口コミ
「晴れの国おかやま24時間100キロ歩行」参加組です
歩くを勉強する、試す、ついでに先生の2軸歩行を実際に見て感じてみる。あわよくば100㎞歩く。
盛り沢山の野望と希望を持ちながら抽選、そして無事に突破。晴れて晴れの国岡山に前泊。先生は当日の朝に移動してくるとのこと。私には無理無理。
私はスタート直後はのんびり楽しみ、先生とは後半から合流。先生は「しんがり」をするらしかったので私は前半貯金を貯める旅へと進みました。
先生と合流(というか発見)したのは2つ目の山越え少し手前から。話しかけようかと思ったけれど、私も割と疲れていたこと、先生の集中力が凄かったこと、あと私と同じ立場ぽい人達が先生の後ろを歩いていたので私もスッと後ろにつくことに。さぁ始まるぞ、本物の2軸歩行とのご対面が!!あと、先生本当に草履で歩いていました。ペタンペタンと暗闇に足音が響く。それも一定のリズムで響く。本当に一定。
時速はそこまで早くない。時速4.5~時折5㎞に到達するかどうかののんびりペース。これならついていける。大丈夫だ。と安心したまま山越えに入る私。
ここから差がはっきりと出始めました。
最初は緩やかな坂道が続き、徐々に傾斜が強くなっていく。もう50㎞以上歩いている、更には真っ暗。雨にも降られていたので割と疲労感がドスンとやってきている。足が重い。前に出ない。
というのは私、私達の話で。
先生のリズムは本当に変わらず、速度も変わらず。というか少し上がってない?こちらが落ちてるだけ?同じペース、リズムで進んでいるつもりが段々とついていけなくなる。
え?何で?加速してる? 坂道とか関係なし?
坂道はご褒美です、とは先生は確かに言ってましたが本当ですあれ。先生は坂道の方が楽そうです。坂道を歩いている感じがしない。うんとこしょが全くなく、スルスルと進んでいく。これが2軸か。50㎞歩いてもなおこれか
2軸歩行はSDGsだと、エネルギーロスが最小限になる、カラダを運ぶだけ。坂道の方が股関節に優しい。先生の言葉が先生の歩行を見ていてなるほどな。本当だと。
何が違うのかな。私も考えてあれこれしてみたけど、あんなスルスルヌルヌル歩きにならない。足りないんだろうな。
本当に2軸歩行は凄い。私はそのペースについていけず、途中下車。先生はそのままペース変わらず見えなくなりました。
で、何とか自分のペースでゴール。先生はギリギリまで歩くということなので30分前くらいからゴール前で先生を待つ。
来た。自撮り棒が長いからわかりやすい。
最後のゴール、何事もなかったかの様にテクテク歩く先生。
最後、印象的だったのが殆どの人が「やったー!やっと終わったー!」な感じでゴールをされるのに、先生はテクテクテクテク「ありがとうございました」とこれからまだ続きがあるかのような、今から出勤しますみたいな朝ラン終わった人みたいな感じでした。
ああ、先生まだ余ってるわ。これが2軸歩行の意義なのか!
皆さん、これ草履ですからね。靴じゃないんですよ。
草履、テーピング無し、加圧無し、鎮痛剤無し、カフェイン無し
本当にカラダ1つで100km歩いて、この余裕。先生の言っている言葉は本当でした。自分のクタクタっぷりがそれをより顕著にさせる。
私も2軸マスターしたい!100km歩こうとは思わないけど、延々と縦走したい!
私もおかやま100キロ参加組です。流石に私は草履では無理でしたが、先生と10km程は一緒に歩きました。最初に少しと半分過ぎた頃から少しです。
ペースが変わらない。それがこの100キロにおいてどれだけすごい事か。草履で。それは実際に「自分が歩いて」はじめてわかりました。普通は無理ですって。足が痛い、前に進まない、体が重い、しんどい、疲れる。
なんで先生は淡々と身体が前に出るのか、進むのか。坂道になってもペースが変わらないってどういうことなの?もう50km歩いている状態ですよ。こっちのペースが落ちるので相対的に先生が早く感じる。スイスイ進むので。
これが「歩く」と「運ぶ」の違いなんだと勉強になりました。私はやっぱり「歩いている」訳ですよねこれ。でも先生は「運んでいる」状態なんですよね。その言葉の意味、違い、自分で実際に歩いてみると、先生を追いかけていると本当によくわかります。
そうなると、逆にこれも気づいた。これは大発見だったと思う。
「運んでいる人、、、、殆どいなくない?」
そう、100kmを歩く猛者の人たちもみんな「歩いている」のが良くわかります。体の運びが「運ぶ人」と全然違うんですよね。
ちょっと安心もしました。「先生みたいなステージの人だらけ、って訳でもないんだな」と。ちょっと自分が「できていない生徒」みたいに感じていたので。
2軸歩行というふんわりとした言葉が、目の前で具体的なものとしてあらわれた。その凄さは距離を重ねる程に見えてくる。力にゆだねる、力を流すことによる効率化された移動。凄い綺麗ですよ。淡々と。私達のグイグイとは全く違う。
先生がいつも言っていた、ペタン歩き、足上げ歩行、みぞおち歩行、腕回し歩行、全部見て学ぶこともできました。本当に楽しかったです。
次も出るかと言われると、流石に考えてしまいますが、これだけ沢山の人の歩行を勉強できるとなると先生があちこちの100kmに出ているのも納得しました。
草履で100km歩く先生は、やっぱり「運ぶ人」だと思います。
今、帰りの電車です。
ここにお世話になってから1年くらいかな。痛いのを何とかしたい訳ではなくて、カラダの使い方をキチンと学びたいと思ってきました。
どうしてここに来たのか。それは「姿勢矯正」と「姿勢改善」をピラティスと整体がセットの先生のところで1年間続けて「綺麗」と褒められる姿勢を手に入れた一方で「背中がつらい」「首肩が何か辛い」といった副産物がやってきたからです。
綺麗な姿勢はゲットできたのにどうしてこんな違和感がやってくるのか。姿勢がドンドン綺麗になっていくにつれて違和感が増えていく、それが違和感。そんな「何か変」な状況が続いていたので何とか状況を変えたいと思ってこちらの院にお世話になる事に。
それまで通っていた先生もとても優秀な先生だと私は思うのですが、今にして思うと「綺麗な姿勢」を如何に作り上げるかが専門だったのかな?と思う事もあります。やっぱり得意分野がそれぞれで違うんでしょうね。綺麗な姿勢と健康が必ずしも一致する訳ではない事を当時の私は知りませんでした。思いつきもしなかったです。
で、こちらにお世話になる事に。エキテンの口コミを見て決めました。何せ長い。濃い。何かもう通っている人の熱量が違う。それで十分ですよね。理由としては。
実際に通って思いました。熱量が高い人ばかりが集まる訳だ。先生の熱量はこちらの10倍くらいあります。カラダの事が大好きな先生だとすぐにわかる。カラダの事を話している先生はとても楽しそうです。「知って欲しい」というオーラを隠し切れていない。「ね?面白いでしょカラダって」というノリで物凄い量の情報が流れてきます。全部が「私のカラダ」の事なのですが、肝心の持ち主である私がお腹一杯状態に。50年以上生きてきた人生の中で、ここまでの情報量に触れたことは無かったです。これホント。
きっとここに来た人皆、そう感じるのではないでしょうか。「こんなに情報が溢れたのは人生初だ」と。少なくとも私はそうでした。
同時にこう思ったのです。
カラダってこんなに沢山の情報から成り立っているのだとしたら、この半分にも満たない情報量でカラダを整えようとしていた私の今までって正解と言えるのだろうか??と。
それなりに取り組んでいるつもりでしたが、実は俯瞰的にみると「圧倒的に足りていない」という現実の中にいたのではないか?と。そんな風に感じてしまいます。
そういう意味では真面目に取り組んできた人程、最初は辛くなるかもしれません。ニコニコしながら楽しそうに、私の50年分を軽く超えてくる情報量を先生は流し込んでくる訳ですから。
でも、通って良かった。
1年経った今、今日は少し変わった下駄を履いたり、幾つかの靴を履き比べたりしましたが、わかるんです。1つ1つの履物ごとに使う筋肉が変わる自分が。
靴1つ、靴下1つ、そして着るもの1つ、何か1つ変わるだけでカラダの中に通る力の流れが確実に変わる。そんな事今までは感じる事は無かったですし、そんな変化があるなんて思いもしませんでした。
それがわかる。こんなに違うのかと。
それがわかるという事は、先生が言うには「裸足が基準になった」という事だそうです。だから余計に小さな変化を拾い上げる事ができると。
先生に褒めてもらうと嬉しくなります。先生に認めてもらえた様な気がして。でも、あの変わった下駄はまだ無理です。私には無理。小鹿ちゃんの様に立つのが精一杯。
でも先生は涼しい顔して立ってスキップまでしています。解説をしながら何か試している。そんな余裕が私も欲しい。
決して難しい訳では無く、理解をして馴染めば誰でもできる。誰だってできる事だけで健康は成り立っている。
先生の言葉は本質的で芯に響く。私もまだまだ頑張りますよ~
先生について、歩行訓練の集大成をしてきました。
「晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行」
先生が参加されるとのことだったので、私もあとから参加を表明。先生と一緒に「2軸練習」の総仕上げのつもりで参加しました。
が、私は途中から靴にシフト。草履だとカラダが前に進まなくなったので割と高級靴へシフトする。すると・・・驚く程にカラダが跳ねる跳ねる、前に運ばれる。靴ってこんなに「歩く」を助けてくれていたんだと気付いた。
一方の先生は本当にペースに変化が無い。最初も最後も、山越えですら。本当に淡々と歩く。気分に合わせてのんびりしたり、淡々とペースを刻んだり。ペースがいつまでも自由自在。そんな感じでした。
靴を履いている私はヘロヘロなのに先生は草履でスイスイ。これが「自分で歩く」を極めた人なのか。私は「靴」というテクノロジーを活用して先生についていく有様。前半は「私の方が先生より早いペースじゃん」と思っていたのですが、完全に思い上がりでした。
私は自分で歩いてきた訳じゃなかった。道具に助けられて歩き続けてきた。それがいつのまにか「当たり前」になっていたんですね。
草履を履いたら「しんどい」のは「テクノロジー」の助けが得られないから。「ヘルプありき」で長くい過ぎた。
自分の「歩行」はまず「自分自身の歩行」では無かったと学びました。沢山の下駄をはかせてもらった状態の「歩行もどき」だった様です。
自分自身の力で歩く。私はそれを身に付けたい。私は心拍が凄い上がって汗だくでした。
でも先生は涼しい顔して汗何て背中くらいでした。心拍もとても安定していた様です。とにかくその差が凄い。
綺麗に歩く、自然に歩く、自分自身で歩く。
それができたら穏やかに、滑らかに、ロス無く歩く事ができるはずだ!
