口コミ
ヨガの先生から紹介されました。先生が知る限り、最も信頼できる専門家だという最上級の誉め言葉でした。「もちろん、私も通っています」と。あと「私よりヨガ教えたらきっと上手、大切なことをキチンと伝えてくれる先生」とも。
ちょっと褒めすぎでしょ、と生徒皆で笑っていました。
でも、とても印象的な言葉があって、
「使い方もそうなんだけど、知らなかったこと、気付いていなかったことに沢山気づかされた。マインドフルネスって私は言葉だけを伝えていたと思う。ごめんなさい」と。
私たちからしたら達人の先生がそう思うくらいの世界。ちょっと想像がつかない。でも先生から湧き出る「本当にいい先生なのよ」オーラもすごい(笑
後で聞いたらある日突然出てきたストレッチボード?もここの先生の影響らしい。更には準備体操が少しずつ変わっていったのもここの先生の影響らしい。
何かヨガの先生が「専門家の皮」を抜いだような。清々しい感じが印象的で。
とっても興味がわいたので私も紹介してもらいました。
LINEで予約、メールで問診表が届いて、当日はスムーズに進行。
整形外科みたいな検査がどんどん進んで、あっという間の2時間。私は質問を割としていたので2時間半くらいかかりました。
次の方が待っていたのでお詫びをせねば、と思っていたらなんとすれ違わない対策がされていました。なんということ!
先生にお詫びを伝えたら「構いません、お互い様ですから」と。いい感じに緩くて助かる。
凄い×だらけのカルテとピラミッドが後で送られてくる。これは壮観だ。ヨガの先生が言っていたのがこれね。
カルテはちょっと専門的過ぎてわからない。でも〇×△で状態の傾向はわかりやすい。何よりピラミッド。これがとてもわかりやすい。
これを埋めていく作業になるのね。なるほどなぁ。
宿題:ストレッチボード
出てきた!ここで出てくるのか!と感動。受けるー宿題ー受けるー宿題のループ。埋まるピラミッド。変わるからだ。感覚はぼんやり。
変化に気づくのは人それぞれとのこと。私はどんな感じで気付けるのかなぁと思っていましたが、ヨガで気づきました。そう、ヨガで。足元の世界で。
感覚は同じ。でも外からは綺麗に安定しているそうです。先生にも褒められました。やったー!
でも、どうして?ヨガの練習なんてしていない。あ、そうかこういうことなのね変わるって。知らない間に安定感が増していた。そういうことなのね。
だから先生は「意識は使うではなく感じるほうに」と言っていたんだ。あ、本当だ。それってヨガの先生がいう「マインドフルネス」そのもの。
感覚が変わらないのは感じ方を今まで通りにしていたからなんだ。少し身体に耳を傾けてあげる、ああ、こういうこと。そういうこと。
歩いても立っても階段でも坂道でも、体って色んな言葉を発している。全部違う。今までは一緒だと思っていた。こんなに違うの。これは知らなかった。
体と会話する、体が教えてくれる。
先生が仰っていた言葉の意味が少しわかったとき、一気に楽しくなりました。ヨガも今までと全然違う。「ただするだけ」じゃないし「ただ、ポーズをとるだけ」でもない。それぞれの形からの声を聴く。上下、左右、足の裏。
これは楽しい。次のポーズに移る前にもっと聞きたい、知りたい、確かめたい。
感覚が変わるよ、本当に。身体を知るってこんなに楽しいんですね。ヨガの先生の気持ちがわかる。この感覚を共有できる仲間がたくさんほしい!
看護師です。こちらにお世話になった理由は1つ。確かめたかったから。自分が勤めるクリニックの先生が何故か一部の患者さんにこちらの院を紹介している。
全員ではなく一部。何でだろう?と先生に聞いてみたら「あの院を求めている人だと感じたら紹介している」とのこと。同時に「そうじゃない、という人には意味不明な場所になっちゃうからねw」と笑う。
ちょっと意味が分からない。先生は年4回通ってカラダの状態を診てもらっているそうです。「後は自分でやってみてください、なんて言われたら逆に不安になっちゃって」と。
何か変わった対応だな、と気になってました。
その後、先生が紹介する人としない人を自分なりに分析していると「質問の多い人」に多い気がする。
益々気になる。これが始まりです。先生に「私にも紹介してもらえませんか?」とお願いしたら「いいよ」と快諾。紹介だと予約が早いそうで、紹介してもらえる事に。
初診の前にオンラインで問診表が届く。おぉ時代だ。これは確かに効率的。そして初回に臨む。
ああ、ここは賛否が分かれるわけだ。
初めて受けた日、私はこう感じた。「だから賛否が分かれるのね」と。そして先生が紹介する人を分けていたのも納得。先生は良くも悪くも「選別」していたんだなと。
私が感じた俊カイロを紹介したいと思います。選ぶ際には参考にしてもらえたらと思います。
〇事実が淡々と流れ込む
医療系の資格者が受けたらすぐにわかると思います。ここは淡々と「医学的な事実」が情報となって流れ込みます。何一つ「抽象的」なモノが無い。先生が思う・感じる情報ではありません。医学的な検査を行い、その結果を淡々と先生が伝えてくれる。そこに「私はこう思う」という先生の考察が入るだけ。あくまでソースは私達患者のカラダがどう示したかであり、正常と比べてどうなっているか。更にはそれは一体どういう事を示しているのか。
難しいのは検査が繋がり合っている事。これは私も今まで勤務した病院・クリニックで見た事がありません。複数の検査を組み合わせて、カラダの状態を全身単位で管理・把握されます。リハの先生などは理屈として理解はしていても時間的な制約でここまで検査・確認はできないはず。していたら仕事が回らない。
120分を長いと感じる人は途中で感じるはずです。「あっという間」だと。もしも「長い」と感じる人はそもそもカラダに関心が無く結果を求める人だと思います。(だから先生は選んでいたのかと思う)
〇教えてくれるが委ねられる
ここは検査・検査・検査でカラダを隅々まで調べて、「今、どの様な状態か」と「今、何が求められているか」を炙りだしてくれます。そしてここから先が独特。
「じゃあ、これやってきてください」
そう、完全にこちらに委ねられます。「在宅ターン」と呼んでいました。今、院でできる事は全てやり切りました。次はご自宅であなたが取り組む番です。そしてそれをこなした上で次に臨んで下さい。
「院に来たら完結」ではありません。宿題が出て次のステップに進む感じです。でもそれが何故必要なのか。それは先生が全て説明してくれます。更にはカルテで教えてくれます。ピラミッドでも教えてくれます。更には宿題には動画がある。
「至れり尽くせり」で「後はやってきて」という不思議な投げ方。
自分で行動できない人には確かにキツイ。多分続かない。でも自分のクリニックを鑑みても納得する。「決めてもらいたい人、来て安心するだけの人はもれなく慢性化する」という現実は散々見てきた。
そうか、本当に抜け出したい、手間を惜しまないという人を見極めてうちの先生は紹介をしていたのか。納得。
〇やると変わる
実際に宿題を頑張る。といっても1日90秒×2くらい。別に気にする程度でもない。でも確かに変わる。それは納得した。
今までヨガやピラティスは通った。パーソナルも頑張った。でも変わったのは頑張っていた期間だけだった。そういう意味ではこの宿題も同じかもしれない。でも「たったこれだけ」で起こるには贅沢な変化だ。
きっと先生がいう「適切な順番」で取り組んでいるからなのかなと納得。自分のやりたい場所から、なんてうまくいかない。そりゃそうか。
自分を通すのか、カラダの声に耳を傾けるのか。それなりにカラダを理解・実感している人でないと確かに無理だ。我慢できなくなる。
〇専門家を頼れる人でないと
私なりの結論
ここはまさに専門家が待っている。だからこそ専門家に依存する・委託するではなく「頼る」形で関われる人が望ましい。
委託・依存の人は勤務先でその結末を見続けている。何も変化無くそこに居続けている。
本当に変わりたい人、変われる人、その人に道を示す為の場所なのだ。
私は1人納得したのであーる!
引っ繰り返りました。何が?何だと思う?意識が?知識が?感覚が?
全てが!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
正直ビックリを通り越して「ポカン」の効果音の方があっている気がする。知らない事ばかりで自らわき道にそれて、それでいて達成感だけはしっかりあった。ここに来るまでは。何なら最初の方は先生の意見すら「ああ、そういう考えの人ね」くらいにマウント取っていた気がする。いやそうしていた丶(>Δ<)ノ
何故なら私にはインスタにyoutubeという最強のサポーターがいたからである。この再生回数が間違いを示す事なんてあるものか!と信じていたのだ。丶(>Δ<)ノ
だから先生からの検査、宿題をうまくできない事は「要求がウルトラハードだから」という事にして「できる人の方が少ない」と思う事にしていた。人間とはそういう生き物である。少なくとも私はそうなのである。
そんな私がどこで変わったのか?それは「お尻」である。
お尻の筋肉を使える様になり、感覚がやっと掴める様になった時、今までの宿題が何故か急に身近になった。「これはできて、何であれはできない?」先生は全てできているのに。
そこで初めて先生の説明が届く様になった。というか染み込んできた。∩(>◡<*)∩
そうか、だからできないのかと。
じゃあ何故できない?できる様に頑張っているのに。お尻はできてこれはできない理由は何?ι(´Д`υ)
「あ」
ここで私も気づく。先生、それ説明してた。私は聞き流していた。「ふ~ん」と。
まさか「あれ」と「これ」と「それ」ってこと?ι(´Д`υ) 私が信じてやまないあの神のグッズ達?
半信半疑で試してみる。それらを日常から放し、ケアを少し変えてみる。カラダの感覚はそこまで変化はない。
でも、検査結果が全然違っていた。確かに前と全然違う。「先生。同じ力でしてますか?」と何度聞いた事か。
でも日常では何も変わっていないぞ?どうして?
