口コミ
自分は大きな病気をしています。命にかかわる病気です。
手術をして、リハビリもして、今は元気になっていると思いたいですが。でも、以前の自分とは違うわけです。それは自分が一番よくわかる。
以前の自分とは違う。確実に弱っている。だからといって「仕方がない」で済ませたくない。1度きりの人生です。
なら自分には何ができるのか。何をすべきなのか。
前向きに生き抜くためにひつようなこと。
リハビリ中に思い知ったことは「体を使えることがどれだけ普通で特別か」ということ。ここまで身体は衰えるのか。そう嘆きたくなるほどに体の自由が奪われました。
だから、自分の体をキチンと扱える様になりたい。全身の巡りを整えて「内側の力」を最適化させたい。悔いだけは残したくない。
自分の人生、命に賞味期限があると思い知ったからこそこの院の素晴らしさに気付けたと思います。手術前なら選択肢にすら入らなかったはず。
人間は現金なものです。
でも、気づけたことで私はたどり着けた。
ここの施術は痛みとも向き合ってくれます。でもなによりも「命」そのものと誠実に向き合っていると実感できます。「生きる」ということのほうが当てはまるかな。
人の身体と真摯に向き合い、というか私達が向き合える様に寄り添ってくれる。
これこそが「整える」ということの本質だと感じる。
「してもらう」ではなく「できる様に教えてもらう」
地に足つけて生きるということはきっとこういうことなんだ。
私はそう感じている。今では自分の身体もとても愛しく感じれる。
最後まで一緒の「相棒」なのだ。
やっと「AS」にまでこれました。
隔週で通って4か月くらい?
まだ上半身の連結が少し残っていますが、ここに通う前の体の状態と比べると「まったくの別物」になった感が凄いあります。
具体的に何が!と問われると答えに困ってしまうくらい「何か違う」といったふんわりとした感覚です。
でも、確実に別物に仕上がっている。
何が違うか?ある意味で何もかもが違う。どう違うか?それがはっきりしないから困ってしまうw
今まで受けてきた施術は劇的に変化をする一方で、戻りも劇的に早かった。何なら戻るタイミングまではっきりと感じ取れるほど。
ここで得た変化はそこが違う
確かに違う。何かが違う。何より痛みや痺れ感が余り気にならなくなった。というか、というか
気にしていない自分がいた
そこがまさに変化か。今までは探していたのに気付けば「そこじゃない」部分を気にする様になっていた。
歩く時の体重移動とか、立っているときの重心位置とか。先生に言われた事を自分なりに掘り下げることばかり意識していた。
すると「あれ?そういえば痺れで通い始めたんだよな?」と自覚する。
それくらい痺れがいつの間にか静かになっていた。そんな感じの変化がここでは起こります。
ここは施術所ではない。
施術を活用した「身体の学び舎」である。
身体を使うこと、感じ取ろうとすることがこんなに楽しくなるとは全く想像していなかった。
漠然と歩く今迄から、1歩1歩を大切に感じ取る歩き方へ。すると時間が驚くほどにワープする。
歩くでこんなに没頭するとは。
意識改革が知らない間に起きている院でした。
痛みも痺れも今は気にならない。でもランクSSの風景が見たい、たどり着きたい、維持したい。
ご褒美は「健康な体と心」という最高のものだ。
わかってくると身体の面白さが一気に開く。
最初はわからないので、手探りというか何というか。「ホンマかいな」みたいな話に感じる。だってわからないもん。
それが、段々とわかりだすと話が急展開。「こういうことなのかな」と少しずつ腑に落ち始める。
一番びっくりしたのが「サポーター」関係の体感変化。
今までは「つけると楽」だったものが、ある日、本当にある日
「・・・・・あれ?」
と180度感じ方が変わった。つけると明らかに身体に違和感が走る。思うように力が入らない。
「・・・・え?ナニコレ?」と状況を受け止めるまで時間が必要だった。
自分の体に何か悪い状態が起こってるのかと。
そこで気づく。「先生が言っていたのはこのことか」と!