実体験として現場でその差を実感できてよかったです。やっぱり本物の歩きは違う。ヌルヌル無駄なく歩いていました。
目指せそこ!
一般的な整体院やカイロプラクティックと思って行ったらダメです。「あれ?」となります。
基本的にここに来た方が良い人、来るべき人は
1.カラダのことや健康に関心がある
2.カラダの使い方に関心がある
3.自分で取り組むことが苦じゃない
4.正しい情報を知りたい
5.最短距離をすすみたい
こんな感じでしょうか。これに該当しない場合は多分,この院の方針と噛み合いません。決めてもらいたいからここに来た、やって欲しいからここに来た、という人には「ただ、高くて長い」になるはずです。
逆に噛み合う人にとっては「2時間が一瞬」「もっと知りたい」「早くここに来ればよかった」「安い」となります。私はこっち側でした。これだけの内容と情報量がこの金額。正直あり得ないと思います。ただ、とても難しい内容でもあります。初めて聞いて理解できる人なんて絶対にいません。
わかりやすく説明をするのが専門家、という考えではなくて「可能な限り圧縮した正しい情報を届けること」が専門家だという考えみたいです。先生に聞いたら「省略すると大事な部分から削られる」と仰っていました。
痛みをどうにかしようとする院ではありません。痛みが出ているからだと対話していきましょうという感じです。なので先生自身は痛みそのものの分析はしますが「痛くなくなったでしょ?」「楽になったでしょ?」という施術は無しです。でもカラダはふんわり軽くなります。
もっと大きい枠組みで物事をとらえている先生で、1回で何とかしようという考えも無いです。来るか来ないかは任せられ、先生はその時必要な事をするという感じ。積み重ね型です。初回の検査量は確かにすごかった。200カ所というより、200項目という感じでしょうか。検査が凄い滑らか。スマートというか。
施術はリハビリと整体とストレッチやカイロみたいなものが入り混じった感じです。先生の理論に技術が随時組み込まれている様な感じでした。
凄い量の検査をして、凄い勢いで先生がカラダの状態を分析して、質問をされたりして、結果的にはカラダの状態と何が必要かという取り組みの検討が始まります。
これを1人でやっているんですよね、この先生は。ワークステーションみたいな計算能力なのか新型AIなのか。私が今までに受けたものとは全くの別物でした。何が違うか?根本的に違うんですよね、根本的に。受けたらわかる。受けなければわからない。
なのでここは「何とかしたい!」「でもどうしたらいいの?」「間違えるのが怖い」といったちょっと壁にぶつかっている人が選ぶと最高の院だと思います。
先生の知識が凄いというより、先生が私たちに代わって、私達の体に直接聞いてくれます。それを先生が〇×をつけてわかりやすくしてくれたり、イラストに起こしてくれたりして「見える化」をしてくれます。
そこから進むかどうかは貴方次第、とそこで投げてきます。行動を強要することもないです。お任せしますという感じ。前に進みたければ取り組んでまたくればよし、途中で終わるのも自由、。全部が自分で決められます。
このあまりに自由な状態を良しとできるか否か。全部を任せたい人は絶対に向かないです。
答えを知りたい、サポートして欲しいという人には最高の場所です。先生のおっしゃる健康のパーソナルトレーナーという言葉はその通り!私もそれがぴったりハマると思う。
ここに通い始めて半年くらい。
私の健康ピラミッドはSAです。「歪み」と「使い方」はもう問題無しまでやってきました。
今は「立ち方・歩き方」の運動制御?を練習しているところです。これが本当に難しい。癖ってこんなに厄介なの?と毎日思いながら練習しています。
割と自分は到達したんじゃないの?と思いあがったところで出てきたラスボス。あの一本下駄後歯バージョン。できてると思ったらまだまだという現実。カラダって本当に奥が深いですよね。
で、私が何を言いたいのか。それは自分のカラダ自慢じゃないのです!したけど。
それよりも、ここに通おうとしている人、あるいは通っている人に伝えたいのは「一度、自分の中身をリセットしよう」という事です。
私は沢山の健康情報に触れ、集め、実践して、自分の中には「厳選シリーズ」がありました。立ち方、座り方、歩き方、栄養等について。もうこれ以上は無いだろうというくらい。
そしてその組み合わせで自分の健康を創り上げた、それこそ育ててきたという自負があったのです。参考にした情報だって凄い人気のあるものばかりでしたから。
でも、健康ピラミッドAAあたりで停滞していた私のカラダ。それを縛り付けていたのは他でも無い私が集めて厳選していた「スペシャル教材」の数々でした。
先生が「おかしい、何かが足を引っ張っている」と頭を悩ませていた時、まさか、いやまさか関係ないよね。と口に出す事を躊躇っていた「自分流の取り組み」の数々。
先生は「ドンドン試して」と言っていた。だから試している訳で問題ないよね。と口に出せずにいました。出したら良かったんです。先生が取り組みとカラダとの間の検証作業をしてくれるから。
言えなかったのは何となく自覚していたから。多分これだ。と。怖くて言えない、自分の歴史が崩されてしまう。でも足踏みしているカラダを前にすると言わないと・・・とも。
先生からは「思い当たる節はありますか?」と言われるばかり。思い当たる節があるのに「さぁ・・・・」と言うのもしんどい。
結局は「あのぅ・・・・こういうのしていますけど、関係ありますか?」と白状する。先生は具体的に細かく聞いて「なるほど。そういうことですか」と納得する。
ああ、やっぱりそうか。先生の「他には何かありますか?」に観念して全部伝える。先生は別に指摘をする事も無く、ただ内容を聞いて幾つか質問を重ねてくる。答える私。何ならデモンストレーションまでする私。
先生は1つ1つ、私が仕入れて大切にしてきた厳選リストを何がどう問題なのか、惜しいのかを丁寧に、しかも敬意を払って伝えてくれました。間違えた訳では無くちょっと惜しいだけだと。全部が経験になるから大丈夫と。
私の厳選リストは98%が修正対象、でも修正をしてもらって新たに生まれ変わりました。これで思う存分に取り組める。でも、これって全部宿題でもできる事やんか。とも気付く。
ああ、先生の宿題って本当に良く考えられてるんだ、と納得。
餅は餅屋だよ。私達がどれだけ考えて頑張っても足元にも及ばない。最速でカラダを作り直したいというなら、先生を疑う事より信頼する事に注力した方がいい。
信頼できないならトコトン質問したらいい。全部答えてくれます。通う前でも通っている時でも。本当に全部答えてくれます。
中途半端に指導と自分の拘りを混ぜ込むと、私みたいに「詰まり」が生じて時間が余計にかかります。自分で詰まりを作って「自分じゃない」と思っている時間。それが一番のロスだと思う。
ここでお世話になる上で最大のポイント。それは先生が良く言う「認知」だと思う。「自分は自分が思っている以上に、実はよくわかっていない。」という事。更には「わかっているつもりになっているだけ」である事。
先生はそれを強く指摘しません。「気付いてね」と遠回しにしています。きっと自分で気付く事、認める事が大切なんだと思います。
それが途中で「どん詰まり」を起こした私からの「これから」の皆さんへのメッセージで~す!
