらえる院ってあるんだ。というか今まで受けてきたものは何だったのか?
受けた後にLINEで届いた資料がまた凄い。これで1万円って激安じゃないの?前に通っていた院は50分で施術だけで9,000円くらいだった。こんなフォローの資料なんてない。
ここに辿り着けなかったら自分はどうなっていたのか。ちょっと考えると怖い。ずっと迷い続けていたのかもしれない。
紹介をしてもらえて本当に運が良かったと思う。
健康を取り戻すぞ!と意気込む皆さん!私はこちらを全力でオススメする。
信頼に足る先生だと断言するよ!!!!!
いや、凄いよ。「あ」の瞬間を迎えたからわかるけど、本当に凄いよ。多分、この感覚を掴み取る為の「仕込み」をずっと先生はしてくれていたんだと思う。いや絶対にそう思う。
歩行が変わる。というか、変わっていた。ホントに。
感覚的には「変わっていた事」に後から気付いたという感じ。「あれ?」とか「おや?」という感覚が先に来て、それが何かをずっと探し続けて、自分の中で「あ」と気付く瞬間。その瞬間に色んなモノが頭の中で繋がった。
今までの宿題、先生が何度も繰り返していた言葉、動作、全部が繋がった。というか、全部が繋がり合って今の歩行が仕上がり、その歩行を通して「あ」と気付いた。
うわ、マジですげぇw。この先生、マジですげぇ。
気付く前までは「言っている事が良くわからん」だったのに、気付いた瞬間に「マジすげぇわ」にヒックリ蛙。ヒトって納得したらこうなるんだね。そして納得できないとああなるんだね、それが良くわかったわ。
歩いているのは自分、感じ取っているのも自分。でも、カラダが再現している動き自体は「まるで他人事」の様に客観的に感じ取れる。
感じたその日に書いているのでまとまりは無いですが、何とか伝えたい。鉄は熱いうちに打ってしまいたい。忘れてしまいそうで怖い。これは絶対に忘れてはアカンやつの気がする。
今日はお陰で2時間も歩いてしまった。さぁ考えよう。
何が違う?
そう、歩いている時に関節がコロンコロンと転がる。この感覚までは掴んだ。関節が繋がる流れの上に自分が乗っかっているという感覚。これは別に練習を通して感じていた。。。。はず。それなりに自信がある。理屈もわかっていたし。
問題は逆展開だ。
そう、ちょっとトイレに行きたくなったけれど、トイレまでは少し距離がある。でも今の「自然なリズム」では間に合わないかもしれない。少し急ごうか。でも走るのはしんどいから早歩きで。
タッタッタッタッタッタッタ
この瞬間である!!!!!!私は「あ」を迎えたのだ。
そう、さっきまで柔らかく力を流していた足首、膝、足の付け根が一瞬で「バシュン!」と硬くなったのだ。そして着地の瞬間にガツン!と足首や脛、膝や太腿に重たい感覚がやってくる。
明らかに違う、別物になったのだ。歩くが。早歩きにするだけで。
あれだけ自由気ままに動いていた関節が縮こまり、閉じ込められ、ギューギューになり、そんな中で速いペースで足が回転していく。
さっきまでの柔らかい力のやり取りは何処行った?この程度の速度の変化でこんなにも差が生まれるの?
じゃあ・・・・・「走る」ってどういうこと?そういうこと?
先生が言っていた言葉がどんどんここで花開く。うわぁホンマや。先生の言う通りやわ。今までこんな感じで関節に負担を押し付けていたんか。カロリー消費を最優先にして。
こんなに違うんや。
もう本当にビックリしました。
同時に「じゃあ、割とちゃんと歩ける様になっていたんや」と自分の歩行が変わっていた事を自覚できた。前の自分とは全く別物になっていた。全然気付かなかった。
早歩きのペースを変えても一緒。力に委ねたペースより回転数を意図的に上げた瞬間に切り替わる。関節が固まり、太ももが張る。
ペースを自然に戻すと、太ももの張りが半分以上減る。足首や膝、足の付け根はフワッと自由になってコロリンコロリンと動き出す。ああ、そうそうこのリズムよと心地いい。
固まった歩行を経験したばかりだからこそわかる様になった。自然な流れで歩く場合、本当に関節が繋がり合う。とても滑らかに動き回る。ボールベアリングみたいな感じ。特に足首と脚の付け根。膝はあんまり関係ないのか?
何か見える風景が一瞬で変わった。先生の仕込みが活きてたよ。気付くのおそ!!!でも取り組んでいてよかった!
全然違うで!2軸歩行の世界!
あくまで私個人の見解です。でも、というか普通に共感を得られると思う。同じ感覚の人は絶対にいると思う。
予防医学。
この言葉の意味を「自分で健康を維持する、未病段階で自分で止める」こんな感じで考えている人がいたら、絶対にここはハマると思う。
最近の予防医学って結局は「病院に来てね」というものばかりだと感じています。あれがどうしても「予防」に受け止められない。予防って本来「家庭の医学」みたいなものじゃないのかな?と感じるからです。
病院のお世話にならない様に、自分で健康を管理する事。それが「予防医学」だと私は思っています。
そういう意味での「予防医学(在宅活動?)」を提供している場所は無いのだろうか?そんな場所を探しているとしたら、絶対にここがいい。
結局行ってるやん!というツッコミが出てきそうですが、そうじゃない。
ここは「予防の仕方」を学びに行く場所なんです。それは「カラダを正しく使う事」であり「カラダの正しい情報」を知る事。
情報の取捨選択、断捨離をしてくれるというか「自分でする方法を学ぶ場所」がここです。
だから目的は明確で「健康の自立」であると。先生もはっきり言葉にされていました。
これって理想的じゃないですか?
自分で自分の健康を守る方法を学ぶ事。自分でできる様になる事。
最後は自分で自分管理していく事。
これこそが私の求める予防医学です。そしてそれがここで学ぶことができる。
自分の健康を守りたい。その為の方法を知りたいし教えてもらいたい。
だったらここでしょ!
受けてて今なお思います。
予防医学ってこういうことだって!