「あ」
先生はこれも説明してくれていた。私はスルーしていた。ヾノ≧∀≦)
うわぁ、先生の言う通りじゃん。ドツボだったじゃん私。今までの私の健康意識は何だったのか。自ら地雷原に飛び込みお布施をしていたというのか。余りに滑稽じゃなかろうか。
先生は確かに優しい。茫然自失な私に「それが活きた経験になる」と素敵な言葉。私復活。無駄にならないのね!ならいいわ!ヾノ≧∀≦)
日常に変化が無いのは「日常で使っていない」から。つまりはそれだけ動かす範囲が狭いから。狭い理由は生活の幅が狭くなっている、便利な道具に仕事を任せているから。検査は可能な限り全身の筋肉を使うから変化がわかりやすい。
つまり
つまり
つまり
使える様にはなっているけど、日常では使っていないという事。それがどういう意味を持つのか。ここまでくれば私にもわかるわ!\( 'ω')/
だから腰痛も肩こりも、浮腫みも中々取れなかったのね。だからなのね!
道具で何とかしようとして、大事な仕事を任せて、私はぬくぬくと変化だけを待っていた。任せた分だけ本質的な力が落ちていくというのに。ああ、知らないって本当に無謀だわ。そういうことを小学校で教えてもらいたかったわ。
そう言えば最初に先生言っていたわ。
「自分を変えないと、カラダは何も変わらない」
答えは最初からそこに。結局は私がそれを受け入れるかどうか、だけの問題だったじゃーーーーん!(*」>д<)」
私は健康系のグッズに軽く20万は投資したわよ!凄いでしょ!笑っていいのよ!今はもう身軽なものよ!全部先生の所に持っていて「何が惜しいか説明して下さい」と戦を仕掛けるくらいの勢いで乗り込んだわ。
ひとつ残らず懇切丁寧に「だから惜しい、だから私は使わないしおススメしない。」と説明されてしまったわ。実際に着用してどう変わるかまで検査で確かめられた。→断言するが先生の方が楽しそうだった。研究材料が沢山やってきたー位の勢い。
先生、ありがとう。1つ1つ証明される度に私はグサッとぶっ刺さったわ!・゚・(ノд<)・゚・
でもこれはきっと必要経費。私が求めていた健康に至る為に必要な儀式だったのだと割り切って頑張るわ!
クラシックバレエをしている娘のケアでお世話になりました。というかなっています。
色々と衝撃的なことがありましたが、やっぱり一番変わったのは娘ではなく私自身。根本的に何かを間違えていたのかな。と自分を見つめなおすきっかけとなりました。
自分自身もバレエをしていたこともあり当然のことながら娘にもバレエを。姿勢が奇麗になる。女性らしさが出る。そういったことを考えて先行投資の感覚です。だから娘の身体のケアには妥協せず。足がつらい、痛いとなった時にはスペンコのセカンドスキンで常に対応。娘の身体を守りつつ、バレエの上達に繋がっていると信じて。
身体に故障を抱える娘、対応する私。いろんな先生にかかり、コストもかなりかけました。東京の先生にお世話にもなりました。でも「受け続ける必要がある」という点でどうしても継続ができず。
そんなこんなでたどり着いたのがこちら。すぐに予約が取れると思って連絡をしたら2週間後が最短。え?なんで?と思ったものの受けたら納得。これは確かに仕方ない。今までの先生と身体の観方?が違う。何か全然違う。視点が違う?
娘の身体を一通り見ていただき、どうすれば状況が改善するかを先生にうかがったところ、先生がかなり遠慮がちに、明らかに娘より私のほうに気を遣いながら教えてくださいました。
「お母さんの頑張りが少し変化球になっている様です」
直訳してもらうと「スペンコを使ってまでケアをされるのは素晴らしい。ただ、スペンコでないと対応できない状況の足をスペンコでカバーしながら継続練習させるのは傷口に塩を塗っている状態です」ということ。
痛み止めを飲んで、体が動くぞと旅行に行っている様な状態。
解熱剤を飲んで熱が下がったー!と旅行に行っている様な状態。
眠剤を飲んで「よく眠れたー!」と旅行に行っているような状態。
身体が「やっと休める」と安心したところに「もう動けるよね、大丈夫だよね」とノーと言わせない状況に追い込んでいる。
それが今の結果だと。
すでにメンテナンスがどうとかの段階は過ぎている、というかその段階のずっと手前にいる。体はもう庇いあいの重ね塗りになっている。
え?え?え?え?
提供される情報に頭がついていかない。私がやっていたことが間違い?でも他の先生はそれでいい、それが正解と教えてくれた。どういうことなの?
今ならわかるけど、当時は全くの見込めず。自分を否定されたような気にすらなって受け入れられず。
先生はそれを見越してのあの気遣いの顔か。納得。私はおそらく納得しないとわかっていたけど、娘のためには言わないと。そのジレンマが顔に出ていたのかな。
いったん持ち帰り、主人と相談。主人は先生の味方。というか娘の味方。何か私が独裁者みたいに感じる。
そこで私はラインを送る。先生に送る。これならまだ冷静になれると思い超長文で送る。
そこに先生はさらなる長文で返す。超長編で1つ1つに返答が来る。ちなみにこれ無料だった。
私は納得しきれないがとてもやさしく、丁寧に正論で論破された。思ったことは信じてみよう。ここまで向き合ってくれた先生は初めて。信じてみよう。
私は何をすればいいのか、どう改めたらよいのか。もう一度色々見つめなおしてみよう。
色んな事をここでリセットした。今ならわかることがたくさんある。
私が何を見ていたのかもよくわかる。ああ、私は必死だったな。娘よりも私のほうがここで整えてもらった気がする。
娘もここでお世話になりましたが、筋肉や神経に問題はないので大丈夫と早々に卒業を。体の正しい使い方を学ぶ為に継続してお世話になっています。
ありがとうございました。
同業者プランです。理学療法士として整体院経営をしています。院自体は順調です。
結果云々よりも、自分がどう感じたかを伝えて欲しいと言われたのでその通りにします。これも先生が言う「認知段階」には大切だと思うので。
自分はこちらの先生に勉強させていただこうと思うまでにかなりの時間を要しました。理由はこちらで目にする同業者の口コミです。何かビビる。自分を否定されてしまうのかと。何かビビる。怖い。勇気が出ない。
でも、自分が独立前の職場で感じていた疑問、そして辿り着きたかった結論がここにある、という半ば確信めいたものも感じ取っていました。口コミから。でも怖かったです。特に「自分を見つめ直す事になる」という部分が。
独立前のあの不安感「自分は何も成長していないのではないか」という感覚的には事実である事に向き合う必要があるのかと不安になりました。できるならそれは嫌だ。豆腐メンタルには辛い。
かといって「さび抜きで」なんて言える訳でも無し。怖いが知りたい。確かめてみたい。不安と興味のシーソーゲームで2年間ほど寝かしていました。
そして満を持しての予約と。自分以外の同志がドンドン突撃をしている姿を見て勇気をいただきました。ここで目にした同業者の口コミは「恐怖」と「安心」の両方を与えてくれました。どっちやねん。な影響力。
取り敢えず、受けて思ったのは「ああ、自分ちっさ」という事です。これ、自分だけでしょうか。先生の説明をきき、実際に施術を受け、そして解説を聞き、最初は一生懸命に耳を傾けます。段々と話についていけなくなります。そして最後は「ふ~ん、なるほどね、そういう形もありかもね」と完全に他人事の様にして眺めていました。そうしないとやってられない。
同じ土俵として考えるとキツイ。自分がやっている事が余りに浅すぎて痛い。ああこれか。これがキツイやつか。
自分の推測ですが、同業者で施術を受けて「ここまでカラダを調べた事無いんだけど」と思わなかった人はいないんじゃないかな。カラダというものや健康というものに対する向き合い方が私達の業界とは根本的に違う。
改めて痛感したのは、私達はやっぱりマニュアル対応が基本だったなという事。1人1人を分けて考えるというより「ヒトのカラダ」という同じモノとしてまとめていた気がします。当事者であったときは可能な限り1人1人に沿った関わりを意識していました。その時はその場所でそう思っていたのです。
もう次元が違うって。ここの関わり方。これがオーダーメードだとしたら、本当にオーダーメードの関わりをしている院なんてどれだけあるんだろうか。自由診療の強みをフル活用されていると思います。だから痛くなる。自分は高単価・高回転率の為に自由診療をしている様な(気にさせられる)のです。それくらいやっている内容が違った。深さも濃さも。
正面から先生の哲学や施術と向き合うのがキツイ。他人事にして冷めた目線で眺めないと自分に跳ね返ってくる。
「人は人、自分は自分」と割り切れるなら一番いい。でも自分の場合は目指しているモノが同じだけにそれができない。先生と同じ頂きを目指している(つもり)なので。
「ここまでする必要ある?」「相手はそれを望んでいるの?」「そこまでしなくても十分じゃないか?」「有難迷惑になっているかも」
途中から自分を守る事に一生懸命になっていました。「だから私は問題無いのだ。ここが異常なだけで」という事にまとめたくて仕方ない。
そして悲しいくらいに答えがその場で出る。
「ここまでする必要はある=常にカラダ全体目線」
「望んでいる相手が集まっている=ニーズに応えている」
「十分どころかまだ足りないと先生は考えている=カラダの更なる探求」
「有難迷惑と感じる人は残らない=単なるミスマッチ」
他の人達がどうかはわからない。知らない。でも自分は先生に質問をして答えを貰うと悲しいくらいに「先生、正論ですよね。私もそう思います」となってしまう。それしか出てこなかった。
そして自己嫌悪になる「ああ、自分ちっちゃ。逃げてるわ自分」となる。
色々と書きたい事は沢山あるが、1つだけはっきりと言えるのは先生のカラダに対する理解度や掘り下げ方はもう専門家レベルではありません。研究者レベルです。
それを支えているのは「知りたい」という探求心と「無責任な事はできない」という責任感。
そう、自分に足りないのはそこなのだと思う。それが一番痛かった。
自分はどうしてこの仕事を選んだのか?独立したのか?この先生の様な情熱が自分にはあるのだろうか?と自問自答したら「そこまでは無い」としか出ない事が一番きつかった。スッとは割り切れない。
なので、自分は最初からやり直しの気持ちで通っている。
本当に靴がはけなくなった。
後、これは忖度無しな話です。忖度無しな話です。自分が生き証人なのでもう一度言います。
忖度無しな話です。
めっちゃ、めっちゃ太腿とお尻?骨盤?が細くなった!ビックリするくらいに細くなりました。本当に。体重はそこまで変わっていません。お腹のお肉はまだある。
あるのに、どうしてズボンやスカートが滑り落ちるの?骨盤から。最初は状況の意味がわかりませんでした。お腹のお肉あるのに、どうしてずり落ちていくの?
