口コミ
今から書く事は完全に私の「個人的解釈」になります。少しくらい角が立つかもしれませんが、あくまで「個人の見解」だと思って読んでもらえたらと思います。
〇私について
「健康」という漠然としたものを追い求めていたものの「何か違う」と三日坊主の様に色々な院を渡り歩いてきました。遍歴は凄いです。でもここには似たような人がいっぱいいたw
・整形外科
・整骨院(自費含む)
・鍼灸院(自費含む)
・サロン?
・ヨガ
・ピラティス
・頭蓋矯正
・波動調整
・フェルデンクライス
・マッケンジー
・ホメオパシー
・カイロ
・オステオパシー
・整体
軽く100万は累計で使っています。最高で1回10万を支払いました。東京の有名な理学療法(整体開業)の先生です。
でも納得できず。それが私。
〇来た理由
紹介です。
友達から「あんたでも大丈夫そうな場所見つけた」と教えてもらう。それがここ。大阪の南にお師匠様がいらっしゃるそうですが、そちらは紹介制のこと。こちらは紹介無くても大丈夫。一択。
〇抱える症状
・全身不調
・メンタル?
・拘り?
・執着?
・肩こり
・偏頭痛
・不眠
・浮腫み
・婦人科系疾患が沢山
・更年期障害
・自律神経系の異常
いっぱいありました。
〇最初のランク
「FD」でした。フロッピーディスクでは無いです。カラダは「F」で使い方は「D」です。色んな症状が出てもおかしくない状態。というか「そりゃ、出てきますよね」という状態だったそうです。
〇何をしていったか
・施術を受ける
・カラダの状態を説明される
・カラダの使い方を教わる
・感覚をその場で掴む練習
・宿題として自宅で頑張る
本当にこれだけ。これの無限ループ。練習をする部位や内容は毎回変わる。キチンとこなしてきたらカラダに変化が生まれて次のステップに進む。体操教室に通っているみたいな感覚になる。
それこそジムにあるような大きな鏡が2枚ある。それを見て先生の動きをトレース。。。。。トレース。。。。ができないw
〇私の価値観が変わった
施術の検査数も凄かった。確かに凄かった。
でも、私にとっての衝撃は「カラダのお勉強」の部分です。先生から「これは本来は誰でも簡単にできる運動です」と前置きをされて取り組むと。
本当に驚く程「キチンとできていない」という現実が待っている。自分はキチンとできているつもり、やっているつもり。でも先生の「これが正解です」の動きとは違う。「それくらい、誤差の範囲ちゃうの?」と思わず言ってしまうが「誤差なんてものじゃないです。完全に別の運動になっていますよ~」と言われる。
先生の修正通り、指示通りにやってみる。同じ運動のはずなのに確かに軽い、力が入る。力が乗っている感覚がわかる。楽。とにかく楽。
今までどれだけ「しんどい方法」でカラダを扱ってきたのか。それも何十年という単位で。その力が関節に溜まり、詰まり、最後は「歪み」と「癖」になっていく。そんな説明を受けてしまうと自分の過去が空恐ろしくなった。
え?どれだけ負担を私は積み重ねてここに至ったのか?それが今のカラダの状態に影響を及ぼしているの?していますよね?そうですよね。
これカラダの応用の話じゃないのです。あくまで「基本的な事」についてなのです。基本的な動作が既に「無理やり」になっていたという事はその先にある応用の動き何て全部がそうなる。ですよね。
え、じゃあ私の人生の大半って負担を積み重ねる人生だったってこと?筋肉や関節においては。
私は一体何をしてきたんだろうかと。どうして誰もそれを教えてくれなかったのと。関わった大人を一瞬恨んでしまうくらいにショックでした。
もっと早く知っておけば
もっと早く知っておけば
もっと早くここに来ていれば
もっと早く先生と出会えていたら
これが後悔先に立たず。である。
私は今、自分の健康改革をしている真っただ中。向き合うはカラダ、というより育ててきた「癖」です。これを人間本来の形に修正し、生きてるだけで健康が循環するカラダを取り戻す事。それが今の私の最優先事項です。
先生の「伸びしろが沢山ある」という言葉に救われた。可能性があるなら私は取り組む。
俊先生は今まで出会ったどの先生とも全く違う。毛色がまるで違う。「職人」という言葉が「研究者」という言葉といい塩梅に同居している先生です。
仕事が好き、カラダが好き、そして娘さんが好き。
信用できる専門家に出会えるということ。やっぱりいいよね。
・カラダが「どうなっているか」をみてもらって、
・何処が「おかしくなっているか」を教えてもらって
・自分が「何をすればいいか」を教えてもらって。
・それを「正しくできているか」をみてもらって
・「自信がつくまで」見ててもらう
私が感じた俊カイロはこんな感じの場所でした。確かに「整体院」とか「整骨院」とは全然違います。自分で理解して、自分で取り組まない限り前に進まない。そこだけはこれからここを選ぶ人は理解しておいた方がいいです。とにかく自分で頑張れる人。自分で頑張れない人は宿題をこなせずに脱落していくと思う。
宿題は全然ハードじゃない。1日3分程度。でも「正しく」できないと結果がついてこない。思わぬ落とし穴にはまる事だってある。だからキチンと理解して取り組むことが大事。
たったこれだけ。
たったこれだけで、身体がガラッと変わっていく。それは自分で感じたから間違いないと思う。
でも、変わった身体よりももっと大切な事に気付けたとも思っている。それが「自分にとって健康とは何か?」という事です。
ここに来るまでは整体、カイロ、鍼灸院、病院は当然、整骨院、沢山行きました。でも私の意識は「良くしてもらう事」でした。凄い腕の先生にしてもらえばよくなる。自分はゴッドハンドを探しあてるまでが仕事。そこから先は先生に任せておけばいいと。
要は受け身だったのです。だから症状は常に一進一退。おさまっては戻り、おさまっては戻りの繰り返しでした。
自分のカラダはどうなっているのか。そんなに悪くなっているのか。凄い不安にもなりました。だから沢山のモノを買いましたw
靴下、スパッツ、枕、布団、コルセット、色々です。そういえばサプリも買ったわ。
でも余り変化が無い。今となっては当たり前のそんなこと。全く気付かずに「次こそは」の想いで院を変え、物を変えとw 典型的なパターンですよね。
自費なんてキツかった・・・・・ 1回は4000円でしたけど、提案されたのは「なるべく詰めて」というもの。頑張って週3通ったけど、1ヵ月の時点で変化なく、財布も限界。それで「週4にしたら良くなる」と言われて背筋が凍った。
自費は下手をすると人間不信になる。私は4つ通ったけど、見事に4院とも同じパターンでした。
「詰めた方が良い」
「サポートグッズの提案」
「サプリ」
「一層詰めよう」
「回数券なら経済的だ」
4度も繰り返したのかよwと突っ込みたくなりますが「次こそは!」となるんですよね、当事者の時って。
だからここを紹介されたときは「ヤケクソ」というか「投げやり」というか。もうどうでもええわ。今度はどないや的な感覚でした。
初回の時、2時間喋り倒していました。今までの流れと悔しさとみっともなさと諸々と。ああ私って何してたんでしょうねと。
先生の「皆が通る道ですよ」には救われたわぁ。先生までその道を通っていたとは。
この先生は何か大丈夫そうだ。そんな気がする。と5回目に突入かと思われそうな流れでしたが、ここはわかりやすかったです。
何をするかが明確で「基本は皆さんにお任せします」という先生のスタンスが凄い。してくれるんやないんやと。
で検査。
あれだけ色んな院で色んな施術を受けてきた私のカラダ。驚きの「DD」スタート!!!私は一体、今まで何を受けていたのや。。。。
カルテのカラフルさ(×ばっかり)よ。ピラミッドの何とまぁガリガリ君なこと。
こんな状態で「良くならない。どうしよう」なんて言っていたとは・・・・
でも、これを克服すれば道が開けるのか?という希望も見えてきた。そんな感じのスタートでした。
施術で楽になる、というのもありますが、持って帰った宿題をしっかり行う事。それが一番の変化の種となった。先生曰く「それが無いと先に進めない」とのこと。
本当に自分でカラダを育てていくんだ。へぇー なんか面白い。
ストレッチ台の立ち方から指導される。説明書とは全然違う使い方。「感じ取ってください」「拾い上げてください」とこちらに要求される。
これは練習が必要だな。ああ、宿題って「練習」なんだな。
自分なりに解釈を進めて、わからなければ先生に聞く。そんな感じのやり取りがひたすら続く。
宿題が段々と上半身に向かうのが楽しかった。そして確実に変わるカラダの感覚。というか感覚はそんなに変わらないのに「動き」が変わっていく。それはわかる。
ああ、これが拾い上げるなんだな。
とまた1つ気付く事で見える風景も変わっていく。
ここは「院」ではない。「寺子屋」だな。うん。カラダの松下村塾だ。