引き続き2軸歩行頑張ります~!
ヨガの先生から紹介されました。先生が知る限り、最も信頼できる専門家だという最上級の誉め言葉でした。「もちろん、私も通っています」と。あと「私よりヨガ教えたらきっと上手、大切なことをキチンと伝えてくれる先生」とも。
ちょっと褒めすぎでしょ、と生徒皆で笑っていました。
でも、とても印象的な言葉があって、
「使い方もそうなんだけど、知らなかったこと、気付いていなかったことに沢山気づかされた。マインドフルネスって私は言葉だけを伝えていたと思う。ごめんなさい」と。
私たちからしたら達人の先生がそう思うくらいの世界。ちょっと想像がつかない。でも先生から湧き出る「本当にいい先生なのよ」オーラもすごい(笑
後で聞いたらある日突然出てきたストレッチボード?もここの先生の影響らしい。更には準備体操が少しずつ変わっていったのもここの先生の影響らしい。
何かヨガの先生が「専門家の皮」を抜いだような。清々しい感じが印象的で。
とっても興味がわいたので私も紹介してもらいました。
LINEで予約、メールで問診表が届いて、当日はスムーズに進行。
整形外科みたいな検査がどんどん進んで、あっという間の2時間。私は質問を割としていたので2時間半くらいかかりました。
次の方が待っていたのでお詫びをせねば、と思っていたらなんとすれ違わない対策がされていました。なんということ!
先生にお詫びを伝えたら「構いません、お互い様ですから」と。いい感じに緩くて助かる。
凄い×だらけのカルテとピラミッドが後で送られてくる。これは壮観だ。ヨガの先生が言っていたのがこれね。
カルテはちょっと専門的過ぎてわからない。でも〇×△で状態の傾向はわかりやすい。何よりピラミッド。これがとてもわかりやすい。
これを埋めていく作業になるのね。なるほどなぁ。
宿題:ストレッチボード
出てきた!ここで出てくるのか!と感動。受けるー宿題ー受けるー宿題のループ。埋まるピラミッド。変わるからだ。感覚はぼんやり。
変化に気づくのは人それぞれとのこと。私はどんな感じで気付けるのかなぁと思っていましたが、ヨガで気づきました。そう、ヨガで。足元の世界で。
感覚は同じ。でも外からは綺麗に安定しているそうです。先生にも褒められました。やったー!
でも、どうして?ヨガの練習なんてしていない。あ、そうかこういうことなのね変わるって。知らない間に安定感が増していた。そういうことなのね。
だから先生は「意識は使うではなく感じるほうに」と言っていたんだ。あ、本当だ。それってヨガの先生がいう「マインドフルネス」そのもの。
感覚が変わらないのは感じ方を今まで通りにしていたからなんだ。少し身体に耳を傾けてあげる、ああ、こういうこと。そういうこと。
歩いても立っても階段でも坂道でも、体って色んな言葉を発している。全部違う。今までは一緒だと思っていた。こんなに違うの。これは知らなかった。
体と会話する、体が教えてくれる。
先生が仰っていた言葉の意味が少しわかったとき、一気に楽しくなりました。ヨガも今までと全然違う。「ただするだけ」じゃないし「ただ、ポーズをとるだけ」でもない。それぞれの形からの声を聴く。上下、左右、足の裏。
これは楽しい。次のポーズに移る前にもっと聞きたい、知りたい、確かめたい。
感覚が変わるよ、本当に。身体を知るってこんなに楽しいんですね。ヨガの先生の気持ちがわかる。この感覚を共有できる仲間がたくさんほしい!
看護師です。こちらにお世話になった理由は1つ。確かめたかったから。自分が勤めるクリニックの先生が何故か一部の患者さんにこちらの院を紹介している。
全員ではなく一部。何でだろう?と先生に聞いてみたら「あの院を求めている人だと感じたら紹介している」とのこと。同時に「そうじゃない、という人には意味不明な場所になっちゃうからねw」と笑う。
ちょっと意味が分からない。先生は年4回通ってカラダの状態を診てもらっているそうです。「後は自分でやってみてください、なんて言われたら逆に不安になっちゃって」と。
何か変わった対応だな、と気になってました。
その後、先生が紹介する人としない人を自分なりに分析していると「質問の多い人」に多い気がする。
益々気になる。これが始まりです。先生に「私にも紹介してもらえませんか?」とお願いしたら「いいよ」と快諾。紹介だと予約が早いそうで、紹介してもらえる事に。
初診の前にオンラインで問診表が届く。おぉ時代だ。これは確かに効率的。そして初回に臨む。
ああ、ここは賛否が分かれるわけだ。
初めて受けた日、私はこう感じた。「だから賛否が分かれるのね」と。そして先生が紹介する人を分けていたのも納得。先生は良くも悪くも「選別」していたんだなと。
私が感じた俊カイロを紹介したいと思います。選ぶ際には参考にしてもらえたらと思います。
〇事実が淡々と流れ込む
医療系の資格者が受けたらすぐにわかると思います。ここは淡々と「医学的な事実」が情報となって流れ込みます。何一つ「抽象的」なモノが無い。先生が思う・感じる情報ではありません。医学的な検査を行い、その結果を淡々と先生が伝えてくれる。そこに「私はこう思う」という先生の考察が入るだけ。あくまでソースは私達患者のカラダがどう示したかであり、正常と比べてどうなっているか。更にはそれは一体どういう事を示しているのか。
難しいのは検査が繋がり合っている事。これは私も今まで勤務した病院・クリニックで見た事がありません。複数の検査を組み合わせて、カラダの状態を全身単位で管理・把握されます。リハの先生などは理屈として理解はしていても時間的な制約でここまで検査・確認はできないはず。していたら仕事が回らない。
120分を長いと感じる人は途中で感じるはずです。「あっという間」だと。もしも「長い」と感じる人はそもそもカラダに関心が無く結果を求める人だと思います。(だから先生は選んでいたのかと思う)
〇教えてくれるが委ねられる
ここは検査・検査・検査でカラダを隅々まで調べて、「今、どの様な状態か」と「今、何が求められているか」を炙りだしてくれます。そしてここから先が独特。
「じゃあ、これやってきてください」
そう、完全にこちらに委ねられます。「在宅ターン」と呼んでいました。今、院でできる事は全てやり切りました。次はご自宅であなたが取り組む番です。そしてそれをこなした上で次に臨んで下さい。
「院に来たら完結」ではありません。宿題が出て次のステップに進む感じです。でもそれが何故必要なのか。それは先生が全て説明してくれます。更にはカルテで教えてくれます。ピラミッドでも教えてくれます。更には宿題には動画がある。
「至れり尽くせり」で「後はやってきて」という不思議な投げ方。
自分で行動できない人には確かにキツイ。多分続かない。でも自分のクリニックを鑑みても納得する。「決めてもらいたい人、来て安心するだけの人はもれなく慢性化する」という現実は散々見てきた。
そうか、本当に抜け出したい、手間を惜しまないという人を見極めてうちの先生は紹介をしていたのか。納得。
〇やると変わる
実際に宿題を頑張る。といっても1日90秒×2くらい。別に気にする程度でもない。でも確かに変わる。それは納得した。
今までヨガやピラティスは通った。パーソナルも頑張った。でも変わったのは頑張っていた期間だけだった。そういう意味ではこの宿題も同じかもしれない。でも「たったこれだけ」で起こるには贅沢な変化だ。
きっと先生がいう「適切な順番」で取り組んでいるからなのかなと納得。自分のやりたい場所から、なんてうまくいかない。そりゃそうか。
自分を通すのか、カラダの声に耳を傾けるのか。それなりにカラダを理解・実感している人でないと確かに無理だ。我慢できなくなる。
〇専門家を頼れる人でないと
私なりの結論
ここはまさに専門家が待っている。だからこそ専門家に依存する・委託するではなく「頼る」形で関われる人が望ましい。
委託・依存の人は勤務先でその結末を見続けている。何も変化無くそこに居続けている。
本当に変わりたい人、変われる人、その人に道を示す為の場所なのだ。
私は1人納得したのであーる!
引っ繰り返りました。何が?何だと思う?意識が?知識が?感覚が?
全てが!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
正直ビックリを通り越して「ポカン」の効果音の方があっている気がする。知らない事ばかりで自らわき道にそれて、それでいて達成感だけはしっかりあった。ここに来るまでは。何なら最初の方は先生の意見すら「ああ、そういう考えの人ね」くらいにマウント取っていた気がする。いやそうしていた丶(>Δ<)ノ
何故なら私にはインスタにyoutubeという最強のサポーターがいたからである。この再生回数が間違いを示す事なんてあるものか!と信じていたのだ。丶(>Δ<)ノ
だから先生からの検査、宿題をうまくできない事は「要求がウルトラハードだから」という事にして「できる人の方が少ない」と思う事にしていた。人間とはそういう生き物である。少なくとも私はそうなのである。
そんな私がどこで変わったのか?それは「お尻」である。
お尻の筋肉を使える様になり、感覚がやっと掴める様になった時、今までの宿題が何故か急に身近になった。「これはできて、何であれはできない?」先生は全てできているのに。
そこで初めて先生の説明が届く様になった。というか染み込んできた。∩(>◡<*)∩
そうか、だからできないのかと。
じゃあ何故できない?できる様に頑張っているのに。お尻はできてこれはできない理由は何?ι(´Д`υ)
「あ」
ここで私も気づく。先生、それ説明してた。私は聞き流していた。「ふ~ん」と。
まさか「あれ」と「これ」と「それ」ってこと?ι(´Д`υ) 私が信じてやまないあの神のグッズ達?