先生に聞いたら「奇遇ですね、僕と同じです」と茶化してくる。先生もお腹のお肉を落とす方法を模索しているそうです。一方でズボンがズルズル滑って裾が汚れてしまうとのことでした。
先生曰く「キチンと立って歩けているから」だそうです。お腹のお肉が取れないのは歩行では余りお腹が運動してくれないからだそうで。でもお腹の運動はしんどいので何とかならないかと先生も答えを探していると。やっぱり先生もそれ嫌なんだw
ウェストラインが、というよりミドルヒップ?あたりかな。とにかくサイズが落ちたというより削り取られた様になりました。知らない間にゴッソリと。どうしようウェストラインはまだあって高床式倉庫みたいになっている。そこから下は断崖絶壁みたい。もう少し上まで削り取ってくれたら嬉しいのに。
あと、もう1つ伝えないといけないことがある、あるのです。
「靴が履けなくなった」
これも衝撃的でした。きっかけは「草履」と「ワラーチ」と「フラットシューズ」だと思います。特に前2つ。歩行の練習に入ってからはまずフラットシューズに切り替えて、もっと色々試して見たくて「ワラーチ」へ。でも何か足が痛いのと「ワラーチ専用」の歩き方になっている気がして断念しました。
そして遂に辿り着いた「草履」w まずは部屋履きから。そして夏場だけ草履、更には春にも草履を散歩に導入する私。靴はドンドンフラットなものへ。
身体の事が楽しかったので割とすんなり、でも夢中になって取り組んでいました。楽しかったです。そして1年くらい経ってふと思いました。今の自分が「ウォーキングシューズ」を履いたらどう感じるのだろうか。5本指ソックスを履いたらどう感じるのだろうか。
気付けば遠のいていた「昔日常履きしていたグッズ」が気になった訳で。先生もよく言う「とにかく試そう」が湧き出てきた。
これが私にとっての「あ」です!
靴、ウォーキングシューズです。約お三万円シューズなので性能は確かなはず。誰もが知っている有名メーカーですし。
凄い!凄い跳ねる!羽がはえたみたいに跳ねる!
私は気付く!ここで自分の感覚が完全に変わっていた事を!
「うわ!気持ちわる!」となったのであった!そう「凄い、これ楽!前に進む!」とショップで感動してその場で買ったあの時から考えると何だこの変化。
起こっている事は変わらず。むしろ何が起こっているのかをはっきりと感じ取れる様になりました。そして「感じ方」が全く真逆。
先生がいつも口にしていた事がやっと理解できました。
「靴がカラダの仕事を奪ってる」
私はこれを「靴がカラダを助けてくれている」と感じていました。違うと思う。先生、私やっとわかったよ。こういう事だったんですね。
これだけ「楽」させてくれる靴を履いて歩いたり走ったりしていた私。そうか、そういう事だったのか。何か見える世界がガラッと変わりました。
そして私の試行錯誤は続く。次は五本指ソックスだ!これ1足2,000円なんだけど。履いた、カラダが凄い事になる。え?どういう事?私何かに気付く。
2万円はたいて購入したウォーキングポール出す。使う。身体がとても窮屈になる。え?ナニコレ?どういうこと?
試す試すわ、私が信じた道具やツールの数々。感じ方が全く違う。何で「草履」と「足袋」が一番快適なの私?どうなっているの?
枕も試す、加圧も試す。ずっと仕舞っていたモノをあれこれ試す。ああカラダが教えてくれる。そういう事か。そういう事だったのね。世界がブワッと広がる感じ。楽しいよカラダ!
身体が育つってこういう事?カラダと会話するってこういう事?
先生が家族と仕事で人生が十分満たされるという意味わかる気がする。先生はライフワークになっているんだ。
確かに誰かが「研究者」と書いていた気が。私もそれに同意!完全同意!
突き進むのも、途中下車も自由なこの俊カイロ。私はずっと続けてきて本当に良かったと思います。
一緒に宿題をしている息子の言葉を借りてこの場をしめる。
「ワクワクが止まらない!
自分の中で何かを伝えたい、伝えるべき何かが感じ取れたら書こうと思っていました。半年くらい。
自信をもって「これだ!」と思える出来事をやっと感じ取ることができました。だから私もこの俊カイロ紹介戦線に立つことした。最前線へ遂に進撃だ。
症状は腰痛、肩こり、膝の辛さ。ヘルニア持ちです。一般的な症状に悩むおっさんだと思います。そこらへんの症状は割と早い段階で取れました。
ここは下半身が安定するまで、骨盤が整うまで?は月2回が推奨されます。なので私はそのペースで通っていましたが、2ヵ月目を終わるころには症状の殆どが余り気にならなくなりました。ありますよ、あるけど「日常に困るレベルではない」状態に落ち着きました。
ここに来るまでは色んな院に毎日通ったり、週3回通ったりと頑張った時期もありましたが、ここまでの変化は生まれてくれず。いや、その場の変化だったらそっちの方が大きかった。でも数日で戻るので何度も喜んでは肩透かしを受け、どうしようと悩んでいた感じです。
それに比べるとここは変化がかなりゆっくり、じわりじわりと起こる感じ。自覚しないと見落とす事も十分にあると思います。私が今回伝えたいのは正にそんな感じの変化なのです。
それは何か!
ズバリ、風呂掃除と草抜きです。
最初に気付いたのは風呂掃除、そして意識して感じてみると草抜きも全く同じでした。更にはスーパーから持って帰ってきた一杯に詰まった買い物袋。これもそうです。大きくなってきた子供を抱っこしたときもそう。
全部そう。どれも同じ事だった。
私は今までお風呂掃除は膝を伸ばして風呂の底を磨く癖がありました。楽だったからです。面倒だったからです。膝を曲げるのがしんどかったからもあります。
それが膝を伸ばした状態で腰を折ってお風呂を掃除するのが「凄く辛い」事に気付きました。今まではあれほど「楽」だったのに。屈伸して腰を落とすと「ああ、これだ」としっくりくる。感覚が逆転している。
あ、これが「あ」か。これがその瞬間なのか!知らない間に身体に埋め込まれていたのかと
草抜きも同じ原理。今までは足を真っ直ぐ腰を折ってついやりがちでした。その方が簡単で楽で面倒ではないから。腰をいちいち下ろすのが面倒なんですよね。それが腰を下ろした方が圧倒的に楽になっている。腰も辛くない。
子供を抱っこしてもそう、自分の足が根っこになった様な安心感。子供を抱っこしていない。「ただ立っているだけ」で子供が支えられる。今までは大きくなる子供を前に腰が、腕が、肩がと叫んでいた。
いつからこうなっていた?
これは気付かない限り気付けない(笑。 先生の施術の一番損をしている部分だと思います。これは先生が言葉で伝えても伝わらないわ。だって感覚的な話だもんね。
自分は運良く気付く事ができましたが、気付くまでは「全く自覚がない」状態でした。自分のカラダが切り替わっている事に。たまたま、本当にたまたまその姿勢を思わず取って「あ」と気付いた。
知らないままだったらせっかくできる様になっているのに、しないまま「今まで通り」生活していたかもしれません。変化を自覚することなく。症状が楽になっている事に喜びながら。本質的な変化に気付くことなく。
いや、本当にそれはもったいないわ。
ここ、院じゃないよ。習い事の場所だよ。本当にカラダの使い方を習いに行く場所。
そう考えるときっと俊カイロの価値が100%活かされて、先生の言葉の意味と目的がズドンと響いてくると思う。
最高に良い意味で「全くカイロじゃない」院です。カイロらしいけど。
去年のハロウィン?くらいからお世話になり始めました。症状は腰痛、肩こり、ギックリ腰、ヘルニア診断あり、膝痛い、片頭痛ある。全身だるい。眠りが浅い。目がしばしばする。そんな感じです。
通った場所、沢山あります。スタンプカードあったらどれだけ埋まっただろうかというくらい通っています。整骨院、整体院、病院、鍼灸院、カイロ、オステオぱしー?漢方薬局、脳調整とか腸の調整とかも。
本当に沢山通いました。何とかしてくれー!という気持ちで。でもやっぱり何とかならなかったのでここに来ました。何とかしたかったので。
初めてここに行ったときに、色んな検査をしてもらったし、色々な事をお話ししました。凄い細かいカルテも後で送ってもらいましたし、説明も沢山してくれました。
細かすぎて頭がついていきません。ただ、カルテの真っ赤な感じで「ああ、これは相当悪そうだ」という事だけは私でもわかる。
実際、先生からの解説でも最後にしっかり書いてありました。
「この状況を変えていくのは一朝一夕では難しいです。何を目指して取り組むかはご自身でゆっくり考えてから決めてください」
ああ、これが噂の「主体者はあなた」方式なのね。先生からの提案が全くないw その代わり提供される情報の量が半端ないわ!
