口コミ
大学生です。大学の先輩からの紹介です。
中高大とサッカー一筋でした。自分の性能を上げたくて筋トレや走り込み、運動ドリルなど色々取り組んできました。
でも頑張っている割には今一つ効果が無いというか、満足いくものが得られていなかったので、自分もここでお世話になる事になりました。学生にはかなりキツイ金額ですが、先輩曰く「絶対にお得」という事だったので。
食費を切り詰めて通っています。月2は余りにキツイので月1でお願いしました。有難いです。
実際に通って感じた事、それはもう明らかです。今まで受けたところとは根本的に違う。説明の内容も全然違います。超具体的で細かい。聞いた話の2割も理解できていません。理解できませんが何か凄い話されてるな、とはわかります。
筋肉は綺麗、関節も綺麗、使い方が個性的。
それが僕の評価でした。せっかくのカラダを持て余しているみたいだねと。自慢の太腿が「独りで頑張っている」と教えられかなりショックに。股関節が動くのに使ってもらえていない。足首がかなり無理をしている。助けを求めているなと。更にはお尻が運動に参加していない。腰がかなりの無茶を請け負っているね。
後なんだ、そう頭が肩甲骨と綱引きをしているから腕が十分に振り回せない。検査検査検査の中でドンドン実況されていきます。あ、あと膝が主役になっている、手首と足首で力を制御している。力が外から内に流れ込んでいる。力が上から下に抑え込まれているね。とも。
まだあるぞ。
肘、膝がまっすぐ伸ばし切れていない、筋肉が長さを上書きしている。神経がかなり過敏になっている、内臓がおりている。骨盤は異常無いけど内臓を受け止めているから開いたまま。でも閉じようとして混乱している。
後は膝のお皿が動かない。お尻を使うつもりが腰を使っている。膝を使うつもりが足首が参加している。
もうどれだけの指摘を受けた事か。こんな調べてくれる院があるんですね。ビックリしました。過去に受けた全部を足してもここに及ばないと思う。
で、カラダを作り直す事が始まった訳ですが、それがまたコロンブスの卵というか。何というか。発想の転換
自分は良く運動ドリルを動画や雑誌で見て取り組んでいました。でもここの先生は違います。「ドリルができる身体を作ろう」となりました。あ、ドリルってすればいいものじゃなかったんだ。その前提があるのか。
一番の基本を真っ先に切り捨てて取り組んでいたという事に気付いた。そうか、ドリルって「カラダを使えている人」が取り組んでこそ効果が生まれるものだったのか。いや当たり前じゃないかw
そんな当たり前にも気付けなかった自分に気付けた。頑張っても頑張るだけおかしな方向に行くのも納得。代償動作という言葉をここで覚えた。
カラダの基本的な動きを覚える。
自分の癖を自覚する。修正する
動かせる様になったら、動きを繋げていく。
ドリルをこなす。いやいや!宿題を繋げたらドリルになったw
あ、そういうことね。
カラダが繋がっていくとドリルの運動が凄い気持ちよくなる。自分が動くのは最初だけ。後は生まれた力に身体がついていく。力に引っ張られていく。
宿題をしながら考える。効率的に身体が動くって事はエネルギー減りにくいってことだよな。ならダイエットには不向きじゃない?
あれ?巷のダイエットって代謝を上げて云々だったよな?上手に扱うと代謝がおとなしくなるなら、逆に・・と宿題をしながら思考が働く余裕が生まれる。
最初はゼーゼーハーハーだったのに。自分のカラダとは思えないw
凄いな、確かにこれは安いよ。学校だよ、マンツーマンの学校。
カラダの使い方から仕組みまで、全部教えてもらえるよ!
あ、でも掴む練習をしないとダメだと思う。繰り返しの中で「あ」って感覚がストンと落ちるから!
今、帰りの電車です。今から1時間半程度揺られて帰ります。
本日、卒業となりました。これからはメンテナンス期に入ります。
知りたい方も多いと思うのでメンテナンス期のお知らせをば。
■基本:通常メンテナンス
季節ごと(年4回:4カ月ごと)
※理想は年4で、実際は「目的に応じて決めると良いです」で終わりです。先生らしい。
「負担を取りに来る」×
「正しく扱えているかの確認」〇
の気持ちで臨んでくださいと言われました。
■応用編:カラダを更に煮詰めていくステップアップ版
月1:応用の宿題を1ヵ月以内にマスターして挑む
※月2は「習熟機関として短すぎる」と却下されます
→私はこれに進みます。
我々にはお馴染み(のはず)の「構造」「運用」を更にブラッシュアップして溶け込ませる段階だそうです。楽しみです。
■私
ヘルニア患者でした。神経痛バンバン、ビーンとツーンのコンボでした。沢山の地元の院に通い、ヘルニアが得意とされる先生にも通い、沢山通いました。
整形でオペが早い、切った方が早いと言われて背筋が凍り、狂ったように探して探してここに辿り着きました。
「何とかして欲しい!」と願ったら先生に「何とかしてあげて下さい」と言われて「え?」となる。それが始まり
キチンと説明されると納得。施術側の問題というより受ける側の姿勢が問題なのかと知る。でも痛いじゃん。と思い伝える。先生は言う「痛いですよ、だってここまで追い詰めてしまった訳ですから」とサックリ。
今までの先生はとても優しく「頑張りましたね、もう大丈夫ですよ」と寄り添ってくれました。でも楽にはなるけどすぐ戻る。回数券を進められ、カード払いがお得と言われる。枕も買って、インソールも買った。でも駄目だった。最後は「病院に行った方が」と言われる始末。これ1つや2つちゃうで。
youtubeの勢いと、最初の勢いと全然違うやん。と悲しくなった。何回も。回数券の余りは払い戻しもできず。何なんこれって思った。
俊先生は優しいけど厳しい。というか「事実を淡々と言葉を選んで」伝えてくれる感じでした。私がカラダを追い詰めたのは事実。そこを理解しない事には始まらないと。
カルテは殆どが×。ランクはDD。先生は更に言う。「どうして良くならないのか、のずっと手前の段階です」と。
カルテもピラミッドも、ヘルニアに直結するかは断言できない。でもカラダはここまで追い込まれているなら何が起こってもおかしくはない。
「どうして。。。」と悩むのはこのカルテもピラミッドも綺麗に整えたのに症状が「変化ない」場合なんですよと。
正論が痛いぜ!!ここで「わかってます、わかってますけど」と繋がっていく人は「対症療法」が良いそうです。根本的な解決を目指すだけの余裕が無いそうで。
「痛みを整えるのか」
「カラダを整えるのか」
道は2つ、選べるのは1つ。2つの道は先に進む程に離れていくそうです。先生が試して試して確信したと仰っていました。途中で道を変える事はできても、一度戻らないといけない分だけ手間が掛かる。だから最初に方向性を固めた方がいい。時間をかけても、とお話をされる。
何かまとまりのない文章になってきた。思い返すと施術よりも先生との会話の方があれこれ思い出されます。考えるきっかけ、向き合うきっかけをくれました。
何とかしてもらおうと思って色んな院を巡り、私は見失いました。そしてここで「自分次第で何とでもなる」と教えてもらいサポートをしてもらいました。そのサポートが超高品質なんですけど。
途中で道がズレたらカラダが教えてくれ、それを先生が翻訳してくれ、とテクテクと歩いた結果、ヘルニアの症状は何処吹く風。
小さく残る症状よりカラダを使いこなす方が楽しく興味深くなってきた。だからずっと通っていたと思う。特に屈伸王!!あれが力の流れを私に教えてくれました。あれ凄い。単なる屈伸なのに。
屈伸1つが教科書になる。先生の言う通り「自分次第」なんだと思う。
宿題1つ1つはキチンとしてこそ。適当にこなしても何も変わらない。「やっているつもり」「やっているだけ」でどれだけ遠回りしたか。
先生に修正してもらい間違いに気付いたら全然違う感覚になる。ああ、自分が理解してこそ。やっぱり自分次第。
ここに来て、ヘルニアになってよかったとすら思う。何故なら先生と出会えたから。こんなに1人の人間に向き合ってくれた先生、いませんでしたよ。
ここは痛みを取る場所じゃなくて、カラダを学ぶ場所です。痛みはカラダの一部に過ぎないと知る場所です。
次の誰かへ
徹底的に食らいつけ!答えは待つじゃなくて取りに行くんだ!!