いつ投稿しよう、いつ投稿しようとずっと思っていました。
だって1回限りでしょ、これ。適当にサクッと書いてしまって後で後悔とかしたくない。だから狙い球を絞る様に慎重に慎重にとなっていく。
すると自分と感性が近い人が投稿をする。そう、そうなんよ。と共感すると勢いがつく。「よし、今だ!」と。
今、私はそうなった。
なのでやっとまとまった自分なりの「俊カイロ感想」を述べる。
ヘルニア民族の1人です。例によって沢山の神の手の元を訪れ、皆さんが軽く引くくらいの諭吉先生が旅立っていきました。中古車1台なんて余裕ですよ。
参考までに私が頼った先生のMAXは初診10万円です。凄腕の東京の先生でした。次点で8万だったかな。20万が8万に割り引いてくれた。
結果はここに辿り着いたという事です。察してくださいw 今となっては思い出ですから。T_T
ヘルニアの症状自体は3ヵ月くらいで殆どなくなりました。月2回ペースですが、宿題は猛烈にこなしました。仕事も休職しました。だって立てないレベルだったので。徹底的に回復にシフトして後から取り戻す。東京での苦い思い出から私が学んだ事です。
なのでヘルニア自体は苦しんだ期間が長い割に腹を括ってからは早かったという変わったケースかも。
でもそこじゃない、伝えたいのはそこじゃない。
そんな「良くなりました」エピソードなんてここには溢れている。
それよりシェアしたいのは「通る」という感覚。力が「スルン」と身体を通っていく感覚。
これが本当に凄い!本当にカラダが生まれ変わる。そんなレベルです。「え?何これ?それこれ?あれこれ?」みたいな。「は?」というか「ふぁ?」というか。
この「背骨が通る」という感覚。ずっとここに通っていて今一つわからなかった感覚。それがある瞬間に「開く」感じで降りてきます。本当に突然やってくる。正に「あ」の瞬間。
私はラジオ体操です。先生が仰る「関節面を意識して必ず下から上に繋げる事、上から迎えに行かない事、溜めてあげて」というアレンジレシピ。
背中が「ポコン」と鳴った瞬間に全てが変わった。
ここに至るまでの変化はとても緩やかな変化でした。確実に積み重なるけど、劇的な変化ではない。何ともまろやかな変化が折り重なっていく感じ。それはそれで楽しかったので続けていました。
最後にやってきた変化はそれに比べると余りに劇的過ぎて「あ」です。本当に「あ」です。思わず先生にそれを報告すると「仕込みが活かされた」とのこと。そうか、これは単独で起こった変化ではなくて、折り重ねた小さな変化、いや違うな。今までの変化自体が「1つ1つの種」だったという事か。それなら納得がいく。
近道ができない、それはきっとこの種の1つ1つがとても大切だから。そして繋がり合っているからだ。で、最後にこれが花開くかどうかはもう先生の手を離れている。だから「拾い上げて試してください」という言葉がいつも出てきた。「取り返しのつく失敗を沢山ここでして欲しい」と。まだある。「自分で育てあげて欲しい」「カラダは常に使い方に準じて最適化する」と。
最後の最後で思い知らされる感じなのですが、誰もが最初に言われるのは「自分のカラダを教科書にして育て方を学び直す」という事だと思います。これの意味、最後まで走り抜けたら良くわかります。
身体を壊した時と全く流れが同じなんですよ。全く同じ。これに気付いた時に鳥肌が立った。同じプロセスで結果が正反対になっているという事に。
負担を積み重ねて、上塗りして、最後の一押しを自分で通して壊したカラダ。私はそれでヘルニアを招きました。自分でヘルニアを育て、招いたのです。
そんな私がここで何をしたのか
身体の再教育を積み重ね、塗り重ね、そして最後の一押しを「あ」の瞬間に自分で繋げたカラダ。私はそれで「異常に軽いカラダ」を招きました。自分でカラダを育て、この驚くような感覚を招き入れたのです。
全く同じ工程を経て、手に入れたものは全くの正反対。
ああ、先生がいつも口にしていた「全ては自分次第、本質的には私の技術なんて不要なんです」という言葉、こういう意味だったんだ。
いや、凄いよこの先生。本当に凄い。健康の本質をずっと言葉にして伝えてくれていたんですよ。初診の時から最期の時まで。ずっとブレずに。
私がその言葉の本質を理解できず、いやしようとせず、ちょっとでも近道をしたいと思ったり、アレンジを加えて楽をしようとしたりしても、同じことを根気強く伝えてくれていたのです。そうか、先生は「気付く瞬間」をずっと待っていたのか。先生、自分は繋がった瞬間にやっと理解できたよ!これ遅くない??
我々が無意識に育てる負担の花。
ここではそれを循環の花に変えちゃうよ!
卒業組です。ここには4年通いました。割と長いです。
カルテの最終ランクは「SS+」で落ち着きました。本当は「S+S+」を目指したかったのですが、今の仕事から考えると流石にそれは無理筋かなと。というかそれを先生から指摘?アドバイスをいただきましたw「SS」維持と言うだけでも十二分に凄い事だよと。
初年度は月1から開始、半年くらいで隔月に移行、そこからは3ヵ月、4か月と伸びていった感じです。4年目は3回しか顔を出していません。そういう意味では2年目以降は完全にチェックアップに入っていました。※先生は「メンテナンス」という言葉を嫌いますw 「チェックアップ」と必ず言葉にする。ここは先生の拘りのポイントです。
自分は何処かが痛いからここでお世話になった訳ではなく、自分のカラダを使いこなしたいからこちらにお世話になりました。感覚的には「パーソナルトレーナーと契約をした」感覚です。なので1万円という金額に関しては「安い」と最初から認識しています。
パーソナルを契約してみてください。絶対にこの金額では無理です。半分の時間で似た様な金額が掛かります。その内容の殆どはマシン指導です。なので「何を大切にしているか」次第だと思います。
自分は今まで色んなパーソナルにお世話になりました。ピラティスやヨガを中心にした先生にも師事しましたし、マシン中心の方、筋膜専門の方にも。ここにくる前は割と理学療法士や柔道整復師、看護師さんとか作業療法士さんのパーソナルも行ってました。
本当に行き倒しましたよ、全部で5年間くらいの間で行きまくりです。それは自分の中でどうにも納得できるところがなかったから。そしてどこも「似た様な内容」だったから。
ここだからこそ、のカリキュラムというより理論が欲しかったのです。自分が納得してかつ「この先生独自の理論が成立している」と感じ取れるものが。だって相応の金額を出す訳ですから、相応の価値を感じたかった。認識をしたかった。
だからトコトン要求して探し続けたのです。
そして最終的にここに落ち着いた感じです。まさかパーソナルトレーナーを求めて、最終的にカイロプラクティックの院に落ち着くとはw 自分自身想像していなかったので笑える。まさかの!ですよ。本当に。
こちらの先生はどう表現したらよいのか難しいですが、自分が感じたのは「底なし沼」という感じでしょうか。技術や知識が凄い人って「雲の上の存在」みたいに感じる事が多いと思います。でもここの先生は異質なんです。話を聞いていて段々と感じてくるのは「上より下」の底知れない感じ。
要は、検査から引き出される情報を説明してくれるのですが、自分にとっては「え?それで?」と思えるくらいパッと検査をされてドドドどどーっと情報が溢れてくる感じ。だから「濁流」という表現は本当に見事だと思う。その通り。それがたったあれだけの検査でどうしてわかるのか?それがさっぱりわからない。でも先生は考えて話していない。本当に感じたことをそのまま伝えてくれている感じ。
敢えて言うなら「如何にわかりやすく伝えるか」に思考を回しているのはわかる感じ。
自分は身長が182㎝、先生よりも随分と大型です。でも、目の前の1人の人間の中にどれだけの情報が渦巻いているのか。情報キャパが底知れない。漫画で良くある、ヒトの中に宇宙が広がって見える感じに近いかも。
掌サイズのパソコンの中にメモリが10T、SSD10Tみたいな底知れない感じ。それが俊カイロだと思う。
あ、最後になりますがカラダの方はパフォーマンスが劇的に上がりました。ただし、最終的にはです。
カラダを作り直す過程ではパフォーマンスが一時的に落ちました。今までの感覚と新しい感覚とのギャップで戸惑っていました。使い慣れた感覚に戻ろうとしてしまうのです。
でも、馴染んだ時、一気に天井がぶち抜けます。「ああ、こういうことだったんだ」と悟りをひらけたみたいに今まで教えてもらっていたものが繋がっていく。この瞬間は本当に天上天下唯我独尊気分だった。
そこからは全ての動作が楽しい。全ての動作が練習であり学習であり、訓練ともなる。
先生が言っていた世界に触れたとき、本当にカラダを動かすことが楽しくて仕方なくなるよ!