これは確かに人を選ぶなぁ。自分で責任を負って行動してくださいってことよね。これは楽したい私にはグサリと刺さる。まるで先生から「引き返すなら今ですよ」と言われている様でした。
そして私は引き返したw もっと早く安く何とかならないかなと思って。
11月と12月、ネット検索で引っかかった凄そうな先生を頼る。手当たり次第に通った。誰か何とかしてくれないかなと思って。だって早い方がいいもん。安い方がいいし。
でも状況は変わらず。というか俊カイロの解説を見た後なので何処に行っても症状解説が凄いシンプルに感じて「?」となる。そんなもんなの?と。でパキッとされたりブルブルマシンをしたり。状況は余り変わらず。
ここで初めて思った。これ、私の問題?この方法だから変化が無いの?やっぱり私が思っている程軽い状態では無いのかな?でも他の先生は「そんなに悪くない」「割と早いよ」と言ってくれた。にしても変化がない。わからない。どうしよう。
ちょっと困った。どうしよう。そこで改めて俊カイロに予約を取りました。ここで落とし穴にはまる。ここ皆注意して!!!私の初めての時って「新規枠」という特別な枠だったそうです。2回目以降は「一般の枠」となるので、一気に予約が取りにくくなります。
なので予約が取れたのは2週間後でした。希望時間枠だと3週間先だったので予定を調整して対応。ちょっと自分甘かったかも。
改めて受けて先生から再確認がされる。「最短ルートの提供はできますが、実際に進むのは〇さん自身となります。そこは大丈夫ですか?」と。
そして私、責任が渡されようとするとどうしても躊躇する。そして見抜く先生。特に説得や説明があるわけでもなく「迷いがあるときは進むより自問自答の時間で良いと思いますよ」とまとめる。
そう、私は未だに決め切れていないのです。決めて欲しい、任せたい、楽が良いという人間なので。
じゃあどうして口コミを書いているのか。それは主人が通っているからです。「言われるとおりにしてたらええんやろ、めっちゃ楽やん」と人柱としてお世話に。
家で宿題?をする様になってから「こんなんでホンマにええんかいな」と言いながら続ける主人。そんな主人の変化に私が先に気付いたのです。だから口コミを先に書く事にしたのである。
「あんまり変わってないで」と言いながら生活する主人。目の前で見ている私には明らかに変わっているのである。動きが。
「アタタタ」と痛そうな声を出すのは今までと同じ。だけど動きが違う。全然痛そうに見えない。前は言葉と動きがいかにも一致していました。椅子から立ち上がる、物を取る為に腕を伸ばす、寝起き。痛そうにゆっくり動いていました。私も経験者だから良くわかる。あの固まった感覚。少しずつ剥がれていく感覚。
それが薄れていっているのだ。スッと立ち上がり、サッと伸ばし、何なら片足立ちで腕の距離まで伸ばしている。動きは軽く、言葉は今まで通りに「いたたたた」
何これ?
最初はできていなかった宿題の動作が段々とスムーズになっている。ブリキの人形に油がさされた感じ。脂は未だに沢山あるくせに。
ああ、証明されている。「やれば変わるのだ」という事が・・だがしかしその「自分でやる」がハードル高い。できれば「やってほしい」。それが私だ。
「やってほしい」では変化が出なかった。
「自分でやる」では目の前で変化が起きている。
先生が言っていた「自分次第」とはこういうことかT_T
ベテラン勢です。かれこれ4年?くらい通っています。
ヘルニアベテラン勢、そして神経痛マスター勢です。(自虐)
今はネタになっていますが、当時はもう痛くて痺れて怖くて不安で、毎日泣いていました。タクシー代でどれだけ飛んだか。辿り着いた病院で本当に2時間待ちの5分診察を何度も経験してやさぐれていましたw
病院ダメだと有名な整骨院の先生を頼ったらバキッとされて、凄い楽になって感動したのに夜に余りの痛みと熱に眠れなくなって。翌日連絡したら「日にち薬で良くなる」と言われたから信じたら、日にち薬で熱も痛みも治まったけど、ビリビリがどんどん強くなって。また電話したら「その日、何かしましたか?」と聞かれ。何か怖くてもう行けず。
有名な整体の先生を頼ったら、ふんわりする施術で安心していたらビックリするくらいに何も起こらなくて毎日9,000円?払い続けて。院長氏名で別料金が3,000円?くらい。
怖さや不安を通り越すと、ヒトは「無」になります。もう考える事を放棄する。何をやっても空回りというか「思ってたんとちゃう」状態が続くと「無」になりますw
心療内科を家族に勧められた時に「ああ、そこまで私来たのか」と無から帰還。というタイミングで俊カイロ!!
初めてお世話になったのが32の時、今もう36になりました。
症状は1年目で全部旅立ちを迎えました。1年目の後半からはもうカラダの事を勉強しに来ている感じです。2年目は完全にカラダの練習をして、3年目からはメンテナンスに入っています。
あと、一番の理由は「先生と話すこと」です。私と同じ様な地獄を経験したとは思えないエネルギッシュタイプ。でも穏やか。どっしり。たまに見かける楠みたいな感じ。確かに。確かに旦那では無理なんですよ。この安心感。
どんな症状で不安になっても、呪文の様な詳細解説で因果が解き明かされる。名探偵コ〇ン君というより服部タイプの先生です。「理解をすれば怖くない、見えてしまえばそんなもん」と良く仰る。その通りだと感じる。
面白いと思ったのは、ここのメンテナンスは溜まった疲労を抜く、とか整えるとは違います。「キチンと使えているか、感覚がズレていないか」の確認が目的です。あくまで主体は私達にあり、日々のチェックアップが目的となります。前向きというか積極的なメンテナンスで個人的にドンピシャ!メンテナンスコスト、と言うよりチェックコストというのが価値がある。だってメンテナンスは基本項目に入っているし。お得大好き
通院リズム
1年目初期:月2回
1年目中期:月1回
1年目後期:月1回~隔月
2年目:月1~隔月(タイミングは任意)
3年目:季節ごと(年4回)
4年目:季節ごと(年4回)
カラダのピラミッド的に言うとAA達成したら健康な状態みたいです。安定感が段違いになるそうで。
SSになるともう怪物レベルだそうです。院にある一本下駄も先生みたいにスタッと立てるレベルになるそうで、更にはカラダの声が聞こえるから大ごとになる余程手前の段階で「あれ?」と気付けるそうで。
AAでは何となく違和感に気付けるくらいかなぁ。でも先生は褒めてくれる。「それだって凄い成長ですよ」と。それが嬉しい。人は頑張ったらやっぱりほめてもらいたい。
いや、書いていて思った。そう「自分の感覚を信じられる様になる」という成長というか変化がここで得た最大リターンだと思う。少年漫画に出てきそうなセリフだけど本当にそう。「自分の感覚を信じられる事」(無駄に2回言う)これが先生の決め台詞「患者力」?なのかと
今疑問に思ったので後でラインで質問してみます。ここはラインで質問し放題です。私は気になるサプリと健康グッズは必ず先生にフィルタリングしてもらいます。9割「僕なら使いません、買いません」で後に呪文の様な解説が届きます。だから買わないのか。納得。という感じ。
そして先生が面白い、優しいのは、更に「僕ならこれを買う」と類似品で安くて確かな品質のものを教えてくれる点。これわざわざ調べてくれたのかなと申し訳なる。
今までお世話になった先生はもっとドライだったなと。商売だから仕方ないと思いますが、でも割と疲れ果てて辿り着くと思うので少しでいいから心がホッコリする関わりはあった方がいい。
先月、先生が教えてくれた新きめ台詞「意識が変わると、景色が変わるというよりも、景色の見え方が変わりますよ」
このちょいちょい出てくる本質的な決め台詞。どうやって降りてくるんですか?と聞いてみたら。
「今のこのセリフは、グルメ漫画から拝借しました。ちなみにタイトルはこれでテーマはこれで朝ご飯を食べるというだけの・・・・云々(以下呪文解説)」
威風堂々と悪びれず答える先生が、実に先生らしい。
娘がお世話になっています。クラシックバレエをしているのですが、身体の不調を良く訴える様になってきたので。
こちらにお世話になる前には教室の先生から紹介された整骨院に通っていました。教室の生徒さんが殆どそちらに通っているので頼りになる先生だなと。ほぼバレエ専門にされている様でした。
ただ、受けると楽になる様なので教室帰りに立ち寄って帰宅というリズムを刻んでいたところ、段々と楽にならなくなってきた様で。
バレエの先生にも整骨院の先生にも色々相談したのですが「割とよくある」という事で引き続きリズムを刻むという流れに。力の使い方がまだ少しぎこちないのも原因かも?という事で上達に従って取れる可能性が高いという事でした。
ただ、本人が少し辛そうで。ママ友との会話でも似た様な話が出るので「通る道なのかな」と思いつつ、でもそんな道を通らないとダメなのかなとも思いつつ。
娘の姿勢が綺麗になったら、くらいの感覚だったので何かモヤモヤが出た感じです。
で、姿勢矯正を専門にされている院に通ってもみたのですが、説明の内容は整骨院の先生とは違うものの、受けた内容は似た様なものだったそうで。それが2~3院程続きました。娘の方が「また違うところ行くの?」と疲れてきた様子。
良くないループにはまった・・と思ったところでこちらを見つけました。というか紹介されました。本当に偶然です。
乗り気ではない娘を連れていき、はじめての時。
一通り終わった後に「お母さん、少しだけいいですか」と娘とは別に呼ばれる私。
「娘さんはお母さんが言うからついてきた状態です。だから今は通う事は止めた方がいい」
こんなこと言われたの初めてです。今までは「時間が掛かるから回数券を提案する」でした。だから買っていました。
え、じゃあどうしたらいいの?と思ったのですが先生は「練習風景を映像で見る事はできますか?」と。
カラダの状態は良くわかったが、原因との紐づけをしたいとのことでした。確信が持てない以上は具体的な対策が提案できないと。
通うのは止めた方がいいと言われたけど、どういう事?と状況が良くのみこめず(笑
どうも娘のカラダはかなり不自然な状態にあったそうで、日常生活でそうなるとは思えないと。娘くらいの年頃(小学生高学年)だとほぼ「習い事」が原因だからとのこと。あと、先生は「習い事が悪いとは言わないが、お母さんも理解はしておいた方が良いと思います」と少し怖い事を仰る。
取り合えず、教室の先生に許可してもらった範囲だけ撮影をして先生に届ける。
ここからが凄かった。
先生は動画編集ができる様で、後日にその練習動画に「この動きはこの関節にこの様な動きを要求する」といった吹き出しやらテロップやらが組み込まれた動画が届いた。
人の関節は本来どの様に動き、どう繋がるか。その角度は何度であり、この動作では何度が要求されているか。
何この解説書。娘の解体新書?
