口コミ
ウルトラウォークのコース選択をしています。
私も関西エクストリームウォーク100で先生を見掛けた口です。私が遭遇したのはスタート時と深夜帯です。
他の方と似たような印象ですが、とにかく「朝と変わらない」姿にびっくりでした。本当に淡々と。そんな感じ。
みんな辛そうに歩いてるのに、急に吹き出したりしてビビる。※ラジオを録音して聞いていたとのこと。
面白い人もいるなぁと話しかけたらもっと面白かった。
エクストリームなのは距離だけでいい。制限時間は体も心も縛る。
歩行はあくまでナチュラルを極めたい。
歩行分析が1日やりたい放題なんてご褒美でしかない。
自分の足で歩くことが大切だと思う。
「ロキる」という言葉を今日学んだ。
もうね、何か違う。視点が全く違う人でした。余裕があるとこうなるのかな。いや、参加動機がそもそも違うのか。
一番印象に残ったのが「最早、道具を活用しているのか、道具に歩かせて頂いているのか。さぁどっちだ」という問答。
何か私の中で腑に落ちた。
という訳で。次に向けて私も入った。
歩行のフォームは意識してきたし、ギアも意識したけど、「歩ける身体」は盲点だった。歩ける身体だと思っていました。
全然違ったね。うん。
次のエクストリームウォークは5月。まだ半年あるから生まれ変わった姿で参戦するぞ!
もうタイムは気にしない。如何に「力に溶け込むか!」がテーマです。2本足で生き抜きたいから!
私は心療内科の先生から紹介されました。
カウンセリングだけでは中々良い結果に繋がっておらず、先生が「心身並行して整えるのも良いかもしれない」と紹介をしてくれました。
紹介状はありませんでしたが、先生の方から直接連絡を取ってくれたみたいで予約はスムーズに。
とっても良かったです。
何が良かったか。
それは「縛られず」「決めてくれる」という居心地の良い距離感です。
何をしたらいいのか、何をすべきなのか、どうすれば良いのか、
頑張りたいけど、わからない。そんな状態の私に個々の先生は1つ1つ教えてくれました。
それだけじゃなくて、私の取り留めの無い話を遮らずにキチンと聞いてくれました。私のペースを尊重してくれる。
それで回数が増えても私は構わないんです。それは私がもたらした結果ですから。話を遮らない。まとめない。細かく聞いてくれる。
居心地がとてもよかったです。
そして身体。
時間だけは持て余した私なので宿題はしっかりこなしました。これがきっかけになればと。
自分では何も変わった様に感じない。でも、周りにはそう映ってはいませんでした。
「姿勢が綺麗になったね」
「歩き方がとても綺麗」
「立ってる姿勢が綺麗」
「何か前と違うね」
「笑顔が増えたよね」
「そんなに自分から話す人だったっけ?」
「質問魔になったね」
自分では全くの無自覚でした。知らない間に先生のペースに巻き込まれていたのか?
周りの人達からの見え方が変わっている事を自覚して初めて「私、変われてるかも?」と自信にも繋がりました。
そうか、それでいいんだ。
とてもシンプルなのに、沢山の気付きときっかけをくれた言葉。
夜眠れないじゃなくて、夜に眠たくなる。
朝起きれないじゃなくて、差し込む光で目が覚める。
ああ、答えはずっと足元にあったんだ。
気持ち1つで変われる。行動1つで変われる。不安な時はソロソロ歩きだけど、ここの先生がキチンと傍にいてくれるからきっと大丈夫だ。
心と身体と仲良くなろう。
そう!そうなの!と共感する口コミが投稿されたので、私も乗っかります!
私は紹介者無しです。自力でここを探しました。というか辿り着きました。もう長かったこと長かったこと。。。
私が次の誰かに伝えたいことは「選び方」について。
もう雑誌やHP、インスタからyoutubeまで。とにかく「画面の向こう側」からの発信については話半分以下でいい!!!ソースは私!!
とにかく会って話して受けてみて。そこで違和感を感じたら撤退!!ギャップを感じたらもう撤退!
デジタル媒体はとにかく「背伸び」し過ぎだと思う。それよりもデジタル時代だからこそ「アナログ」を大事にした方がいいです。
私は今まで何十万と健康にお金を使ってきました。通った院なんて50を下らない。リラク系入れたらどれだけ??
だから沢山の肩透かしも受けたことがあるし、断り切れずにうん万円の回数券や健康器具を買ったことだって何度もある!(なに自慢?)
相手を信用して、その信用を利用されたことが沢山あるのだ!
そんな私だからこそわかる「嗅覚」がある!ここの先生には「濁り」がないのだ!
そんな先生、今までで数える程しか出会った事がない。この若さでは特にない。(ああ、私の年齢がバレる)
人柄、院の方向性、取り組み方、値段、通院頻度、技術や知識
「通う」為には幾つかの条件が揃う必要があると思うけど、遂に揃ったのである。
そしてもう1つ!