サポーターに助けられていた体がサポーターを嫌がりだす。
今までは「サポーターありき」だった身体が「単独で成り立つ」状態に変わってきた。ということだと解釈した。
試しに1つ1つのサポーターを試す。
靴下、スパッツ、シャツ、アームカバー、靴。
全部、力が抜けていく場所が違う。すごい、これはすごい。今までこんなに助けられていたのか。というか自立できていなかったのか。
全然知らずに生きてきた。
履くと体に走る違和感。特定部分の筋肉が制御を離れる感じ。急に全体としてのバランスが崩れて維持できなくなる。
身体ってここまで繋がりあっているのか。
自分がそこに少し参加できる様になった事が嬉しい。
体は最高の相棒であり、最高のおもちゃだ。人生使い切ってでも使い方を学んでいく価値がある。
どこまで行けるかわかりませんが、できる限り学んでみたい。そう思っています。
健康に関心がある人向けです。
私の他に母親と父親がお世話になっています。
私と母親はカラダにとても関心があり、先生の話がとても楽しいです。宿題もキチンとこなし、目的もキチンと理解しているつもりです。
なので割と早い段階でAAランクに入り、症状もおさまってきました。
問題は父です。
行けば良くなる。良くしてもらえる。
受けてたら良くなる。取り敢えずしておけばいい。
こんな感じで取り組んでいるので私から見ても宿題が「正しく」できていない。でも本人は「しているから」という感じでいる。
結果、何も変わらない。施術の後は楽になるんだけど数日で戻ると愚痴る。
外から見てると良くわかる。
戻るも何も「進んでいないだけ」なんだなと。
先生はここまでお膳立てしてくれているのに、当事者が、当人がこれでは何も前に進まない。
先生が最初に仰る「本人次第」という言葉がドシンと響く。
健康を手に入れたいなら、今までの自分を少しだけ変える気持ちが必要なんでしょうね。
私も母も、今まで知らなかった事、知りたいことが幾らでも学べるのでここは最高です。
でも父にとっては「あれこれさせられる面倒な場所」に映っているのだろうと思います。
他人任せの健康は成り立たない。私は父を見て本当にそう思う。
同業の人間です。
世代的には俊先生のお師匠さんと同年代になります。
私達の世代には職人気質な人間が割といたと思いますが、その中でもお師匠さんは突き抜けていたと思います。その代わり気難しい職人でもありましたが(笑
その職人気質のお師匠の理論をキチンと踏襲し、そこに自分の理論を見事に組み込んでいる。受けていると枝分かれしたポイントが良くわかる。わかるけれどもとても見事に溶け込んでいる。
このお弟子さんはキチンと自分の中に師の教えを馴染ませたなと良くわかる。伝わってくる。
その上で自分の色を色付けしている。
ああ、自分の道を見出された手技だ。見事。
私にはできなかった次世代への継承、それを実際に体験して羨ましく感じました。師の哲学が次の世代の中で息づく。これは私達にとっての1つの理想です。
このやり方が今の時代にマッチするかどうかは別です。でもこの先生は誇りをもって取り組んでいる。そこに後悔はないでしょう。師匠にそっくりです
次世代もまた玉石混交になるのは間違いないと思いますが、それでもこの先生は次世代の玉であることは間違いないでしょう。
知識・技術・先代の知恵・探求心
どれもが先代に負けず劣らず突き抜けています。
恥ずかしながら、私の弟子では足元にも及ばない。
違う。
それだけ。
今までの自分の健康や身体に関しての認識が崩れた。自分が信じていたものがどれだけいい加減なものだったのかに気付かされる。
先生は言う。誰も悪くないと。ただ「足りていない」だけなんだと。
今まで触れてきた専門家と呼ばれる人達と、今目の前にいる先生と。
同じ専門家でもこうも違いが出てくるものなのかと思う。
「味」ではなく「出汁」だ。そこが違うんだ。
この先生はキチンと出汁のひかれた味噌汁みたいだ。深い。ゆっくり飲む程に味わい深い。サッと飲み干すと何も感じない。「ああ旨い」で終わるだけだ。
味わい方を決めるのは誰だ、私自身。