でも、手間暇も時間も。やっぱりお金も必要だよ。
自分はこの投資、十二分にペイしたと思っています。それどころじゃないと思う。QOLへの影響がとてつもない。
初めてここで健康を勉強したなと思います。同じく初めてここでカラダを勉強したなと思います。
今まで痛くなったら治療院、そんな感じで痛みと過ごしてきました。それが痛みとの正しい向き合い方、身の処し方なのだと疑うことなく。
症状は確かに楽になる。でも、必ずと言っていい程に舞い戻り、そして再び治療院へ向かう。それが痛みというものだと。そういう付き合い方が正解なのだと思っていました。ここに来るまでは。
そういう自分がこういう健康を形作っていただけなんだとここで知りました。と言うか気付きました。私がその様に自分を引っ張っていただけなんだと。
どうして腰が痛くなるのか。どうして肩回りがしんどくなるのか。先生は全部説明してくれました。一般論も交えつつ、私のカラダの状況からの「私のプロセス」も説明してくれました。
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だからこうなっている。
だからここから始める必要がある。
結果の保証はできない。
でもやる価値はあるし、変化は保証できる。
ただ、それを感じ取れるかどうかはあなた次第。
自分のカラダとどう向き合うか。
後はお任せします。
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こんな感じの流れでした。
「あ、してくれるわけじゃないんだ」というのが第一印象。説明があって、それを解決してくれるのかと思ったら「レシピは教えるから試してみて」みたいな感じに。
今だから思うんですけど、この感覚「あ、してくれるんじゃないの?」って結局は「今までと同じ感覚」でここに来ていたという事ですよね。これが我ながら面白い。
今までと同じ感覚で先生に任せていたら、結局は同じ結果になっていたんだろうなとw 客観的に自分を見ると面白い。ここで色々経験していなかったら俯瞰的に自分を見れていなかったと思う。ずっと症状の出入りばかり目が向いて。
ここは自分を変えてくれる訳じゃない。受けてるだけで自分が変わる訳じゃない。
自分で変わらないと何も変わらない場所。先生はただ「きっかけ」を提供してくれるだけです。検査や言葉、カルテや宿題で。これ全部先生からのメッセージだと思う。
「変わろう!行こう!さぁ一緒に!!」みたいな熱血アクションじゃないです。もう二条城で鳩さんに餌やりしているみたいな感じ。もう本当に淡々と淡々とw
それに気付けるか、拾い上げられるか、実際に行動に移せるかは全部私達に委ねられているというw 何か凄い珍しいスタイルです。
これ、先生なりの持論があるそうで「自分で変わらないとすぐ戻る」とのこと。ああ、わかる。今までの私w
先生は変わろうとする人のお手伝いはするけれど、委託をされる気はないそうです。それは本人の為にならないからと。もっと言うなら「カラダが喜ばないから」という実に先生らしい言葉がw
先生は筋肉やカラダを「あの子、その子、この子」と擬人化します。「頑張っている」とか「耐えている」とか。最初は戸惑ったけど、今なら先生らしいなと思います。この先生は本当に身体が好きな人です。だからカラダに対してとても誠実で真面目。それは私達患者に対しても同じ。
楽して元気になりたい。痛みだけサクッと取りたい。
そんな私達の要求には「うちでは無理です、ごめんなさい」とサクッと謝罪する院長。自分の仕事、役割をはっきりとさせてる先生です。
自分が普通だと思っていた健康、カラダの事、それがどれだけ不自然なものだったか。自分の常識が如何に自分自身によって歪められていたのか。
自分のカラダを通して1つ1つを自然な形へと育て直してく作業。「カラダのリモデリングと健康のリモデリングとどっちがしっくりくるかな?」と聞いてくるのが先生らしいw 先生にとって私達は同列の仲間なのだw
この時代に「仕事が生きがい」となっている人は中々いないと思います。この先生は数少ないそのタイプです。
話せばすぐわかります。仕事が好きで楽しい。そんな人の仕事は安心できる。
先生からは色々な言葉をもらいましたが、一番しっくりきたのがこれ
「自分のカラダを教科書にして、自分で育てる経験を積み重ねて下さい」
家庭菜園の様にカラダを自分で育てていく場所なのである。
誰にでもおススメできる場所ではないけれど、健康になりたい、知りたい、学びたいって人には自信をもっておススメできる院です。
この口コミについて先生に言われたことは1つです。
「今、どうしようか悩んでいる人に感じた事を伝える形が有難い」
「あと、できたらパソコンからじっくりがいい。スマホは言葉が軽くなる」
と。
自由に書いていいんですね?と聞いたら「それ最高」とのお答えが。こんな院、私は初めてです。今までも書いた事はありましたが、割引適用の代わりにだったので自由に述べる事は中々できず。ああ、自分って割引に弱い・・と感じながら投稿したり。
ここは割引が無い代わりに書くのは自由。良かったら書いてね、のスタンス。じゃあ何で口コミを書くのか。それは私自身もその中に加わりたいからだ。沢山の方が口コミを書いている。自分が個々を選んだ時も参考にした。そして実際に受けて感じた事もある。書きたい、自分の言葉で伝えたい。誰に?もう誰でもいいw とにかく書きたいのだ。自分もそこに加わりたいのだ(2回目)
勝手に私が判断するに、ここの口コミは本当に「忖度0」だと思う。皆好き放題書いている。感じたままに。だから「私の症状がこんなに楽になった!」系が圧倒的に少ない。何か自叙伝みたいなの多い。それは私と動機が近いからな気がする。自分もこの軍団に所属している感覚が嬉しいのだ。
別に崇拝している訳ではありません。信者という訳でもありません。いや、周りからみたら十分にそうかもしれない汗。でも、それは無条件に信じている訳じゃない。というか無条件でそうなった訳じゃない。圧倒的な知識と情報に触れたからだ。1つ1つの情報がとにかく「重い」のだ。重量級の情報で溢れている。
きっとここにダバーッと書いている人達はその「重量級」の重みこそ求めていた人達のはず。そう、ここで満たされてしまったのである。自分の知りたい欲求というものが。道がスパーンッと開かれた感覚。きっと皆、あるのだ。質問したら嫌な顔され、質問をしたら不機嫌になられ、何も聞けなくなった経験が。
答えが返っても「何か違う」と感じる違和感が。ここはそれが無い。質問への答えが「何か違う」じゃなくて「細かすぎてわからん」という別軸なのだ。それすなわち「私が何もわかっていないだけだった」という事実。このトールの一撃を受けた時の衝撃たるや。一気に道がスパーンッ(2回目)と開ける。目の前に道が現れる感覚。それがここの最大の良さ。
私にとってのここの最大のメリット。
それは「知ったかぶりの衣をきれいさっぱり吹き飛ばされる」という事。偉そうに聞いておいて、イッチョ前に専門用語を絡め、ちょっと「知ってますから」体で聞いた結果「ご存じなら話が早い」と冒頭部分を端折って本質から始まる返答。それがさっぱりわからない。
何なのだこの差は!私は何とこっぱずかしい事をしているのだ今!となる。だからこその「自分の再構築」が可能となった。これはもう健康に至る儀式だと思う。
私も皆もきっとそう。Youtubeの知識を聞きかじり、都合よく受け止め、これが正解と頑張っている。ええ、全部スパッと捨てれますから。それも感情的じゃなくて論理的に。逆に言えば良くそれ信じていたな私。という感じに再構築されていく。
先生の言う「風景が一変しますよ」は自分自身の変化がもたらすものであって、与えられるものではありません。ここは学習塾です。カラダや健康の。教室だと思った方がいい。
自分のカラダをどれだけ使えていなかった事か。使えているつもりだったけど。先生の「これできますか?」に対して「できます」と答えては恥をかく私。先生の動きの半分もできていないのに「できています」と一生懸命に自分を守る私。
この院で私は「受け入れる」事を覚えた。自分はまだ千里丘と岸辺の間にいると。気持ちはとっくに三宮だった。このギャップに気付かされ、認める事ができたこと。これがきっと「スタートライン」だった。
認める事ができないとき、きっとこの院から足は遠のく。自分を認め褒めてくれる場所へと向かう。わかる。わかる。その気持ちわかる。
でも、私は健康になりたい。健康を知りたい。正しい事を知りたい。だから「自分は全然できていなかったし、わかっていなかった」と認める事にした。
だから「できる様に頑張る」に切り替えたのだ。そうなった途端に先生の立ち位置が自分の中で変わる。何回、何十回、何百回と同じ間違いをしても質問をしても常に答えてくれる。何と心強い事か。
自分を守っている時は先生はまるで敵の様だった。私に何故共感しない?認めない?と。自分の感覚、認識1つで先生の位置づけが変わる(2回目)
結局は自分次第、自分の気持ち1つ。
ああ、ここ本当に健康の本質に触れる事ができるよ。
「私達の気持ち次第」だけどね。
頑張れ!次のアナタ!「あの時」のワタシ!
通っていたクリニックからの紹介です。とはいっても強制でも無いです。情報を教えてくれて、もし良かったらご検討下さいね、くらいな感じ。
お世話になっているクリニックは保険診療の場所なので、最初に説明を受けていました。保険診療には限界があるからそこだけはご了承下さいみたいな。
で、保険診療でできる事はここまでなので、このまま継続してもいいけど、この先は自費を検討した方が良いと思います。みたいな流れ。
今まで保険診療の先生からは自費の先生や国家資格じゃない先生の場所は余り良い言葉を聞いたことが無かったので意外過ぎて。びっくり。
という話をやっぱり先生にしたら「あ、あの先生だけは例外w」とのこと。そんな先生がいるんだとお世話になりました。
問診票の記入がオンラインで済むというのが現代的。ここは割愛されるのかなと思いきや、問診票記入時間が無い代わりに問診の時間が超長い!本当に超長い!問診というよりお喋りに近い。でもしっかり情報が抜き取られる。というか引き出されるというか。先生は聞き上手だと思う。喋らされている感じは無く、ついつい思い出して話してしまう感じ。
で、そこから施術に入る流れ。
検査検査検査検査。凄い流れで検査される。悲しいくらいに「×」ばっかり。これがかなり悲しい。今までクリニックで頑張ってきたことは何だったのだと悲しくなる。ああ、これが先生の言っていた「保険の限界と自費の領域」なのかな・・と前向きに考える。
検査の精密さが違う、数が違う、解説が違う。全部違う。
痛みがどう、違和感がどう、というより、カラダに何が起こってるのか。カラダは今、正常なのか違うのか。自然な状態なのか不自然なのか。痛みや違和感とは違う指標でカラダを調べていく先生でした。
で、その見つかった不自然を1つ1つ整えていく。痛みを取るとか軽くするじゃないんだ。ああ、本当に全然違う。考え方が違うんだここ。
如何にカラダを健康な状態に戻すか。如何にカラダが不自然な状態にあると気付くか。ここ、院というより学習塾みたいな気がする。
質問も自由なので私の健康理論を先生にぶつける。聞く。あれはどうだ、これはどうだ、どうなんだと。悲しいくらいに全部論破される。凄い論理的に説明されると言い返せない。自分が如何に都合よく解釈して縋っていたのかが浮き上がっていく。ダイヤモンドユカイさんのステージCMみたいな感じ。観衆の前に自分が晒される感じ。ああ、恥ずかしい。
先生の話を聞いてカラダを検査されて、カラダの状態と理論を擦り合わせていくと何が必要か、今何をすべきなのかがこれまた残る。ふるいにかけられ、砂の中から砂金が残るように。
健康観が変わるというか、カラダとの向き合い方、見方が変わると言いますか。自分の考えているカラダとの向き合い方が、自分が求めている健康に至る道とは随分と離れていた事を教えてもらいました。
動画を参照にしている人、雑誌を参照にしている人、とにかく「楽して健康になる」系をあがめている人。私がそうでしたけど、ほぼ全部間違いだと懇切丁寧に教えてもらえます。カラダに対して随分と乱暴な理屈を押し付けていた様です。
「ホンマかなぁ」と最初は感じると思います。先生はそれに対して理論で詰めてくる事は無いです。本当に見守ります。どっちに行ってもそれは本人の選択だという考えだそうです。
自分を客観的にみられるか、それとも自分を信じて突き進むか。先生はその二択を静かに迫ってくる感じ。施術を通して。
選ぶのは私達自身。選ぶのは自分の自由。
その自由が自由に慣れない自分には割ときつかった。迷った。困った。
私はここまで自分を信じてこんなへんてこりんなカラダになった。ので先生を信じてみようと思ってみた。
今だから言える事だけど。
自分を疑えて良かったと思う。
今のカラダ、今の感覚。もう全くあの時と違う。健康寿命が凄い伸びてる実感あり。というかカラダの声が本当に聞こえてくる感じがする。
動くたびにに集まってくる情報が全然違うの。それがどうにも伝えたいけど、伝える言葉が見つからない!!