長かった!いや本当に長かった!!やっと出会えたよ!こういう場所に!え?どういう場所かって?そりゃもうあれです。あれですよ。
!!基礎を大切にする先生!!
もうこれ!ここ!。結局はこれだと思います。何事においても。20院位巡って巡って辿り着いたのがこういう結論。「当たり前の普通の結論」だった訳で。でも辿り着いたからといってすぐに出会える訳でもなくて。
10院位はテレビで有名な先生を巡って、10院くらいはインスタとかyoutubeで有名?な先生を巡って。そこから10院くらいはまた自分で探して考えて選んだ先生の所を巡って。
1回では辞めてないよ!全部5回くらいは通ったよ!だから財布はスッカラカンだったよ!だって今時1回10,000円とかザラだもんね!でも健康だけはどうしても妥協したくなかったから経費だと割り切って探したよ!
で、やっと出会えたのよ。出会えちゃったのよここに。そんな感じ。
〇〇療法は沢山試したし聞いてきたよ。どの先生も独自の施術理論を持っていてそれを説明されて。他にもサポートグッズというのも沢山見せてもらったし、聞いたし、買ったし。自分のカラダの事も沢山聞いてきました。筋膜とか神経とか、脳波とか、姿勢とか。本当にたくさんの先生から色んなお話を聞いていた。
そういうのはもういいんです。もうお腹一杯。結果が全てなんて言うつもりもない。だって今日昨日で出来上がったモノでも無いと自覚している。だからその場で姿勢チェックされても、痛みチェックされても余り響かない。
知りたかったのはもっとシンプルで奥深い事。
自分のカラダは今どんな事になっているのか。自分に必要な事は何なのか。自分が何をすればよいのか。
それが知りたい、知りたかった。別に施術技術の話でも無く、姿勢の歪みの話でも無く、筋膜がどうこうという話じゃない。だってそれは「実際、本当かどうかわからない」事ばかりだから。確認しようが無い事を言われても言われた側はどうしようもない。
カラダが固い、それもわかる。自分のカラダだから。だから緩めていきましょうではなくて、知りたいのは「どうしてこんなに固くなったのか」という事。ストレッチの仕方がまずいのか、ストレッチの内容がまずいのか。要はもっと具体的に掘り下げて知りたかった。
でも、こちらの要求に応えてくれる先生がいなかった。ずっと聞いたことのある話が何処でも出てくるだけ。何度も聞き過ぎて、説明の前に何を説明されるかまでわかる様になる始末。
専門家って何なんだろう。そんな疑問すら沸くくらいにわからなくなってしまいました。ホント。だって下手したらこちらの方が知っているまである。伊達に患者歴長い訳じゃない。死に物狂いで調べたし勉強だってしたのだ。
こちらの質問に困る先生、怒る先生、不機嫌になる先生。どうして真正面から向き合ってくれないのか。その為の専門家であり対価の発生ではないのか?
目の前の先生は何でもって対価をなしてくれるのか。支払う金額と時間、そしてその対価。何かバランスが変だなとも多々感じた。
でもとてもにぎわっている院ばかりだったので「自分がよそ者なんだな」とも流石にわかる。ならばどこにあるのか自分の居場所。
そんな感じで流れ流れる浪人生活。そして最後に辿り着いた俊カイロ。
今までの院で、最も外観が「普通」であり院長の勢いも「普通」であり、国家資格は持っていない民間資格。
でも、こちらの口コミを見てもわかる様に「凄い」というより「異質」な何かを感じる。HPを見ても「いい事書いてるなぁ~」とは思うものの、そこまで特別な何かを感じる訳では無い。
興味本位、そして期待。
そして受けた私。
私が感じた率直な意見。それはずばりのズバリ
「極まった普通」
これだ!!
「普通」が「極まる」事で「応用」が生まれている。ここから感じたのは「応用」が先生の内側から「生まれている」と感じたことだ。
学んだじゃない、ここで「生まれている」感じ。これが先生のいう「向こう側」という事なのか?
徹底的に磨きあげられた基礎、そこに派手さは無い。見事にない。だが圧倒的な安心感と安定感がある。
実際に宿題を1つ1つこなす、覚えが悪いから人より遅い。でも先生は「失敗はなるべくし尽くした方がいい」と見守ってくれる。
1つ階段を登るとカラダが変わる。というか変化はその手前で感じる。軽い、伸びる、楽、これが私のカラダか?これが基礎を固めたご褒美か?
カラダの仕組みに従った「当たり前」を「順番」に「キチンと」こなしてくという作業。
こんなに地味な作業のご褒美がこれか!やればよかっただけ。
でも「何を」を丁寧にキチンと教えてくれたのはこの先生だけだった。
紹介でお世話になっています。
こちらの院で行っている事を表現するにはシンプルな形が一番かなと思い、自分はシンプルに仕上げてみました。
よくわからない、という人は是非受けてみて下さい。
「基本的な動作を極める」
それがこちらで取り組む事、我々が学ぶ事であり、それが達成できた暁には「求める健康」が手に入る。というよりその時には「既に手に入っている」という状況が生まれているのかと。
健康は結果であって過程では無い。健康を形作り支えるプロセスは「基本的な動き」の中にあった。
シンプルですが本質的。
それが俊カイロの特徴であり、間違いなくオンリーワンの証だと思います。
余り文章を書くのは得意な方では無いので簡潔にお伝えしたいと思います。
今まで受けてきたものが何だったのか。
今まで説明されてきたことは何だったのか。
今まで信じていたことは何だったのか。
今まで縋っていたことは何だったのか。
まだまだ出てきます。
とにかく健康について、身体のことについては今までの積み重ねが全て崩れました。自分の中の正しいが全て崩れ去る。本当にそんな感じです。
自分は今まで、何に時間とお金、労力をかけてきたのか。単なる自己満足だったのか?それとも自己暗示だったのか?