そうか、先生は変わらず目の前にいる。その先生の価値を引き出して活用するには私達自身の在り方が問われるのか。
確かにここは若い世代には向かない院だと思う。もっとこう「噛み締める」「味わうこと」を知った世代が訪れる?たどりつく場所だと思う。
ちなみに
私はスタート時にランク「DD」だったT_T
個人的な感想ですが、身体を通したカウンセリングだなと感じています。
先生の口を通して出てくる言葉は初見で理解できる人はまずいないと思います。
理由は簡単です。余りに深過ぎる。
先生は意図的に全てを伝えてくれます。これが「試されるのは私達」という意味だと思う。
自分のカラダと自分で向き合う気持ちがあるかないか。気持ちが無い・足りていないと情報量に頭がパンクしてしまうと思う。
確かにお任せの院では無いな。
超高性能AIがセットの分厚いカラダの取り扱い説明書
これが私の感じた俊カイロ。
質問を投げかければ何でも答えが返ってくる。こちらから働きかける限り永遠に情報が流れてくる。
でも「読む」のも「聞く」のも「理解する」のも私達自身の「脳」となる。この知的作業が体力を奪う(笑
そうした作業を省きたいから専門家を頼るというのもアリだと思う。ただその場合は間違いなくここではない。
自分を教科書にする。成程なぁと実感する。自分で感じて人は初めて納得する生き物だ。だから自分自身の感覚で腹落ちすることを目指す。
ここで培われるのは付け焼刃の知識ではないし経験でもない。ましてや対症療法でもない。
カラダの根本、感覚の根本に対して働きかけていく。
気付けるか・気付けないか。
求めるか・諦めるか。
決めるのは自由、そして決めるのは私達自身なのだ。
答えを提供されたとき、私達の覚悟の程度が本当に試されている。気がした。
適当に答えをなぞるか
正しく答えを追いかけるか
自分なりの答えで突き進むか。
ここで自分に甘く、都合よく答えを選んでしまいそうな自分がいる。
都合よく選び、都合よく困り、悩み、先生に問う。
そうか、私は真剣に悩み相談をするが先生から見た風景は「今、必要な事が十分にできていない」と映っているのか。
ああ、先生に相談をする前に「すべきことをしたら良い」だけだった(笑
私は割と長く通っています。それは覚えや気付き、納得が他人様よりかなり遅いからです。
でも、先生は何度でも同じことを丁寧に答えてくれる。いつまでも待ってくれているのだ。同じ場所で右往左往している私を。
諦めの悪い自分にはとことん向き合ってくれる先生。
数えきれない失敗と勘違いの中で気付く事。その瞬間に世界が変わる。
「こういうことだったのか」
この感覚は是非味わってほしい。まだまだほんの一部しか見えていない私でも、一気に霧が晴れたかの様な感覚に襲われた。
フワッと視界が広がる様な。
ああ、これが経験、感覚を通して掴んだ感覚なのか。これを先生は伝えようとしてくれていたのか。
私はもっと先が見たい。先生は言ってくれた「伸びしろだらけのカラダ」であると。
「取り返しのつく失敗」を沢山今ここでするべきだと。
「整体」というカテゴリーの院には散々通い続けたけれど、やっと本質的な院に出会えたという実感がある。
身体を整える。
色々なアプローチがあるとは理解しているが、一方的にしてもらう訳でもなく、かといって自分がただ取り組み続ける訳でもない。
確かな情報を得て、進み、必要に応じて習性を重ねていく。
西洋的な「委託」ではなく、東洋的な「委ねる」でもなく。
身体からの情報を読み解き、というより読み解き方を教えてもらい、自分の中の認識の幅を広げていく。
この年齢で確かな学び舎を得られるとは。
誠実な院は今の時代とても得難いものだと思う。
ただ、突きつけられる情報は正確ゆえに残酷でもある。
確かにこれは問答だ。
そして選択肢は常に私達の手にある。
体の使い方を学びたいと思ってお世話になっています。
今ようやく「AA」が安定してきました。
宿題のほうもようやく「連結」に入ってきたところなんですが、その奥の深さに本当にビックり。
共感できる人多いと思う。「あ、これはあれとこれが繋がってここに至るのか!」とやってて気付ける瞬間が楽しい。
まさに「あ」の瞬間。