同業プランでお世話になった柔道整復師です。知人の紹介でこちらを知りました。自費のヒントになればとお世話になっています。もう1年越えです。
ここは一般的な「誰でもお気軽にどうぞ」的な場所ではないです。健康の優先順位が上位の人には天国になると思います。
でも「痛いの何とかして!!」という感覚だと正反対の場所になると思います。こちらの先生ははっきりと明言しています。「痛みを改善する」よりも「健康な身体を育てなおす」に舵を切っていると。
なので痛み自体は「段階的には」改善されていくのですが優先度は高くなく、痛みそのものに直接アプローチをするわけではないので、今すぐ、今日、一刻も早く!という人にはあれれ?何これ?となると思います。
私みたいに「痛いのを何とかしてもらってもすぐに戻る、どうして?」と痛みをとる作業に疑問を感じた人間が来たら良いと思います。多分、答えがすぐに見つかる。
初回のカルテとピラミッド。それを見たらもう明らかです。後は本人がどうするのか。進むか?やめるか?先生はあくまでこちらに委ねます、本当に。初回で次回予約の提案がなかったのってどれくらいぶり?
「〇日以降でご検討ください」
それだけで終わり。思わずこっちが「いや今取れますか?」と突っ込んでしまったw
こういうところにも患者側にゆだねる姿勢が徹底している。自分で決めて行動するということ。弱っている患者さんに優しくも締めるところはきちんと締める先生の様だ。
奇抜なことをしている先生ではないです、むしろ正反対。ただひたすらに基本に忠実に、ただその基本のレベルが尋常じゃないくらい高い。かくいう私自身も後で1つ1つの説明を受けてその奥深さを思い知る始末。最初は普通に検査をしているな、少し特徴的な動きを入れてるな?手癖なのかな?という認識でした。
1つの動作で複数の検査、そして複数の検査で多角的に判断。一般的な整体、整骨院の認識でいたら「何のためにこれしているの?」という感じになります。
そう、先生の検査は「痛みの確認」が目的ではないんですよね。あくまで「体が正常か否か」の判断のため。だからとてつもなく細かい。
自分が初めに抱いた「ここまでしなくても」という感情は「痛み」しか見ていなかった自分と「負け惜しみ」だと認めざるを得ない。自分には到底できない、思いつかないことをしている先生に嫉妬をした。
理想としては自分も持っていたスタイル。でもそれは現実的には無理でしょうと蓋をしたものです。時間や技術、患者さんとの向き合う時間、コスト。
この先生はそれを実現しようと試行錯誤している。そのプロセスが現時点でのこの全身調整だと思います。すでに検査は検査でなく、施術は施術でない。境界線がそこには見当たりません。
こんな形で方程式が成り立つのか。と感嘆しました。しかも1年お世話になる間にピラミッドの形状が変わっていく。ああ、先生は現在進行形で変化している。こんな人見たことない。何年も同じようなカルテと施術を行っている人は沢山見てきましたが、こんな短いスパンで変化を重ねる先生がいるとは。
徹底した施術、その集約された情報や経験はすべての患者へと還元される。個々から得られた情報やノウハウを全にフィードバック。院のスタイルとしては理想形だと思います。
誰もが頭にはよぎるスタイルだと思いますが、中々実践するのは難しい。
施術家が自分の軸に針を振り切った院。
それが俊カイロです。
無事に卒業しました。OBです!キリ!
とはいっても年4回のチェックは続ける予定です。だって新しい情報仕入れたいし、自分の感覚がズレていないかも確認してもらいたい。やっぱりしてもらうと安心するんですよね。自分を信じていない訳じゃないんですよ。でも先生に太鼓判を押してもらいたいというか。
で、自分の最終ランクはSAです。SSを目指しているのですが、どうしても「癖」が抜けきらないところがありまして。あ、でも先生には「超スパルタの評価で!」とお願いしているからかも。←泣き言
先生は基本的に「甘めの評価」で出してくるから自分の数値やランクを過信したらダメですよ!先生は「自信を持ってもらう為」と言ってました。あと「傷つけない様に」とも!それって結局私達が損をしている事になるので、しっかりキチンと評価をして下さいと言った方が絶対にいいです。←個人的な解釈。
で、タイトルの意味は何?となる訳ですが、これが私がここで感じた衝撃的な「あ」です。本当に衝撃的でした。
肩甲骨って「剥がれる」って思いますよね。あの背骨がグニュグニュ動くやつ。私もあれがゴールだと思っていました。で、上半身の宿題をしていたらいつの間にか剥がれていました。
ここまでは良くある話。肩甲骨を剥がすのは割といろんな場所で聞く話ですしね。終盤の宿題になると「感覚の練習」になってくるんですが、ここが私には「あ」の宝庫でした。
先生がいつも言っている呪文「力は常に下からのぼる」とか「外から内だと力がカラダを固める」とか「力が留まる」とか他にも山ほどあります。
この謎がドンドン解けていくよ!というか解けていった私の場合。
で!!!!
で!!!!!!
そこからが本当の「あ」なんですよ。これが私は「あ」を超えた「パオーン!」と叫びたくなった場所。誰かと共有したい。絶対に居るはず同じ感覚に辿り着いた人。
どういうことかというと「あ」と気付いた時に、パッと思いつくというか気付くというか。そんな感覚。降りてくる感覚。
「この為の今までの宿題だったんだ」
感覚が生まれる、感覚が生まれるという事は、その動きができているという事。宿題を通して創り上げたカラダがこの動きを可能として、その動きがこの感覚を脳に落とし込んでくれた。
全てはこの為の仕込みだったってこと?じゃないの?
先生は千里眼の持ち主なのか、世界地図を持ってるのかと思った。本当に。自分は目の前の事ばかり考えていましたが、先生はそのずっと遠くから俯瞰的にゴールと私を眺めていたんじゃないかなと。
あ、本題から外れた。肩甲骨。そう肩甲骨が「浮く」という話に戻そうね。
肩甲骨が剥がれるのは割と簡単でした。ただ、肩甲骨が運動にしっかり合流するのはやっぱり難しい。どうしても「腕」と「頭」で運動を作ってしまう。というかそれがもう最終形なのかなと思っていました。だって肩こりも首コリもなくなっていたから。何なら手先の痺れもなくなっていた。
これで十分だしなぁと思っていたのですが、ある時に「あれ?」と思う瞬間がありました。何か今までと違う感じ。力がスルッと流れていく感じ。宿題してたんですけど。
で「え?ひょっとしてこういう事?」と思って反復していると段々とわかってくる。あ、肩甲骨が「止まらない」ぞ。剥がれる時ってチョイチョイ力が溜まるというか、抑え込まれるような感覚があったんですが、それが無い。肩甲骨がホバークラフトみたいにスルスル「浮かぶ」感じ。
背骨と腕が肩甲骨を中継して本当に繋がった感じ。今までの繋がったは少し引っ掛かりがあったけど、これは無い。力がダイレクトに流れる。先生風に言うならロスが無い。首の負担が一気に軽くなった。肩が更に軽い。
まだ先があるのか、先があったのか。どれだけ奥が深いのよカラダ。何かワクワクしちゃいました。痛みとか違和感とかどうでもいい。この先の世界を知りたい。とにかくそれが最優先。
ええ、沼った訳です。トシカイロに。
首肩の症状で宿題が足首とか、最初は「?」となるかもしれません。でも結果を先に迎えた側から言えば「全部が私達の為」だと断言できます。
「先細りするその場の対応」ではなく「先々まで繋がる根本的な対応」を求めている人の為の場所だと思う。選ぶ自由はあるのだから、とにかく痛みを!となるなら他に行けばいいんです。選択も決断も行動も、全部自分でする事が大事って先生も仰っていました。私もそう思う。
私は最後に理解が追い付いたらこう言えますが、理解が追い付いていない時は何となくしかわかりませんでした。
わかった瞬間に身体が生まれ変わった。意識が変わるとこうも変わるのかと驚いた。
でもそれは仕込みがあったからこそだとも気付いた。
無駄な事なんて何一つない。それがここだ!