私自身が安心して素直に取り組むとこんなに変化が出てくるのか。と驚いた。
多分こうだ。
1.先生を信頼している
2.説明に納得している
3.何をするか、何でするかに納得
4.上手になっていくのが楽しい
5.健康になりたい
自分自身の中で感情と方向が嚙み合っているからだと思う。
先生も言っていたが「最後は結局、信頼関係」ということなんだろうなと思う。
お友達からの紹介です。
医療系あるあるですが、人様の身体を見ている割に自分は全く見えていない。正確には「自分の場合は都合よい解釈で見ようとする」というあるある地獄にはまっていました。
で、体は確実にジワリジワリとやってくるわけで。
今までは自分都合のスケジュールでパーソナル行ったり、ヨガ行ったり、整体もいって、ピラティスもチャレンジして。
いやもう本当に会員証の数だけは立派になったw
そんな私がまさか根を張るなんてw
あれこれ言う必要は無いと思います。わかる人にはわかる。
病院からの紹介が多いのも納得。医療に携わる人が多いのも納得。
それは受けたらわかる。院長とお話をしたらわかる。
何かを感じた人が根を張っていく。そんな場所でいいじゃない。
俊カイロ。
ここは私達に「寄せてこない」場所です。
事実を丁寧に伝えてくれる。私が大好きな綺麗ごとや都合の良い情報はありません。「事実」を丁寧に伝えてくれます。
この先生は真面目、そして誠実だ。
「確かなこと」を知りたい、掘り下げたい私にはそこが重要なのである。
ピラティスとヨガの講師をしています。
今、私達の業界はインストラクターが凄い勢いで増えていて飽和状態です。プロってこういうものでいいのか、専門家ってこんなものだっけ?
専門家と一般の人との境目が段々と曖昧になっていく状況を目にして、昔からずっとヨガとピラティスを学んできた自分にはどうしても納得がいかない部分もあり、師匠にそのことを話した時に紹介されました。
「そう思ってるなら、触れてみなさい」と言われました。
別にメディアに出ている訳でもなく、youtuberとして華やかに活動をしている訳でもなく、普通の院という印象だったので「?」と思いながら予約。
希望の時間帯と曜日は空いているのが1ヵ月先。空いている枠にとにかく入れてもらう形で滑り込み。それだと翌週で入れました。セーフ!
☆受けてみて思ったこと
一言で言うなら別次元。そうとしか言えません。
ピラティス業界が、ヨガ業界が、なんて業界の行く末を心配している場合じゃなかったです。私がまず「余りに足りていない」現実を思い知りました。
まず、先生からの質問に答えられない。ピラティスやヨガの質問なのに。
☆身体の理解度が深過ぎる
ここの先生は筋肉系に特に強いです。次に神経かな?運動生理と神経解剖に特に強い印象を受けましたが、生理学・解剖学も理解がとても深い。要は全体的にレベルがとんでもなく高い。
ピラティスの教科書の内容ですらキチンと頭に入っていない自分が恥ずかしくなりました。
☆技術がとても繊細で優しい
これは凄いです。検査と施術の境目がわからないことが多かった。検査とは施術で、施術とは検査。禅問答の様な施術でステージが違うのがすぐにわかります。
先生は体を無理矢理には操作しない。身体と溶け込む様に情報を引き出していく感じです。
1つの検査から幾つもの情報を引き出していくのは初めて見ました。検査の概念が本当に変わります。
私は検査なんてしていたのか。している様で何もしていなかったのではないかと自問自答してしまう。。。
☆考えさせられる
施術とは、検査とは、人に寄り添うとは。先生と話をして施術を受けるだけで沢山の事を考えさせられます。
「できている」「それなりには」という自負心が打ち砕かれる(泣
でも。これだけは言いたい。伝えたい。知ってもらいたい。
触れて良かった。
知れて良かった。
傑物はきちんといる。静かにそこに佇んでいる。
例に漏れず。
エクストリームウォーク関西100で先生をペースメーカーにして、そのままこちらにお世話になった口です。
驚くべきはそのリズムの不変。本当に道の形状を問わず一定のリズムを刻み続けるウォーキングは凄かったです。
最初は穏やかなペースだなぁ、何処かで抜いてしまおうと考えていたのに、抜いた後に少し信号で止まると後ろに迫ってくる草履の音。
引き離しても引き離しても追いつかれる。
深夜帯に体力が削られるこちらに対して、淡々と飄々としている先生の顔を見ていると「自分は何を必死にやっているんだ」と自分を客観視してしまう。
こっちは草履の人を意識してしまう。意地を張ってしまう。
先生の目にはこちらは映っていない。ただリズムを刻んでいるだけ。
自分の歩行は先生の歩行と違う。何かが違う。
次の大会ではもっと楽に完歩したいと思い、先生のウォーキングコースに入る。
歩き方の指導ではなくて、歩ける体を作っていく。そうか、私は歩けない身体で頑張っていたのか。
自分がどうして疲れやすいのか。1つ1つを証明されていくのはキツイ。刺さる。
でも向き合わなければ求める場所に辿り着けない。
次は5月だ、頑張れ自分!