唐突に気付くんですよ、ふと。本当にふと気づく。
今までの宿題の1つ1つが連結動作の中にいるので、どれかが欠けたら変な動きになるのか。ああ、だから歪みが根付いちゃうのね。と何か色々繋がってくる。
最初、先生の言っている事が全く理解できなかった自分がこうして理解できる様になってきた。
先生は何1つ間違ったことは言っていないと思う。全部繋がってる。
連結の宿題は本当に奥が深いよ。あれもこれもが本当に集大成だ。
力が繋がった瞬間の「あ、これ!」という感じ。力の伝わり方が本当に違う。自分の中を力が通り抜けていく感じ。
ああ、これがご褒美なんだと感慨深い。
こんな院、こんな先生、絶対に他にはないと思う。
だってこんなこと、今まで通ったどの院でも、どの先生も教えてくれなかったもん。
わからないから、と投げ出すのは簡単だと思うけど、わからないなら「わかろうとする」事が大切だと思う。ここに来るなら。
ここはとてつもなく親切で丁寧だけど、とてつもなく厳しい場所でもあるかな。
問われるよ、僕ら自身の体との向き合い方が。
助産師をしています。
先生の前で散々「自然分娩が如何に理想的か」を熱く語っておいて、一方で「すぐに変化が出る技術」を欲しいと熱く語る自分。
自分が既に矛盾していることに気付くじゃなくて、気付かされる恥ずかしさ。
何を必死になっていたんだろう。見失っていただけなのに。
顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。顔真っ赤になってたんじゃないでしょうか。
「先生がお産のできる助産院をしているとして、産気付いた妊婦さんが慌ててきて『何とか今日の2時半までに産みたいです』ってお願いされたら何をどう思い、感じますか?」
唐突にきたこの質問。
私はドヤ顔で答えた
「出産ということを理解してもらわないといけない」
「赤ちゃんは自由であると」
「生まれたいと思ったときにやってくる。だから私達迎える側が待ってあげないといけない」
「その為の助産院であり自然分娩だと思っている」
ここまで鼻息荒く語って私は悟る。ごじょうさとる。
「あ」
お産に関しては「待て、そもそもそういうものではない」と伝えようとしているのに、今自分は「今日の2時半までに産める技術(その場で変化の出せるテクニック)を下さい」と要求している。
言葉に詰まった私に先生が一言
「今、気付けただけでも大したものだと思います」
あんなに恥ずかしい思いをしたのは人生で本当にダントツあの瞬間でした。
先生を通して自分自身を対話していたの?私! 何この禅の世界w
みんな!これが軸がないってことよ!!ご都合主義とか日和見主義ってものなのよ!
私頑張るから!!
100kmウォーキング完歩に向けて通っています。
マラソンはワラーチを履いています。靴だとサブ3.5は安定していたのでそれなりに走れる方だと思っていました。
全部、ここで崩れました(笑
ワラーチも「靴じゃない」という点でええかっこしいが出ていたと思います。いや、出ていましたw
ここで一番苦しんだこと。
それはまさに「認める」ということ。
サブ3.5安定という自負がどうしても認めることができない。この×だらけのカルテを。
「できている自分」を維持しようと必死になってしまう。「だって自分はサブ3.5」だと。
これが「あ」なんだ。
スッとあるとき認めることができた。凄く楽になった。きっかけは何かすら覚えていない。
自己肯定は良いこと、自己否定は悪いこと。そんな印象だったけど
認めるという自己否定は割といいんだと気づく。
自分の至らない部分を認め、受け入れ、埋めていく。
知らなかった体の感覚が今は拾える。
ああ、見えなくしていたのは私自身だったのね。と。
サブ3.5の価値が私の中で溶けていった。私の小さな自負心かw
今はタイムが全く気にならない。それよりももっと別の景色が見えている。
如何に無駄のない、効率的な歩き、走り、そして体の扱いができるか。
先生が200㎞を歩こうとしている理由が今はよくわかる。
先生ならいつか200㎞すら通過点にしそうだ。
身体と共に生きていくって本当に楽しいし奥が深いとやっと気付けた!