通っているクリニックからの紹介です。
私の場合は心療内科です。安定はしているものの、揺れ幅が割とある状態が続き、心と体の話から先生に「うちではカラダについてはできないから、こちらを紹介している」という流れで紹介されました。
値段等については最初に説明されました。決して安い訳ではないけれど、間違いの無い仕事をしてくれる先生ですと。そして先生自身は何事においても「値段より確かな仕事」に価値を置いていると。
私も同感です。クリニックの先生に出会うまでにどれだけの道草をしてきたことか。もうあんな遠回りはしたくない。だから確かな先生から紹介をされた先生なら、間違いなく確かな人だと判断しました。間違っていなかったと確信します。
今まで、沢山の院に通っていた時期もありました。自律神経専門の先生、脳を整えてくれる先生。婦人科系専門の先生にもお世話になりました。でも「年齢からくるものでしょう」と毎回同じ答えで困っていました。
年齢からくるならもう一生このままということ?流石にそれは辛い。でもどこにいっても「加齢のせい」と言われる。
で、クリニックの先生にその話を出してこちらを紹介されました。
施術の話で「全然違う」というのはこちらの口コミで拝見していました。そこは予習済み。それよりも驚いたのが「本当に一軒家」という事。それも今時の一軒家ではなくて「昭和の一軒家」です。口コミの内容と院の外見が余りに掛け離れていて目が点になります。「え?本当にここであってるの?」となります。
でも、確かに看板はある。よし、と昭和な引き戸を開いて入る。先生出てくる。院内も本当に一軒家。昔ながらの整体屋さんに来たイメージ。
ここで不安になる患者さんいるんじゃないかな。「自分の選択は正しかったのだろうか」なんて。それくらい「おばあちゃんの家」感が凄い。
でも安心してください。本当に全然違いました。施術も聞かれる内容も。検査も。何もかも。
今までの「根本的な問題解決」とここで受けている「根本的な解決」が全くの別物でした。程度が違うじゃないのです。もう「そのものが違う」という感じ。
先生が記入するカルテをまず見て下さい。その項目の多さ。こんなに全身をくまなく検査された事、本当に無かったです。その半分すら検査されたことがなかったです。
沢山検査をすればいい訳じゃない、沢山時間を掛けたらいい訳じゃない。
そんな言葉を聞いて信じていました。でも先生の言葉はとてもまっすぐで自問自答している様。「これだけ調べてもまだ足りない。個人レベルの違いが大き過ぎる」とつぶやく。
この先生はとても誠実だ。嘘がありません。それだけでも安心できる。やっぱり確かな先生の紹介は確かな先生しかない。間違いない。
メールでの問診時に「正しくキチンと知りたい」にチェックを入れていたせいか、はっきり言われました。
「自分を変える必要があります。むしろそれが全てです」
「環境が変われば人の習慣は容易く変わります。環境が変えてくるからです。でも環境を変えずに習慣を変えるのは簡単であり大変です。自分の気持ちが必要になります。」
凄い納得しました。
自分を変えても変化が無ければ、その時に改めて考えたらいい。そんな感じで気持ちを整え、カラダの再構築へゴー。
自分を変えるといっても、宿題をするだけだったので割と簡単でした。もっと変化が欲しい場合は自分の日常から引き算するべきものを先生が教えてくれました。
1つ1つできる範囲で変えていく事。
結果、あれだけ「年のせい」と言われていた症状が柔らかくなり、時々出てくる程度になり、最後はたまに出ても「おっす」という感じ。
症状そのものを怖がらなくなった自分がいます。これは先生の「痛みも健康の1部」という言葉が響いたから。遠ざけるのではなく受け入れる。そして一緒に暮らしていく。
向き合い方1つで一緒に暮らしているはずなのに出てこない。出てくるときは決まって「無理をしたとき」だけ。
だから健康の一部なんだ。教えてくれていたんだ。
あれだけ遠ざけたかった痛みに感謝が芽生えるとは(笑
健康について、カラダについて何も知らなかった私。今はカラダと少しずつお話ができる様になっています。
あ、最後に1つ
この内容でこれは安い!
こちらにお世話になっているのは息子です。陸上を小さい頃から続けており全国大会の常連校でレギュラーを任されています。
↑は自慢では無くて私(母)の世界が引っ繰り返った事をお伝えする為の予備情報と言いますか。とにかく私にとっては中々信じる事ができない、認める事ができない事が沢山あったもので。
まず、息子についてですが、幼稚園から体操教室、運動教室に通っていました。中学・高校では有名なトレーナーのもと運動ドリルをこなし、学校でもオリンピック選手が開発したという体幹ドリルを日々こなしています。そして選手としての実績も出せていたので私としても息子としても「順調に仕上がっている」という自負・自信がありました。1つを除いて。
1つだけあった心配。それは定期的に故障を抱えるという事です。それを「カラダが素直だから」と言われていたのでそれも良い傾向なのだろうと前向きに捉えていましたが、中学生くらいから長引くケースが出始めました。そして高校に入って2年目。大きな故障を初めて抱えました。
学校の提携?先の整骨院(オリンピック、国体選手等も施術している)にお世話になるものの、改善せず、何度もボキボキッとされて本人が少し不安を感じている状態でした。
どうしたらよいのか、何をしたら良いのかがわからない。モヤモヤした気持ちで日々を過ごしていた時にOBの方(大学の選手)から紹介をされたのがこちらでした。
顧問の先生が薦める院とは違うのに大丈夫なのか?と思ったものの、現時点では週3で通っていても変化が見られない。それどころかバキボキを不安に感じている状態だったのでやむなしと判断。OBの方に紹介の旨を連絡して頂き初回の予約となりました。
ここからです。私達の世界観が引っ繰り返ったのは。
全身の検査をして頂き、カラダの状態が明らかに。腰を痛める理由がわからず先生に尋ねる。「股関節・腸腰筋に関しては誰にも負けない鍛え方をしてきたのに」と。
「だからですよ」
最初は本当に意味がわかりませんでした。腰を、股関節を守る為に体幹を鍛えたはずなのに、それが体幹を痛めた原因?鍛え過ぎたということ?
「走る時とジムの時、同じ靴を履いていますか?」
「走ると歩くって、顧問の先生にはどう教わってるのかな?」
「どんな走り方を教えてもらっているのかな?」
先生からの質問に息子が答えていく。先生はその答えに対して更に質問を重ねたり解説をしてくれたり。
知らなかった。全部+になると思っていたのに多くがカラダにはマイナスになっていたという事。にわかには信じられない。
「ドリルを見せてもらってもいい?」
親の私が見せるのが怖くなる。何を言われるのか怖くなる。息子が1つ1つを見せる。そして先生が問う。
「それは何を狙いとした運動かな?どう伝えてもらってる?」
息子も説明するが、先生の説明を聞いた後だと私でも思う。「漠然とし過ぎている」と。
聞かずとも故障の原因が浮き彫りにされている感覚になる。私はただ見てるだけ、応援しているだけだったんだと。
先生の様な見え方、見方をして息子をサポートできていたらと悲しくなる。
でもでもでもでも
息子は目がキラキラしていたので少し救われた。本当に楽しそうに「そうなんですか!そうなんですか!」と聞いてる。息子は理詰めで納得したかったんだなと知る。いや知っていた。知っていたけど、息子の理詰めの程度は私の想像を遥かに超えていたということ。
ああ、知りたいのに教えてくれる人がいなかったんだな。良かった、先生と出会えて。
息子のカラダは0から再構築に入りました。「記録や速度は落ちるよ、最初は」と言われても息子は意に介していない。「自分の理想の走りができそう!」とテンションが高い。
凄い大雑把に言いますと
今までの走り→「記録を伸ばす為の走り:短距離走の延長」
作り直した走り→「効率化を突き詰めた走り:歩くと繋がった走り」
本人曰く「流れの中に自分が乗っかっている感じ」とのこと。今までは「自分が走っているという感じ」だったそうです。
それが「最初だけ流れを作るまでは自分が走って、流れができたら後は乗るだけ。プールの洗濯機みたいな感じ」だそうです。
今は「故障する気がしない」とのこと。そして「走るのが楽しい、というかこれが走るなのかな」とレギュラーや記録より感覚を楽しんでいる様です。
ありがとうございました。これからも息子を宜しくお願いします。
通っていた整骨院の先生から紹介されました。悪く言えば追い出されたのかもしれません。気になる事はドンドン質問をしていたので割と嫌な顔をされた事もありましたし。
健康に関しては人一倍気にしいなのであれこれと聞いてしまいます。知りたいからこそお金を払って通っている。そんな感覚です。勉強しに行っている、という感覚の方が強いかもしれません。
ここは治療のために通う、というより勉強の為に通うという言い方がピッタリです。だから私のような「知りたがり」「質問魔」にはもってこいの場所
1を聞いたら10返ってきます。今まで自分が知らなかったこと、知りたかった世界がドンドン広がっていく。私にとっては楽しくて仕方がない場所です。
しかも、素材は自分のカラダ。教科書じゃなくて自分のカラダが素材となるのです。だから言い訳ができない。自分の頑張りがそのまま反映されます。
そう、誰のせいにもできない。
これが更に楽しい。言い訳ができない
取り組み自体はとても地味、でも堅実。そして確実な成果がカラダに埋め込まれる。
どうして体が悲鳴をあげていたのか。
それは自分が順番を間違えていたから。
自分がやりたいことだけをやっていたから。
カラダが求める順番で、カラダが求める事をしていればよかっただけ。
自分がカラダをそう導いていただけだった、という目をそむけたくなる現実と向き合わせてくれる天国です
出会えてよかった!
知ることができて良かった!
今は自分のカラダの事が良くわかる。感じ取れる。
でも先がまだ沢山ある。見てみたい。辿り着きたい。
頑張りましょう!同志諸君!