知らない自分、知ったつもりになっていた自分、随分と遠回りしたと思います。随分と遠くに来たもんだ~と歌いたくなる。
餅は餅屋。素人が下手に突っ込んでいい事はなかったのかも。だったら信頼できる専門家を探した方がよほどいい。よく考えたら仕事なんて正にそうじゃないか。
できないこと、知らない事だからこそ専門家を頼る。探す。任せる。そして支払う。
最初からそうしておけばよかったんだ。本当に最後はそう思う。
健康は中途半端に手を出すのが一番痛い目にあう。浅瀬でチャプチャプと遊んでいた自分が恥ずかしいです
素直になろう!私たちはどれだけデジタルメディアから情報を得ていようが「殆ど知らない」ことに変わりはないのだから!自分の無力さを自覚して認めた方が圧倒的に早い!あとは信じて突き進むのみである!
餅は餅屋!なのである。
ちょっと自分と似たような体験談が上がっていましたので私も自分の体験談をここで載せてしまおうと思います。もう通っている期間は3年くらいなのですが、今のペースは季節ごとです。こちらの先生は本当に「マメに通院して下さい」「期間はなるべく詰めて下さい」といった提案が全くありません。全くです。
そういう点でも信用できる先生、誠実な先生だと私は感じています。ビジネスとして正解か、と言えば難しい所ですが、畑違いとは言え商売をしている自分としては「ある意味で理想的」な方法だと思います。
その理由は「ここにしかないサービス」が確立されているからです。他の院に移ったとしても、ここと同様のサービスを探すのは難しい、というか不可能だと思います。これは受けたことがある人なら皆同じ事を言うと思います。それくらい「全く別次元」です。
ただし。。。。。。それが「響くか否か」は完全にこちら側の主観になるとも思います。良くも悪くもこちらの先生は全く我々に媚びません。営業もしません。ただ淡々とカラダを分析し、とんでもない詳細を教えてくれるという感じです。
で、話を戻しますが私が何にどう衝撃を受けたのか。それは「思っていた自分のカラダ、感覚」と「実際のカラダの状態」の余りにかけ離れた乖離状況をこちらで初めて知ったからです。
私自身は社交ダンス、パーソナルジム、そしてこちらではない整体院で姿勢矯正をずっと受け続けていました。割と健康意識は高いつもりです。食に関しても気を遣って生活をしています。血液検査も問題無しです。
自分に自信がありました。これだけ作り上げたのだから何が問題なのかと。お褒めの言葉も良くいただくのでそれもまた自信に繋がっていました。
だから、奥さんがお世話になっているこちらの「全身チェック」というものを受けた時、余りに衝撃を受けました。認めるのにどれだけ時間が掛かったことか。
本当に細かく、詳細にお伝えしてくれるのですが一言で私の当時の状態をいうならば。。。。。
「意識で形作られたカラダ」
という事でした。綺麗な姿勢、綺麗な立ち方、歩き方、そしてカラダの使い方。全てに意識が届いている。それが私は褒め言葉だと思ったのです。誰もがそうなるでしょうと言い訳をしておきたい。
意識がしっかり届いたカラダの扱い方。私はそれで有頂天になったものですが、実際はもっと奥のある話で「カラダの隅々までが意識で制御されている」という事だったのです。
それは「力による制御」であり「操作」であり、カラダから力の循環を奪い取っている状態だと。力で抑え込んでいる状態だと教えて頂きました。
最初は本当に意味がわかりませんでした。綺麗な姿勢と使い方、それの何が問題なのか。
「際立った姿勢、動きは不自然な制御だと思ってください」
「アナウンサーやモデルさんの姿勢、動きと同じです」
「見え方を意識した姿勢と動きは見た目は綺麗ですが、中の負担が大きいのです。」
え?
は?
本当にその時はそんな感じでした。
次から次へとあれも書こうこれも書こう、伝えておきたい。となってしまいとっちらかってきました。
それくらいに余りに画期的な経験がここでは多過ぎました。知らない事がこれ程沢山あったのか。信じていた情報がこれ程までに斜めにズレていたのか。
自分の情報選別の力の無さを痛感したものです。聞いた話が1つ1つ医学的?科学的?に論破されていく。あれはそう、これはそう、あれもそうです。あ、これもそうですね。という感じ。私が何十年にも渡り蓄積した情報理論・情報武装が気持ちいいくらいに無双されていきます。とても丁寧に無双されました。
ここは健康になりたい人なら絶対に来た方がいい。学びに来た方がいい。ただ、勇気は持たないと絶対についていけない。情報量が余りに多過ぎる。そして確かな情報は我々の持つ「夢、希望、楽観論」を全て崩します。都合の良い解釈が何一つ通用しない現実を思い知らされます。とても丁寧に。
そして知るのです。「近道なんて存在していない」という当たり前の事実を。
先生は良く「ダイエットと同じ」と言葉にされます。「体重に合わせた生活をすれば、体重はゆっくり確実に落ち着き、安定する」と。
「求める健康に合わせた生活をすれば、健康はゆっくりと確実に落ち着き安定する」と言うこと。
「求める健康に合わない生活」
根本原因はたった1つ
その厳然たる事実向き合う為の場所。
ありもしない近道を探すな場所では無く、最初から足元にある1本道を一緒に歩いてもらう場所である。
だから私達自身の問題である。と先生は伝えてくれるのです。
私は症状が重たい為かすぐに楽になった訳ではありません。少しずつゆっくりと回復していった流れでした。ゆっくりのメリットなのか、症状が戻るという事は軽い揺れが生じるものの、大きく戻って「ああ。。。。」とショックを受ける様な事はありませんでした。
それよりも何よりも。自分の中で衝撃的だったのは「生活の質」が激変した事です。これには本当に驚きました。
宿題をこなす。たったそれだけなのですが、まず寝起きが本当に楽になりました。起きた時のカラダの軽さが全然違う。これには本当に驚きました。でも思い当たる節が宿題くらいしかない。あれだけ怠かった朝が軽い。身軽。それだけでどれだけ朝が楽しくなったことか。
私はその経験があったので、先生を完全に信頼する事にしました。※最初からちゃうんかい!と突っ込まれそうですがw 最初から8割は信用していましたよ!