病院からの紹介を受けてきました。整形外科のリハビリからです。自費なので費用は高くなるけど保険ではできない事をすると言われてきました。
整体や整骨院は今までも通ったことはありますが、通い続けたわりには余り実感がなく、本当に大丈夫なのかと心配にもなりましたが病院の紹介なら間違いないんじゃないかと思いました。
ただ、カイロのパキポキが怖かったのでその点だけ聞いたら「あそこはそういうことはしない」という事で一安心。
そんな感じでお世話になりました
違います。本当に違います。何もかもが違う。それはすぐに感じる。確かに価格は高いがそれに対して高いと感じる事は無かった。むしろ安いと感じた。
私は腰痛でお世話になったのですが、今までお世話になっていた場所では腰が悪いから腰を良くしましょう。そんな感じで腰を中心にした内容となりました。説明もほとんどが腰です。腰に至るという話も時々ありましたが話の中心も検査の中心も、腰でした。
ここはそこが全く違った。腰が痛くなる理由の繋がりを20個くらいつらつらと説明してくれます。だから腰が無理をして痛くなるのだと。
2とか3ではないです。本当に10~20の理由を「これ全部が繋がり合ってその腰です」とサクッと説明されました。本当はもっとあるそうですが、今はそれだけ意識していたら良いと。
腰が治らないのは、それだけ腰が悪いというより、腰に集まる負担に全く触れていないからだと。腰はあるいみ被害者ですよと言われました。
カラダに対する見方、認識が今までの先生とは全く違う。俯瞰的にとらえている感じ。その説明を聞いていると「今までの取り組みで良くなる訳がないな」と納得してしまう。
ここまで調べてくれた先生も、ここまで話を聞いてくれた先生もいなかった。何よりここまで細かく説明してくれた先生もいなかった。
専門家としてできる事、それは示す事と寄り添う事までです。という言い切りも初めて。任せてくださいというスタンスではない。それも説明を聞いたら納得。
カラダというものを改めて見つめる、向き合うきっかけをくれる先生だと思う。自分は何も知らずに今までやってきた。ここまで来た。悲しいけれど取り組みの多くは「そっちじゃない」方だったと思う。
正しい道を知ることがどれだけ大変か、そしてその道を確実に歩くこともどれだけ困難か。そういう事なんだと思う。
凄い真っすぐな先生だと思う。とても誠実だ。こんな金額でこの時間と内容。経営は大丈夫なのかと心配になる。良心的過ぎる
個人的にはこういった先生にもっと世の中に出て欲しいと思うが、肝心の先生にその気がないのがつらい。出会うべき人はもっと沢山いると思う。出会って救われる人は多いはずだ。
正しい事を知りたい。その要求にこの上なく応えてくれる場所だと思う。
自慢じゃないですが、院巡りは相当にベテランです。でした。超ベテランでした。通った通った。どこかに自分を良くしてくれるゴッドハンドがいるに違いないと信じて。
「溺れるものは藁をもすがる」いや本当にそうだったと思います。ここの動画を見たときに「溺れるあなたが掴むものは間違いなく藁だ」という言葉がもう刺さった。というか私を貫通したw 真っ白になったぜ・・・・ まるで「それですよ、それ!」と言われている様な気がして。
あ、私は椎間板ヘルニアです。腰の。痺れが凄いあった。最初は坐骨神経痛と病院で診断され、オペしたら楽になるよと言われて「失敗は無いですか」と「後遺症みたいなのは無いですか」と聞いたら「無いとは言えない」と言われて様子見に。言えない事はわかるけど、言ってもらえないのはやっぱり不安。万が一を考えてしまう。やってみないとわからない事だとわかっているのに。ああ人間ってワガママ。
で、院巡りが始まったという「あるある」ですよね。ここに来たら仲間が沢山いたと知る。ああ、皆そうだよね、そうやって辿り着くよねここ。みたいな。だって最初からはよう選ばないよ。選べないよここ。何か濃すぎて。
だから私も凄い頼りがいのある先生ばかり巡りました。「私に任せろ!」「私が救って見せます」「もう大丈夫ですよ!」とハキハキ伝えてくれた先生に。
でもね。受けても受けても何も変わらんのです。一進一退というか。段々と不安になっていくんですよ。財布が削られていくし社会は私を置き去りにしていくし。これが心を削るのよ。地味にね。
自分は本当に良くなれるんやろか。大丈夫なんやろか。と社会復帰が不安になってきたときにこちらと遭遇。
「やる気あるならきんさいや」
こんな感じに感じた動画。そしてHP。何か今までの院と違うというか異質やなここ。そんな雰囲気にイチかバチかでお邪魔しました。
別にムキムキマッチョな先生が出てくるわけでもなく、かといってインテリ爆発なハイソなスーツ先生が出てくる訳でもなく。普通のお兄ちゃんでした。HPや動画から醸し出される重厚感と全然違う。
が、口から出てくる情報量は過去1でした。難しすぎる。細かすぎる。呪文のように永遠に垂れ流されていく。何を言ってるんだ先生は。と言う感じ。
意味はよく分からない。でも私でもわかるものはあった。それは私のヘルニアは何重もの関わりが重なり合って仕上がったモノらしい。「厄介だ」という事は十分に伝わった。
今までの院は「ヘルニア」で終わっていました。ヘルニア患者でありヘルニアの施術をする。ヘルニアの状態を経過観察する。病院もそんな感じだった。
ここは根本的に違う。ヘルニアを取り巻く環境を常にモニターして経過観察をする。ヘルニアを取り巻く環境を見据えて介入をする。見方が違うという感じかな。
例えば「ヘルニアは腰の筋肉が~」とか「姿勢の歪みが~」みたいな説明を沢山受けてきたのですが、ここの先生は「足の付け根がこうなって動けないから、そうなると腰が1人で頑張らないとダメな訳で、そうなると今度は肩甲骨が大変な訳で、ほらそうなると頭がこんな風に固まっちゃう。だからヘルニアもなるし。すべり症もなるし、片頭痛だってなるわけで~~」みたいな感じで立て板に水のごとし。もう前半2割で私は頭パンク
でもカラダに何かが起こっているという事は伝わってくる。先生が理解させようとしているのは一言一句ではなく「全体像のイメージ」じゃないかと分析。
確かにこんな状態になっているカラダを「ヘルニアなんでヘルニアをお願い」なんて言ってもどないするのさ、となるのがわかる。何となく。随分と無茶ぶりをしていたのか、私が。
そうか、それを当事者である自分がまず理解しないと、気付かないと何も進まないという事なのか。え?何?悪いの私?とちょっと辛い事実が頭をよぎる。
これは今だから言える事。それを念頭に伝えたい。
気付く場所とタイミングはみんな違うと思う。私も割と遅かったと思う。
目的意識を持つんだ!それも可能な限り具体的に!
私はここに来るまで「痛くなくなる=治った」と思っていた。本気で。
ここにきて「疼痛調整・疼痛緩和」という言葉を初めて知った。そして「整える事」の複雑さもここで初めて知った。もっと簡単に考えていた。
その「余りにザックリ認識」が問題を更に複雑にしていたのだ。あれも欲しい、これも欲しいと無理な要求を押し付けて
健康になりたいのか、取り急ぎ痛みだけ取りたいのか。それだけで道がはっきりと分かれる。・・そうだ。
だからどっちを進むのか。それを決める必要ある・・・・そうだ。
私は健康を選んだ。お金は掛かる・時間もかかる。でも働ける
私は選んで進んで元気になったぞ!
理学療法士で整体院をしています。病院勤務から独立した口です。
同業プランでお世話になりました。
こちらは元々の勤務先と提携をしていたので知っていました。リハビリとこういった院が提携をするというのは正直聞いたことが無い。敵に塩を送る様なものだろうと思っていたので「ちょっと意味がわからない」というのが当時の感想でした。
独立した後に元職場に顔を出した時、院長から「あそこには顔出した?」と言われてこちらに繋がった感じです。やっぱり院長の個人的な繋がりだったのかなと。だからなのかなと。
「自費で食べていく覚悟が決まったなら、一度は経験した方がいいよ」と院長に紹介をされてこちらに来ました。
現時点で自分の院は一般的な院に比べるとお陰様で繁盛しています。売り上げの方も安定して集客にも困っていません。そこはリハ専門でやってきた自負があります。
ですが、実際にこちらで受けてちょっとショックを受けました。自分の甘さと言いますか、「自費を舐めていた」という事を痛感させられたと言いますか。患者さんに寄り添うという事を履き違えていたのかなと考えさせられます。
要望に応える事、期待に応える事。喜んで頂く事。それがビジネスとしての本懐だと思って取り組んでいますが、ここで施術?検査を受けていくと自分がしている事は「キチンと施術をしている」と言えるのかと。単に痛みを楽にすることに特化しているだけと気付かされます。というかミカン汁の炙り出しをされるみたいな感じになります。逃げられない。
来院される方には「根本的な解決を提供します」と謳っておいて、実際に取り組んでいるのは「疼痛の調整」という現実。自分は勤務時代に感じていた理想と現実を埋める為に独立をしたのですが、実際にしている事は職場の保険診療に少し「+アルファ」を加えて変化を出していただけ。それでいて単価をあげて利益率を上げていた。
そんな自分の在り方が受けているだけで炙り出されます。確かにこれは痛い!辛い!キツイ!自分がとてもちっぽけな人間に感じる。
見なかったことにしたい気持ちがわかる。その方がどれだけ楽か。
「自費を舐めるな」と施術を通して問われている様な気がしてきました。胸が痛かった。売上が良いからと胡坐をかいていた自分を戒めました。
自分のチラシ、HPでは「安心の国家資格取得者が」と謳っていますが、だからこそ余計に皮肉めいたものを感じました。国家資格を持っている自分、そして持っていない院長。どっちがカラダと向き合っているのか。
本当に勉強になりました。
あ、そうそう先生は確かに国家資格を持っていません。そこが心配だとされる人もいるかもしれない。そこは国家資格持ちの自分が断言しておきます。
この先生は自分よりよっぽど知識ありますよ。院長が先生を信頼していたのもわかります。経験値もいわずもがな。
臨床人数なら自分の方が圧倒的に多いです。が。1人1人にあてる集中力の差がもう比べようがないです。検査なんて勤務時代の自分と比べて何十倍していることか。2倍3倍とかじゃないです。10倍20倍とかのレベル。それくらい徹底しています。
という訳で、その点だけはご安心を!
先週、無事に卒業となりました。自分はこれから「2軸歩行編」に移ります。ここまで来たら、やっぱり極めたい。だから進みます。
で、俊カイロについて私自身が感じた感想を紹介します。
「自分で自分を変えていく」
本当にそんな場所でした。イメージ付きませんよね?私もそうでした。どういうこと?みたいな。でも、紹介してくれた人からは「絶対にあなたには合う」と言われて試した勢です。
行っている事は「パーソナルトレーニング」だと私は思う。ただテーマが違う。独特。
「筋肉を鍛える」とか「見た目を変える」という美しさ側にはありません。ただ、結果的には筋肉はしなやかに、姿勢は綺麗に、ついでに動きがヌルヌルになったので、辿り着く場所は割と近いのかな?