理学療法士の整体師です。色々な勉強会でこちらの先生のお話、ウワサ?今思い返すと「挑戦者」の話だったようなw そんな話を耳にしていたので存在はしっていました。
たまたま、自分も「カラダ全体の声を聴く」といった全身を整えていく路線で開業をしていたのでいつか受けてみたいなとも思っていた訳です。
で、自分が学んでいたセミナーの方がひと段落してそれなりに自信もついてきた。これなら受けている内容を分析できるのではないか。と思って予約を入れた訳で。勿論「同業者プラン」です。ちょっと嘘つくハートは私にはありませんでした。
受けて思ったのが「あ、本当にこれ鏡になるわ」という事。自分が受けて学んでいたセミナーも全身を整えるという事にフォーカスしています。だから自分は全身を整える技術体系を身に付けたと自負していました。実際、患者さんには「全身を整える」と伝えていますし、そのつもりでしていました。
でも、施術時間は初回で60分枠、2回目からは40分枠です。でもそれで十分だと思っていた訳です、割と本気に。
ここで受けて感じたのが「情報の深さが桁違い」という事です。つまり「全身をみる」という言葉の定義がまるで違う。私の「全身を整える」はこちらの先生にしたら「整える前の情報が足りていない」という状態。
私がセミナーで耳にした「挑戦者」はきっとこう感じたのだと思います。
「私は一体何をしていたのか」
私にとっては十分と思っていた情報、先生にとっては「全く足りない」という状況。それを先生は何故、足りないかを説明してくれます。それがまた論理的で私にしたら「え?そこまで考えてやってません」としか言えない。
ここまでせなアカンの?整体って?そこまでする必要ってある?
「あ」
ここで私も気付いた。そうか、ここで「そこまで必要ないでしょ」と目を背けるのか。ああ、わかる。その気持ちわかるよ。
本当に問われるよ。それも自問自答の中で問われていくよ。
自分は一体、どうしてこの業界でこの仕事を選んだのか?
ビジネスとして成功する為? 人のカラダを整える為? 健康な人を増やす為?
ビジネスとしてなら目を逸らしても辛くないと思う。でも、自分は「極めたい」と思って飛び込んだ。その自分が「そこまでやらんとアカンの?」と目を背けようとした現実。
いや、キッツイわ。マジでキッツいわ。
自分がどれだけ「根本解決」を謳いながら「対症療法」に突き進んでいたかを思い知らされました。自分はまだ何もしらない。それ以前に何も見えていない。
目の前の結果に安堵して、感謝の気持ちに安堵して。相手は根本解決が進んでいると思っているのに、自分は対症療法で結果を優先する。それも「対症療法はしない、根本療法です」と言いながら。
ここの施術を受けて「いや、自分も根本療法です」なんて言えない。無理だって。だってこれだけ高度な合わせ技してもなお「足りていない」って言っているんですよ、ここの先生。100分近くノンストップで突き進んで。
先生の30%も検査していない、情報を引き出していない自分は何を見てどう判断していたのか。井の中の蛙大海を知らずどころじゃない。水たまりで遊んでいただけじゃん。
気持ちが引き締まった、というより怖くなった。不安になった。これが本物ってことでしょ。上を目指すとこういうレベルが待ち構えている訳でしょ。
国家資格者限定のセミナーや勉強会で安心していた自分は背筋が寒くなりました。なぁなぁの中でドヤ顔していた自分を自覚した。
院の在り方、施術の在り方、考え方。
全部を一度引っ繰り返すと決めた。25年はずっとここに通う。
通年で通って高くないかだって? その何倍ものお金を3ヶ月のセミナーに払ったけど、手にする価値はここの方が桁違いやで!
でも自己嫌悪になるかもしれないから、注意は必要やで!比べたらあかん!劣等感に飲まれたらアカンで!
最後熱持ち過ぎて関西弁になってもた!
病院からの紹介で来ました。
私は健康についての関心は高いと思います。凝り性なタイプです。自覚あります。だからパーソナルに通っても選びに選んで、悩みに悩んで「この先生なら!」と選びました。ピラティスもそうです。どの様な先生なのか、そのバックグラウンドから調べて調べて納得してから通うタイプです。
20年近く自分の健康と向き合って、自分のカラダと向き合ってきて、でも頑張っているのに何だか結果がついてこない。いまだにぎっくり腰は毎年する。年1の恒例行事となっているかも。偏頭痛だって収まらない。不眠?睡眠障害?の様な眠れない起きれない症状だって中々なくなってくれない。
できる事は出来るだけ取り組み、最後は心療内科まで辿り着き。脳波を整えるという整体、自律神経を整える整体まで通いました。でもあんまり変わらないんですよ。
何でだろう。と考えながら漠然と通院していたらこちらを先生から紹介されました。カラダの事をキチンと勉強できる場所ですと。
それなら今まで散々通ったよ。海外帰りの有名な先生とか、有名な人のお弟子さんとか。それ以上なんてもうないんじゃないかな。だってオリンピック選手の専属だった人もいたんだもん。
本気でそう思っていました。だからまぁいっか、試して減るもんじゃないしと。こういう人っているのかな、この院に行く人で。私は割とレアケースだったかも。
行ってみた。
カルテ殆ど×だった。
ストレッチボードなんて立てなかった。いえ、私は立っているつもり。簡単じゃん。と思っていた。先生は「そこじゃ無くてここを使って欲しい」と手を加える。途端にできない。いや無理だって。
先生の一言「この動きが本来の自然なんです」と。「は?」となりますよ。いや無理でしょうと。動かないもん。どうしろと。
その後の検査もことごとく「×」が続くとちょっと何か怖くなってくる。自分の感覚が信じられなくなるというか「え?これが普通じゃないの?じゃあ私の感覚って何?」と。今まで色んな場所で勉強して練習してきたものっていったい何だったの?
え?私は今まで何をしてきたの?
先生には最初の問診で「はっきりと伝えて欲しい、オブラートに包むのは無しで」と書いていました。だから先生ははっきりと伝えてくれました。
「基本的な動きが人工的なモノに置き換えられています」
「力が外から内へ入り込んでいます」
「肩・股関節が土台として使われている、運動に参加していない」
「手首と足首に依存をし過ぎている」
「膝が運動の主役になっています」
こんな感じで抱えている課題点をドンドン伝えてくれる。というか「終わり」が無い。足元から首まで隅から隅まで向き合うべき課題点を伝えてくれる。
これは本当に親切で誠実で先生の優しさなんだけど、創り上げてきた自負がある私にはきつかった。ちょっと茫然自失になっちゃった。仕方ないよ。キツイもん。
今は違うよ、全部受け入れた。何でこんな事を残しているかというと。!!
ここがきっと分かれ道だから。
先生は意地悪を言っている訳じゃない。淡々と「事実」を伝えてくれているだけ。
私達がその「事実」と向き合えるかどうか。目を背けるのか、目を逸らせるのか。そこで未来が変わると思う。決まると思う。
認めることができて、受け入れる事ができて、1つ1つを克服していく事ができたら健康なカラダが内側から育っていく。芽吹いていく。
目を逸らして「そんなはずはない」と突っぱねると今までと何も変わらずに状況は悪い方向へと転がり落ちていく。
結局は「自分次第」だということ。それがここで学べた沢山の中でも特にピカピカ光っている。
自分を変える事。それには「今の自分」を知る事、理解する事、認める事。
先生が最初の方で言う「痛みも健康の一部」という言葉、本当に本質的、重い。
痛みのもっと手前の違和感。これが何となくでもわかる様になると世界が本当に変わる。
「これが普通なんだ」と感覚が切り替わった事を感じ取れたら沢山のモノが変わる。あれだけ座りたがりの私が座れなくなった。座るとしんどい。立つと楽。
立つってこんなに楽なんだ。
こんな発想持つなんて思いもしませんでした。
普通に立っているつもりが真っ直ぐ立てている。周りを見ると休め!の姿勢で偏っている。
先生が言っていた風景と感覚が今、やっと私の中にも芽吹いてきた。
芽吹いた理由は簡単です。「私自身が変わったから」
他人任せの健康ではなく、自分で世話する健康を学ぼう。ここの先生はそれを教えてくれるよ~!
「晴れの国おかやま24時間100キロ歩行」参加組です
歩くを勉強する、試す、ついでに先生の2軸歩行を実際に見て感じてみる。あわよくば100㎞歩く。
盛り沢山の野望と希望を持ちながら抽選、そして無事に突破。晴れて晴れの国岡山に前泊。先生は当日の朝に移動してくるとのこと。私には無理無理。
私はスタート直後はのんびり楽しみ、先生とは後半から合流。先生は「しんがり」をするらしかったので私は前半貯金を貯める旅へと進みました。
先生と合流(というか発見)したのは2つ目の山越え少し手前から。話しかけようかと思ったけれど、私も割と疲れていたこと、先生の集中力が凄かったこと、あと私と同じ立場ぽい人達が先生の後ろを歩いていたので私もスッと後ろにつくことに。さぁ始まるぞ、本物の2軸歩行とのご対面が!!あと、先生本当に草履で歩いていました。ペタンペタンと暗闇に足音が響く。それも一定のリズムで響く。本当に一定。
時速はそこまで早くない。時速4.5~時折5㎞に到達するかどうかののんびりペース。これならついていける。大丈夫だ。と安心したまま山越えに入る私。
ここから差がはっきりと出始めました。
最初は緩やかな坂道が続き、徐々に傾斜が強くなっていく。もう50㎞以上歩いている、更には真っ暗。雨にも降られていたので割と疲労感がドスンとやってきている。足が重い。前に出ない。
というのは私、私達の話で。
先生のリズムは本当に変わらず、速度も変わらず。というか少し上がってない?こちらが落ちてるだけ?同じペース、リズムで進んでいるつもりが段々とついていけなくなる。
え?何で?加速してる? 坂道とか関係なし?