そして宿題をこなして、自分なりにウォーキング等を少し加えていくと。。。。今度は夜「眠たい」がやってきました。起きるより寝たいが勝つ。「寝てるの勿体ない」となっていた自分からしたら想像もつかないこの睡魔の欲求!これにも驚きました。
そして睡眠の質。ただ「暖かく」を実践しただけなのにこれまたショートスリーパー?と言いたくなるくらいに5時間くらい寝たらスパっと起きる様に。それもスッキリ感が半端ない!ここまで違うのか?というくらいの変化を経験できました。
症状よりもその変化に驚いた私。先生のおっしゃることは本当だと思います。健康は私達の足元にあって私達自身がそれを蔑ろにしているだけ。一つ一つを丁寧にしてあげれば自ずと健康はまた戻ってくる。というか足元から育っていく。
ああ、自分次第って本当だわ。そうね確かにダイエットと同じ。自分を律せるかどうか。そしてそれを「新しい日常」としてシフトできるかどうか。全部自分次第じゃん。
健康を与えてもらう、作ってもらう、整えてもらうと考えていた私自身の考え方、捉え方が少しずつ変わっていった気がします。
「やっていたらいい」と思っていた事。今はもう1つ1つがカラダとの会話という意識で意識を向ける。使う事、使い方に意識を向けるのではなくて、カラダの反応に意識を向ける。「意識して使う」から「意識して感じる」へのシフト。
カラダってこんなに語り掛けてくるのかと驚いた。生まれた時からずっとこうだったんでしょうね。それをいつからか私が押し付ける形になっていた。そう考えていくと確かに歪な健康論で自分を固めていたと思います。気付いたら本当に反省。でも気付くまではそれが正しいと信じていました。恐るべし固定観念。
ここで健康を学びました。カラダとの向き合い方も学びました。本当に結論は「自分がどう向き合うか」だけ。あれこれと魅力に誘惑、便利に溢れた世の中ですが、カラダの視点で見てみれば「しんどいだらけ」に見えてくる。「脳」と「カラダ」と「私自身」という三すくみ。
生きるってこういう事だったのね。と改めて自分自身を俯瞰できたと思います。
自分、世の中、そしてカラダ(健康)と。
先生の言葉を借りると「まだまだ知らない事ばかりです」という事ですね。
圧倒されました。ホントそれ。
実は私、こちらでお世話になる前に関東で有名な先生のもとに通っていました。1回の施術はこちらの倍以上、日本で一番細かい検査をする、国家資格の先生が行う、芸能人を顧客に抱える。プロ選手も沢山来ている。オリンピック選手も来ていました。だから信頼しきっていました。そんな凄い先生に見て頂いていると。
ですが、家庭の事情で関西に引っ越し。その先生のお弟子さんの院を紹介してもらいそちらでお世話になっていました。それは大阪です。そちらも芸能人、モデルさん、宝ジェンヌが通う院だとの事で有難いと通っていました。
ただ、年齢のせいか段々とカラダの調子が戻らなくなり、先生にも何度か相談し、サプリやインソールなどを追加して対応する日々。其れでも良くならない。何度か東京から先生に来て頂いてという事もしましたが、中々。
カラダがそろそろ限界を迎えているのかな。。と諦めてきたときに色々な先生を紹介して頂きました。でも結果は芳しくなく。
気持ちにかなり焦りが出てきていた時に、紹介されてはいたものの、詳しい話が聞けずにそのままにしていた院がありました。それがこちらです。
あの時は国家資格が無い民間資格という事で余り印象に残らず、気にもしていませんでしたが、こうなると都合の良いもので。改めて紹介してくれた方にお話を伺う事に。
正直に当時の心境を伝え、今の心境を伝え、お詫びをしつつ改めてお話を聞く事になりました。ですが「切羽詰まってるなら受けた方が早い、言葉でわかる内容じゃない」とアッサリとしたもので。
かといって他にあてがある訳でもなく、とにかく一度受けてみようと予約をお願いしました。
事前に問診票に入力をして当日に向かいます。先生はお若い、娘と同世代かな?というくらい。院は一軒家です。テナントでは無さそうな建物でした。
問診表の確認が幾つか入り、すぐに検査に入ります。その検査が本当に全身至る所までの検査でした。それも早い。手際よくササっと流れていきます。その都度先生が色々と思案をされる。何がどうわかるのか、伝わるのかがさっぱりわからない。時折先生が解説をしてくれるのですが、私には全くわかりません。
この時点でわかる事は「私は全くカラダの理解ができていない」という現実と「先生はもう私以上に身体の状態を把握している」という漠然とした事実のみ。
今までの先生でここまで細かくカラダをチェックされたことはありませんでした。「日本で一番検査をする」という東京の先生に比べても軽く倍はあります。何より時間が倍以上でした。それにも驚きました。
今までお世話になっていた先生は初回は1時間前後ありましたが、問診表の記入時間、確認時間、会計処理なども含めての時間でした。
ですが、ここは問診はオンラインで先に済ませており、現場では確認が幾つか入るだけ。「カラダに聞いた方が早い」とばかりに検査に入ります。会計処理も待つ時間も無くその場で即なので施術時間120分のうち90分は検査で、残り30分がカラダの説明や宿題の説明、練習など。
本当にみっちり詰まった時間でした。
そして先生ははっきりと伝えます。「日常には勝てない」と。だから「在宅ターンを大切に」と。方向性がはっきりとした院です。
自分で育てる健康、自分で向き合う健康。
他人任せにしてきた自分の健康負債を自分で返す事をサポートしてくれる場所。
その方法論として「カラダを綺麗に使いこなす」という事。
痛みを何とかする事ではなく、カラダを在るべき形に整えていく事。そして大切に扱っていく方法を学ぶ事。
健康を学ぶ場所だと解釈しました。
そして1つ1つの課題をこなしている今、自分が悩む症状が少しずつ変化している事も実感します。
内側から剥がれ落ちる。という言葉が身に染みる。これが自然に剥がれていくという事。それは内側から自ら導くという事。
カラダの奥深さ、健康の奥深さ。何より健康は常に半歩先、足元に今なお在り続けるという事を教えて頂いています。
とても素敵な院です。
紹介組です。
もうここの施術?は受けたらわかります。受けなきゃどれだけ考えてもわかりません。一見すると受けたことがある様な感じの流れです。でも段々と感じてくる。「これは一体何?」という感じ。何を受けているのか。何をしているのか。決してスピリチュアルではありません。完全に医学や物理の話が展開します。私が受け取っている限り。
その深さと幅広さが今までに受けたどの施術にもあてはまらない。私もここに来るまで「全身調整」という調整は受けたことがあります。部分的な調整ではもう駄目な年齢に来たなと感じていたので。ですが、ここの全身調整は今まで受けてきた全身調整と余りにかけ離れており比較できるものが私の中にありません。検査?施術?学習?動作訓練?神経?一体どれに該当するのだろう。
リハビリのような、でもリハビリではなく。整体のような、でもそうでもなく。カイロのようなパキポキが出てくる訳でもない。じゃあこれは一体どういうモノなのだろうか。それがわからない。
先生が作り上げたものだから、というのもあるでしょうが、ジャンルに偏っていない、カテゴリーにはまっていない。幕の内弁当?のような感じ。でもテーマはあくまで「人のカラダ」という一貫したものがある。だからバランスが取れている?