半信半疑で試してみる。それらを日常から放し、ケアを少し変えてみる。カラダの感覚はそこまで変化はない。
でも、検査結果が全然違っていた。確かに前と全然違う。「先生。同じ力でしてますか?」と何度聞いた事か。
でも日常では何も変わっていないぞ?どうして?
「あ」
先生はこれも説明してくれていた。私はスルーしていた。ヾノ≧∀≦)
うわぁ、先生の言う通りじゃん。ドツボだったじゃん私。今までの私の健康意識は何だったのか。自ら地雷原に飛び込みお布施をしていたというのか。余りに滑稽じゃなかろうか。
先生は確かに優しい。茫然自失な私に「それが活きた経験になる」と素敵な言葉。私復活。無駄にならないのね!ならいいわ!ヾノ≧∀≦)
日常に変化が無いのは「日常で使っていない」から。つまりはそれだけ動かす範囲が狭いから。狭い理由は生活の幅が狭くなっている、便利な道具に仕事を任せているから。検査は可能な限り全身の筋肉を使うから変化がわかりやすい。
つまり
つまり
つまり
使える様にはなっているけど、日常では使っていないという事。それがどういう意味を持つのか。ここまでくれば私にもわかるわ!\( 'ω')/
だから腰痛も肩こりも、浮腫みも中々取れなかったのね。だからなのね!
道具で何とかしようとして、大事な仕事を任せて、私はぬくぬくと変化だけを待っていた。任せた分だけ本質的な力が落ちていくというのに。ああ、知らないって本当に無謀だわ。そういうことを小学校で教えてもらいたかったわ。
そう言えば最初に先生言っていたわ。
「自分を変えないと、カラダは何も変わらない」
答えは最初からそこに。結局は私がそれを受け入れるかどうか、だけの問題だったじゃーーーーん!(*」>д<)」
私は健康系のグッズに軽く20万は投資したわよ!凄いでしょ!笑っていいのよ!今はもう身軽なものよ!全部先生の所に持っていて「何が惜しいか説明して下さい」と戦を仕掛けるくらいの勢いで乗り込んだわ。
ひとつ残らず懇切丁寧に「だから惜しい、だから私は使わないしおススメしない。」と説明されてしまったわ。実際に着用してどう変わるかまで検査で確かめられた。→断言するが先生の方が楽しそうだった。研究材料が沢山やってきたー位の勢い。
先生、ありがとう。1つ1つ証明される度に私はグサッとぶっ刺さったわ!・゚・(ノд<)・゚・
でもこれはきっと必要経費。私が求めていた健康に至る為に必要な儀式だったのだと割り切って頑張るわ!
クラシックバレエをしている娘のケアでお世話になりました。というかなっています。
色々と衝撃的なことがありましたが、やっぱり一番変わったのは娘ではなく私自身。根本的に何かを間違えていたのかな。と自分を見つめなおすきっかけとなりました。
自分自身もバレエをしていたこともあり当然のことながら娘にもバレエを。姿勢が奇麗になる。女性らしさが出る。そういったことを考えて先行投資の感覚です。だから娘の身体のケアには妥協せず。足がつらい、痛いとなった時にはスペンコのセカンドスキンで常に対応。娘の身体を守りつつ、バレエの上達に繋がっていると信じて。
身体に故障を抱える娘、対応する私。いろんな先生にかかり、コストもかなりかけました。東京の先生にお世話にもなりました。でも「受け続ける必要がある」という点でどうしても継続ができず。
そんなこんなでたどり着いたのがこちら。すぐに予約が取れると思って連絡をしたら2週間後が最短。え?なんで?と思ったものの受けたら納得。これは確かに仕方ない。今までの先生と身体の観方?が違う。何か全然違う。視点が違う?
娘の身体を一通り見ていただき、どうすれば状況が改善するかを先生にうかがったところ、先生がかなり遠慮がちに、明らかに娘より私のほうに気を遣いながら教えてくださいました。
「お母さんの頑張りが少し変化球になっている様です」
直訳してもらうと「スペンコを使ってまでケアをされるのは素晴らしい。ただ、スペンコでないと対応できない状況の足をスペンコでカバーしながら継続練習させるのは傷口に塩を塗っている状態です」ということ。
痛み止めを飲んで、体が動くぞと旅行に行っている様な状態。
解熱剤を飲んで熱が下がったー!と旅行に行っている様な状態。
眠剤を飲んで「よく眠れたー!」と旅行に行っているような状態。
身体が「やっと休める」と安心したところに「もう動けるよね、大丈夫だよね」とノーと言わせない状況に追い込んでいる。
それが今の結果だと。
すでにメンテナンスがどうとかの段階は過ぎている、というかその段階のずっと手前にいる。体はもう庇いあいの重ね塗りになっている。
え?え?え?え?
提供される情報に頭がついていかない。私がやっていたことが間違い?でも他の先生はそれでいい、それが正解と教えてくれた。どういうことなの?
今ならわかるけど、当時は全くの見込めず。自分を否定されたような気にすらなって受け入れられず。
先生はそれを見越してのあの気遣いの顔か。納得。私はおそらく納得しないとわかっていたけど、娘のためには言わないと。そのジレンマが顔に出ていたのかな。
いったん持ち帰り、主人と相談。主人は先生の味方。というか娘の味方。何か私が独裁者みたいに感じる。
そこで私はラインを送る。先生に送る。これならまだ冷静になれると思い超長文で送る。
そこに先生はさらなる長文で返す。超長編で1つ1つに返答が来る。ちなみにこれ無料だった。
私は納得しきれないがとてもやさしく、丁寧に正論で論破された。思ったことは信じてみよう。ここまで向き合ってくれた先生は初めて。信じてみよう。
私は何をすればいいのか、どう改めたらよいのか。もう一度色々見つめなおしてみよう。
色んな事をここでリセットした。今ならわかることがたくさんある。
私が何を見ていたのかもよくわかる。ああ、私は必死だったな。娘よりも私のほうがここで整えてもらった気がする。
娘もここでお世話になりましたが、筋肉や神経に問題はないので大丈夫と早々に卒業を。体の正しい使い方を学ぶ為に継続してお世話になっています。
ありがとうございました。
同業者プランです。理学療法士として整体院経営をしています。院自体は順調です。
結果云々よりも、自分がどう感じたかを伝えて欲しいと言われたのでその通りにします。これも先生が言う「認知段階」には大切だと思うので。
自分はこちらの先生に勉強させていただこうと思うまでにかなりの時間を要しました。理由はこちらで目にする同業者の口コミです。何かビビる。自分を否定されてしまうのかと。何かビビる。怖い。勇気が出ない。
でも、自分が独立前の職場で感じていた疑問、そして辿り着きたかった結論がここにある、という半ば確信めいたものも感じ取っていました。口コミから。でも怖かったです。特に「自分を見つめ直す事になる」という部分が。
独立前のあの不安感「自分は何も成長していないのではないか」という感覚的には事実である事に向き合う必要があるのかと不安になりました。できるならそれは嫌だ。豆腐メンタルには辛い。
かといって「さび抜きで」なんて言える訳でも無し。怖いが知りたい。確かめてみたい。不安と興味のシーソーゲームで2年間ほど寝かしていました。
そして満を持しての予約と。自分以外の同志がドンドン突撃をしている姿を見て勇気をいただきました。ここで目にした同業者の口コミは「恐怖」と「安心」の両方を与えてくれました。どっちやねん。な影響力。
取り敢えず、受けて思ったのは「ああ、自分ちっさ」という事です。これ、自分だけでしょうか。先生の説明をきき、実際に施術を受け、そして解説を聞き、最初は一生懸命に耳を傾けます。段々と話についていけなくなります。そして最後は「ふ~ん、なるほどね、そういう形もありかもね」と完全に他人事の様にして眺めていました。そうしないとやってられない。
同じ土俵として考えるとキツイ。自分がやっている事が余りに浅すぎて痛い。ああこれか。これがキツイやつか。
自分の推測ですが、同業者で施術を受けて「ここまでカラダを調べた事無いんだけど」と思わなかった人はいないんじゃないかな。カラダというものや健康というものに対する向き合い方が私達の業界とは根本的に違う。
改めて痛感したのは、私達はやっぱりマニュアル対応が基本だったなという事。1人1人を分けて考えるというより「ヒトのカラダ」という同じモノとしてまとめていた気がします。当事者であったときは可能な限り1人1人に沿った関わりを意識していました。その時はその場所でそう思っていたのです。
もう次元が違うって。ここの関わり方。これがオーダーメードだとしたら、本当にオーダーメードの関わりをしている院なんてどれだけあるんだろうか。自由診療の強みをフル活用されていると思います。だから痛くなる。自分は高単価・高回転率の為に自由診療をしている様な(気にさせられる)のです。それくらいやっている内容が違った。深さも濃さも。