僭越ながら。
自分は昨年から「SS」到達しています。
なので状態で言うなら上位5%に入っていると思います。
でも、からだにはさらに先がある様です。自分でも感じます。
それは「悪い部分がある」という訳ではなく「まだまだ伸びる空間がある」という認識です。
ここに来る前の自分の感覚なら「もう完成した」と感じていたと思います。
でも、今の感覚だと「まだ伸びる場所が沢山あるぞ」という感覚です。
ここにきて一番の報酬は
「自分の感覚を塗り替えることができた」
これに尽きる。
自分の感覚が信じるに足るものになった。それまでの感覚は「自分の中」で完結していた狭い感覚だった。
カラだの声を聴く。
これほど素晴らしいスキルはないと思う。
まだまだ磨きたい。
同業です。PT資格持ちの整体院経営です。
今は週1の朝の勉強会に参加しています。
商圏が近い院でしたので前から気になっていました。
口コミを見て関心が出る一方で、受けるのが怖いという感覚も。
知らない方がいい気がする、と思っていたのも事実です。
でも受けて良かったと思います。
私が驚いたこと
1.自分が勤務していたクリニック以上に検査が細かい。施術もきめ細かい。
2.自分が独立の際に受けたPT向けの開業セミナーより遥かに細かい。
受けて良かった、同時に受けて怖くなった両面があります。
自分の余りの丸腰感覚に怖くなりました。
PT資格なんてなんの足しにもなりません。もっと地力をつけて臨むべきだったかも。と怖くなります。
民間資格の世界だし楽勝だろうと甘く考えていた自分が恥ずかしい。
自分が国家資格を持ち、こちらの先生は国家資格をお持ちでない。
世の中の評価は恐らく国家資格持ちの自分を評価すると思います。クリニック勤務といった経歴を含めて。
その現実を知っているから余計に辛くなる。
自分の積み上げてきたものは全て砂上の楼閣に過ぎないと思い知りました。
自分が温室育ちだったこと、それがわかっただけでも十分です。
本当に世界がひっくり返る。本当に。
今まで自分が「よい」と信じていたこと、もの。
自分が「体に良いことだ」と取り組んできたこと。
その多くはテレビやyoutube、インスタから手にした情報な訳ですが、その1つ1つを論理的に解説してくれる。
どうして体にとって望ましくないのか。と。
はじめは「ええええええええ????」だった。
じゃあ何でテレビでしてるの?お医者さんが監修してるんでしょ?
解説しているのお医者さんだったよ??
先生の言葉が刺さる。
「恐らく言っている本人が一番自覚していると思います」
ええええええええええ
でも。
でもね。
実際にそれをやめて、先生の宿題を始めたら。
本当に悩んでいた症状が薄くなっていった。玉ねぎ理論が本当に起こった。
原因ってそれを何とかしようと頑張っていた「それそのもの」だったの?
じゃあ私、今まで一体何をしていたの?
えええええええええ?
本当に世界がひっくり返る。
無料、それはもうそういうことなんですね。
タダより高いモノはない。昔の人はよく言ったものだ。
私は貴重な時間と健康を削り取られていた。ということかT_T
理解できるかどうか。
何を?
先生の話す内容が。
理解しようとするかどうか。
何を?