目的が1つあって、そこに必要なモノが集められてそぎ落とされていく。そんな感じでしょうか。きれいな流れですが、元々がそこにあったものとも思えない様な、思えるような。素人が考えても仕方がないかwと最後は諦める。
受けて終わり、受けたら楽になった、では全くない。そういうスタンスで身体をみていない。判断もしていない。施術が終わって見えてくるのは「体の現在の状況」それもとんでもない詳細が明らかになっています。そして「今、なにをすべきか」が示される。後はお任せします。という簡素な流れ。
「やればやった分だけ変わる。正しくすれば正しく変わり、不自然にすれば不自然に変わる」
最初の施術の最初と最後に先生が説明をしてくれたことです。先生自身が痛い目を見たとのことで「やればいい訳じゃない」とのこと。
キチンと理解し、正しく取り組めば最高のメリットがやってくる。一方で適当にこなすだけではメリットは小さくなり、やり方を間違えている場合はデメリットがやってくる。すべては「自分次第」という事。
ここは請け負い型ではありません。学習支援型です。身体の事を教えてくれるしサポートもしてくれる。でも「替え玉受験」をしてくれるわけではありません。あくまで予備校、サポート校です。だから結果をどう引き寄せるのかは自分がカギを握っている。「健康って本来そういうものです」と先生はもう振り切っている。少なくともここの軸はそうだ
自分の健康を自分の手で育てたい。健康というものを改めて学びたい、知りたい。確かめたい。
自分のカラダ、健康の可能性を生きている間に追求してみたい。そんな気持ちが前へ前へ、と前のめりになる人にはここは最高の環境です。楽しい。行くたびに学びがある。漏れがあっても教えてくれる。でも埋めてくるのは自分自身w
一般的な医療系とは全く違う。これはスパルタと言えるか?いや、逆だと思う。ここは健康の自立支援をしてくれる場所。生涯を健康で生きるために、自分で自分の面倒を見るための準備をしてくれる場所だと私は感じた。
一周まわって、これこそが「予防医学」の姿なんじゃないかなと思うんだけど、違うのかな?先生が「私に任せろ」ではなく「一緒に頑張りましょう」とサポートしてくれる。教材は「わたしのからだ」という最高の教材。
何でこういう場所がないのか?ここにきてはまったら絶対に感じるはず。
みんな、答えわかっているよね。
これは先生でないと無理だよw
紹介です。
今までは「ただ受ける」形で健康を維持してきましたが、流石に年齢的にも厳しくなってきて「このままではダメだ」という漠然とした不安が募ってきていました。とはいえどうすればいいのかがわからない。
お世話になっている整骨院でもセルフケアの方法は教えてもらうものの、根本的な解決策という訳では無く、施術のオマケ的な感じが抜けない。
違う、そうじゃないんだ。
そんな「何か違う」感を持て余しながら過ごしていました。で、中々いいところないよねぇと竹馬の友に話していると「私のところ紹介しようか?」と紹介をされたのがここ。
からの今。
今はまだ下半身の子育て中です。宿題は3つ目?かなと思う。最初のカルテはひどかった。FEという有様です。かなり悪い部類に入ると思います。でも先生は「あなた次第です」と変われることを否定はしない。しなかった。でも「私が変えて見せます」とも言わなかった。というか「立場上、保証ができません」とはっきりと言ってくれる。私はそこに好感を持った。安請け合いはもう信用できない。散々経験済みなのだ。
お金も時間も惜しむ気はない。今まで惜しんで結果がこれだ。確かな仕事が欲しい。それがあるなら迷わず支払う。だから確かな仕事が欲しい。そう思っていた私ですが、ここの仕事には大満足。これぞプロの仕事だと感じる。
国家資格の院ばかりを巡り、民間資格は失礼ながら敬遠していました。背景というかバックグラウンドがどうも曖昧で。でもここでその懸念は吹き飛びました。民間資格ってこんなに知識が豊富な人がいるの?どうしてこの先生が国家資格を持っていないのかがわからない。そんな印象を受ける先生です。
施術は非常に細かい。確かに検査に次ぐ検査。でも動かしたり力を入れたり、どれが検査でどれが施術?なのかがわからない。それくらいに目まぐるしく次から次へと状況が変わる。情報が流れ込む。何か凄い事になってるなぁ。と先生から押し寄せる情報の波に溺れる。追い付けるレベルの情報じゃないw
職人気質?職人肌?どう表現をしたらよいのか。受けたら「あ、そういうこと」とすぐにわかるが言葉にし難い。とても個性的な先生です。
本当に施術を受けて楽になった事を喜ぶ場所ではありません。カラダを学び、健康を取り戻すというテーマを持っている人向けの院だと思います。
自分の中でのテーマがはっきりしていない、先生に何とか楽にしてもらいたい。そんな感覚だとちょっと戸惑う様なそんな施術です。
健康になりたい、健康って何だ?自然体って何だ?といったカラダの関心が強い人には是非おススメをしたい。自分のカラダを教科書に。とても素敵な経験ができる院です。
私も施術巡りは長い方ですが、ここはオンリーワンという言葉がふさわしい院だと思う。真似る事なんて到底できないと思う。それはやっぱり「受けたら」わかる事なんだろうなと。
私個人の話ではなく、サッカーをしている息子の話です。関西では強豪校に所属しています。そして学校紹介の有名なトレーナー?整骨院?にて運動トレーニングを別途受けています。
股関節を強化する、大腰筋を強化する、足の指をしっかりと使える様にする、反射神経を育てる、リズム体操で神経を育てる、バランスボールで、、etc...