正面から先生の哲学や施術と向き合うのがキツイ。他人事にして冷めた目線で眺めないと自分に跳ね返ってくる。
「人は人、自分は自分」と割り切れるなら一番いい。でも自分の場合は目指しているモノが同じだけにそれができない。先生と同じ頂きを目指している(つもり)なので。
「ここまでする必要ある?」「相手はそれを望んでいるの?」「そこまでしなくても十分じゃないか?」「有難迷惑になっているかも」
途中から自分を守る事に一生懸命になっていました。「だから私は問題無いのだ。ここが異常なだけで」という事にまとめたくて仕方ない。
そして悲しいくらいに答えがその場で出る。
「ここまでする必要はある=常にカラダ全体目線」
「望んでいる相手が集まっている=ニーズに応えている」
「十分どころかまだ足りないと先生は考えている=カラダの更なる探求」
「有難迷惑と感じる人は残らない=単なるミスマッチ」
他の人達がどうかはわからない。知らない。でも自分は先生に質問をして答えを貰うと悲しいくらいに「先生、正論ですよね。私もそう思います」となってしまう。それしか出てこなかった。
そして自己嫌悪になる「ああ、自分ちっちゃ。逃げてるわ自分」となる。
色々と書きたい事は沢山あるが、1つだけはっきりと言えるのは先生のカラダに対する理解度や掘り下げ方はもう専門家レベルではありません。研究者レベルです。
それを支えているのは「知りたい」という探求心と「無責任な事はできない」という責任感。
そう、自分に足りないのはそこなのだと思う。それが一番痛かった。
自分はどうしてこの仕事を選んだのか?独立したのか?この先生の様な情熱が自分にはあるのだろうか?と自問自答したら「そこまでは無い」としか出ない事が一番きつかった。スッとは割り切れない。
なので、自分は最初からやり直しの気持ちで通っている。
本当に靴がはけなくなった。
後、これは忖度無しな話です。忖度無しな話です。自分が生き証人なのでもう一度言います。
忖度無しな話です。
めっちゃ、めっちゃ太腿とお尻?骨盤?が細くなった!ビックリするくらいに細くなりました。本当に。体重はそこまで変わっていません。お腹のお肉はまだある。
あるのに、どうしてズボンやスカートが滑り落ちるの?骨盤から。最初は状況の意味がわかりませんでした。お腹のお肉あるのに、どうしてずり落ちていくの?
先生に聞いたら「奇遇ですね、僕と同じです」と茶化してくる。先生もお腹のお肉を落とす方法を模索しているそうです。一方でズボンがズルズル滑って裾が汚れてしまうとのことでした。
先生曰く「キチンと立って歩けているから」だそうです。お腹のお肉が取れないのは歩行では余りお腹が運動してくれないからだそうで。でもお腹の運動はしんどいので何とかならないかと先生も答えを探していると。やっぱり先生もそれ嫌なんだw
ウェストラインが、というよりミドルヒップ?あたりかな。とにかくサイズが落ちたというより削り取られた様になりました。知らない間にゴッソリと。どうしようウェストラインはまだあって高床式倉庫みたいになっている。そこから下は断崖絶壁みたい。もう少し上まで削り取ってくれたら嬉しいのに。
あと、もう1つ伝えないといけないことがある、あるのです。
「靴が履けなくなった」
これも衝撃的でした。きっかけは「草履」と「ワラーチ」と「フラットシューズ」だと思います。特に前2つ。歩行の練習に入ってからはまずフラットシューズに切り替えて、もっと色々試して見たくて「ワラーチ」へ。でも何か足が痛いのと「ワラーチ専用」の歩き方になっている気がして断念しました。
そして遂に辿り着いた「草履」w まずは部屋履きから。そして夏場だけ草履、更には春にも草履を散歩に導入する私。靴はドンドンフラットなものへ。
身体の事が楽しかったので割とすんなり、でも夢中になって取り組んでいました。楽しかったです。そして1年くらい経ってふと思いました。今の自分が「ウォーキングシューズ」を履いたらどう感じるのだろうか。5本指ソックスを履いたらどう感じるのだろうか。
気付けば遠のいていた「昔日常履きしていたグッズ」が気になった訳で。先生もよく言う「とにかく試そう」が湧き出てきた。
これが私にとっての「あ」です!
靴、ウォーキングシューズです。約お三万円シューズなので性能は確かなはず。誰もが知っている有名メーカーですし。
凄い!凄い跳ねる!羽がはえたみたいに跳ねる!
私は気付く!ここで自分の感覚が完全に変わっていた事を!
「うわ!気持ちわる!」となったのであった!そう「凄い、これ楽!前に進む!」とショップで感動してその場で買ったあの時から考えると何だこの変化。
起こっている事は変わらず。むしろ何が起こっているのかをはっきりと感じ取れる様になりました。そして「感じ方」が全く真逆。
先生がいつも口にしていた事がやっと理解できました。
「靴がカラダの仕事を奪ってる」
私はこれを「靴がカラダを助けてくれている」と感じていました。違うと思う。先生、私やっとわかったよ。こういう事だったんですね。
これだけ「楽」させてくれる靴を履いて歩いたり走ったりしていた私。そうか、そういう事だったのか。何か見える世界がガラッと変わりました。
そして私の試行錯誤は続く。次は五本指ソックスだ!これ1足2,000円なんだけど。履いた、カラダが凄い事になる。え?どういう事?私何かに気付く。
2万円はたいて購入したウォーキングポール出す。使う。身体がとても窮屈になる。え?ナニコレ?どういうこと?
試す試すわ、私が信じた道具やツールの数々。感じ方が全く違う。何で「草履」と「足袋」が一番快適なの私?どうなっているの?
枕も試す、加圧も試す。ずっと仕舞っていたモノをあれこれ試す。ああカラダが教えてくれる。そういう事か。そういう事だったのね。世界がブワッと広がる感じ。楽しいよカラダ!
身体が育つってこういう事?カラダと会話するってこういう事?
先生が家族と仕事で人生が十分満たされるという意味わかる気がする。先生はライフワークになっているんだ。
確かに誰かが「研究者」と書いていた気が。私もそれに同意!完全同意!
突き進むのも、途中下車も自由なこの俊カイロ。私はずっと続けてきて本当に良かったと思います。
一緒に宿題をしている息子の言葉を借りてこの場をしめる。
「ワクワクが止まらない!
自分の中で何かを伝えたい、伝えるべき何かが感じ取れたら書こうと思っていました。半年くらい。
自信をもって「これだ!」と思える出来事をやっと感じ取ることができました。だから私もこの俊カイロ紹介戦線に立つことした。最前線へ遂に進撃だ。
症状は腰痛、肩こり、膝の辛さ。ヘルニア持ちです。一般的な症状に悩むおっさんだと思います。そこらへんの症状は割と早い段階で取れました。
ここは下半身が安定するまで、骨盤が整うまで?は月2回が推奨されます。なので私はそのペースで通っていましたが、2ヵ月目を終わるころには症状の殆どが余り気にならなくなりました。ありますよ、あるけど「日常に困るレベルではない」状態に落ち着きました。
ここに来るまでは色んな院に毎日通ったり、週3回通ったりと頑張った時期もありましたが、ここまでの変化は生まれてくれず。いや、その場の変化だったらそっちの方が大きかった。でも数日で戻るので何度も喜んでは肩透かしを受け、どうしようと悩んでいた感じです。
それに比べるとここは変化がかなりゆっくり、じわりじわりと起こる感じ。自覚しないと見落とす事も十分にあると思います。私が今回伝えたいのは正にそんな感じの変化なのです。
それは何か!
ズバリ、風呂掃除と草抜きです。
最初に気付いたのは風呂掃除、そして意識して感じてみると草抜きも全く同じでした。更にはスーパーから持って帰ってきた一杯に詰まった買い物袋。これもそうです。大きくなってきた子供を抱っこしたときもそう。
全部そう。どれも同じ事だった。
私は今までお風呂掃除は膝を伸ばして風呂の底を磨く癖がありました。楽だったからです。面倒だったからです。膝を曲げるのがしんどかったからもあります。
それが膝を伸ばした状態で腰を折ってお風呂を掃除するのが「凄く辛い」事に気付きました。今まではあれほど「楽」だったのに。屈伸して腰を落とすと「ああ、これだ」としっくりくる。感覚が逆転している。
あ、これが「あ」か。これがその瞬間なのか!知らない間に身体に埋め込まれていたのかと
草抜きも同じ原理。今までは足を真っ直ぐ腰を折ってついやりがちでした。その方が簡単で楽で面倒ではないから。腰をいちいち下ろすのが面倒なんですよね。それが腰を下ろした方が圧倒的に楽になっている。腰も辛くない。
子供を抱っこしてもそう、自分の足が根っこになった様な安心感。子供を抱っこしていない。「ただ立っているだけ」で子供が支えられる。今までは大きくなる子供を前に腰が、腕が、肩がと叫んでいた。
いつからこうなっていた?