そして娘が今口にしていた症状や違和感がどの動作から来ているか、先生の解釈が組み込まれていました。
こんな先生、います?これ初回の10,000円でしてくれたことですよ。しかも「通わなくていい」と。※流石に申し訳なさ過ぎて後日伺いました。でもお金は受け取ってくれなかった(施術をしていないから、と)のでお菓子にしたら受け取ってくれました(差し入れとして)。
あと、とても印象に残った言葉がありました。そんなことを言ってくれた人は初めてです。
「今なら家庭内でコントロールが利くと思う。娘さんのカラダを守ってあげてください。今はとても大事な成長期です。」
「娘さんが目的に納得して調整に来る、と言うならいつでも大歓迎です」
えええええ~~~先生、超あったかいんですけど!!!うちの旦那と交換したい!と心底思った。
旦那の言葉「バレエやってるから大丈夫やろ」 おい(怒
理学療法士をしています。紹介でお世話になっています。
自分は勉強のために通っている立場ですので、それ程の症状を抱えている訳ではありません。当然同業プランで通っています。
ここに来るまでにも色々なセミナーや勉強会には参加してきました。かなりの投資をしています。ですので割と自分の技術にも自信はある方でした。
紹介をされたとき「あまり深く考えない方がいい」と紹介を受けたのですが、その意味が受けてわかりました。
先生が良く言葉に出す「向こう側」ですが、これは「医学書」に限りません。「教科書」にも「技術」にも当てはまります。もう全部です。
例えば筋力検査。先生は既に「教科書の向こう側」に辿り着いていると感じます。私たちは教科書通りに学び、覚え、そして実践します。
先生は違う。時に組み合わせ、時に応用に踏み込み、Aという検査にBの意味を持たせ、AとCを組み合わせDという結論を導く。
検査を使いこなすとこうも情報が飛び交うのか。技術力より発想力に驚きます。しかもそれが「必要だったから」という理由で。もう「必要は発明の母」を地で行く様な先生です。
掘り下げ方が尋常ではないので確かにマニアックな部分もあります。ですが個人的にはどれもが本質的で必要なものだとも。
施術が副産物とは言ったものだと思う。先生にとってはひとのカラダの探求こそが仕事であり、施術はその副産物そのもの。だからこそのこの形だと思う。
施術が仕事になっていると、この形での関わりは絶対に無理です。採算に合わない。
商品として磨き上げることよりも作品の追及をする先生。そのスタンスだからこそ到達できるレベルの内容。
湯川教授じゃありませんが、実に興味深い!自分も負けていられないです。
親族からの紹介でここに来ました。私はちょっと異色なタイプだと思います。こういった院は余り通っていません。基本的には女性専用サロンばかりでした。だって怖いから。
人に見られる仕事をしていたので割とタイトな服やヒールを日々履いていました。歩き方もかなり意識的に「どうすれば綺麗に見えるか」を考えていました。仕事も日常もです。
当然、職業病の腰痛や膝痛、片頭痛から背中の痛み?違和感から不眠まで。オンパレードです。でも周りの皆も似たようなもので「そういうもの」と片付けていました。というか「専用サロン」に週1で通う事でカバーをしていました。
何年かはそれで大丈夫だったのですが、段々と症状がおさまらない状態に。週2にしてもダメ。ちょっと高級なサロンに変えてもダメ。紹介をされた凄腕の先生にみてもらってもダメ。
仕事を辞めるしかないか、と思っていたところでここ。じゃないんです。まだあります。私は「靴」から来ていると思ったので、足を専門にしているサロンでお世話になる様になりました。
靴をオーダーメードで作り、体操やトレーニングも教わり、歩き方も仕事と日常を分けて取り組み、あれこれやりました。
でも、楽になったと思ったらまた戻って。どうしても抜け出せない。仕事が辛い。通うのも辛い。良くなっている実感が欲しかった。自分の中にモヤモヤが広がって不安が常にベットリしている感じ。本当にきつかった。
思い切ってオーダーメードで整体靴?も買いました。でも履いて歩いても変わらないんです。怖くなって検査もしました。レントゲンもMRIも脳ドッグも血液検査も。でも「関節は問題ない」「血液は問題ない」「脳は問題ない」と言われるばかり。
じゃあこのカラダはどうなっているの?軽い発作、パニックまで出てくる始末で親には心配かけました。でも仕事は空けられない。体重落ちる、食べられない、やつれる。眠れない。もう完全な悪循環。心療内科は仕事を休めないかと提案され、漢方は飲んだら猛烈な吐き気が。
ここで紹介をされたのがこちらです。
初めての時、殆ど私の愚痴でした。今までの経過を全部吐き出して、泣いて、もう訳がわからないと一人で勝手に途中から泣いていました。今考えたらああ、恥ずかしい。。。。
もっと簡単なものだと考えていたのに症状がややこしくなって、状況がややこしくなって、自分が何をしたいのかもわからなくなって、自暴自棄?もうどうでもええわみたいな感じになっていました。
1時間はグチグチ話してからの先生の言葉が一言
「あなたは何処を目指す?」
私は「というと?」と返す
先生は「ゴールは幾つもある。痛みだけ取る、根本的に変える、キチンと理解しながら進む、結果だけでいい、どのゴールを目指しますか?」
私は「体全部、丸ごと取り替えたい」
先生は「簡単だけど難しいよ」
私は「というと?」
先生は「自分を変える、という事だから」
私は「それで変わりますか?」
先生は「治る保証はできないけれど”変わる”の保証はできます」
私「やる!」
先生は「確かに承りました」
こんな感じで始まりました。
凄い勉強になってる。自分がしてきた健康メソッド、健康シューズ、食品、全部先生に伝えて、先生が1つ1つに丁寧に答えてくれて。
何が悪いではなくて、その全てが今の私を育ててきたという事。頑張った分だけカラダがしっかり育っていた(望んでいない方向へ)という事
受け入れられなかった私は沢山言いました
「でも有名な先生が作った」
「でもフォロワーが50万人もいる人の商品」
「でもTVで紹介されていた」
「でも販売実績が10万着だった」
先生は1つ1つ説明してくれました。それがどういうモノか。その道具はどういう役割をもって、どのようにカラダに働きかけてくれるのか。
私は一体何をやってきたのか。聞くのが怖くなってきてまた泣いたw 何だか自分が情けなくなって。健康意識が高い自分を意識していたのに。
「道具は助けてはくれても健康にしてくれる訳じゃない」
響いた。響き過ぎた。「着けたら良くなる」「履けば良くなる」と説明されて信じていたから。
そう、結局は私が「楽したかった」だけ。それを超強烈に自覚させられた!!謳い文句に「のっかった」のは私。
涙腺崩壊で「私が悪いの?」と聞いてしまった!!!(赤っ恥
先生、優しい。
「悪くないですよ。何も悪くない」
「ただ、知らなかっただけです」←ん?ちょっとグサリ
あ、結果だ!そっちだもんね。皆が知りたいの。
通って半年くらい。症状は出たり入ったり。
でも8割減だよ。痛いじゃない。違和感だけ
痛みも健康の一部。その意味を考えながら通っています
紹介されてお世話になっています。
今まで沢山の院でお世話になってきました。かなり口煩い方だと思います。気になったら聞かずにおれない。
そんな私から見たこの先生。最高におもろい。控え目にいって最高です。
何がおもろい。それはもう「悩んでいるポイント」からしておもろい。
私が今まで出会ってきた先生は「難しい症状の改善のさせ方」に悩んでいる模様。それが普通だと思う。だからこそ勉強会やセミナーに参加をする。突破口を開こうとする。
それがね、それがよ。
この先生は違うのよ。なるほどなぁと感心した。
「どうやったら良くなるのか」なんてもうサクッと見極めがついているそうです。問題は「どう伝えたら理解してもらえるか」なのだそうで。
でも先生は言う。「説得しても意味が無いです。」「納得して行動してもらえないと意味が無い」と仰る。
聞かずにおれない私は当然聞く。どういうことやねんと。
「やるだけで良くなると誤解される」
「目的も意味も理解せずただするだけでは効果は出ない」
「順番が大切だから飛ばすと逆効果」
「意味ある事の意味を理解すると加速する」
「結局は当事者として行動できるか」
「足りない人は辿り着けない」
何か奥が深いなぁ。わかる様なわからないような。
実際に宿題始めるとええよ、わかるから。なるほどなとわかるから。
靴下1つ、乗り方ひとつ、力の捉え方1つ。先生の教えてくれるポイントを意識していくと結果が違う。積み上がる。先生は道具を自分の目的に合わせてカスタマイズしている。これがホンマの活用やで。
禅の教えを受けている気分になるから、言葉を噛み砕く作業がおもろい。楽しい。任せたい人には向いていない院ですわね。
追求、探求系の人には無敵の院で間違いない。
まずは先生の示すベクトルに従ってみるといい。自分なりに頑張ってきたと思う。考えてきたとも思う。中々先生の言葉に従おうとか思えないかもしれない。
観念したらええねん。私らの10年分の試行錯誤なんて、この先生は多分1ヶ月くらいで全部終わらせてるで。
下手な考え休むに似たり。
餅は餅屋
小さなプライドで流れ込む価値を手放すなんてもったいな過ぎるで
追伸ー最近の先生は「靴」にドはまりしてるらしく、靴職人かいうくらいの靴マイスターになっている。分析して解析した結果、辿り着いた最後の結論がもうまた面白い。地頭良すぎやろ。
紹介でお世話になっています。
ヨガ講師です。独立はしていなくて雇われしていまーす。まだ9年目くらいの若造です。※同業プランでお世話になっています。
カラダの事をもっとよく知りたくて色んなセミナーに参加していたのですが、5つ目くらいから「何か言っている事が似てない?」と思い出して離脱。
技術や集客的なものよりも、もっと根本的な人のカラダを掘り下げたいと思ってきたところで!「そこでしょ!今でしょ!」的なノリで紹介を受けました。
紹介をしてくれた先生のアドバイスが最高に好き。「録音・撮影は自由だけどやめとけ、無駄。ムダ。ムダァァァァァ!!!」
大正解!するだけムダァァァ!!でした。
同業プランだからか、なのか情報量が本当に凄いです。今まで通っていたセミナーは基本的に「技術」「集客」「アフターフォロー」な感じでしたが、こちらはもう最初から最後までが「解説・解説・解説」な内容です。
その内容が余りに深く細かく繊細なので私は初回40分くらいで完全に頭がショートしました。ヨガ仲間の中では「凄い勉強家だよね!」と褒めてもらってばかりだったので少し思いあがっていた様でした。先生の説明、深すぎてさっぱりわからん。
ここまでの事を考えながらカラダを触っていなかったし、考えながら取り組んでいなかった。形が綺麗か否か、キチンと型が取れたら結果はついてくると思っていたし、教わっていました。
代償動作。言葉は知っていましたけどそこまで細かい区分けが必要だったとは。。意識的な運動の盲点、ああ、ヨガのポーズって何か意識的な動作の塊に見えてきた(泣
先生の言う「溶け込む」とは程遠い様な気がしてきた。
今まで教わってきた内容と同じ方向性なんですけど、中身がもう全然別ものな感じ。どうしてこの先生がセミナー講師をしていないのか。そっちの方が不思議。というかこういう先生が本来すべきなんじゃないの?