坂道はご褒美です、とは先生は確かに言ってましたが本当ですあれ。先生は坂道の方が楽そうです。坂道を歩いている感じがしない。うんとこしょが全くなく、スルスルと進んでいく。これが2軸か。50㎞歩いてもなおこれか
2軸歩行はSDGsだと、エネルギーロスが最小限になる、カラダを運ぶだけ。坂道の方が股関節に優しい。先生の言葉が先生の歩行を見ていてなるほどな。本当だと。
何が違うのかな。私も考えてあれこれしてみたけど、あんなスルスルヌルヌル歩きにならない。足りないんだろうな。
本当に2軸歩行は凄い。私はそのペースについていけず、途中下車。先生はそのままペース変わらず見えなくなりました。
で、何とか自分のペースでゴール。先生はギリギリまで歩くということなので30分前くらいからゴール前で先生を待つ。
来た。自撮り棒が長いからわかりやすい。
最後のゴール、何事もなかったかの様にテクテク歩く先生。
最後、印象的だったのが殆どの人が「やったー!やっと終わったー!」な感じでゴールをされるのに、先生はテクテクテクテク「ありがとうございました」とこれからまだ続きがあるかのような、今から出勤しますみたいな朝ラン終わった人みたいな感じでした。
ああ、先生まだ余ってるわ。これが2軸歩行の意義なのか!
皆さん、これ草履ですからね。靴じゃないんですよ。
草履、テーピング無し、加圧無し、鎮痛剤無し、カフェイン無し
本当にカラダ1つで100km歩いて、この余裕。先生の言っている言葉は本当でした。自分のクタクタっぷりがそれをより顕著にさせる。
私も2軸マスターしたい!100km歩こうとは思わないけど、延々と縦走したい!
私もおかやま100キロ参加組です。流石に私は草履では無理でしたが、先生と10km程は一緒に歩きました。最初に少しと半分過ぎた頃から少しです。
ペースが変わらない。それがこの100キロにおいてどれだけすごい事か。草履で。それは実際に「自分が歩いて」はじめてわかりました。普通は無理ですって。足が痛い、前に進まない、体が重い、しんどい、疲れる。
なんで先生は淡々と身体が前に出るのか、進むのか。坂道になってもペースが変わらないってどういうことなの?もう50km歩いている状態ですよ。こっちのペースが落ちるので相対的に先生が早く感じる。スイスイ進むので。
これが「歩く」と「運ぶ」の違いなんだと勉強になりました。私はやっぱり「歩いている」訳ですよねこれ。でも先生は「運んでいる」状態なんですよね。その言葉の意味、違い、自分で実際に歩いてみると、先生を追いかけていると本当によくわかります。
そうなると、逆にこれも気づいた。これは大発見だったと思う。
「運んでいる人、、、、殆どいなくない?」
そう、100kmを歩く猛者の人たちもみんな「歩いている」のが良くわかります。体の運びが「運ぶ人」と全然違うんですよね。
ちょっと安心もしました。「先生みたいなステージの人だらけ、って訳でもないんだな」と。ちょっと自分が「できていない生徒」みたいに感じていたので。
2軸歩行というふんわりとした言葉が、目の前で具体的なものとしてあらわれた。その凄さは距離を重ねる程に見えてくる。力にゆだねる、力を流すことによる効率化された移動。凄い綺麗ですよ。淡々と。私達のグイグイとは全く違う。
先生がいつも言っていた、ペタン歩き、足上げ歩行、みぞおち歩行、腕回し歩行、全部見て学ぶこともできました。本当に楽しかったです。
次も出るかと言われると、流石に考えてしまいますが、これだけ沢山の人の歩行を勉強できるとなると先生があちこちの100kmに出ているのも納得しました。
草履で100km歩く先生は、やっぱり「運ぶ人」だと思います。
今、帰りの電車です。
ここにお世話になってから1年くらいかな。痛いのを何とかしたい訳ではなくて、カラダの使い方をキチンと学びたいと思ってきました。
どうしてここに来たのか。それは「姿勢矯正」と「姿勢改善」をピラティスと整体がセットの先生のところで1年間続けて「綺麗」と褒められる姿勢を手に入れた一方で「背中がつらい」「首肩が何か辛い」といった副産物がやってきたからです。
綺麗な姿勢はゲットできたのにどうしてこんな違和感がやってくるのか。姿勢がドンドン綺麗になっていくにつれて違和感が増えていく、それが違和感。そんな「何か変」な状況が続いていたので何とか状況を変えたいと思ってこちらの院にお世話になる事に。
それまで通っていた先生もとても優秀な先生だと私は思うのですが、今にして思うと「綺麗な姿勢」を如何に作り上げるかが専門だったのかな?と思う事もあります。やっぱり得意分野がそれぞれで違うんでしょうね。綺麗な姿勢と健康が必ずしも一致する訳ではない事を当時の私は知りませんでした。思いつきもしなかったです。
で、こちらにお世話になる事に。エキテンの口コミを見て決めました。何せ長い。濃い。何かもう通っている人の熱量が違う。それで十分ですよね。理由としては。
実際に通って思いました。熱量が高い人ばかりが集まる訳だ。先生の熱量はこちらの10倍くらいあります。カラダの事が大好きな先生だとすぐにわかる。カラダの事を話している先生はとても楽しそうです。「知って欲しい」というオーラを隠し切れていない。「ね?面白いでしょカラダって」というノリで物凄い量の情報が流れてきます。全部が「私のカラダ」の事なのですが、肝心の持ち主である私がお腹一杯状態に。50年以上生きてきた人生の中で、ここまでの情報量に触れたことは無かったです。これホント。
きっとここに来た人皆、そう感じるのではないでしょうか。「こんなに情報が溢れたのは人生初だ」と。少なくとも私はそうでした。
同時にこう思ったのです。
カラダってこんなに沢山の情報から成り立っているのだとしたら、この半分にも満たない情報量でカラダを整えようとしていた私の今までって正解と言えるのだろうか??と。
それなりに取り組んでいるつもりでしたが、実は俯瞰的にみると「圧倒的に足りていない」という現実の中にいたのではないか?と。そんな風に感じてしまいます。
そういう意味では真面目に取り組んできた人程、最初は辛くなるかもしれません。ニコニコしながら楽しそうに、私の50年分を軽く超えてくる情報量を先生は流し込んでくる訳ですから。
でも、通って良かった。
1年経った今、今日は少し変わった下駄を履いたり、幾つかの靴を履き比べたりしましたが、わかるんです。1つ1つの履物ごとに使う筋肉が変わる自分が。
靴1つ、靴下1つ、そして着るもの1つ、何か1つ変わるだけでカラダの中に通る力の流れが確実に変わる。そんな事今までは感じる事は無かったですし、そんな変化があるなんて思いもしませんでした。
それがわかる。こんなに違うのかと。
それがわかるという事は、先生が言うには「裸足が基準になった」という事だそうです。だから余計に小さな変化を拾い上げる事ができると。
先生に褒めてもらうと嬉しくなります。先生に認めてもらえた様な気がして。でも、あの変わった下駄はまだ無理です。私には無理。小鹿ちゃんの様に立つのが精一杯。
でも先生は涼しい顔して立ってスキップまでしています。解説をしながら何か試している。そんな余裕が私も欲しい。
決して難しい訳では無く、理解をして馴染めば誰でもできる。誰だってできる事だけで健康は成り立っている。
先生の言葉は本質的で芯に響く。私もまだまだ頑張りますよ~
先生について、歩行訓練の集大成をしてきました。
「晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行」
先生が参加されるとのことだったので、私もあとから参加を表明。先生と一緒に「2軸練習」の総仕上げのつもりで参加しました。
が、私は途中から靴にシフト。草履だとカラダが前に進まなくなったので割と高級靴へシフトする。すると・・・驚く程にカラダが跳ねる跳ねる、前に運ばれる。靴ってこんなに「歩く」を助けてくれていたんだと気付いた。
一方の先生は本当にペースに変化が無い。最初も最後も、山越えですら。本当に淡々と歩く。気分に合わせてのんびりしたり、淡々とペースを刻んだり。ペースがいつまでも自由自在。そんな感じでした。
靴を履いている私はヘロヘロなのに先生は草履でスイスイ。これが「自分で歩く」を極めた人なのか。私は「靴」というテクノロジーを活用して先生についていく有様。前半は「私の方が先生より早いペースじゃん」と思っていたのですが、完全に思い上がりでした。
私は自分で歩いてきた訳じゃなかった。道具に助けられて歩き続けてきた。それがいつのまにか「当たり前」になっていたんですね。
草履を履いたら「しんどい」のは「テクノロジー」の助けが得られないから。「ヘルプありき」で長くい過ぎた。
自分の「歩行」はまず「自分自身の歩行」では無かったと学びました。沢山の下駄をはかせてもらった状態の「歩行もどき」だった様です。
自分自身の力で歩く。私はそれを身に付けたい。私は心拍が凄い上がって汗だくでした。
でも先生は涼しい顔して汗何て背中くらいでした。心拍もとても安定していた様です。とにかくその差が凄い。
綺麗に歩く、自然に歩く、自分自身で歩く。
それができたら穏やかに、滑らかに、ロス無く歩く事ができるはずだ!