非常に充実したカリキュラムで息子たちのパフォーマンスは理論値に達していると信じていました。見た目にも明らかに年齢以上の力強さを感じたからです。レギュラーに定着できたのも間違いなくそのお陰だと。
ただ、一方で気になるのは明らかに故障が増えた事です。テーピングをしていない日は無いのではないか、と言いたくなるくらいに練習前にはテーピングをして保護をしていました。流石に日常生活ではありません。
練習後、トレーニング後には腰が痛い、膝が調子悪い、足首が、とカラダの不調を訴えます。最初はそれが激しいトレーニングの証だと思っていました。上達したからこそのマークが厳しくなった結果のトラブルだと。
きっかけは中学の同級生が所属する学校との練習試合です。結論から言いますと同級生のお子さんがこちらに通っており、そのパフォーマンスに圧倒された事でした。
今ならわかるのですが、当時は「え?」と驚くしかできず。息子の方が見るからにパワーもあり力強い。爆発力もある(様に見える)。ですが、いざ試合が始まると勝負にならない。チーム戦という事も勿論あります。ですが、一見するとサッカーをしているのにゲームが組み立てられない。今からすると個に頼る動きと相手に合わせて臨機応変に組み立てる動き、コンセプトが違う動きに翻弄されていただけだった訳です。
でも、それを可能にするだけのパフォーマンス。突出している訳では無いのに、無駄が無いというか油断できないというか、初めて見る感覚に保護者の私も戸惑いました。何故、ゲームを展開できないのか?それほど特別な選手がいる訳でもないのに。
負けた理由もわからず、納得もいかず、それで息子が相手の同級生に聞いたところ、コーチ?トレーナーがとにかくユニークだと。それがこちらの先生でした。
キャプテン翼か!と言いたくなる様なアドバイス。「ゲームを支配したらいい」「相手に寄せたらいい」「目的はボールをネットまで運ぶ事」「相手に動いてもらえばいい」「リズムを崩せばいいだけ」一体幾つあるんだ?と苦笑したものです。
話が長くなりました。
息子の希望もあり、さっそくお世話になる様に。そのお友達に紹介をして頂きました。
息子は最初戸惑ったそうです。学校で教えられた事と同じ事、似ている事もある。でもそれ以上に正反対の事が多い。どちらを信じるべきなのか。
指先の力はいらない、力はそこにある。膝は抜く必要は無い、力のバランスを少し崩せばいい。重心を動かせばカラダは運ばれる。蹴るな、置けばいい。
余りにぼんやりし過ぎた言葉に息子も混乱、ですが一本下駄に軽々と乗る先生を見て信じる事にしたそうです。※息子は全く立つことができなかったそうで
色々な宿題を持って帰ってきました。一緒に私もしました。とてもシンプルですが細かく「正しくしなければ逆効果」だそうで、息子も注意しながらです。とはいえ、動画があるので助かります。
変化があったのは3ヶ月後くらいです。わからん、わからんと言い続けていた息子が「わかったかも」と帰宅。宿題のおさらいに付き合っていると私でも気付く。以前とは動きが全然違う。あ、何か掴んだな。と嬉しくなる。
その日を境に、息子はサッカーをする事自体が楽しくて仕方が無いと言う様になりました。サッカーをする度に、練習をする度に新しい発見があると。練習が楽しくて仕方が無いと。練習は義務としてこなしていただけの息子がです。
ランニングやウォーキングが楽しいそうで2時間くらい帰ってきません。ボールを触った練習も、ボールそのものよりカラダの方をあれこれ試しています。
どの様な過程で辿り着いたのかはわかりませんが、息子のサッカー選手としての質が根本的に変わったのは間違いありません。
親としては「楽しくて仕方が無い」という息子を見れて嬉しい限りです。ありがとうございました。
先生も仰っていましたが、上も下も無いという前提です。あくまで横の話。
カイロプラクティック、整体、整骨、鍼灸、ヨガ、ピラティス、色々なジャンルがあって色々な先生がいると思いますが。でもそれらは割と「ひとまとめ」にできるジャンルだと私は思う。実際に受けてみてやっぱり思う。割と皆、言ってる事って同じじゃないですか。やっている内容は違いますけど。
でも、ここは違う。明らかに世界線が違う。
カイロだと思って受けたら駄目、整体だと思っても駄目。全然違う。でもパーソナルトレーニングと受け止めても駄目。やっぱり違う。
大袈裟じゃなくて知る限り「カテゴリー無し」「ジャンル無し」の場所。それが私が感じる俊カイロ。一番近いなと感じるのはカナダで暮らしていた時に契約していたトレーナー。あれに近い。
自宅に来て、カラダの相談をして、談笑をして、実際に身体を使う練習をする、パーソナルトレーナーだけど、エアロビのインストラクターの様な一緒に何かをしていく感覚。「指導してもらう」という感じじゃなくて「一緒に取り組む」という様な感覚。これが中々伝わりにくい。クリニックで言うならホームドクターの様な感じ。お互いを「知る」という事に注力をする。話はその後。一見すると遠回りみたいだけど、後から気付くのは「最短距離だったかも」という不思議な感覚。あれだ。
先生と私、2人で一緒に「私のカラダ」を見る。解剖実習みたいな感じでもある。先生が指導をしてくれて私はなるほどと頷く。それも自分のカラダで指導が入る。不思議な感覚。
知らない事だらけ。知らなかった事だらけ。自分が如何に「知ったかぶり」だったかが剥がされていく。だがしかし恥ずかしいという気持ちは無い。其れよりも何よりも「この人には到底及ばない、かなわない」という観念した気持ちが先行する。言葉が全て咀嚼されているのがわかる。何処かの聞きかじりや受け売りで提供されている情報がほぼ無い。有った場合は先生が先に言う。
殆どが先生の言葉に噛み砕かれてから提供されている。これがどれ程凄い事か。わかる人には最高の場所になる。まさかこんな場所で出会うとは。私自身も全く想像していなかった。
今まではメディア露出の多い、広告露出が多い人を割と巡っていた。今はこうして無名の在野(なのか?)の先生に任せている。表部隊に出る前の趙雲、呂布、公明や龐統に出会ったかの様な気分。
確かにここまで求める人は少ないかもしれない。でも先生は「ここまで求める人達」の為に常に磨き続けている。それが結果的に圧倒的な情報量と臨床経験に活かされている。まだ来ていない人達に伝えたい。私が見てきた限り、この先生のカルテが持つ情報量は国内屈指どころでは無いと思う。→見たらすぐわかる。ナニコレ?これ今からするの?と思考停止するはず。
何をどうすればこの様な先生が誕生するのか。私はそこに興味がある。単にヘルニアを経験したからではどうにも足りない。他にも何かがあると思う。それが知りたい。
おっと本題を忘れていた。施術について。
痛みを取るものではない、あくまでカラダを整えるもの。先生は症状なんて目もくれない。カラダの状態をとにかくはっきりとさせる。そして伝えてくれる。
我々が信じようと信じまいと「正しいカラダからの情報を伝える事」を仕事とされている。これは極めてシビアで誠実だ。情け容赦なく行動を委ねられる。
交感神経のように「進むかor進まないか」の二択を迫られる。何と清々しい院だ。「健康になりたい」と願う人達に「ではどうぞ、こちらです」と道を示す。その道は我々が想像しているものと全然違う。
これが現実です。さぁ、あなたはどうする?