これは気付かない限り気付けない(笑。 先生の施術の一番損をしている部分だと思います。これは先生が言葉で伝えても伝わらないわ。だって感覚的な話だもんね。
自分は運良く気付く事ができましたが、気付くまでは「全く自覚がない」状態でした。自分のカラダが切り替わっている事に。たまたま、本当にたまたまその姿勢を思わず取って「あ」と気付いた。
知らないままだったらせっかくできる様になっているのに、しないまま「今まで通り」生活していたかもしれません。変化を自覚することなく。症状が楽になっている事に喜びながら。本質的な変化に気付くことなく。
いや、本当にそれはもったいないわ。
ここ、院じゃないよ。習い事の場所だよ。本当にカラダの使い方を習いに行く場所。
そう考えるときっと俊カイロの価値が100%活かされて、先生の言葉の意味と目的がズドンと響いてくると思う。
最高に良い意味で「全くカイロじゃない」院です。カイロらしいけど。
去年のハロウィン?くらいからお世話になり始めました。症状は腰痛、肩こり、ギックリ腰、ヘルニア診断あり、膝痛い、片頭痛ある。全身だるい。眠りが浅い。目がしばしばする。そんな感じです。
通った場所、沢山あります。スタンプカードあったらどれだけ埋まっただろうかというくらい通っています。整骨院、整体院、病院、鍼灸院、カイロ、オステオぱしー?漢方薬局、脳調整とか腸の調整とかも。
本当に沢山通いました。何とかしてくれー!という気持ちで。でもやっぱり何とかならなかったのでここに来ました。何とかしたかったので。
初めてここに行ったときに、色んな検査をしてもらったし、色々な事をお話ししました。凄い細かいカルテも後で送ってもらいましたし、説明も沢山してくれました。
細かすぎて頭がついていきません。ただ、カルテの真っ赤な感じで「ああ、これは相当悪そうだ」という事だけは私でもわかる。
実際、先生からの解説でも最後にしっかり書いてありました。
「この状況を変えていくのは一朝一夕では難しいです。何を目指して取り組むかはご自身でゆっくり考えてから決めてください」
ああ、これが噂の「主体者はあなた」方式なのね。先生からの提案が全くないw その代わり提供される情報の量が半端ないわ!
これは確かに人を選ぶなぁ。自分で責任を負って行動してくださいってことよね。これは楽したい私にはグサリと刺さる。まるで先生から「引き返すなら今ですよ」と言われている様でした。
そして私は引き返したw もっと早く安く何とかならないかなと思って。
11月と12月、ネット検索で引っかかった凄そうな先生を頼る。手当たり次第に通った。誰か何とかしてくれないかなと思って。だって早い方がいいもん。安い方がいいし。
でも状況は変わらず。というか俊カイロの解説を見た後なので何処に行っても症状解説が凄いシンプルに感じて「?」となる。そんなもんなの?と。でパキッとされたりブルブルマシンをしたり。状況は余り変わらず。
ここで初めて思った。これ、私の問題?この方法だから変化が無いの?やっぱり私が思っている程軽い状態では無いのかな?でも他の先生は「そんなに悪くない」「割と早いよ」と言ってくれた。にしても変化がない。わからない。どうしよう。
ちょっと困った。どうしよう。そこで改めて俊カイロに予約を取りました。ここで落とし穴にはまる。ここ皆注意して!!!私の初めての時って「新規枠」という特別な枠だったそうです。2回目以降は「一般の枠」となるので、一気に予約が取りにくくなります。
なので予約が取れたのは2週間後でした。希望時間枠だと3週間先だったので予定を調整して対応。ちょっと自分甘かったかも。
改めて受けて先生から再確認がされる。「最短ルートの提供はできますが、実際に進むのは〇さん自身となります。そこは大丈夫ですか?」と。
そして私、責任が渡されようとするとどうしても躊躇する。そして見抜く先生。特に説得や説明があるわけでもなく「迷いがあるときは進むより自問自答の時間で良いと思いますよ」とまとめる。
そう、私は未だに決め切れていないのです。決めて欲しい、任せたい、楽が良いという人間なので。
じゃあどうして口コミを書いているのか。それは主人が通っているからです。「言われるとおりにしてたらええんやろ、めっちゃ楽やん」と人柱としてお世話に。
家で宿題?をする様になってから「こんなんでホンマにええんかいな」と言いながら続ける主人。そんな主人の変化に私が先に気付いたのです。だから口コミを先に書く事にしたのである。
「あんまり変わってないで」と言いながら生活する主人。目の前で見ている私には明らかに変わっているのである。動きが。
「アタタタ」と痛そうな声を出すのは今までと同じ。だけど動きが違う。全然痛そうに見えない。前は言葉と動きがいかにも一致していました。椅子から立ち上がる、物を取る為に腕を伸ばす、寝起き。痛そうにゆっくり動いていました。私も経験者だから良くわかる。あの固まった感覚。少しずつ剥がれていく感覚。
それが薄れていっているのだ。スッと立ち上がり、サッと伸ばし、何なら片足立ちで腕の距離まで伸ばしている。動きは軽く、言葉は今まで通りに「いたたたた」
何これ?
最初はできていなかった宿題の動作が段々とスムーズになっている。ブリキの人形に油がさされた感じ。脂は未だに沢山あるくせに。
ああ、証明されている。「やれば変わるのだ」という事が・・だがしかしその「自分でやる」がハードル高い。できれば「やってほしい」。それが私だ。
「やってほしい」では変化が出なかった。
「自分でやる」では目の前で変化が起きている。
先生が言っていた「自分次第」とはこういうことかT_T
ベテラン勢です。かれこれ4年?くらい通っています。
ヘルニアベテラン勢、そして神経痛マスター勢です。(自虐)
今はネタになっていますが、当時はもう痛くて痺れて怖くて不安で、毎日泣いていました。タクシー代でどれだけ飛んだか。辿り着いた病院で本当に2時間待ちの5分診察を何度も経験してやさぐれていましたw
病院ダメだと有名な整骨院の先生を頼ったらバキッとされて、凄い楽になって感動したのに夜に余りの痛みと熱に眠れなくなって。翌日連絡したら「日にち薬で良くなる」と言われたから信じたら、日にち薬で熱も痛みも治まったけど、ビリビリがどんどん強くなって。また電話したら「その日、何かしましたか?」と聞かれ。何か怖くてもう行けず。
有名な整体の先生を頼ったら、ふんわりする施術で安心していたらビックリするくらいに何も起こらなくて毎日9,000円?払い続けて。院長氏名で別料金が3,000円?くらい。
怖さや不安を通り越すと、ヒトは「無」になります。もう考える事を放棄する。何をやっても空回りというか「思ってたんとちゃう」状態が続くと「無」になりますw
心療内科を家族に勧められた時に「ああ、そこまで私来たのか」と無から帰還。というタイミングで俊カイロ!!