実体験として現場でその差を実感できてよかったです。やっぱり本物の歩きは違う。ヌルヌル無駄なく歩いていました。
目指せそこ!
一般的な整体院やカイロプラクティックと思って行ったらダメです。「あれ?」となります。
基本的にここに来た方が良い人、来るべき人は
1.カラダのことや健康に関心がある
2.カラダの使い方に関心がある
3.自分で取り組むことが苦じゃない
4.正しい情報を知りたい
5.最短距離をすすみたい
こんな感じでしょうか。これに該当しない場合は多分,この院の方針と噛み合いません。決めてもらいたいからここに来た、やって欲しいからここに来た、という人には「ただ、高くて長い」になるはずです。
逆に噛み合う人にとっては「2時間が一瞬」「もっと知りたい」「早くここに来ればよかった」「安い」となります。私はこっち側でした。これだけの内容と情報量がこの金額。正直あり得ないと思います。ただ、とても難しい内容でもあります。初めて聞いて理解できる人なんて絶対にいません。
わかりやすく説明をするのが専門家、という考えではなくて「可能な限り圧縮した正しい情報を届けること」が専門家だという考えみたいです。先生に聞いたら「省略すると大事な部分から削られる」と仰っていました。
痛みをどうにかしようとする院ではありません。痛みが出ているからだと対話していきましょうという感じです。なので先生自身は痛みそのものの分析はしますが「痛くなくなったでしょ?」「楽になったでしょ?」という施術は無しです。でもカラダはふんわり軽くなります。
もっと大きい枠組みで物事をとらえている先生で、1回で何とかしようという考えも無いです。来るか来ないかは任せられ、先生はその時必要な事をするという感じ。積み重ね型です。初回の検査量は確かにすごかった。200カ所というより、200項目という感じでしょうか。検査が凄い滑らか。スマートというか。
施術はリハビリと整体とストレッチやカイロみたいなものが入り混じった感じです。先生の理論に技術が随時組み込まれている様な感じでした。
凄い量の検査をして、凄い勢いで先生がカラダの状態を分析して、質問をされたりして、結果的にはカラダの状態と何が必要かという取り組みの検討が始まります。
これを1人でやっているんですよね、この先生は。ワークステーションみたいな計算能力なのか新型AIなのか。私が今までに受けたものとは全くの別物でした。何が違うか?根本的に違うんですよね、根本的に。受けたらわかる。受けなければわからない。
なのでここは「何とかしたい!」「でもどうしたらいいの?」「間違えるのが怖い」といったちょっと壁にぶつかっている人が選ぶと最高の院だと思います。
先生の知識が凄いというより、先生が私たちに代わって、私達の体に直接聞いてくれます。それを先生が〇×をつけてわかりやすくしてくれたり、イラストに起こしてくれたりして「見える化」をしてくれます。
そこから進むかどうかは貴方次第、とそこで投げてきます。行動を強要することもないです。お任せしますという感じ。前に進みたければ取り組んでまたくればよし、途中で終わるのも自由、。全部が自分で決められます。
このあまりに自由な状態を良しとできるか否か。全部を任せたい人は絶対に向かないです。
答えを知りたい、サポートして欲しいという人には最高の場所です。先生のおっしゃる健康のパーソナルトレーナーという言葉はその通り!私もそれがぴったりハマると思う。
ここに通い始めて半年くらい。
私の健康ピラミッドはSAです。「歪み」と「使い方」はもう問題無しまでやってきました。
今は「立ち方・歩き方」の運動制御?を練習しているところです。これが本当に難しい。癖ってこんなに厄介なの?と毎日思いながら練習しています。
割と自分は到達したんじゃないの?と思いあがったところで出てきたラスボス。あの一本下駄後歯バージョン。できてると思ったらまだまだという現実。カラダって本当に奥が深いですよね。
で、私が何を言いたいのか。それは自分のカラダ自慢じゃないのです!したけど。
それよりも、ここに通おうとしている人、あるいは通っている人に伝えたいのは「一度、自分の中身をリセットしよう」という事です。
私は沢山の健康情報に触れ、集め、実践して、自分の中には「厳選シリーズ」がありました。立ち方、座り方、歩き方、栄養等について。もうこれ以上は無いだろうというくらい。
そしてその組み合わせで自分の健康を創り上げた、それこそ育ててきたという自負があったのです。参考にした情報だって凄い人気のあるものばかりでしたから。
でも、健康ピラミッドAAあたりで停滞していた私のカラダ。それを縛り付けていたのは他でも無い私が集めて厳選していた「スペシャル教材」の数々でした。
先生が「おかしい、何かが足を引っ張っている」と頭を悩ませていた時、まさか、いやまさか関係ないよね。と口に出す事を躊躇っていた「自分流の取り組み」の数々。
先生は「ドンドン試して」と言っていた。だから試している訳で問題ないよね。と口に出せずにいました。出したら良かったんです。先生が取り組みとカラダとの間の検証作業をしてくれるから。
言えなかったのは何となく自覚していたから。多分これだ。と。怖くて言えない、自分の歴史が崩されてしまう。でも足踏みしているカラダを前にすると言わないと・・・とも。
先生からは「思い当たる節はありますか?」と言われるばかり。思い当たる節があるのに「さぁ・・・・」と言うのもしんどい。
結局は「あのぅ・・・・こういうのしていますけど、関係ありますか?」と白状する。先生は具体的に細かく聞いて「なるほど。そういうことですか」と納得する。
ああ、やっぱりそうか。先生の「他には何かありますか?」に観念して全部伝える。先生は別に指摘をする事も無く、ただ内容を聞いて幾つか質問を重ねてくる。答える私。何ならデモンストレーションまでする私。
先生は1つ1つ、私が仕入れて大切にしてきた厳選リストを何がどう問題なのか、惜しいのかを丁寧に、しかも敬意を払って伝えてくれました。間違えた訳では無くちょっと惜しいだけだと。全部が経験になるから大丈夫と。
私の厳選リストは98%が修正対象、でも修正をしてもらって新たに生まれ変わりました。これで思う存分に取り組める。でも、これって全部宿題でもできる事やんか。とも気付く。
ああ、先生の宿題って本当に良く考えられてるんだ、と納得。
餅は餅屋だよ。私達がどれだけ考えて頑張っても足元にも及ばない。最速でカラダを作り直したいというなら、先生を疑う事より信頼する事に注力した方がいい。
信頼できないならトコトン質問したらいい。全部答えてくれます。通う前でも通っている時でも。本当に全部答えてくれます。
中途半端に指導と自分の拘りを混ぜ込むと、私みたいに「詰まり」が生じて時間が余計にかかります。自分で詰まりを作って「自分じゃない」と思っている時間。それが一番のロスだと思う。
ここでお世話になる上で最大のポイント。それは先生が良く言う「認知」だと思う。「自分は自分が思っている以上に、実はよくわかっていない。」という事。更には「わかっているつもりになっているだけ」である事。
先生はそれを強く指摘しません。「気付いてね」と遠回しにしています。きっと自分で気付く事、認める事が大切なんだと思います。
それが途中で「どん詰まり」を起こした私からの「これから」の皆さんへのメッセージで~す!
引き続き2軸歩行頑張ります~!
ヨガの先生から紹介されました。先生が知る限り、最も信頼できる専門家だという最上級の誉め言葉でした。「もちろん、私も通っています」と。あと「私よりヨガ教えたらきっと上手、大切なことをキチンと伝えてくれる先生」とも。
ちょっと褒めすぎでしょ、と生徒皆で笑っていました。
でも、とても印象的な言葉があって、
「使い方もそうなんだけど、知らなかったこと、気付いていなかったことに沢山気づかされた。マインドフルネスって私は言葉だけを伝えていたと思う。ごめんなさい」と。
私たちからしたら達人の先生がそう思うくらいの世界。ちょっと想像がつかない。でも先生から湧き出る「本当にいい先生なのよ」オーラもすごい(笑
後で聞いたらある日突然出てきたストレッチボード?もここの先生の影響らしい。更には準備体操が少しずつ変わっていったのもここの先生の影響らしい。
何かヨガの先生が「専門家の皮」を抜いだような。清々しい感じが印象的で。
とっても興味がわいたので私も紹介してもらいました。
LINEで予約、メールで問診表が届いて、当日はスムーズに進行。
整形外科みたいな検査がどんどん進んで、あっという間の2時間。私は質問を割としていたので2時間半くらいかかりました。
次の方が待っていたのでお詫びをせねば、と思っていたらなんとすれ違わない対策がされていました。なんということ!