何と清々しい先生なんだ。私はもう一瞬で虜になってしまった。
先生は割と飄々としているタイプ。
まぁ、普通の院じゃないの?と完全に舐め腐って体験する私。きっと似たような状況の人は多い気がする。同業者には。いわゆる「オーラ」めいたものは特にない。セミナーで登場するカリスマ系とは程遠いのだ。
が、受けると状況が一変する。飄々という点には何ら変わりがない。飄々というか淡々と進む感じ。オーラは無い。普通の先生(何と失礼な!!)である。
が、淡々と流れ込む、流れ続ける、ペース一定で永遠に流れ続ける情報量。開始5分でもう追いつけなくなる。自分の中で繋がる前に次に進む。何だこの情報量は。
これは冗談ではない。本気と書いてマジと読む。
私が今まで通ったゴッドハンド、カリスマ整体師のセミナー1回分の情報量は最初の20分くらいで流れ込む。しかもペースが変わらない。まだ流れ込む。
これは理解を促す為の情報とは少し違う。そうならもっと丁寧に説明をしてくれるはず。この先生なら。ああそうか、まずは状況を漠然と理解させる為か。それなら納得だ。
我々は自分の状況をかなり軽く考える、想像してくる。それは臨床で私も嫌というほど経験した。本当に軽く考えてくる人が多い。それに対するアンサーがこれか。具体的に言葉にはしないが、検査の大半が×になる。カラダ中で問題を抱えているという事を認識してもらう為?
先生の軸はもうしっかり通っている。だから施術にブレがない。質問をすればその場で即返ってくる。レスポンスが早い。が、説明が深すぎてまた置き去りになってしまう。
検査結果の奥、何処まで実際には情報を掘り下げて感じ取っているのか。こちらに伝えられていない情報も随分とあるっぽい。流石にそこまで伝えるとパンクどころか崩壊すると考えての事か?
全身を検査され、カラダの状態をピラミッドに図式化され、こちらには逃げ道がもうない。後は「進むか撤退か」となる。何と清々しいスタイルか。
先生は全ての手札をさらけ出す。そして選ぶのはこちら。先生は「後はお任せします」とばかりに決定権を委ねてくる。本当に「ご自由にどうぞ」だ。
自分で自分を育て直す、というスタンスが通っている。先生にお任せしますという認識では恐らくついていけない。ここは施術を受けて良くなろうでない。施術を通してカラダを学んでいこうという学習の場所だ。
学ぶ意欲が無いと足を運んでも徒労に終わるだろう。先生はあくまで「トレーナー」という立ち位置だからだ。自らの足で前に進む必要がある。
先生は「健康ってそういうものでしょ」とこともなげに投げかけてくる。芯の通った先生だ。受け売りでこうはいかない。
本気と書いてマジ。
健康についてそれだけの熱量を持っている人が辿り着く極上の場所。それだけの熱量を持っていない人には肩透かしの場所。
ここまで振り切った先生がいるとは。余りに別ステージ過ぎて参考になるのかならないのかw
ただ、こういう先生が結局は強いんだろうなと思う。それは間違いない。間違いなくオンリーワンのサービスを提供している。
紹介ではありません。自力検索でここまでたどり着きました。検索結果の10ページくらいまで掘り下げてやっと見つけた院です。完全な私見ですが、もっと上位表示されてほしい。完全な私見ですが、もっと上位表示されるべき。
どうしてこんなに物申すか。それは自分みたいに「振り回された経験」がある人なら共感してくれると思う。今まで、どれだけ信じて裏切られたことか。いや、勝手に信じてすがった自分が悪いんです。自分の中にある不安を全部任せてしまおうとしていたのは自分。毎日何十人もみている先生からすれば「え?何?この人ちょっと重くない?」と思われても仕方がない。当然だと思います。
でもね、チラシやHPにはどんどん任せんかい!もうあなたは大丈夫だ!だってこんなに有名な人達もうちには来ている。「次はあなたの番です!」って書いているわけです。
すがりたくなるじゃないですか。次は自分だって思いたいし信じたい。それが人間だと思う。そんな期待を打ち砕かれまくった先に「このままじゃだめだ」とシンジ君みたいになりました。そこから探して探して探しまくってのここ。
今まで聞かされてきた言葉とは真反対ばかりきます。
「どこまで行っても道案内が限界」
「リスクを最小限に、効果を最大限発揮するルートを探す」
「でも、結局は私じゃない。皆さんの気持ち1つ」
「自分を変えることができるか否か、それが分かれ道」
「結局は足元の問題に過ぎない」
「自分の癖と向き合えるか」
自分で何とかするしかない。でもサポートは最大限にする。
ここはそんな院でした。そんな院を探していた!最初から選んでおけば良かったのに。最初は「いかに楽できるか」を考えていたと思う。
自分ですれば全てが経験になる。すべてを糧にしてほしい。経験値がセルフケアの土台になる。
先生は常に「最終的な自立」を言葉にします。専門家が不要になるくらいに成長して下さいと。
生活全てに直結する身体の正しい使い方、感覚、感じ方。
先生は「ここにいる限りは失敗し放題」と言ってくれた。
その一言が心強い。
世界が変わる。その言葉は人それぞれで形も変わる。なんて堅苦しい事を言ってみたが、個人的な感想としては「変わる」とだけ言っておきたい。