先生の言葉と自分の身体と。
理解する気が無いなら、ここは止めといた方がいい。先生の熱量に取り残される。
先生は私達を残して先には進まない。何回でも説明してくれる。
問題は聞く側に「理解する意欲」があるか否かだ。
無ければ「理解しようとする素振り」は見せない方がいい。間違いなくお互いに時間の無駄になっている。
受ける側は自分が望む先生を探す事に時間を使った方がいいし、
先生はここを求める人に力を注いだ方がいい。
ここは自分みたいな「知りたがり」が集まるべき場所。
今までは聞いても答えてもらえず、聞いても嫌な顔をされ、聞けなくなっていた。
でも知りたい、納得したい。このモヤモヤをはっきりさせたい。
そういう人間は迷わずここを選ぶべきだ。
自分が作り上げた小さな帝国はここで滅ぶ。
その外側にある豊饒な世界をここで堪能すべし。
自分を変える覚悟があるか?自分が足りないものだらけだと認めることができるか?
健康を取り戻す最大の秘訣。
それは「自分は素人に過ぎない」と認めることだ。それが辛い!何か悔しい!
前から噂だけは聞いていました。
それなりに忙しい整骨院で勤務していますが、うちの院長がこちらの先生の施術を受けたことがあるそうです。
うちの院長、、、、割とプライド高めなのですが、その院長が「うん、あれは比べたらダメ」とだけ言ってそれきり。どんな施術なんですか?と聞いても「あれは無理。考えたくない」しか言わない。
行くしかないですよね。
1回目ですぐにわかりました。私達のような院とは全くの別質。
余りに真っ直ぐというか、誠実というか、正直というか。
話している内容はあまりに細かいので理解できているか、となると自信はないですが、駆け引きめいたものが全く無いです。
本当に情報すべてを開示してくれている感じがします。
次に繋げようとかそういう意思がない。正しく伝えようという意思ばかり感じる。
技術は受けたらすぐわかる。私の働いている院でこの先生に並べる人はいない。触られたらわかる。全然違う。ここまで違うものかとショックを受けた。
知識もわかる。常に先生の口からあふれ出てるw
そして「嘘がない」のもわかる。ここが一番大きい。営業的駆け引きがない。安心できる。
確かな技術、知識、そして誠実であること。
これ以上求めるものって無いじゃん。となった。
後は先生も仰っていた、というか一番悩んでいたと感じたポイント。
「相性」だと思う。
この院の方針、コンセプトにマッチするかどうか。
ここは真正面からオープンしてるから後は受ける側の問題な気もするけど。
ここに至るまで随分と遠回りしました。
健康器具は10万以上、他の院だと合計100万以上
その前に気付きなさいと言われそうですが、わかってくれる人多いと思います。
次こそはと思ったり、期待させられたり。
信じて通って、あれこれ購入して。結果的に良くならないまま、段々と「まだ来るの」みたいな顔をされて。
段々と不信感が芽生えてヤケクソ気味になった時でした、ここを紹介されたのが。
もっと早く紹介して!w でも、最初からここだったら通えていた自信もないです。
自分で考えて自分で取り組む事に耐えられなかったと思う。
そうなんですよね、これだけ沢山の時間とお金を費やしたのは「お任せ」してたら良くなると思っていたから。自業自得だったと思います。
症状は重たいのに、まだ楽して楽になりたいと思っていたのを見透かされたのかもしれません。1回20分くらいの施術を毎日通ったり。
今思うとそれで良くなる訳がないw
そういった話せば止まらない失敗談。それが全部ここで活きました。
先生の言葉が1つ1つ納得、腑に落ちる。何故なら私はその道を通ってきたからw
2週間に1回、宿題をしっかり。先生を信じて取り組んだ結果。
100万以上かけても変化しなかった症状が10万円で旅立ちました。
症状が旅立っただけでなく、自分の身体を感じ取れる様になるというオマケまで。※いやこっちがメインディッシュかw
カラダをキチンと使う事。たったそれだけで今までの先生が匙を投げた症状が何処かへいった。
それでいて先生は言う
「これが人のカラダですよ」と。
ここまで謙虚な先生は今までにいなかったです。
これは本物だ。私は人生を取り戻してもらった。
本当にトコトン向き合ってくれる院です。
あと、二人三脚で取り組む院です。なので「行けば何とかなる」は絶対に無理です。ここに限ってはありえない。
自分のカラダについて、物凄い情報提供が来ますのでそれを受け止める必要があります。受け流して受けてるだけだと本当に何も変わらない。
先生がしてくれるのは「段取りを組む」所までです。そこから先は私達に任せられます。院にいる間だけじゃなくて、予約の間の期間も施術の一部みたいな感じです。※宿題をして煮詰める。
あと、ココも凄い
とにかく向き合ってくれる先生です。ここまで質問に答えてくれる先生は初めてです。どれだけ質問しても途中でしても、最後にしても全部答えてくれます。LINEでも質問し放題。
ここまでキチンと向き合ってくれる先生って見たことありますか?絶対に無いと思います。
「任せる」場所では無いです。「手助けをしてもらう」場所です。
凄い丁寧に手助けをしてもらえます。
皆さんの「あ」はなんでしたか?