先生にお詫びを伝えたら「構いません、お互い様ですから」と。いい感じに緩くて助かる。
凄い×だらけのカルテとピラミッドが後で送られてくる。これは壮観だ。ヨガの先生が言っていたのがこれね。
カルテはちょっと専門的過ぎてわからない。でも〇×△で状態の傾向はわかりやすい。何よりピラミッド。これがとてもわかりやすい。
これを埋めていく作業になるのね。なるほどなぁ。
宿題:ストレッチボード
出てきた!ここで出てくるのか!と感動。受けるー宿題ー受けるー宿題のループ。埋まるピラミッド。変わるからだ。感覚はぼんやり。
変化に気づくのは人それぞれとのこと。私はどんな感じで気付けるのかなぁと思っていましたが、ヨガで気づきました。そう、ヨガで。足元の世界で。
感覚は同じ。でも外からは綺麗に安定しているそうです。先生にも褒められました。やったー!
でも、どうして?ヨガの練習なんてしていない。あ、そうかこういうことなのね変わるって。知らない間に安定感が増していた。そういうことなのね。
だから先生は「意識は使うではなく感じるほうに」と言っていたんだ。あ、本当だ。それってヨガの先生がいう「マインドフルネス」そのもの。
感覚が変わらないのは感じ方を今まで通りにしていたからなんだ。少し身体に耳を傾けてあげる、ああ、こういうこと。そういうこと。
歩いても立っても階段でも坂道でも、体って色んな言葉を発している。全部違う。今までは一緒だと思っていた。こんなに違うの。これは知らなかった。
体と会話する、体が教えてくれる。
先生が仰っていた言葉の意味が少しわかったとき、一気に楽しくなりました。ヨガも今までと全然違う。「ただするだけ」じゃないし「ただ、ポーズをとるだけ」でもない。それぞれの形からの声を聴く。上下、左右、足の裏。
これは楽しい。次のポーズに移る前にもっと聞きたい、知りたい、確かめたい。
感覚が変わるよ、本当に。身体を知るってこんなに楽しいんですね。ヨガの先生の気持ちがわかる。この感覚を共有できる仲間がたくさんほしい!
看護師です。こちらにお世話になった理由は1つ。確かめたかったから。自分が勤めるクリニックの先生が何故か一部の患者さんにこちらの院を紹介している。
全員ではなく一部。何でだろう?と先生に聞いてみたら「あの院を求めている人だと感じたら紹介している」とのこと。同時に「そうじゃない、という人には意味不明な場所になっちゃうからねw」と笑う。
ちょっと意味が分からない。先生は年4回通ってカラダの状態を診てもらっているそうです。「後は自分でやってみてください、なんて言われたら逆に不安になっちゃって」と。
何か変わった対応だな、と気になってました。
その後、先生が紹介する人としない人を自分なりに分析していると「質問の多い人」に多い気がする。
益々気になる。これが始まりです。先生に「私にも紹介してもらえませんか?」とお願いしたら「いいよ」と快諾。紹介だと予約が早いそうで、紹介してもらえる事に。
初診の前にオンラインで問診表が届く。おぉ時代だ。これは確かに効率的。そして初回に臨む。
ああ、ここは賛否が分かれるわけだ。
初めて受けた日、私はこう感じた。「だから賛否が分かれるのね」と。そして先生が紹介する人を分けていたのも納得。先生は良くも悪くも「選別」していたんだなと。
私が感じた俊カイロを紹介したいと思います。選ぶ際には参考にしてもらえたらと思います。
〇事実が淡々と流れ込む
医療系の資格者が受けたらすぐにわかると思います。ここは淡々と「医学的な事実」が情報となって流れ込みます。何一つ「抽象的」なモノが無い。先生が思う・感じる情報ではありません。医学的な検査を行い、その結果を淡々と先生が伝えてくれる。そこに「私はこう思う」という先生の考察が入るだけ。あくまでソースは私達患者のカラダがどう示したかであり、正常と比べてどうなっているか。更にはそれは一体どういう事を示しているのか。
難しいのは検査が繋がり合っている事。これは私も今まで勤務した病院・クリニックで見た事がありません。複数の検査を組み合わせて、カラダの状態を全身単位で管理・把握されます。リハの先生などは理屈として理解はしていても時間的な制約でここまで検査・確認はできないはず。していたら仕事が回らない。
120分を長いと感じる人は途中で感じるはずです。「あっという間」だと。もしも「長い」と感じる人はそもそもカラダに関心が無く結果を求める人だと思います。(だから先生は選んでいたのかと思う)
〇教えてくれるが委ねられる
ここは検査・検査・検査でカラダを隅々まで調べて、「今、どの様な状態か」と「今、何が求められているか」を炙りだしてくれます。そしてここから先が独特。
「じゃあ、これやってきてください」
そう、完全にこちらに委ねられます。「在宅ターン」と呼んでいました。今、院でできる事は全てやり切りました。次はご自宅であなたが取り組む番です。そしてそれをこなした上で次に臨んで下さい。
「院に来たら完結」ではありません。宿題が出て次のステップに進む感じです。でもそれが何故必要なのか。それは先生が全て説明してくれます。更にはカルテで教えてくれます。ピラミッドでも教えてくれます。更には宿題には動画がある。
「至れり尽くせり」で「後はやってきて」という不思議な投げ方。
自分で行動できない人には確かにキツイ。多分続かない。でも自分のクリニックを鑑みても納得する。「決めてもらいたい人、来て安心するだけの人はもれなく慢性化する」という現実は散々見てきた。
そうか、本当に抜け出したい、手間を惜しまないという人を見極めてうちの先生は紹介をしていたのか。納得。
〇やると変わる
実際に宿題を頑張る。といっても1日90秒×2くらい。別に気にする程度でもない。でも確かに変わる。それは納得した。
今までヨガやピラティスは通った。パーソナルも頑張った。でも変わったのは頑張っていた期間だけだった。そういう意味ではこの宿題も同じかもしれない。でも「たったこれだけ」で起こるには贅沢な変化だ。
きっと先生がいう「適切な順番」で取り組んでいるからなのかなと納得。自分のやりたい場所から、なんてうまくいかない。そりゃそうか。
自分を通すのか、カラダの声に耳を傾けるのか。それなりにカラダを理解・実感している人でないと確かに無理だ。我慢できなくなる。
〇専門家を頼れる人でないと
私なりの結論
ここはまさに専門家が待っている。だからこそ専門家に依存する・委託するではなく「頼る」形で関われる人が望ましい。
委託・依存の人は勤務先でその結末を見続けている。何も変化無くそこに居続けている。
本当に変わりたい人、変われる人、その人に道を示す為の場所なのだ。
私は1人納得したのであーる!
引っ繰り返りました。何が?何だと思う?意識が?知識が?感覚が?
全てが!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
正直ビックリを通り越して「ポカン」の効果音の方があっている気がする。知らない事ばかりで自らわき道にそれて、それでいて達成感だけはしっかりあった。ここに来るまでは。何なら最初の方は先生の意見すら「ああ、そういう考えの人ね」くらいにマウント取っていた気がする。いやそうしていた丶(>Δ<)ノ
何故なら私にはインスタにyoutubeという最強のサポーターがいたからである。この再生回数が間違いを示す事なんてあるものか!と信じていたのだ。丶(>Δ<)ノ
だから先生からの検査、宿題をうまくできない事は「要求がウルトラハードだから」という事にして「できる人の方が少ない」と思う事にしていた。人間とはそういう生き物である。少なくとも私はそうなのである。
そんな私がどこで変わったのか?それは「お尻」である。
お尻の筋肉を使える様になり、感覚がやっと掴める様になった時、今までの宿題が何故か急に身近になった。「これはできて、何であれはできない?」先生は全てできているのに。
そこで初めて先生の説明が届く様になった。というか染み込んできた。∩(>◡<*)∩
そうか、だからできないのかと。
じゃあ何故できない?できる様に頑張っているのに。お尻はできてこれはできない理由は何?ι(´Д`υ)
「あ」
ここで私も気づく。先生、それ説明してた。私は聞き流していた。「ふ~ん」と。
まさか「あれ」と「これ」と「それ」ってこと?ι(´Д`υ) 私が信じてやまないあの神のグッズ達?
半信半疑で試してみる。それらを日常から放し、ケアを少し変えてみる。カラダの感覚はそこまで変化はない。
でも、検査結果が全然違っていた。確かに前と全然違う。「先生。同じ力でしてますか?」と何度聞いた事か。
でも日常では何も変わっていないぞ?どうして?