ただし、これも言っておきたい。人によって大きく左右されると思うが「個人差が激しい」と思う。気付く人は恐らく早い。これは先生も口にしていた。早い人はとにかく一瞬で変わると。
その一方で「行き詰まる」人は割と沼にハマる。その理由は「癖」と「認識」にあると。自身の人生で育ててきた「独自の運動ーオリジナルの代償動作」は既に身体に溶け込み、その人自身の一部となる。一緒に人生を過ごしてきたいわば「戦友」と言えるもの。使い込まれ、使いこなした「専用の道具」と言える。
それを今更否定できるのか。「理想的」だと思っていたものが「非効率的」だと認識を改める事ができるのか。否。それはとても難しい。わかっていても難しい。年齢を重ねる程に難しくなるはずだ。でも、先生は言う。「それは最低限必要な事」であると。
自分が至らないと知る事、気付く事、そして認める事。それができて初めてスタートラインに立てるという。感覚を上書きしていく為にはなぞる、真似るだけでは不足で、自分の中での納得と理解が最初に必要であるとのこと。それは最早「価値観の転換」に近い。価値観を脱皮させる必要がある。
それができるのか否か。それは先生の手にあるものではなく我々の内側にあるもの次第と言える。そう「覚悟」である。もっと気軽に、もっと簡単に考えてる場合は恐らく辿り着けない。
先生はその点、一貫している。「健康は決して軽いものでは無い」と。一方で「痛みを改善させるのはとても簡単」とも。この両者を同一視している時点で先生と視点がズレる。それは結局先生のおっしゃる「ミスマッチ」に繋がるのではないかと推測する。
先生は常に本気で真摯に伝えてくれる。受け取る側がそれを「濃い」と捉えるか「重い」と捉えるか。そこもまた分かれ道になるのではないか。先生のスタンスは常に一貫していると感じる。
私はまだCCレベルのヒヨッコだが、実は来た時点ではFEという誉な状態からのスタート。それが宿題を2つこなした時点で確実な変化が感じ取れた。先生の「拾い上げる」という言葉の意味がやっとわかったのだ。
私の世界に小さな変化が生まれた。これはきっと大きな変化の扉となる。拾い上げるという感覚は今までの人生に無かったからだ。
世界は変わる。それはCCレベルの私でも断言できる。ただし、それは「待っていたら変わる」訳でなく「受けていたら変わる」訳でもない。
自分で気付く、拾い上げるという努力、取り組みが求められるのだ。
先生は最初にこう伝えてくれた。「私達は何処までいっても道案内が限界です。リスク要因から可能な限り皆さんを遠ざける事。それが私達の仕事の限界なんです」と。
私はまだここに通って半年程度。素人だが感じ取れる事はある。
技術は申し分ない、触れられる感覚でわかる。
知識は申し分ない、渡される情報量とその流れでよくわかる。
人柄は特に申し分ない。話をすればわかる。とても誠実な先生だ。
提供サービスについては文句のつけようがない。過去に様々な先生にかかったが、この様な密度、丁寧さを持った先生は経験が無い。
後は「私たち自身の問題」である。
今やっとA+A+まで到達しました。カラダの不調は殆どありません。出てきてもお風呂入ってグッスリ寝たら翌朝にはスッキリする感じです。今は「歩行」の練習と「癖抜き」に入っています。これが本当に難しいです。自分の感覚を否定しないと前に進まない悲しさ。
自分自身が「これが正解」と信じてきた感覚。それが「惜しい」と1つ1つ修正されていくのは「気付けた喜び」と「自分の積み重ねを否定するという悲しさ」とが共存した何とも言えない複雑な気持ちになります。最初は。一度ふっきれると「そっち側に行きたい」と気持ちが切り替わるので学ぶことがとても楽しくなります。修正をするのが楽しいというか。最初は中々感覚を掴み切れずに「え?え?え?」と頭の中は「?」で一杯になりますが、コツを掴むと「!」と閃きの様な発見の様な高揚感に満たされます。カラダの感覚が全然違う。うわ!と気付く感覚です。
先生が言葉にする内容は達人というか仙人というか、鬼滅風にいえば至高の領域な気がするのですが、階段はキチンと1段1段と用意されていて。それをしっかり踏んでいけば私でもそこに近付けている様です。そう信じています。
カラダをキチンと整えること。
カラダをキチンと使う事。
カラダを繋げていく事。
「立つ」こと
「歩く」こと
先生は「走る」までは指導していない様ですが、聞いたら「2足は歩行以上は負担が大きい」とのこと。走るという行為は基本4足に任せておけばいいというスタンスの様です。
2足歩行の生き物としての在り方をトコトン追求する先生。
色々な院を巡ってここに落ち着いた理由は「自分が成長できる」という環境である事。先生はこちらのペースに合わせて指導をしてくれること。キチンと論理的に答えてくれること。自分にとってとても心地よいです。
先生の言う「自分のカラダを教科書にして、カラダを学んでいく」というスタンス。自分にはピッタリハマりました。
辛くなったら受けに行って、楽になって「ああ、一安心」という通い方を10年近くしていた自分にとってここは「ゴール」だと思っています。
健康は他人任せにしてはいけない。している限り健康は手元から離れていく。
先生の言葉がズドンと響きました。結局は自分が一番の原因だったというオチでした。
ここまで来て自分も改めてそう思います。健康は決して委託して良いものではないと。自分で育て、守るもの。