私は「歩行」でした。
これは確かにすごい。というかとんでもない。エポックメイキング。
「あ」を迎えたから言える言葉かもしれません。
「あ!」ではないんです。
「あ」です。
これ、経験した人にはきっとわかってもらえる。「!」は無い。
変化が先に起きていて、感覚が後から追いついてくる感じ。だから「あ」なのだと。
「え?いつの間にそこにいたの?」という感じ。
具体的に何やねん?とお叱りが聞こえてきたので具体的に。
私は歩くことが大好きなのですが、膝が悪い。腰も悪い。何なら背中も悪い。
サポーターと湿布は家族です。でした。
それがですよ
まったく膝に負担が乗らない。腰にも乗らない。
「力がスゥ~っと通り過ぎていく」感覚が今はあります。
膝で力が止まらないんです。そのまま足の付け根も通って過ぎていく。
こんな感覚、人生で初めてですよ。そりゃ気づくわけがない。初めての感覚なんだから。
更に驚いたのが
サポーターを外したほうが楽。これには本当にびっくらぎょうてん。
むしろつけてると足が重たい、しんどい。何か変。
先生曰く「それが歩くです。」とのこと。
今まではいろんな道具の力を借りて「歩く」を再現していただけなのだと。
「歩く」様に「動いていた」ということだそうです。
スッとおりてきた。納得した。それなら納得。
歩くことは本当に楽しい。
今はもう歩けば歩くほどに「もっと歩きたい」という感覚が湧き出てくる。
これがきっと身体の声だ。前は「しんどい、つらい、休みたい」だったw
カラダは正しく使えばこうなるのか!凄いよカラダ!
そして、私は割としっかり通ったのでお金は掛かっています。期間だって気付くまでに1年必要だった。※小さな変化は色々感じていましたよ~
でも、この「歩く」を知ったらもう!全然安い!
だって、私の中にノウハウが残っているんですよ。これを得る為に通っていたと考えたら安いもの。
全然安いよ、とても良心的な先生です。
同業者から紹介を受けて予約しました。
自分は東京で整体院をしています。大阪のセミナーついでに受けに来ました。
絶対に東京で開業すべき先生です。
大阪は「安くて良いモノ」の文化です。そこにナニワの美学がある。
東京は「良いモノには価値(貨幣として)がある」という文化です。
大阪では先生は買い叩かれる。実際10,000円でこの施術は流石に無いだろう。
東京に行けば倍で通じる。東京は「映え」にも弱いがそれ以上に「質」にこだわる層が分厚い。
先生はその「質」の要求に容易く応えられるレベルにいる。そうなのです。実際に「応えられる」先生は引く手あまた。
適材適所という言葉があるが、先生の主戦場はここでは無いと感じる。
それくらいに開業場所の空気感と施術の質が乖離している。
勿体ない。
それが正直な感想です。
PS-個人的に衝撃を受けたのは「触診」のレベル。というか、検査のレベルというか。本当に施術も検査も予備動作も区別が無い。全てが同一。生身のワークステーションみたいな先生です。