「あ」
先生はこれも説明してくれていた。私はスルーしていた。ヾノ≧∀≦)
うわぁ、先生の言う通りじゃん。ドツボだったじゃん私。今までの私の健康意識は何だったのか。自ら地雷原に飛び込みお布施をしていたというのか。余りに滑稽じゃなかろうか。
先生は確かに優しい。茫然自失な私に「それが活きた経験になる」と素敵な言葉。私復活。無駄にならないのね!ならいいわ!ヾノ≧∀≦)
日常に変化が無いのは「日常で使っていない」から。つまりはそれだけ動かす範囲が狭いから。狭い理由は生活の幅が狭くなっている、便利な道具に仕事を任せているから。検査は可能な限り全身の筋肉を使うから変化がわかりやすい。
つまり
つまり
つまり
使える様にはなっているけど、日常では使っていないという事。それがどういう意味を持つのか。ここまでくれば私にもわかるわ!\( 'ω')/
だから腰痛も肩こりも、浮腫みも中々取れなかったのね。だからなのね!
道具で何とかしようとして、大事な仕事を任せて、私はぬくぬくと変化だけを待っていた。任せた分だけ本質的な力が落ちていくというのに。ああ、知らないって本当に無謀だわ。そういうことを小学校で教えてもらいたかったわ。
そう言えば最初に先生言っていたわ。
「自分を変えないと、カラダは何も変わらない」
答えは最初からそこに。結局は私がそれを受け入れるかどうか、だけの問題だったじゃーーーーん!(*」>д<)」
私は健康系のグッズに軽く20万は投資したわよ!凄いでしょ!笑っていいのよ!今はもう身軽なものよ!全部先生の所に持っていて「何が惜しいか説明して下さい」と戦を仕掛けるくらいの勢いで乗り込んだわ。
ひとつ残らず懇切丁寧に「だから惜しい、だから私は使わないしおススメしない。」と説明されてしまったわ。実際に着用してどう変わるかまで検査で確かめられた。→断言するが先生の方が楽しそうだった。研究材料が沢山やってきたー位の勢い。
先生、ありがとう。1つ1つ証明される度に私はグサッとぶっ刺さったわ!・゚・(ノд<)・゚・
でもこれはきっと必要経費。私が求めていた健康に至る為に必要な儀式だったのだと割り切って頑張るわ!
クラシックバレエをしている娘のケアでお世話になりました。というかなっています。
色々と衝撃的なことがありましたが、やっぱり一番変わったのは娘ではなく私自身。根本的に何かを間違えていたのかな。と自分を見つめなおすきっかけとなりました。
自分自身もバレエをしていたこともあり当然のことながら娘にもバレエを。姿勢が奇麗になる。女性らしさが出る。そういったことを考えて先行投資の感覚です。だから娘の身体のケアには妥協せず。足がつらい、痛いとなった時にはスペンコのセカンドスキンで常に対応。娘の身体を守りつつ、バレエの上達に繋がっていると信じて。
身体に故障を抱える娘、対応する私。いろんな先生にかかり、コストもかなりかけました。東京の先生にお世話にもなりました。でも「受け続ける必要がある」という点でどうしても継続ができず。
そんなこんなでたどり着いたのがこちら。すぐに予約が取れると思って連絡をしたら2週間後が最短。え?なんで?と思ったものの受けたら納得。これは確かに仕方ない。今までの先生と身体の観方?が違う。何か全然違う。視点が違う?
娘の身体を一通り見ていただき、どうすれば状況が改善するかを先生にうかがったところ、先生がかなり遠慮がちに、明らかに娘より私のほうに気を遣いながら教えてくださいました。
「お母さんの頑張りが少し変化球になっている様です」
直訳してもらうと「スペンコを使ってまでケアをされるのは素晴らしい。ただ、スペンコでないと対応できない状況の足をスペンコでカバーしながら継続練習させるのは傷口に塩を塗っている状態です」ということ。
痛み止めを飲んで、体が動くぞと旅行に行っている様な状態。
解熱剤を飲んで熱が下がったー!と旅行に行っている様な状態。
眠剤を飲んで「よく眠れたー!」と旅行に行っているような状態。
身体が「やっと休める」と安心したところに「もう動けるよね、大丈夫だよね」とノーと言わせない状況に追い込んでいる。
それが今の結果だと。
すでにメンテナンスがどうとかの段階は過ぎている、というかその段階のずっと手前にいる。体はもう庇いあいの重ね塗りになっている。
え?え?え?え?
提供される情報に頭がついていかない。私がやっていたことが間違い?でも他の先生はそれでいい、それが正解と教えてくれた。どういうことなの?
今ならわかるけど、当時は全くの見込めず。自分を否定されたような気にすらなって受け入れられず。
先生はそれを見越してのあの気遣いの顔か。納得。私はおそらく納得しないとわかっていたけど、娘のためには言わないと。そのジレンマが顔に出ていたのかな。
いったん持ち帰り、主人と相談。主人は先生の味方。というか娘の味方。何か私が独裁者みたいに感じる。
そこで私はラインを送る。先生に送る。これならまだ冷静になれると思い超長文で送る。
そこに先生はさらなる長文で返す。超長編で1つ1つに返答が来る。ちなみにこれ無料だった。
私は納得しきれないがとてもやさしく、丁寧に正論で論破された。思ったことは信じてみよう。ここまで向き合ってくれた先生は初めて。信じてみよう。
私は何をすればいいのか、どう改めたらよいのか。もう一度色々見つめなおしてみよう。
色んな事をここでリセットした。今ならわかることがたくさんある。
私が何を見ていたのかもよくわかる。ああ、私は必死だったな。娘よりも私のほうがここで整えてもらった気がする。
娘もここでお世話になりましたが、筋肉や神経に問題はないので大丈夫と早々に卒業を。体の正しい使い方を学ぶ為に継続してお世話になっています。
ありがとうございました。
同業者プランです。理学療法士として整体院経営をしています。院自体は順調です。
結果云々よりも、自分がどう感じたかを伝えて欲しいと言われたのでその通りにします。これも先生が言う「認知段階」には大切だと思うので。
自分はこちらの先生に勉強させていただこうと思うまでにかなりの時間を要しました。理由はこちらで目にする同業者の口コミです。何かビビる。自分を否定されてしまうのかと。何かビビる。怖い。勇気が出ない。
でも、自分が独立前の職場で感じていた疑問、そして辿り着きたかった結論がここにある、という半ば確信めいたものも感じ取っていました。口コミから。でも怖かったです。特に「自分を見つめ直す事になる」という部分が。
独立前のあの不安感「自分は何も成長していないのではないか」という感覚的には事実である事に向き合う必要があるのかと不安になりました。できるならそれは嫌だ。豆腐メンタルには辛い。
かといって「さび抜きで」なんて言える訳でも無し。怖いが知りたい。確かめてみたい。不安と興味のシーソーゲームで2年間ほど寝かしていました。
そして満を持しての予約と。自分以外の同志がドンドン突撃をしている姿を見て勇気をいただきました。ここで目にした同業者の口コミは「恐怖」と「安心」の両方を与えてくれました。どっちやねん。な影響力。
取り敢えず、受けて思ったのは「ああ、自分ちっさ」という事です。これ、自分だけでしょうか。先生の説明をきき、実際に施術を受け、そして解説を聞き、最初は一生懸命に耳を傾けます。段々と話についていけなくなります。そして最後は「ふ~ん、なるほどね、そういう形もありかもね」と完全に他人事の様にして眺めていました。そうしないとやってられない。
同じ土俵として考えるとキツイ。自分がやっている事が余りに浅すぎて痛い。ああこれか。これがキツイやつか。
自分の推測ですが、同業者で施術を受けて「ここまでカラダを調べた事無いんだけど」と思わなかった人はいないんじゃないかな。カラダというものや健康というものに対する向き合い方が私達の業界とは根本的に違う。
改めて痛感したのは、私達はやっぱりマニュアル対応が基本だったなという事。1人1人を分けて考えるというより「ヒトのカラダ」という同じモノとしてまとめていた気がします。当事者であったときは可能な限り1人1人に沿った関わりを意識していました。その時はその場所でそう思っていたのです。
もう次元が違うって。ここの関わり方。これがオーダーメードだとしたら、本当にオーダーメードの関わりをしている院なんてどれだけあるんだろうか。自由診療の強みをフル活用されていると思います。だから痛くなる。自分は高単価・高回転率の為に自由診療をしている様な(気にさせられる)のです。それくらいやっている内容が違った。深さも濃さも。
正面から先生の哲学や施術と向き合うのがキツイ。他人事にして冷めた目線で眺めないと自分に跳ね返ってくる。
「人は人、自分は自分」と割り切れるなら一番いい。でも自分の場合は目指しているモノが同じだけにそれができない。先生と同じ頂きを目指している(つもり)なので。
「ここまでする必要ある?」「相手はそれを望んでいるの?」「そこまでしなくても十分じゃないか?」「有難迷惑になっているかも」
途中から自分を守る事に一生懸命になっていました。「だから私は問題無いのだ。ここが異常なだけで」という事にまとめたくて仕方ない。
そして悲しいくらいに答えがその場で出る。
「ここまでする必要はある=常にカラダ全体目線」
「望んでいる相手が集まっている=ニーズに応えている」
「十分どころかまだ足りないと先生は考えている=カラダの更なる探求」
「有難迷惑と感じる人は残らない=単なるミスマッチ」
他の人達がどうかはわからない。知らない。でも自分は先生に質問をして答えを貰うと悲しいくらいに「先生、正論ですよね。私もそう思います」となってしまう。それしか出てこなかった。
そして自己嫌悪になる「ああ、自分ちっちゃ。逃げてるわ自分」となる。
色々と書きたい事は沢山あるが、1つだけはっきりと言えるのは先生のカラダに対する理解度や掘り下げ方はもう専門家レベルではありません。研究者レベルです。
それを支えているのは「知りたい」という探求心と「無責任な事はできない」という責任感。
そう、自分に足りないのはそこなのだと思う。それが一番痛かった。
自分はどうしてこの仕事を選んだのか?独立したのか?この先生の様な情熱が自分にはあるのだろうか?と自問自答したら「そこまでは無い」としか出ない事が一番きつかった。スッとは割り切れない。
なので、自分は最初からやり直しの気持ちで通っている。
本当に靴がはけなくなった。
後、これは忖度無しな話です。忖度無しな話です。自分が生き証人なのでもう一度言います。
忖度無しな話です。
めっちゃ、めっちゃ太腿とお尻?骨盤?が細くなった!ビックリするくらいに細くなりました。本当に。体重はそこまで変わっていません。お腹のお肉はまだある。
あるのに、どうしてズボンやスカートが滑り落ちるの?骨盤から。最初は状況の意味がわかりませんでした。お腹のお肉あるのに、どうしてずり落ちていくの?