何かこう、自分が凄い勘違いしていた人に感じてきちゃって「脱力感」と言いますか。「無」に還ってしまうんですよね。ああ私は何をしてきたんだろうとか。自虐的になると言いますか。
他の方が書いている内容、あれ本当になりますよ。自信があればあるほどに多分そうなる。
でも確かに一般向けかと言えば難しいかも。一般枠だともう少し噛み砕いた内容だと聞きましたが、やっぱり「理解度」「関心度」が結果に直結するそうです。二極化すると言っていました。
先生の言葉で印象に残っているのが「結局は技術が良くする訳じゃない」という一言。あれ響きました。
「すればいい」「受ければいい」これ、ヨガにも当てはまります。ヨガをしていれば健康になれる。そう安易な印象で始める、続けている人が多いです。そして柔軟性豊かなカラダなのに腰や膝を痛めている。
この矛盾はずっと感じていました。その答えが見つかった気がします。やっぱりそうなんだと。
実際、先生が仰るカラダの感覚は私は6回目くらいにやっと股関節や膝が分かってきた感じです。自分で動かすというより力を繋げる感覚。本来はこういうのをヨガって伝えるべきじゃないの?と思いつつ。
そして先生のあの衝撃の言葉。
「効率的にカラダを使える様になると代謝は落ちる。要求される動作に対して求められるエネルギー量が減っていくから。正確には「落ちる」というより「穏やかに落ち着く」と言った方がいいかも。」
これは本当に衝撃を受けた!でも考えたら実に当たり前の事だとも思った。
カラダの扱い方に長ける程にエネルギー効率は良くなる。そうなると最小限のエネルギーで最大の運動を取り出す事ができるという事。
え?じゃあ代謝アップするってどういう事?
先生が理論立てて説明をする度に、私を構築していた世界観が爆音と共に崩れていく。信じていた僧侶が週末はデーモ〇閣下だった、様なインパクト。
この先生は右でも左でもなくカラダに対して中庸だ。事実だけを見て、冷静に分析をして判断をする。
その結果が「そうだと言われている・思われている」状況を無慈悲に叩き割る。でもそれが確かなのだから仕方が無い。
知らぬが仏、もあるかもしれない。
でもここは「正しい事を知りたい、学びたい」と思った人には理想的な学習塾だ。
ネオ(マトリックス)の様にマトリックスから現実に目覚めるのか!俊先生は間違いなく「モーフィアス」である!
テニスをしています。コーチから紹介されました。成績は国体参加がマックスでした。(過去形)
バリバリ現役では無いので今の目標は「末永くテニスを楽しむ事」です。パフォーマンスの向上ではなく「故障のないテニスライフを末永く」を求めてこちらにきました。
現役時代は筋トレを中心にしたトレーニングを組まれていましたが、こちらは神経系が多い様で中年にはとてもありがたい。テニスというより健康全般によさそうな取り組みです。健康寿命がのびそうだ。
実際、先生もテニスプレーヤーだとは理解しつつも「専用メニュー」ではなく一般的な流れで施術や宿題の組み立てをしてくれました。
はじめの時に色々とお話をして、こちらの要求を伝え、先生が提供するモノの説明を受け、それではやっていきましょうか。という感じです。
ここまでは一般的な整体院や整骨院と同じでした。
ここまでは。
ここからは全然違う。検査検査検査検査。検査検査検査検査。
もう検査の嵐。でもその流れがとてもスムーズで別に嫌な感じはしない。先生に説明されたり「どうですか?感じますか?と何度か問われるが「良くわからない」としか答えられない。左右どちらも同じ感覚で使っているから。
後で聞いたら「気付く人はそこで気付く」だそうで。先生はその場で「いやそれ違うの」なんて否定をしてくることはありません。「なるほど」と流していきいます。
これも後で聞いたら「現時点での感覚を確認しているだけ」だそうで、正解か不正解かは気にしていないそうで。
力が入るかどうかの検査だと思っていたら、色んな事を同時に調べられているんだなぁと感心した。流石はプロだな。
予約の時間は120分ですが、100分くらいで施術は終わって宿題や体の状態などの説明がされます。これがまた細かい。聞いていて半分も理解できなかったけれど、確実にわかったのは「変な癖の塊」だったという事。
カルテランクはDDでした。
運動習慣が私の支えでしたが、それは決して「自然なカラダ」の担保にはならない様です。歪んだ状態で頑張っていただけだった様で。
先週、別の院で施術を受けてたのに。それもプレミア矯正を。何で?ちょっとショックでした。褒められたのに。。。。。
そんな感じでスタート。
初期は2週間に1回ペース。下半身が安定するまではこのペースが基本だそうです。「ペースを守れない場合は?」と質問してみたら「施術はしますが、効果はやっぱり薄くなります」とのこと。
この先生の面白いところは「詰めて通えば効果は倍になる?」と聞いたら「施術ありきのカラダができあがるだけです」と2週間の壁が破れない。
今まで「詰めて。それも毎日が一番いい」と言われ続けていた私には意外な言葉だった「間を空けろ」なんて言う先生いるんだなぁと。
この先生は何か芯が通ってるな。そう感じる。
実際に変化を感じたのは、連結の宿題に入ったころかな。明らかに変わった。そう言える。安定感がまるで違う。ここで「あ、この為の積み重ねだったんだ」と気付く。信じて良かった。
先生の良いところ、商売が下手なところは「下半身が安定したから間隔を伸ばしましょう」と自ら提案してくるところ。今までの院では間隔をあけるなんてこちらが提案しない限り最短詰め詰めで通っていたぞ。
この先生は誠実だなぁと感じる。嘘が付けない人だ。
そして
そしてそして
体幹を通過し、上半身へ、そして全身の連結に入った時。先生の言っている事が「あ、こういうことね」と理解できた時。
テニスプレーヤーとしての自分が劇的に変わりました。もう本当に劇的に。多分変化は前からで、自分ではっきりと自覚できたのがこのころ。
足で打つ感覚。
ラケットで打つではなく、手首や肘、腕でもなく。「足」で打つ。正確には足の力でボールを迎える。
打ち返すじゃないんですよ。向かってくるボールを「迎え入れる」感覚。同じテニスというスポーツをしているのに、全く違うスポーツをしている感じに急に変わる。というか段階的に確信した。
第一段階:「・・・・・」
第二段階:「・・・・・?」
第三段階:「・・・こういう事?」
第四段階:「あ・・やっぱり」
第五段階:「・・・・・マジか」
覚醒期:「うわぁぁぁぁい」
こんな感じ。
現役じゃないから、落ち着いて状況を分析できたから。勝ち負けに拘る状態じゃないから。
そんな現時点での環境がそれを許してくれた気がします。これは新鮮だ。動く事が楽しい。テニスって「足でするスポーツ」だったのかと。
色んな事を試せる。それも楽しい。
隔週から始まった通院は、今は年2回になっている。
メンテナンスというより「維持できているかの確認」の為。
こういうところもまた、先生らしい。
書く。ここで自分が書く。パンピー代表として!
難しい技術の事も知識の事も私はわかりません。パンピー代表です。
過去編!過去編!
今までは本当に裏切られ続けました。今まで私が信じた先生にはそんなつもりは無かったのかもしれません。でも信じた私はそう感じました。
「良くなる」「〇回で十分」「もう大丈夫ですよ」
神経痛で歩くのが大変、お風呂大変、トイレなんてもっと大変。そんな私にとって救いの言葉となったこの数々。
信じたからこそ回数券を買った。先生開発のグッズも買った。お世話になっている恩返しのつもりで。一番高いスペシャルメニューを基本選択した。
言葉を信じて託したのだ。その気持ちとして、対価としてお金をキチンと支払ったつもりだった。言われた通りに週3~4で通い続けた。
症状が改善しなかった事に裏切られたと感じてるのではありません。結果を請け負った以上は「申し訳ない」と簡単に保証をした事への詫びの一言が欲しかっただけです。
でも誰もそれをしてくれなかった。クレーマーだと思われたのか受付でもう嫌な顔をされ始めた。担当まで院長からスタッフに変わった。
何なのだこの業界は。と一人で怒り狂っていた。
もうどうでもええわ。もうしらんわこの人生。そんなやさぐれマンになっていた私に、恩師が「私が信頼する先生や」とこちらを紹介してくれた。
すいません、ここからが俊先生の話です。ここまでは私の思い返すと燃え上がってしまう過去編でした。でもこれが無いと伝わらない。だから敢えて文章にしました。
〇初回
初回は120分。2時間。これ本当。この時点で何かここ違う。
私が過ごした時間。200分。3時間20分。施術よりも私がずっと自分語りをしていた。全部を吐き出した。先生は遮ることなく全部聞いてくれた。
そして「何が足りなかったのか」「何を埋めていくか」を説明してくれた。そして実際に検査。カルテランクEE。改めて見ると酷いカラダだ。
今までの先生は「もう大丈夫」と言ってくれた。でもそういう事に疑問符を持つ私に先生はこういった
「EEのカラダだと何が起きても不思議ではない」
しょっぱなから強烈なダメ出しを受けた訳だが、少なくとも私には光が見えた。現実的な課題が見えたのである。
真っ赤に染まったカルテを見て「具体的に見えるって、ああこれが見える化なのね」と不思議と冷静に。
なお予約は1枠だけど、先生は私の過去編を鑑みて2枠空けてくれていた。※後日それを知ってハートがズキュンする。
〇2回目以降
まさかの初回と同じ、毎回120分。
2回目からは20分くらいで6,000円とか払っていたのに、ここは120分で10,000円のまま。
いいのこれ?