初めてお世話になったのが32の時、今もう36になりました。
症状は1年目で全部旅立ちを迎えました。1年目の後半からはもうカラダの事を勉強しに来ている感じです。2年目は完全にカラダの練習をして、3年目からはメンテナンスに入っています。
あと、一番の理由は「先生と話すこと」です。私と同じ様な地獄を経験したとは思えないエネルギッシュタイプ。でも穏やか。どっしり。たまに見かける楠みたいな感じ。確かに。確かに旦那では無理なんですよ。この安心感。
どんな症状で不安になっても、呪文の様な詳細解説で因果が解き明かされる。名探偵コ〇ン君というより服部タイプの先生です。「理解をすれば怖くない、見えてしまえばそんなもん」と良く仰る。その通りだと感じる。
面白いと思ったのは、ここのメンテナンスは溜まった疲労を抜く、とか整えるとは違います。「キチンと使えているか、感覚がズレていないか」の確認が目的です。あくまで主体は私達にあり、日々のチェックアップが目的となります。前向きというか積極的なメンテナンスで個人的にドンピシャ!メンテナンスコスト、と言うよりチェックコストというのが価値がある。だってメンテナンスは基本項目に入っているし。お得大好き
通院リズム
1年目初期:月2回
1年目中期:月1回
1年目後期:月1回~隔月
2年目:月1~隔月(タイミングは任意)
3年目:季節ごと(年4回)
4年目:季節ごと(年4回)
カラダのピラミッド的に言うとAA達成したら健康な状態みたいです。安定感が段違いになるそうで。
SSになるともう怪物レベルだそうです。院にある一本下駄も先生みたいにスタッと立てるレベルになるそうで、更にはカラダの声が聞こえるから大ごとになる余程手前の段階で「あれ?」と気付けるそうで。
AAでは何となく違和感に気付けるくらいかなぁ。でも先生は褒めてくれる。「それだって凄い成長ですよ」と。それが嬉しい。人は頑張ったらやっぱりほめてもらいたい。
いや、書いていて思った。そう「自分の感覚を信じられる様になる」という成長というか変化がここで得た最大リターンだと思う。少年漫画に出てきそうなセリフだけど本当にそう。「自分の感覚を信じられる事」(無駄に2回言う)これが先生の決め台詞「患者力」?なのかと
今疑問に思ったので後でラインで質問してみます。ここはラインで質問し放題です。私は気になるサプリと健康グッズは必ず先生にフィルタリングしてもらいます。9割「僕なら使いません、買いません」で後に呪文の様な解説が届きます。だから買わないのか。納得。という感じ。
そして先生が面白い、優しいのは、更に「僕ならこれを買う」と類似品で安くて確かな品質のものを教えてくれる点。これわざわざ調べてくれたのかなと申し訳なる。
今までお世話になった先生はもっとドライだったなと。商売だから仕方ないと思いますが、でも割と疲れ果てて辿り着くと思うので少しでいいから心がホッコリする関わりはあった方がいい。
先月、先生が教えてくれた新きめ台詞「意識が変わると、景色が変わるというよりも、景色の見え方が変わりますよ」
このちょいちょい出てくる本質的な決め台詞。どうやって降りてくるんですか?と聞いてみたら。
「今のこのセリフは、グルメ漫画から拝借しました。ちなみにタイトルはこれでテーマはこれで朝ご飯を食べるというだけの・・・・云々(以下呪文解説)」
威風堂々と悪びれず答える先生が、実に先生らしい。
娘がお世話になっています。クラシックバレエをしているのですが、身体の不調を良く訴える様になってきたので。
こちらにお世話になる前には教室の先生から紹介された整骨院に通っていました。教室の生徒さんが殆どそちらに通っているので頼りになる先生だなと。ほぼバレエ専門にされている様でした。
ただ、受けると楽になる様なので教室帰りに立ち寄って帰宅というリズムを刻んでいたところ、段々と楽にならなくなってきた様で。
バレエの先生にも整骨院の先生にも色々相談したのですが「割とよくある」という事で引き続きリズムを刻むという流れに。力の使い方がまだ少しぎこちないのも原因かも?という事で上達に従って取れる可能性が高いという事でした。
ただ、本人が少し辛そうで。ママ友との会話でも似た様な話が出るので「通る道なのかな」と思いつつ、でもそんな道を通らないとダメなのかなとも思いつつ。
娘の姿勢が綺麗になったら、くらいの感覚だったので何かモヤモヤが出た感じです。
で、姿勢矯正を専門にされている院に通ってもみたのですが、説明の内容は整骨院の先生とは違うものの、受けた内容は似た様なものだったそうで。それが2~3院程続きました。娘の方が「また違うところ行くの?」と疲れてきた様子。
良くないループにはまった・・と思ったところでこちらを見つけました。というか紹介されました。本当に偶然です。
乗り気ではない娘を連れていき、はじめての時。
一通り終わった後に「お母さん、少しだけいいですか」と娘とは別に呼ばれる私。
「娘さんはお母さんが言うからついてきた状態です。だから今は通う事は止めた方がいい」
こんなこと言われたの初めてです。今までは「時間が掛かるから回数券を提案する」でした。だから買っていました。
え、じゃあどうしたらいいの?と思ったのですが先生は「練習風景を映像で見る事はできますか?」と。
カラダの状態は良くわかったが、原因との紐づけをしたいとのことでした。確信が持てない以上は具体的な対策が提案できないと。
通うのは止めた方がいいと言われたけど、どういう事?と状況が良くのみこめず(笑
どうも娘のカラダはかなり不自然な状態にあったそうで、日常生活でそうなるとは思えないと。娘くらいの年頃(小学生高学年)だとほぼ「習い事」が原因だからとのこと。あと、先生は「習い事が悪いとは言わないが、お母さんも理解はしておいた方が良いと思います」と少し怖い事を仰る。
取り合えず、教室の先生に許可してもらった範囲だけ撮影をして先生に届ける。
ここからが凄かった。
先生は動画編集ができる様で、後日にその練習動画に「この動きはこの関節にこの様な動きを要求する」といった吹き出しやらテロップやらが組み込まれた動画が届いた。
人の関節は本来どの様に動き、どう繋がるか。その角度は何度であり、この動作では何度が要求されているか。
何この解説書。娘の解体新書?
そして娘が今口にしていた症状や違和感がどの動作から来ているか、先生の解釈が組み込まれていました。
こんな先生、います?これ初回の10,000円でしてくれたことですよ。しかも「通わなくていい」と。※流石に申し訳なさ過ぎて後日伺いました。でもお金は受け取ってくれなかった(施術をしていないから、と)のでお菓子にしたら受け取ってくれました(差し入れとして)。
あと、とても印象に残った言葉がありました。そんなことを言ってくれた人は初めてです。
「今なら家庭内でコントロールが利くと思う。娘さんのカラダを守ってあげてください。今はとても大事な成長期です。」
「娘さんが目的に納得して調整に来る、と言うならいつでも大歓迎です」
えええええ~~~先生、超あったかいんですけど!!!うちの旦那と交換したい!と心底思った。
旦那の言葉「バレエやってるから大丈夫やろ」 おい(怒
理学療法士をしています。紹介でお世話になっています。
自分は勉強のために通っている立場ですので、それ程の症状を抱えている訳ではありません。当然同業プランで通っています。
ここに来るまでにも色々なセミナーや勉強会には参加してきました。かなりの投資をしています。ですので割と自分の技術にも自信はある方でした。
紹介をされたとき「あまり深く考えない方がいい」と紹介を受けたのですが、その意味が受けてわかりました。
先生が良く言葉に出す「向こう側」ですが、これは「医学書」に限りません。「教科書」にも「技術」にも当てはまります。もう全部です。
例えば筋力検査。先生は既に「教科書の向こう側」に辿り着いていると感じます。私たちは教科書通りに学び、覚え、そして実践します。
先生は違う。時に組み合わせ、時に応用に踏み込み、Aという検査にBの意味を持たせ、AとCを組み合わせDという結論を導く。
検査を使いこなすとこうも情報が飛び交うのか。技術力より発想力に驚きます。しかもそれが「必要だったから」という理由で。もう「必要は発明の母」を地で行く様な先生です。
掘り下げ方が尋常ではないので確かにマニアックな部分もあります。ですが個人的にはどれもが本質的で必要なものだとも。
施術が副産物とは言ったものだと思う。先生にとってはひとのカラダの探求こそが仕事であり、施術はその副産物そのもの。だからこそのこの形だと思う。
施術が仕事になっていると、この形での関わりは絶対に無理です。採算に合わない。
商品として磨き上げることよりも作品の追及をする先生。そのスタンスだからこそ到達できるレベルの内容。
湯川教授じゃありませんが、実に興味深い!自分も負けていられないです。
親族からの紹介でここに来ました。私はちょっと異色なタイプだと思います。こういった院は余り通っていません。基本的には女性専用サロンばかりでした。だって怖いから。
人に見られる仕事をしていたので割とタイトな服やヒールを日々履いていました。歩き方もかなり意識的に「どうすれば綺麗に見えるか」を考えていました。仕事も日常もです。
当然、職業病の腰痛や膝痛、片頭痛から背中の痛み?違和感から不眠まで。オンパレードです。でも周りの皆も似たようなもので「そういうもの」と片付けていました。というか「専用サロン」に週1で通う事でカバーをしていました。
何年かはそれで大丈夫だったのですが、段々と症状がおさまらない状態に。週2にしてもダメ。ちょっと高級なサロンに変えてもダメ。紹介をされた凄腕の先生にみてもらってもダメ。
仕事を辞めるしかないか、と思っていたところでここ。じゃないんです。まだあります。私は「靴」から来ていると思ったので、足を専門にしているサロンでお世話になる様になりました。
靴をオーダーメードで作り、体操やトレーニングも教わり、歩き方も仕事と日常を分けて取り組み、あれこれやりました。