でも、決定的に違うのは「健康レベル」と「健康知識」と「健康の感覚」がドカンと磨かれたこと。これはもうここでしかないと思う。
健康な身体を育てると、姿勢は良くなり、動きはヌルヌルとなり、そして循環系が良くなるのか、健康になる。何より理解が進むと「怖くない」という。
そう、自分自身が本当にレベルアップするんですね。何か特定のポイントがアップじゃなくて自分自身が底上げされる。健康に関してですけど。
痛みが来たら不安だったのが以前、今は痛みから出どころやプロセスなどを逆算して「ああ、だからか」と自分で勝手に納得できる。だから不安にはならない。冷静に対応する自分がいます。
そう、同じ出来事、現象を前にした時に「自分の見え方」が随分と変わった。それがこの俊カイロで得た最大の変化だったと思う。先生のいう「患者力」「考える力」ってそういうものなんじゃないかな。
自分に余裕が生まれたのか。そういうことですよね。
痛みを怖がる、違和感に不安を覚えるのではなく、「何故こうなった?」「何をした?」と自分を振り返る事ができる心の余裕。それは先生から得た正しい知識、正しい状態、感覚。そして宿題を通して得た経験かな。
そういったものが自分の中で実を結んだ結果が、今のこれじゃないかなと自分なりに思う。
となると、である。
ベッドに寝て、パキポキとされ、痛みが改善されるという従来の院スタイルとは全くここは違う。やっぱり違う。
リハビリ?というにはまた違う。一緒に考え、取り組んでいるのでパーソナルトレーニングが一番近い。でもマシンを使う訳でも無く、ベッドに横になり色々な検査をされとそこは院に近い。
そう、どこにも比べるべきものが見当たらないのである。
ああ、これがオンリーワンという事か。だから「ここにしかない」訳で、だから自分はここまで来ている訳で。
書いているとあれこれと頭の中で思考が沸いてくるのですが、これは間違いなく俊カイロ効果だと思います。考える癖がついてしまったw
物事には結果があり、過程があり、始まりがある。先生は症状にも全く同じ方程式が当てはまると教えてくれます。そしてそれを掘り起こせるのは我々患者自身しかいないと。
先生はあくまできっかけを作ってくれるし助け舟も出してくれる。でも、振り返る事ができるのは当事者である私達自身であると。
要は「自分のカラダだろ、健康だろ、自分で面倒みんかいや」という感じで「その方法なら幾らでも教えてあげる、できるまで付き合ってやるよ!」みたいな感じで。先生というか面倒見の良い先輩というか。
不思議な場所ともいえるし、変わった場所ともいえるし。
でも、カラダに関する知識量に関しては群を抜いているとかそんなレベルでは無いです。これは本当。命の泉みたいに湧き出てきています。学び倒している人が辿り着いた結論が「技術は人を整えない(原文ママ)」というのが凄い。でも本質的な気もする。今となっては。
今までは技術介入度の高い先生にばかりお世話になってきました。スパッと取れる痛みはスパッと戻ってくる。それは嫌というほど経験してきた道です。でも早くて楽で頼っていました。
自分で1から育て直した今、手間暇は掛かったけれど症状は緩やかに薄まっていった。フェードアウトした感じ。戻ってきてもフェードインみたいな感じで程度が圧倒的に緩い。安定感が確かに違う。それは感覚的にわかるドッシリ感。
興味深いのはそれを先生が作ってくれたのではなく、自分の手で先生の手を借りながら「育てた」という事。
そうだ、そうだ。それだ
「自分のカラダを通して、カラダや健康の育て方を教わる」
それが俊カイロだと思う。先生言ってたわ。そういう感じの事。
あ、そうだ「自分のカラダを教科書にする」だ。卒業してから思い出した。
すいません!!!!
大学生です。大学の先輩からの紹介です。
中高大とサッカー一筋でした。自分の性能を上げたくて筋トレや走り込み、運動ドリルなど色々取り組んできました。
でも頑張っている割には今一つ効果が無いというか、満足いくものが得られていなかったので、自分もここでお世話になる事になりました。学生にはかなりキツイ金額ですが、先輩曰く「絶対にお得」という事だったので。
食費を切り詰めて通っています。月2は余りにキツイので月1でお願いしました。有難いです。
実際に通って感じた事、それはもう明らかです。今まで受けたところとは根本的に違う。説明の内容も全然違います。超具体的で細かい。聞いた話の2割も理解できていません。理解できませんが何か凄い話されてるな、とはわかります。
筋肉は綺麗、関節も綺麗、使い方が個性的。
それが僕の評価でした。せっかくのカラダを持て余しているみたいだねと。自慢の太腿が「独りで頑張っている」と教えられかなりショックに。股関節が動くのに使ってもらえていない。足首がかなり無理をしている。助けを求めているなと。更にはお尻が運動に参加していない。腰がかなりの無茶を請け負っているね。
後なんだ、そう頭が肩甲骨と綱引きをしているから腕が十分に振り回せない。検査検査検査の中でドンドン実況されていきます。あ、あと膝が主役になっている、手首と足首で力を制御している。力が外から内に流れ込んでいる。力が上から下に抑え込まれているね。とも。
まだあるぞ。
肘、膝がまっすぐ伸ばし切れていない、筋肉が長さを上書きしている。神経がかなり過敏になっている、内臓がおりている。骨盤は異常無いけど内臓を受け止めているから開いたまま。でも閉じようとして混乱している。
後は膝のお皿が動かない。お尻を使うつもりが腰を使っている。膝を使うつもりが足首が参加している。
もうどれだけの指摘を受けた事か。こんな調べてくれる院があるんですね。ビックリしました。過去に受けた全部を足してもここに及ばないと思う。
で、カラダを作り直す事が始まった訳ですが、それがまたコロンブスの卵というか。何というか。発想の転換
自分は良く運動ドリルを動画や雑誌で見て取り組んでいました。でもここの先生は違います。「ドリルができる身体を作ろう」となりました。あ、ドリルってすればいいものじゃなかったんだ。その前提があるのか。
一番の基本を真っ先に切り捨てて取り組んでいたという事に気付いた。そうか、ドリルって「カラダを使えている人」が取り組んでこそ効果が生まれるものだったのか。いや当たり前じゃないかw
そんな当たり前にも気付けなかった自分に気付けた。頑張っても頑張るだけおかしな方向に行くのも納得。代償動作という言葉をここで覚えた。
カラダの基本的な動きを覚える。
自分の癖を自覚する。修正する
動かせる様になったら、動きを繋げていく。
ドリルをこなす。いやいや!宿題を繋げたらドリルになったw
あ、そういうことね。
カラダが繋がっていくとドリルの運動が凄い気持ちよくなる。自分が動くのは最初だけ。後は生まれた力に身体がついていく。力に引っ張られていく。
宿題をしながら考える。効率的に身体が動くって事はエネルギー減りにくいってことだよな。ならダイエットには不向きじゃない?
あれ?巷のダイエットって代謝を上げて云々だったよな?上手に扱うと代謝がおとなしくなるなら、逆に・・と宿題をしながら思考が働く余裕が生まれる。
最初はゼーゼーハーハーだったのに。自分のカラダとは思えないw
凄いな、確かにこれは安いよ。学校だよ、マンツーマンの学校。
カラダの使い方から仕組みまで、全部教えてもらえるよ!
あ、でも掴む練習をしないとダメだと思う。繰り返しの中で「あ」って感覚がストンと落ちるから!
今、帰りの電車です。今から1時間半程度揺られて帰ります。
本日、卒業となりました。これからはメンテナンス期に入ります。
知りたい方も多いと思うのでメンテナンス期のお知らせをば。
■基本:通常メンテナンス
季節ごと(年4回:4カ月ごと)
※理想は年4で、実際は「目的に応じて決めると良いです」で終わりです。先生らしい。
「負担を取りに来る」×
「正しく扱えているかの確認」〇
の気持ちで臨んでくださいと言われました。
■応用編:カラダを更に煮詰めていくステップアップ版
月1:応用の宿題を1ヵ月以内にマスターして挑む
※月2は「習熟機関として短すぎる」と却下されます
→私はこれに進みます。
我々にはお馴染み(のはず)の「構造」「運用」を更にブラッシュアップして溶け込ませる段階だそうです。楽しみです。
■私
ヘルニア患者でした。神経痛バンバン、ビーンとツーンのコンボでした。沢山の地元の院に通い、ヘルニアが得意とされる先生にも通い、沢山通いました。
整形でオペが早い、切った方が早いと言われて背筋が凍り、狂ったように探して探してここに辿り着きました。
「何とかして欲しい!」と願ったら先生に「何とかしてあげて下さい」と言われて「え?」となる。それが始まり
キチンと説明されると納得。施術側の問題というより受ける側の姿勢が問題なのかと知る。でも痛いじゃん。と思い伝える。先生は言う「痛いですよ、だってここまで追い詰めてしまった訳ですから」とサックリ。
今までの先生はとても優しく「頑張りましたね、もう大丈夫ですよ」と寄り添ってくれました。でも楽にはなるけどすぐ戻る。回数券を進められ、カード払いがお得と言われる。枕も買って、インソールも買った。でも駄目だった。最後は「病院に行った方が」と言われる始末。これ1つや2つちゃうで。
youtubeの勢いと、最初の勢いと全然違うやん。と悲しくなった。何回も。回数券の余りは払い戻しもできず。何なんこれって思った。
俊先生は優しいけど厳しい。というか「事実を淡々と言葉を選んで」伝えてくれる感じでした。私がカラダを追い詰めたのは事実。そこを理解しない事には始まらないと。
カルテは殆どが×。ランクはDD。先生は更に言う。「どうして良くならないのか、のずっと手前の段階です」と。
カルテもピラミッドも、ヘルニアに直結するかは断言できない。でもカラダはここまで追い込まれているなら何が起こってもおかしくはない。
「どうして。。。」と悩むのはこのカルテもピラミッドも綺麗に整えたのに症状が「変化ない」場合なんですよと。
正論が痛いぜ!!ここで「わかってます、わかってますけど」と繋がっていく人は「対症療法」が良いそうです。根本的な解決を目指すだけの余裕が無いそうで。
「痛みを整えるのか」
「カラダを整えるのか」
道は2つ、選べるのは1つ。2つの道は先に進む程に離れていくそうです。先生が試して試して確信したと仰っていました。途中で道を変える事はできても、一度戻らないといけない分だけ手間が掛かる。だから最初に方向性を固めた方がいい。時間をかけても、とお話をされる。
何かまとまりのない文章になってきた。思い返すと施術よりも先生との会話の方があれこれ思い出されます。考えるきっかけ、向き合うきっかけをくれました。
何とかしてもらおうと思って色んな院を巡り、私は見失いました。そしてここで「自分次第で何とでもなる」と教えてもらいサポートをしてもらいました。そのサポートが超高品質なんですけど。
途中で道がズレたらカラダが教えてくれ、それを先生が翻訳してくれ、とテクテクと歩いた結果、ヘルニアの症状は何処吹く風。
小さく残る症状よりカラダを使いこなす方が楽しく興味深くなってきた。だからずっと通っていたと思う。特に屈伸王!!あれが力の流れを私に教えてくれました。あれ凄い。単なる屈伸なのに。
屈伸1つが教科書になる。先生の言う通り「自分次第」なんだと思う。
宿題1つ1つはキチンとしてこそ。適当にこなしても何も変わらない。「やっているつもり」「やっているだけ」でどれだけ遠回りしたか。
先生に修正してもらい間違いに気付いたら全然違う感覚になる。ああ、自分が理解してこそ。やっぱり自分次第。
ここに来て、ヘルニアになってよかったとすら思う。何故なら先生と出会えたから。こんなに1人の人間に向き合ってくれた先生、いませんでしたよ。
ここは痛みを取る場所じゃなくて、カラダを学ぶ場所です。痛みはカラダの一部に過ぎないと知る場所です。
次の誰かへ
徹底的に食らいつけ!答えは待つじゃなくて取りに行くんだ!!