内容は初回とほぼ同じ。全身を検査。宿題を通してどこまで変化が生まれているかを確認。
宿題をクリアーしていればカラダが確かに一気に変わっている。一方で宿題が今一つだったらカラダの変化は小さい。
自分次第で健康になれる?と光が更に大きくなった。今までは「受けて縋る」様な形だった。正に人頼み、神頼みだった。ここに来て私は自分頼みを覚えた。
〇宿題に詰まるパンピー
最初は簡単だった宿題が、少しずつ難易度が高くなる。
すると詰まるパンピー。難しい。コツが掴めない。でも先生は何度でも教えてくれる。確認の為に予約外の隙間時間に行っても対応してくれる。
でも先生は予約枠以外では決してお金を受け取ってくれない。今までの先生は「結構です」と言いながら「そうですか」と受け取った。俊先生は「これは業務外です」と受け取らない。次からは差し入れに切り替えた。これは受け取ってくれる。→私胸ズキューン
〇停滞する時は何かある
状態が停滞する時、必ず何かがある。私はずっと技術のせいだと思っていました。でも俊先生は優しく厳しくキチンと伝えてくれる。
「ここがブレーキになっています」「ここをこう使いこなして、症状が停滞するなら改めて考えましょう」と。
私の場合は殆どが「宿題の練度不足」でした。キチンと練習して掴んで身に付けると確かにカラダが前進する。
ああ、やっぱり私自身の問題なんだ。逆を言えば自分次第なんだよな。私また光が見えてくる。
足りない。ダメ、2000字軽く超えて怒られた!!書きたい事が多過ぎる。他の人に負けたくない!伝えたい!
え?私の症状ですって?もう日常生活に戻っています。何も気にならない。先生は「自分で育てた結果です」と褒めてくれる。私もうズキューン。
私や先生の先導のもと、自力で自分の人生を取り戻した。
一番大事なのは
俊先生には嘘が無い。言葉に責任が乗っている。信頼できる。安心できる。突っ走れる。
それが一番大事
この私が言うのだから!間違いない
自分で探して見つけました。自分が納得のいく先生を探して探してやっと見つけた。長かった!でも探してよかった。
こちらの先生に掛かる前に、本当にしっかりとことん「何を目的にするか」を考え抜いた方が良いです。何となくで来たら多分「う~ん」となると思います。一般的な整体院とは本当に違います。パーソナルジムに近いです。機械は無いからトレーナーか。そうかパーソナルトレーナーですね。そんな感じです。
〇何をしてくれるのか
1.全身の検査をしてくれます。
本当に全身の検査です。この検査がまた面白いのがカラダの成長度合いに合わせてより厳しくなっていくという事。
最初は70点くらいで合格が出ますが、全身のバランスが取れてくると「じゃあ細かくいきます」と検査精度が上がります。
最初は力が入るかどうか。次に力が綺麗に出せているかどうか。更には力の方向が正しいかどうか。
まだ次があったのか!とぬか喜びしてしまいますw
2.検査しながら教えてくれます。
検査をしながら力の感覚?について色々教えてくれます。これが惜しい、これはこうなっている。だからこうしていかないと身体が整わないなど。
自分では普通の感覚なので「え?」となる。自分にとっては普通だけど、これ普通じゃないの?となります。
感覚の上書きと先生は仰いますが、これが割と厄介でした。でも、これができる様になると本当に身体が変わる!
そして私は靴(ランニングシューズ)が本当に履けなくなった!あと、補正下着もダメになりました。つけた瞬間のあの「あ、切り替わった」という違和感。
これが感じ取れる様になります。
3.宿題指導があります
今、必要な事を宿題として指導してもらえます。簡単そうで難しい。そしてこれにもやっぱり段階があった。
ストレッチボードなんて立ってたらいいだけと思っていたら、これも使い方がしっかりある。そしてストレッチの仕方もしっかり方法論が確立している。
適当にしていると逆効果なのかと気付きます。なので宿題の正しい取り組み方も最後にしっかり指導してもらえます。動画もあるから親切設計
4.後でカルテが送られる。これ毎回
施術の後にカルテがラインで送られてきます。これがまたわかりやすい。
面白かったのが全体としては80%を超えて優秀じゃん!と思ったら凄い偏った「くびれ」が出来ていて、ああだから腰痛が出ている訳ね。と百聞は一見に如かず状態になる。
「ここを補えばいい」と教えてくれる一方で「ここを補わない限りは変わらないのか」と今までの自分の頑張りが「惜しい。かなり惜しい」事に気付く。
5.質問が自由にできる
個人的にはこれが一番良かった。求めていた。知りたい、この欲求に応えてくれる先生をどれ程探し求めた事か。
一般論は私には不要だった。もうそれは知っている。そうじゃなくてもっと地に足付いた「理論」に触れたかった。それも自分が納得できるレベルの。
専門性を突き詰めた様な俺様理論が聞きたかったけど、ここではそれがあふれ出している。私にとってはもう図書館を手に入れた様なもの。
質問はラインなら無制限、院内でも枠内なら自由。時間の使い方を自分で決めていいという点もありがたい。施術が多少次に回っても私はキチンと話を聞きたかったし質問したかった。
聞きたいことが全部聞けて、スッキリして帰る事ができます。
6.納得が大切だと思う
自分が納得できる事。やっぱりそれが一番だと思う。
私にとってはそれができる場所が見つかった。施術も宿題も納得している分だけ楽しい。あれこれ考えて取り組み、先生に出来・不出来を検査で確認してもらう。問題なければカラダが整い、惜しかったらカラダに歪が生まれる。
とてもわかりやすいのだ。
そう、私は先生が言う所の「取り返しのつく失敗」を沢山出来る場所が欲しかったのだ。失敗の数だけ経験値は溜まる。それも自分自身の中にたまっていくのだ。
こんなにコスパの良い話があるだろうか。持ち帰り可能なんですよ!
こういう「蓄積型」を探していたのであ~る
資格はOT,講師業としてはピラティスをしています。マシンピラティスです。
もっと自分を磨きたい!と思ってこちらの門を叩きました。同業プランを利用しています。特に確認作業も無かったので申告しなければそのまま一般プランでいけそうな感じもします(汗 そういうところは無頓着な先生です。
でも、先生はすぐ気づきそう。感受性が凄い豊かな先生です。言葉やしぐさ以外から沢山の事を読み解きます。常にダブル、トリプルチェックがリアルタイムで進む感じ。凄い集中力だと思います。
私がマシンピラティスをしている事もあって、先生は凄い量の質問をしてきます。逆質問です。先生が素直に感じた疑問点を素直にぶつけてきます。そして私はそれに全く答える事ができませんでした。わからなかったからです。
その時に初めの「あ」がやってきました。自分はピラティスの専門家なのに、伝える事はできても、答える事ができていない。理解した専門家ではなく暗記した専門家なんだ。。。と自覚したのです。いやいや、させられた。それも質問だけで。
というか、自分が理解しているピラティスって何だろう。単なる「方法の暗記」であって自分の言葉で説明できる事、自分が確信もって伝えられるモノがない。全部教科書に載っている事、先生から教えてもらった事しかない。
え、専門職ってこんなんだっけ?と自問自答とただ何か恥ずかしい。みっともないという自己嫌悪?とは少し違う羞恥心がモクモクとわきあがる。うわぁ聞いた通りだ。禅問答が始まる。強制的に自分と向き合わされるT_T
今まで通ったセミナーは「ほめてくれる」場所でした。先生も仲間もお互いに褒める、認めあう。一緒に頑張ろうと。とても居心地が良かったです。
ここは私を1人の専門家として認めてくれている先生が「専門家に」質問をぶつけてくる。浅い質問から入り、とどまることなく掘り下げられていく。とにかく先生が楽しそう。「本職に聞いてみたかったんだ!教えてくれ!」感が凄いw
専門職として敬意を払われた上での質問だけに、答えられない現実が余計に心に刺さります。もう先生の方が良くご存じな気がしますなんて言えない。
思い知らされるってこういうことなのね。ええ、思い知ったわ。
〇「あ」と「え?」の連続
私は今まで生徒さんに「良い商品」だと思って色々な物を販売してきました。利益はもちろんですが、何より効果がキチンと出ると私が思ったモノしか扱いませんでした。
先生のご要望でそれらを持ち込み、私が実際に着て、履いて検査をする。その結果生まれた感情は「え?」です。
想像していたものとは全く真逆の結果。納得がいかない私は同じ検査を10回くらいしてもらいました。
着けたらアウト、脱いだらクリアー。おかしいでしょ!反対でしょ普通。
あれも?これも?え?どういう事?じゃあ自分が感じていた「良しいい感じ」という感覚はそもそも間違いだったという事?
ピラティスの人として、というよりその前のOTとしての自信まで崩れていきました。もうガラガラと。ベルリンの壁崩壊です。※年代バれる
ここで私は覚悟を決めた!腹括った!自分を否定して作り変える!辛い!自分の努力を否定するようで本当につらい!でも今しかない!ラストチャンスかもしれない。焦りの方が強かったかも。
でも今考えるとこの商品を買ってくれた人達、私を信じてくれていた人達に対して何という事をしてしまったのか、という罪悪感が一番強かった。偉そうに独立開業だー!って息巻いてこれ。燃え尽きそうだった。
月2回、みっちり半年通いました。合計で12回。先生からは「一通り終わったよ」と言われたものの・・・・・できてないわ!私が!!ペース早いのよ先生!