でも、楽になったと思ったらまた戻って。どうしても抜け出せない。仕事が辛い。通うのも辛い。良くなっている実感が欲しかった。自分の中にモヤモヤが広がって不安が常にベットリしている感じ。本当にきつかった。
思い切ってオーダーメードで整体靴?も買いました。でも履いて歩いても変わらないんです。怖くなって検査もしました。レントゲンもMRIも脳ドッグも血液検査も。でも「関節は問題ない」「血液は問題ない」「脳は問題ない」と言われるばかり。
じゃあこのカラダはどうなっているの?軽い発作、パニックまで出てくる始末で親には心配かけました。でも仕事は空けられない。体重落ちる、食べられない、やつれる。眠れない。もう完全な悪循環。心療内科は仕事を休めないかと提案され、漢方は飲んだら猛烈な吐き気が。
ここで紹介をされたのがこちらです。
初めての時、殆ど私の愚痴でした。今までの経過を全部吐き出して、泣いて、もう訳がわからないと一人で勝手に途中から泣いていました。今考えたらああ、恥ずかしい。。。。
もっと簡単なものだと考えていたのに症状がややこしくなって、状況がややこしくなって、自分が何をしたいのかもわからなくなって、自暴自棄?もうどうでもええわみたいな感じになっていました。
1時間はグチグチ話してからの先生の言葉が一言
「あなたは何処を目指す?」
私は「というと?」と返す
先生は「ゴールは幾つもある。痛みだけ取る、根本的に変える、キチンと理解しながら進む、結果だけでいい、どのゴールを目指しますか?」
私は「体全部、丸ごと取り替えたい」
先生は「簡単だけど難しいよ」
私は「というと?」
先生は「自分を変える、という事だから」
私は「それで変わりますか?」
先生は「治る保証はできないけれど”変わる”の保証はできます」
私「やる!」
先生は「確かに承りました」
こんな感じで始まりました。
凄い勉強になってる。自分がしてきた健康メソッド、健康シューズ、食品、全部先生に伝えて、先生が1つ1つに丁寧に答えてくれて。
何が悪いではなくて、その全てが今の私を育ててきたという事。頑張った分だけカラダがしっかり育っていた(望んでいない方向へ)という事
受け入れられなかった私は沢山言いました
「でも有名な先生が作った」
「でもフォロワーが50万人もいる人の商品」
「でもTVで紹介されていた」
「でも販売実績が10万着だった」
先生は1つ1つ説明してくれました。それがどういうモノか。その道具はどういう役割をもって、どのようにカラダに働きかけてくれるのか。
私は一体何をやってきたのか。聞くのが怖くなってきてまた泣いたw 何だか自分が情けなくなって。健康意識が高い自分を意識していたのに。
「道具は助けてはくれても健康にしてくれる訳じゃない」
響いた。響き過ぎた。「着けたら良くなる」「履けば良くなる」と説明されて信じていたから。
そう、結局は私が「楽したかった」だけ。それを超強烈に自覚させられた!!謳い文句に「のっかった」のは私。
涙腺崩壊で「私が悪いの?」と聞いてしまった!!!(赤っ恥
先生、優しい。
「悪くないですよ。何も悪くない」
「ただ、知らなかっただけです」←ん?ちょっとグサリ
あ、結果だ!そっちだもんね。皆が知りたいの。
通って半年くらい。症状は出たり入ったり。
でも8割減だよ。痛いじゃない。違和感だけ
痛みも健康の一部。その意味を考えながら通っています
紹介されてお世話になっています。
今まで沢山の院でお世話になってきました。かなり口煩い方だと思います。気になったら聞かずにおれない。
そんな私から見たこの先生。最高におもろい。控え目にいって最高です。
何がおもろい。それはもう「悩んでいるポイント」からしておもろい。
私が今まで出会ってきた先生は「難しい症状の改善のさせ方」に悩んでいる模様。それが普通だと思う。だからこそ勉強会やセミナーに参加をする。突破口を開こうとする。
それがね、それがよ。
この先生は違うのよ。なるほどなぁと感心した。
「どうやったら良くなるのか」なんてもうサクッと見極めがついているそうです。問題は「どう伝えたら理解してもらえるか」なのだそうで。
でも先生は言う。「説得しても意味が無いです。」「納得して行動してもらえないと意味が無い」と仰る。
聞かずにおれない私は当然聞く。どういうことやねんと。
「やるだけで良くなると誤解される」
「目的も意味も理解せずただするだけでは効果は出ない」
「順番が大切だから飛ばすと逆効果」
「意味ある事の意味を理解すると加速する」
「結局は当事者として行動できるか」
「足りない人は辿り着けない」
何か奥が深いなぁ。わかる様なわからないような。
実際に宿題始めるとええよ、わかるから。なるほどなとわかるから。
靴下1つ、乗り方ひとつ、力の捉え方1つ。先生の教えてくれるポイントを意識していくと結果が違う。積み上がる。先生は道具を自分の目的に合わせてカスタマイズしている。これがホンマの活用やで。
禅の教えを受けている気分になるから、言葉を噛み砕く作業がおもろい。楽しい。任せたい人には向いていない院ですわね。
追求、探求系の人には無敵の院で間違いない。
まずは先生の示すベクトルに従ってみるといい。自分なりに頑張ってきたと思う。考えてきたとも思う。中々先生の言葉に従おうとか思えないかもしれない。
観念したらええねん。私らの10年分の試行錯誤なんて、この先生は多分1ヶ月くらいで全部終わらせてるで。
下手な考え休むに似たり。
餅は餅屋
小さなプライドで流れ込む価値を手放すなんてもったいな過ぎるで
追伸ー最近の先生は「靴」にドはまりしてるらしく、靴職人かいうくらいの靴マイスターになっている。分析して解析した結果、辿り着いた最後の結論がもうまた面白い。地頭良すぎやろ。
紹介でお世話になっています。
ヨガ講師です。独立はしていなくて雇われしていまーす。まだ9年目くらいの若造です。※同業プランでお世話になっています。
カラダの事をもっとよく知りたくて色んなセミナーに参加していたのですが、5つ目くらいから「何か言っている事が似てない?」と思い出して離脱。
技術や集客的なものよりも、もっと根本的な人のカラダを掘り下げたいと思ってきたところで!「そこでしょ!今でしょ!」的なノリで紹介を受けました。
紹介をしてくれた先生のアドバイスが最高に好き。「録音・撮影は自由だけどやめとけ、無駄。ムダ。ムダァァァァァ!!!」
大正解!するだけムダァァァ!!でした。
同業プランだからか、なのか情報量が本当に凄いです。今まで通っていたセミナーは基本的に「技術」「集客」「アフターフォロー」な感じでしたが、こちらはもう最初から最後までが「解説・解説・解説」な内容です。
その内容が余りに深く細かく繊細なので私は初回40分くらいで完全に頭がショートしました。ヨガ仲間の中では「凄い勉強家だよね!」と褒めてもらってばかりだったので少し思いあがっていた様でした。先生の説明、深すぎてさっぱりわからん。
ここまでの事を考えながらカラダを触っていなかったし、考えながら取り組んでいなかった。形が綺麗か否か、キチンと型が取れたら結果はついてくると思っていたし、教わっていました。
代償動作。言葉は知っていましたけどそこまで細かい区分けが必要だったとは。。意識的な運動の盲点、ああ、ヨガのポーズって何か意識的な動作の塊に見えてきた(泣
先生の言う「溶け込む」とは程遠い様な気がしてきた。
今まで教わってきた内容と同じ方向性なんですけど、中身がもう全然別ものな感じ。どうしてこの先生がセミナー講師をしていないのか。そっちの方が不思議。というかこういう先生が本来すべきなんじゃないの?
何かこう、自分が凄い勘違いしていた人に感じてきちゃって「脱力感」と言いますか。「無」に還ってしまうんですよね。ああ私は何をしてきたんだろうとか。自虐的になると言いますか。
他の方が書いている内容、あれ本当になりますよ。自信があればあるほどに多分そうなる。
でも確かに一般向けかと言えば難しいかも。一般枠だともう少し噛み砕いた内容だと聞きましたが、やっぱり「理解度」「関心度」が結果に直結するそうです。二極化すると言っていました。
先生の言葉で印象に残っているのが「結局は技術が良くする訳じゃない」という一言。あれ響きました。
「すればいい」「受ければいい」これ、ヨガにも当てはまります。ヨガをしていれば健康になれる。そう安易な印象で始める、続けている人が多いです。そして柔軟性豊かなカラダなのに腰や膝を痛めている。
この矛盾はずっと感じていました。その答えが見つかった気がします。やっぱりそうなんだと。
実際、先生が仰るカラダの感覚は私は6回目くらいにやっと股関節や膝が分かってきた感じです。自分で動かすというより力を繋げる感覚。本来はこういうのをヨガって伝えるべきじゃないの?と思いつつ。
そして先生のあの衝撃の言葉。
「効率的にカラダを使える様になると代謝は落ちる。要求される動作に対して求められるエネルギー量が減っていくから。正確には「落ちる」というより「穏やかに落ち着く」と言った方がいいかも。」
これは本当に衝撃を受けた!でも考えたら実に当たり前の事だとも思った。
カラダの扱い方に長ける程にエネルギー効率は良くなる。そうなると最小限のエネルギーで最大の運動を取り出す事ができるという事。
え?じゃあ代謝アップするってどういう事?
先生が理論立てて説明をする度に、私を構築していた世界観が爆音と共に崩れていく。信じていた僧侶が週末はデーモ〇閣下だった、様なインパクト。
この先生は右でも左でもなくカラダに対して中庸だ。事実だけを見て、冷静に分析をして判断をする。
その結果が「そうだと言われている・思われている」状況を無慈悲に叩き割る。でもそれが確かなのだから仕方が無い。
知らぬが仏、もあるかもしれない。
でもここは「正しい事を知りたい、学びたい」と思った人には理想的な学習塾だ。
ネオ(マトリックス)の様にマトリックスから現実に目覚めるのか!俊先生は間違いなく「モーフィアス」である!