通っているクリニックからの紹介です。
私の場合は心療内科です。安定はしているものの、揺れ幅が割とある状態が続き、心と体の話から先生に「うちではカラダについてはできないから、こちらを紹介している」という流れで紹介されました。
値段等については最初に説明されました。決して安い訳ではないけれど、間違いの無い仕事をしてくれる先生ですと。そして先生自身は何事においても「値段より確かな仕事」に価値を置いていると。
私も同感です。クリニックの先生に出会うまでにどれだけの道草をしてきたことか。もうあんな遠回りはしたくない。だから確かな先生から紹介をされた先生なら、間違いなく確かな人だと判断しました。間違っていなかったと確信します。
今まで、沢山の院に通っていた時期もありました。自律神経専門の先生、脳を整えてくれる先生。婦人科系専門の先生にもお世話になりました。でも「年齢からくるものでしょう」と毎回同じ答えで困っていました。
年齢からくるならもう一生このままということ?流石にそれは辛い。でもどこにいっても「加齢のせい」と言われる。
で、クリニックの先生にその話を出してこちらを紹介されました。
施術の話で「全然違う」というのはこちらの口コミで拝見していました。そこは予習済み。それよりも驚いたのが「本当に一軒家」という事。それも今時の一軒家ではなくて「昭和の一軒家」です。口コミの内容と院の外見が余りに掛け離れていて目が点になります。「え?本当にここであってるの?」となります。
でも、確かに看板はある。よし、と昭和な引き戸を開いて入る。先生出てくる。院内も本当に一軒家。昔ながらの整体屋さんに来たイメージ。
ここで不安になる患者さんいるんじゃないかな。「自分の選択は正しかったのだろうか」なんて。それくらい「おばあちゃんの家」感が凄い。
でも安心してください。本当に全然違いました。施術も聞かれる内容も。検査も。何もかも。
今までの「根本的な問題解決」とここで受けている「根本的な解決」が全くの別物でした。程度が違うじゃないのです。もう「そのものが違う」という感じ。
先生が記入するカルテをまず見て下さい。その項目の多さ。こんなに全身をくまなく検査された事、本当に無かったです。その半分すら検査されたことがなかったです。
沢山検査をすればいい訳じゃない、沢山時間を掛けたらいい訳じゃない。
そんな言葉を聞いて信じていました。でも先生の言葉はとてもまっすぐで自問自答している様。「これだけ調べてもまだ足りない。個人レベルの違いが大き過ぎる」とつぶやく。
この先生はとても誠実だ。嘘がありません。それだけでも安心できる。やっぱり確かな先生の紹介は確かな先生しかない。間違いない。
メールでの問診時に「正しくキチンと知りたい」にチェックを入れていたせいか、はっきり言われました。
「自分を変える必要があります。むしろそれが全てです」
「環境が変われば人の習慣は容易く変わります。環境が変えてくるからです。でも環境を変えずに習慣を変えるのは簡単であり大変です。自分の気持ちが必要になります。」
凄い納得しました。
自分を変えても変化が無ければ、その時に改めて考えたらいい。そんな感じで気持ちを整え、カラダの再構築へゴー。
自分を変えるといっても、宿題をするだけだったので割と簡単でした。もっと変化が欲しい場合は自分の日常から引き算するべきものを先生が教えてくれました。
1つ1つできる範囲で変えていく事。
結果、あれだけ「年のせい」と言われていた症状が柔らかくなり、時々出てくる程度になり、最後はたまに出ても「おっす」という感じ。
症状そのものを怖がらなくなった自分がいます。これは先生の「痛みも健康の1部」という言葉が響いたから。遠ざけるのではなく受け入れる。そして一緒に暮らしていく。
向き合い方1つで一緒に暮らしているはずなのに出てこない。出てくるときは決まって「無理をしたとき」だけ。
だから健康の一部なんだ。教えてくれていたんだ。
あれだけ遠ざけたかった痛みに感謝が芽生えるとは(笑
健康について、カラダについて何も知らなかった私。今はカラダと少しずつお話ができる様になっています。
あ、最後に1つ
この内容でこれは安い!
こちらにお世話になっているのは息子です。陸上を小さい頃から続けており全国大会の常連校でレギュラーを任されています。
↑は自慢では無くて私(母)の世界が引っ繰り返った事をお伝えする為の予備情報と言いますか。とにかく私にとっては中々信じる事ができない、認める事ができない事が沢山あったもので。
まず、息子についてですが、幼稚園から体操教室、運動教室に通っていました。中学・高校では有名なトレーナーのもと運動ドリルをこなし、学校でもオリンピック選手が開発したという体幹ドリルを日々こなしています。そして選手としての実績も出せていたので私としても息子としても「順調に仕上がっている」という自負・自信がありました。1つを除いて。
1つだけあった心配。それは定期的に故障を抱えるという事です。それを「カラダが素直だから」と言われていたのでそれも良い傾向なのだろうと前向きに捉えていましたが、中学生くらいから長引くケースが出始めました。そして高校に入って2年目。大きな故障を初めて抱えました。
学校の提携?先の整骨院(オリンピック、国体選手等も施術している)にお世話になるものの、改善せず、何度もボキボキッとされて本人が少し不安を感じている状態でした。
どうしたらよいのか、何をしたら良いのかがわからない。モヤモヤした気持ちで日々を過ごしていた時にOBの方(大学の選手)から紹介をされたのがこちらでした。
顧問の先生が薦める院とは違うのに大丈夫なのか?と思ったものの、現時点では週3で通っていても変化が見られない。それどころかバキボキを不安に感じている状態だったのでやむなしと判断。OBの方に紹介の旨を連絡して頂き初回の予約となりました。
ここからです。私達の世界観が引っ繰り返ったのは。
全身の検査をして頂き、カラダの状態が明らかに。腰を痛める理由がわからず先生に尋ねる。「股関節・腸腰筋に関しては誰にも負けない鍛え方をしてきたのに」と。
「だからですよ」
最初は本当に意味がわかりませんでした。腰を、股関節を守る為に体幹を鍛えたはずなのに、それが体幹を痛めた原因?鍛え過ぎたということ?
「走る時とジムの時、同じ靴を履いていますか?」
「走ると歩くって、顧問の先生にはどう教わってるのかな?」
「どんな走り方を教えてもらっているのかな?」
先生からの質問に息子が答えていく。先生はその答えに対して更に質問を重ねたり解説をしてくれたり。
知らなかった。全部+になると思っていたのに多くがカラダにはマイナスになっていたという事。にわかには信じられない。
「ドリルを見せてもらってもいい?」
親の私が見せるのが怖くなる。何を言われるのか怖くなる。息子が1つ1つを見せる。そして先生が問う。
「それは何を狙いとした運動かな?どう伝えてもらってる?」
息子も説明するが、先生の説明を聞いた後だと私でも思う。「漠然とし過ぎている」と。
聞かずとも故障の原因が浮き彫りにされている感覚になる。私はただ見てるだけ、応援しているだけだったんだと。
先生の様な見え方、見方をして息子をサポートできていたらと悲しくなる。
でもでもでもでも
息子は目がキラキラしていたので少し救われた。本当に楽しそうに「そうなんですか!そうなんですか!」と聞いてる。息子は理詰めで納得したかったんだなと知る。いや知っていた。知っていたけど、息子の理詰めの程度は私の想像を遥かに超えていたということ。
ああ、知りたいのに教えてくれる人がいなかったんだな。良かった、先生と出会えて。
息子のカラダは0から再構築に入りました。「記録や速度は落ちるよ、最初は」と言われても息子は意に介していない。「自分の理想の走りができそう!」とテンションが高い。
凄い大雑把に言いますと
今までの走り→「記録を伸ばす為の走り:短距離走の延長」
作り直した走り→「効率化を突き詰めた走り:歩くと繋がった走り」
本人曰く「流れの中に自分が乗っかっている感じ」とのこと。今までは「自分が走っているという感じ」だったそうです。
それが「最初だけ流れを作るまでは自分が走って、流れができたら後は乗るだけ。プールの洗濯機みたいな感じ」だそうです。
今は「故障する気がしない」とのこと。そして「走るのが楽しい、というかこれが走るなのかな」とレギュラーや記録より感覚を楽しんでいる様です。
ありがとうございました。これからも息子を宜しくお願いします。
通っていた整骨院の先生から紹介されました。悪く言えば追い出されたのかもしれません。気になる事はドンドン質問をしていたので割と嫌な顔をされた事もありましたし。
健康に関しては人一倍気にしいなのであれこれと聞いてしまいます。知りたいからこそお金を払って通っている。そんな感覚です。勉強しに行っている、という感覚の方が強いかもしれません。
ここは治療のために通う、というより勉強の為に通うという言い方がピッタリです。だから私のような「知りたがり」「質問魔」にはもってこいの場所
1を聞いたら10返ってきます。今まで自分が知らなかったこと、知りたかった世界がドンドン広がっていく。私にとっては楽しくて仕方がない場所です。
しかも、素材は自分のカラダ。教科書じゃなくて自分のカラダが素材となるのです。だから言い訳ができない。自分の頑張りがそのまま反映されます。
そう、誰のせいにもできない。
これが更に楽しい。言い訳ができない
取り組み自体はとても地味、でも堅実。そして確実な成果がカラダに埋め込まれる。
どうして体が悲鳴をあげていたのか。
それは自分が順番を間違えていたから。
自分がやりたいことだけをやっていたから。
カラダが求める順番で、カラダが求める事をしていればよかっただけ。
自分がカラダをそう導いていただけだった、という目をそむけたくなる現実と向き合わせてくれる天国です
出会えてよかった!