という訳でキチンと心身で理解・身に着けるまでと半年追加!合計24回!
19回目くらいから自分の感覚に自信が持てる様になりました。なので最後の5回は来たぜ2軸歩行!
これがまた難しい!理屈はわかるけれどカラダが中々馴染まない!ですよね、数十年の癖を上書きですもんね。でも先生優しい。歩行指導を院の外で実際に見せてくれながらしてくれました。ほんと助かる!覚え悪いから!
〇そして始まる怒涛の「ええ~!」
マシンを使う、高性能シューズを履く、着圧スパッツを履く、スポーツソックスを履く、ポールを使う、サポーターを使う、補正下着を使う、コルセットを使う
もう色んな事を試しました。もう驚きしかない。ええ!ナニコレ!えええ!!
感覚が今までと正反対。つけて安心、頼もしい!いいわ~!だったのが「何かが崩れる!え?アカンアカン!うわ!うわ!」と何かが崩れる。
「ありきの健康」の意味がわかった。先生の見てる世界がわかった。
私が今までいた世界が客観的に見えた!
Hello World!
ずっと悩んでいました。
坐骨神経痛、片頭痛、背中のハリ、倦怠感。疲労感。首肩のコリまで。症状のオンパレード。脳のMRIでも異常なし。腰のMRIではヘルニアと診断を受け。
病院では手術をした方が良いと提案されたくらいです。でも怖くてそれは避けていました。
東京の先生や名古屋の先生、兵庫の有名な先生にお世話になりました。勿論大阪の先生にもです。芸能人が通う先生やアスリートのトレーナーをされているという先生ばかり頼りました。
最初は「任せてください」と言ってくれてとても嬉しかったのですが、中々症状が取れない状態が続くと対応が最初と全然違ってきて「これは難しいかも」と言われてしまい。。。。ほかの先生を紹介されても似たような状況になり自分でももう無理なのかなと諦めていました。
今の自分でできることをしていこうと。うまく症状と付き合っていけばいいと。
少し投げやりな感じになっていたのですが、そこで両親が紹介を受けてこちらを知りました。多分8院目です。
自宅から一番近い。これがまた何ともご縁といいますか。ぐるりと一周して辿り着いた感じがします。そんな感じでお世話になることに。
そして初めての民間療法の院でした。今までの院は全て国家資格をお持ちの先生ばかりだったので。民間資格の先生はどうしても敬遠してしまうといいますか。
藁をもつかむとはまさにこのことですよね。先生にとってはとても失礼な話だと思いますが。。。。もう行き場を失ったから来てみた。それが正直なところでした。
実際にお世話になってからですが、結論から先に入りますと症状は殆どありません。現時点では。まだ通院中です。でも症状を何とかするために、ではなくて体の使い方をもっと学ぶ為です。通う目的が途中で変わっています。
これは私だけでなくて、この院のテンプレートだそうです。
月並みな今更な言葉なのですが「最初からここにきていたら良かった」と心底思いました。先生に支払った金額は15万くらい。
ですが、ここに来るまでに支払った総額は80万以上です。交通費や宿泊費を加えたら100万は軽く超えています。でも何も変わりませんでした。※先生はどなたも一生懸命してくれました。
何を基準に選ぶべきだったのか。あの時の自分に伝えたいことが沢山あります。もっとキチンと考えてから選ぶべきだった。
今も私と同じ様に困っている人が沢山いると思います。お世話になっている先生を信じて毎日通っている人も。
もしここを選択肢に入れている人がいるなら、私の感じたことがお役に立てるかもしれません。主観的なものですが残します。先生が仰るギャップを取り除くお手伝いになるかもしれませんので。
●「自分に足りないもの」を教えてくれる
ここは「受けたら良くなる」系統の院ではありません。本当に違う。今の自分に「足りていない」「違う」「惜しい」を教えてくれる場所です。
身体に良いと思って取り組んでいたこと、買ったもの、使っているもの。
自分で自分の体を追い詰めていることが少なくないそうです。私も健康グッズを幾つも指摘されました。
「正しい情報と知識」を教えてくれるので後は自分次第。本当に自分次第になります。
●私達に任せてくる
先生は「教えてくれる」までは超理詰めです。頭がパンクする量の情報を流し込んできます。体の状態、問題点、課題点、克服するために必要なこと。
でも、そこから先「するかしないかは任せます」で終わり。強制は一切しません。本当に道筋はつけてくれるけれど、お尻を叩くことはしません。見守ってくれるだけです。
自分の健康は自分で育てるべき、と考えているそうです。
●なんでも教えてくれる
俊先生はLINEでの質問は無制限です。こんな先生は初めてでした。当然ですが、質問に対しての返信のボリュームが凄い。超理詰めです。
自分がどれだけシンプルに物事を考えていたのか思い知りました。健康器具なんて「やればよくなる」くらいに考えていた程度です。だから身体を悪くしていたのかと。
●症状は変化を重ねる
これは新感覚でした。痛みや違和感がスパン!と取れることはありません。ただ、じんわりふんわりと変化していきます。この変化を楽しめる人は大丈夫かと。変化って希望が持てるんですよね。宿題を頑張った分だけ変化がきちんと出るのはうれしいポイント。
●習い事の感覚
先生の施術を受けに行く。という感じではなくてカラダの使い方を教えてもらいに行く。そんな感じで行くのが良いです。「受けたら何とかなるだろう」で行くと何も変わらないんだけど。となりそうな気がする。
変化は施術より宿題の積み重ねでした。私の場合は。先生は段取りをつけてくれるだけ。でもそれが一番大事。
そんな感じの先生です。
同業者です。開業の理学療法士です。整体院やっています。
こちらに来る前はPT/OTに特化されていた(と思う)整体セミナーを受け、開業に至りました。売上的には順調です。その点は有難い。
ただ、身元がバレないからこんな事を堂々と白状しますが、仕事にやりがいを感じる事ができていません。ただ、ただ売り上げを上げ続けているだけの状態です。
習った通りに言葉を出し、予約を先々まで取り、施術をする。それも短時間で。自分が何をしたかったのか。お金が欲しかったのか。やりがいが欲しかったのか。仕事がどうしても指示待ちになるのでそれが苦痛で仕方が無かったから独立をしたのに、結局やっている事は同じ。
相手が誰であろうと対応が同じ、言葉も同じ。やっている施術も同じ。金太郎飴の様な毎日で売り上げは確かに上がる。PTを信じてくれる人たちがやってくるから。凄い胸が痛くなりました。だからここに来ました。答えが見つかるのではないかと思って。
1年くらいお世話になったのですが、お陰様で自分なりに答えが見つかりました。
この人にはかなわない。辿り着けない。それが私の結論です。
色々な方が仰る「ステージが違う」「次元が、格が違う」という言葉は本当にその通りです。根本的に設計図が違う。
施術家として提供するサービス、技術。それはこの先生からすれば「オマケ」なのです。何より最優先にされてるのは「ヒトのカラダの分析」です。その掘り下げの途中で零れ落ちる知識や経験、技術がサービスとして提供されています。
わかる人にはわかると思いますが、この時点でもう規格外なのです。
私達は殆どが仕事、それ以外を分けています。「仕事だから」という理由で取り組んでいる人が圧倒的に多い。だから仕事以外の時間ではカラダの事はそこまで意識にあがりません。「業務外」だからです。
この先生は違う。「歩く」「立つ」「走る」「動く」全ての日常が研究対象であり実験であり、自分以外の人は「貴重な教科書」です。街中で出会う人全てが教科書になっています。だから思考が止まらない。
来るたびに先生の考え方に変化が起こるのは「日々考え続けているから」です。「毀誉褒貶」でも「朝令暮改」でもない。どんどんブラッシュアップされているだけです。
ライフワーク化していると言って良いと思います。こんな人、少なくとも出会ってきた開業PT/OTには1人もいなかったです。皆、如何に短時間でより多く稼ぐか。それを第一に開業に向かっていました。※言葉は立派でもサービス内容がビジネス的(高単価かつ短時間)というか。
プロは短い時間で纏めるもの。そう信じていた時期が自分にもあります。開業直後はずっとそうでした。
でも、どこかで何となく気付いてもいました。「知らない人に向けて手抜きをしているだけだ」とも。
色々な言い訳を自分の中で用意してやり過ごしていましたが、ここに来て全部吹き飛ばされました。何も言い訳できない。先生のカルテを見せられて、検査を受けて思った事。
「ああ、これが本当の整体だよな」という事。
丁寧にカラダをみて、思考し、原因と結果を結び付けていく。そして可能性をリスクの小さい順に、カラダが喜ぶ流れで育てていく。
自分で自分のカラダをお世話する事。手間を掛け、暇を与える事(ここ、受け売りです)
自分がなりたかった理想像がここにありました。ただ、そこに至る道筋を見せつけられると自分には到底できない。どうしてそこまで楽しめるのか。
これがビジネス感覚で開業した人間と、強烈な使命感、目的意識を持った人間の差なのでしょうか。
1を聞いて10を知る。それができる層がきっと「職人気質」と呼ばれるホンマもんになっていくんでしょうね。
売上ばかり追い掛けている人は一度経験しておいた方が良いと思う。背中を向けるのだってアリです。
ただ、ホンマもんを肌で感じておいて損は無いと思います。
あ、あと「あの先生は矯正しない、それはできないから」と言う同業何人かに会ったことがあります。※彼らは実際には受けていなかった。
確かに先生は殆ど矯正をしません。しても最小限です。
これは矯正を受けたレアケースとして言わせてもらいたい。
Youtubeでよく見るパキポキ動画。それの半分以下の小さな動き。そして1本だけがポコンと動く。滅茶苦茶スマート、コンパクトです。
関節矯正、というかその段取りが滅茶苦茶上手です。だから矯正が本当に小さくポコン。でした。
先生は「できない」ではなく「できるけど、しなくなった」側です。間違いない。