先生に聞いたら「奇遇ですね、僕と同じです」と茶化してくる。先生もお腹のお肉を落とす方法を模索しているそうです。一方でズボンがズルズル滑って裾が汚れてしまうとのことでした。
先生曰く「キチンと立って歩けているから」だそうです。お腹のお肉が取れないのは歩行では余りお腹が運動してくれないからだそうで。でもお腹の運動はしんどいので何とかならないかと先生も答えを探していると。やっぱり先生もそれ嫌なんだw
ウェストラインが、というよりミドルヒップ?あたりかな。とにかくサイズが落ちたというより削り取られた様になりました。知らない間にゴッソリと。どうしようウェストラインはまだあって高床式倉庫みたいになっている。そこから下は断崖絶壁みたい。もう少し上まで削り取ってくれたら嬉しいのに。
あと、もう1つ伝えないといけないことがある、あるのです。
「靴が履けなくなった」
これも衝撃的でした。きっかけは「草履」と「ワラーチ」と「フラットシューズ」だと思います。特に前2つ。歩行の練習に入ってからはまずフラットシューズに切り替えて、もっと色々試して見たくて「ワラーチ」へ。でも何か足が痛いのと「ワラーチ専用」の歩き方になっている気がして断念しました。
そして遂に辿り着いた「草履」w まずは部屋履きから。そして夏場だけ草履、更には春にも草履を散歩に導入する私。靴はドンドンフラットなものへ。
身体の事が楽しかったので割とすんなり、でも夢中になって取り組んでいました。楽しかったです。そして1年くらい経ってふと思いました。今の自分が「ウォーキングシューズ」を履いたらどう感じるのだろうか。5本指ソックスを履いたらどう感じるのだろうか。
気付けば遠のいていた「昔日常履きしていたグッズ」が気になった訳で。先生もよく言う「とにかく試そう」が湧き出てきた。
これが私にとっての「あ」です!
靴、ウォーキングシューズです。約お三万円シューズなので性能は確かなはず。誰もが知っている有名メーカーですし。
凄い!凄い跳ねる!羽がはえたみたいに跳ねる!
私は気付く!ここで自分の感覚が完全に変わっていた事を!
「うわ!気持ちわる!」となったのであった!そう「凄い、これ楽!前に進む!」とショップで感動してその場で買ったあの時から考えると何だこの変化。
起こっている事は変わらず。むしろ何が起こっているのかをはっきりと感じ取れる様になりました。そして「感じ方」が全く真逆。
先生がいつも口にしていた事がやっと理解できました。
「靴がカラダの仕事を奪ってる」
私はこれを「靴がカラダを助けてくれている」と感じていました。違うと思う。先生、私やっとわかったよ。こういう事だったんですね。
これだけ「楽」させてくれる靴を履いて歩いたり走ったりしていた私。そうか、そういう事だったのか。何か見える世界がガラッと変わりました。
そして私の試行錯誤は続く。次は五本指ソックスだ!これ1足2,000円なんだけど。履いた、カラダが凄い事になる。え?どういう事?私何かに気付く。
2万円はたいて購入したウォーキングポール出す。使う。身体がとても窮屈になる。え?ナニコレ?どういうこと?
試す試すわ、私が信じた道具やツールの数々。感じ方が全く違う。何で「草履」と「足袋」が一番快適なの私?どうなっているの?
枕も試す、加圧も試す。ずっと仕舞っていたモノをあれこれ試す。ああカラダが教えてくれる。そういう事か。そういう事だったのね。世界がブワッと広がる感じ。楽しいよカラダ!
身体が育つってこういう事?カラダと会話するってこういう事?
先生が家族と仕事で人生が十分満たされるという意味わかる気がする。先生はライフワークになっているんだ。
確かに誰かが「研究者」と書いていた気が。私もそれに同意!完全同意!
突き進むのも、途中下車も自由なこの俊カイロ。私はずっと続けてきて本当に良かったと思います。
一緒に宿題をしている息子の言葉を借りてこの場をしめる。
「ワクワクが止まらない!
自分の中で何かを伝えたい、伝えるべき何かが感じ取れたら書こうと思っていました。半年くらい。
自信をもって「これだ!」と思える出来事をやっと感じ取ることができました。だから私もこの俊カイロ紹介戦線に立つことした。最前線へ遂に進撃だ。
症状は腰痛、肩こり、膝の辛さ。ヘルニア持ちです。一般的な症状に悩むおっさんだと思います。そこらへんの症状は割と早い段階で取れました。
ここは下半身が安定するまで、骨盤が整うまで?は月2回が推奨されます。なので私はそのペースで通っていましたが、2ヵ月目を終わるころには症状の殆どが余り気にならなくなりました。ありますよ、あるけど「日常に困るレベルではない」状態に落ち着きました。
ここに来るまでは色んな院に毎日通ったり、週3回通ったりと頑張った時期もありましたが、ここまでの変化は生まれてくれず。いや、その場の変化だったらそっちの方が大きかった。でも数日で戻るので何度も喜んでは肩透かしを受け、どうしようと悩んでいた感じです。
それに比べるとここは変化がかなりゆっくり、じわりじわりと起こる感じ。自覚しないと見落とす事も十分にあると思います。私が今回伝えたいのは正にそんな感じの変化なのです。
それは何か!
ズバリ、風呂掃除と草抜きです。
最初に気付いたのは風呂掃除、そして意識して感じてみると草抜きも全く同じでした。更にはスーパーから持って帰ってきた一杯に詰まった買い物袋。これもそうです。大きくなってきた子供を抱っこしたときもそう。
全部そう。どれも同じ事だった。
私は今までお風呂掃除は膝を伸ばして風呂の底を磨く癖がありました。楽だったからです。面倒だったからです。膝を曲げるのがしんどかったからもあります。
それが膝を伸ばした状態で腰を折ってお風呂を掃除するのが「凄く辛い」事に気付きました。今まではあれほど「楽」だったのに。屈伸して腰を落とすと「ああ、これだ」としっくりくる。感覚が逆転している。
あ、これが「あ」か。これがその瞬間なのか!知らない間に身体に埋め込まれていたのかと
草抜きも同じ原理。今までは足を真っ直ぐ腰を折ってついやりがちでした。その方が簡単で楽で面倒ではないから。腰をいちいち下ろすのが面倒なんですよね。それが腰を下ろした方が圧倒的に楽になっている。腰も辛くない。
子供を抱っこしてもそう、自分の足が根っこになった様な安心感。子供を抱っこしていない。「ただ立っているだけ」で子供が支えられる。今までは大きくなる子供を前に腰が、腕が、肩がと叫んでいた。
いつからこうなっていた?
これは気付かない限り気付けない(笑。 先生の施術の一番損をしている部分だと思います。これは先生が言葉で伝えても伝わらないわ。だって感覚的な話だもんね。
自分は運良く気付く事ができましたが、気付くまでは「全く自覚がない」状態でした。自分のカラダが切り替わっている事に。たまたま、本当にたまたまその姿勢を思わず取って「あ」と気付いた。
知らないままだったらせっかくできる様になっているのに、しないまま「今まで通り」生活していたかもしれません。変化を自覚することなく。症状が楽になっている事に喜びながら。本質的な変化に気付くことなく。
いや、本当にそれはもったいないわ。
ここ、院じゃないよ。習い事の場所だよ。本当にカラダの使い方を習いに行く場所。
そう考えるときっと俊カイロの価値が100%活かされて、先生の言葉の意味と目的がズドンと響いてくると思う。
最高に良い意味で「全くカイロじゃない」院です。カイロらしいけど。