知ることができて良かった!
今は自分のカラダの事が良くわかる。感じ取れる。
でも先がまだ沢山ある。見てみたい。辿り着きたい。
頑張りましょう!同志諸君!
理学療法士の整体師です。色々な勉強会でこちらの先生のお話、ウワサ?今思い返すと「挑戦者」の話だったようなw そんな話を耳にしていたので存在はしっていました。
たまたま、自分も「カラダ全体の声を聴く」といった全身を整えていく路線で開業をしていたのでいつか受けてみたいなとも思っていた訳です。
で、自分が学んでいたセミナーの方がひと段落してそれなりに自信もついてきた。これなら受けている内容を分析できるのではないか。と思って予約を入れた訳で。勿論「同業者プラン」です。ちょっと嘘つくハートは私にはありませんでした。
受けて思ったのが「あ、本当にこれ鏡になるわ」という事。自分が受けて学んでいたセミナーも全身を整えるという事にフォーカスしています。だから自分は全身を整える技術体系を身に付けたと自負していました。実際、患者さんには「全身を整える」と伝えていますし、そのつもりでしていました。
でも、施術時間は初回で60分枠、2回目からは40分枠です。でもそれで十分だと思っていた訳です、割と本気に。
ここで受けて感じたのが「情報の深さが桁違い」という事です。つまり「全身をみる」という言葉の定義がまるで違う。私の「全身を整える」はこちらの先生にしたら「整える前の情報が足りていない」という状態。
私がセミナーで耳にした「挑戦者」はきっとこう感じたのだと思います。
「私は一体何をしていたのか」
私にとっては十分と思っていた情報、先生にとっては「全く足りない」という状況。それを先生は何故、足りないかを説明してくれます。それがまた論理的で私にしたら「え?そこまで考えてやってません」としか言えない。
ここまでせなアカンの?整体って?そこまでする必要ってある?
「あ」
ここで私も気付いた。そうか、ここで「そこまで必要ないでしょ」と目を背けるのか。ああ、わかる。その気持ちわかるよ。
本当に問われるよ。それも自問自答の中で問われていくよ。
自分は一体、どうしてこの業界でこの仕事を選んだのか?
ビジネスとして成功する為? 人のカラダを整える為? 健康な人を増やす為?
ビジネスとしてなら目を逸らしても辛くないと思う。でも、自分は「極めたい」と思って飛び込んだ。その自分が「そこまでやらんとアカンの?」と目を背けようとした現実。
いや、キッツイわ。マジでキッツいわ。
自分がどれだけ「根本解決」を謳いながら「対症療法」に突き進んでいたかを思い知らされました。自分はまだ何もしらない。それ以前に何も見えていない。
目の前の結果に安堵して、感謝の気持ちに安堵して。相手は根本解決が進んでいると思っているのに、自分は対症療法で結果を優先する。それも「対症療法はしない、根本療法です」と言いながら。
ここの施術を受けて「いや、自分も根本療法です」なんて言えない。無理だって。だってこれだけ高度な合わせ技してもなお「足りていない」って言っているんですよ、ここの先生。100分近くノンストップで突き進んで。
先生の30%も検査していない、情報を引き出していない自分は何を見てどう判断していたのか。井の中の蛙大海を知らずどころじゃない。水たまりで遊んでいただけじゃん。
気持ちが引き締まった、というより怖くなった。不安になった。これが本物ってことでしょ。上を目指すとこういうレベルが待ち構えている訳でしょ。
国家資格者限定のセミナーや勉強会で安心していた自分は背筋が寒くなりました。なぁなぁの中でドヤ顔していた自分を自覚した。
院の在り方、施術の在り方、考え方。
全部を一度引っ繰り返すと決めた。25年はずっとここに通う。
通年で通って高くないかだって? その何倍ものお金を3ヶ月のセミナーに払ったけど、手にする価値はここの方が桁違いやで!
でも自己嫌悪になるかもしれないから、注意は必要やで!比べたらあかん!劣等感に飲まれたらアカンで!
最後熱持ち過ぎて関西弁になってもた!
病院からの紹介で来ました。
私は健康についての関心は高いと思います。凝り性なタイプです。自覚あります。だからパーソナルに通っても選びに選んで、悩みに悩んで「この先生なら!」と選びました。ピラティスもそうです。どの様な先生なのか、そのバックグラウンドから調べて調べて納得してから通うタイプです。
20年近く自分の健康と向き合って、自分のカラダと向き合ってきて、でも頑張っているのに何だか結果がついてこない。いまだにぎっくり腰は毎年する。年1の恒例行事となっているかも。偏頭痛だって収まらない。不眠?睡眠障害?の様な眠れない起きれない症状だって中々なくなってくれない。
できる事は出来るだけ取り組み、最後は心療内科まで辿り着き。脳波を整えるという整体、自律神経を整える整体まで通いました。でもあんまり変わらないんですよ。
何でだろう。と考えながら漠然と通院していたらこちらを先生から紹介されました。カラダの事をキチンと勉強できる場所ですと。
それなら今まで散々通ったよ。海外帰りの有名な先生とか、有名な人のお弟子さんとか。それ以上なんてもうないんじゃないかな。だってオリンピック選手の専属だった人もいたんだもん。
本気でそう思っていました。だからまぁいっか、試して減るもんじゃないしと。こういう人っているのかな、この院に行く人で。私は割とレアケースだったかも。
行ってみた。
カルテ殆ど×だった。
ストレッチボードなんて立てなかった。いえ、私は立っているつもり。簡単じゃん。と思っていた。先生は「そこじゃ無くてここを使って欲しい」と手を加える。途端にできない。いや無理だって。
先生の一言「この動きが本来の自然なんです」と。「は?」となりますよ。いや無理でしょうと。動かないもん。どうしろと。
その後の検査もことごとく「×」が続くとちょっと何か怖くなってくる。自分の感覚が信じられなくなるというか「え?これが普通じゃないの?じゃあ私の感覚って何?」と。今まで色んな場所で勉強して練習してきたものっていったい何だったの?
え?私は今まで何をしてきたの?
先生には最初の問診で「はっきりと伝えて欲しい、オブラートに包むのは無しで」と書いていました。だから先生ははっきりと伝えてくれました。
「基本的な動きが人工的なモノに置き換えられています」
「力が外から内へ入り込んでいます」
「肩・股関節が土台として使われている、運動に参加していない」
「手首と足首に依存をし過ぎている」
「膝が運動の主役になっています」
こんな感じで抱えている課題点をドンドン伝えてくれる。というか「終わり」が無い。足元から首まで隅から隅まで向き合うべき課題点を伝えてくれる。
これは本当に親切で誠実で先生の優しさなんだけど、創り上げてきた自負がある私にはきつかった。ちょっと茫然自失になっちゃった。仕方ないよ。キツイもん。
今は違うよ、全部受け入れた。何でこんな事を残しているかというと。!!
ここがきっと分かれ道だから。
先生は意地悪を言っている訳じゃない。淡々と「事実」を伝えてくれているだけ。
私達がその「事実」と向き合えるかどうか。目を背けるのか、目を逸らせるのか。そこで未来が変わると思う。決まると思う。
認めることができて、受け入れる事ができて、1つ1つを克服していく事ができたら健康なカラダが内側から育っていく。芽吹いていく。
目を逸らして「そんなはずはない」と突っぱねると今までと何も変わらずに状況は悪い方向へと転がり落ちていく。
結局は「自分次第」だということ。それがここで学べた沢山の中でも特にピカピカ光っている。
自分を変える事。それには「今の自分」を知る事、理解する事、認める事。
先生が最初の方で言う「痛みも健康の一部」という言葉、本当に本質的、重い。
痛みのもっと手前の違和感。これが何となくでもわかる様になると世界が本当に変わる。
「これが普通なんだ」と感覚が切り替わった事を感じ取れたら沢山のモノが変わる。あれだけ座りたがりの私が座れなくなった。座るとしんどい。立つと楽。
立つってこんなに楽なんだ。
こんな発想持つなんて思いもしませんでした。
普通に立っているつもりが真っ直ぐ立てている。周りを見ると休め!の姿勢で偏っている。
先生が言っていた風景と感覚が今、やっと私の中にも芽吹いてきた。
芽吹いた理由は簡単です。「私自身が変わったから」
他人任せの健康ではなく、自分で世話する健康を学ぼう。ここの先生はそれを教えてくれるよ~!