〇100km/ウルトラウォーク完歩コース
〇開始時期
23年11月→現在は3回目
〇きっかけ
関西エクストリームウォーク100で草履で歩いてる猛者を発見。
深夜に周囲がフラフラしている中で1人淡々と歩いている姿が印象的で勝手にペースメーカーにする。
延々とペースが変わらない事に驚く。というか歩いている?跳ねている?
自分で再現しようとしてもできない。
そのままついていくが、坂道で離されていく。何と坂道でもペースが変化ない。これには更に驚かされた。
思わず話しかける。それがきっかけ
〇通う
次のエクストリームウォークに向けての歩行の作り替え。
それをここでお世話になろうと決める。
〇今の状態
余りに固い足首に驚愕し、今は足首をゆっくり調整中
歩く為の身体ができていないことを思い知りながら頑張っている。
このまま継続してここに記す予定。
自費で整体院をしています。一応、国家資格持ちです。
自身の院運営もそこそこ順調で、それなりに自信もついていました。いや、かなりつけていました。だからここに来たんです。
「今の自分ならここの施術を解析して取り込めるはずだ」
と高を括って。ええ。身の程知らずでした。
とある勉強会で何度かこちらの先生の噂を耳にしており、いつか受けてみようと思っていましたが、その「いつか」がやってきました。
そんな感じです。
ぶっちゃけなお話ですが、自分が専門家として看板をあげていて良いのだろうか?と自問自答するくらいにレベルが違い過ぎました。
この院に入る前の自分と、後にする自分とで本当に同一人物か?と疑われるくらいの挫折があったと思います。事実、奥さんに「どうしたの?」と聞かれるくらい憔悴していた様です。いや、実際していました。
売上どや!だった自分の如何に小さき事よ。太平洋に出たつもりだったのに、実は家の前の水たまりでドやっていたのかと。
メダカが海王類を前にした感覚ってきっとこうなんでしょうね。
自分が専門家を名乗る資格があるとしたら、目の前のこの先生はどう表現すればいいのか。同じカテゴリーに収めるのは通らない。本当に別次元です。
何が別次元かって?受けたらわかるよ。話を聞いたらわかるよ。質問1つでもしたらすぐにわかるよ。
根本的にもうステージが違うんだよ。同じ土俵に立っていない。同じものを見ているはずなのに、見え方が全く違う。見通している距離も全く違う。
泣きそうになるよ、本当に。
同業の方へ先達として残す。
ここの施術を受けるなら、本当に覚悟を決めた方がいい。自分が今までに積み上げてきた物が一瞬で崩れ去るリスクが余りに高い。
先生が何を言っているのかわからない、それはもう先生の世界に触れることすらできていないという事だ。
でも、先生の世界に触れると「ああ、これがホンマモンか・・・」と思考停止に陥る。
勝てる気がしない、というより同じ土俵に立てる気すら起こらない。考える程に思い知らされるからだ。
知らずに井の中の蛙を続けるのも御免蒙るが、知って無力感に苛まれるのもキツイ。
玉石混交、ピンキリと呼ばれる世界の「玉」「ピン」側はとんでもない領域だ。
1から出直します。
お忙しいところ、無理に時間を作っていただき、ありがとうございました!
せめてまともな質問ができる様になってからまた挑戦します!
今で半年くらいです。月1ペースで通っています。
もうね、楽しい。
自分の知らない事を沢山学べて、自分で取り組めて。私には「自分でする」という点が最高にいい。
今までの場所は「こちらにお任せ下さい」の形だったので私がいつまでも自立できなかった。それがずっと引っかかっていました。
ここは違う。自分で取り組む。それを見守ってくれる。教えてくれる。正してもくれる。ヒントもくれる。
自分が成長するまでずっと傍にいてくれるのだ。
こんなに有難い話はない。何せ「卒業する」のを応援してくれているのだ。それで商売として成り立つのかと心配になるくらい
でもわかった。
学べば学ぶほど、知れば知るほどに「自分が見ていた世界が狭い小さい」ということに気づく。思い知る。
健康は思っていた以上に奥が深い。先がある。
だから私は見てみたい。生きている間にどこまで辿り着けるのか。
親からもらった大切な身体。できるだけ使い切ってから最期を迎えたいのだ。
1万円でこの内容、絶対に安いと思う。
半年前の私と今の私。
もうね、全然違うから。買い物が楽しい。自転車より歩きたい。
走りたい・・・にはまだなっていないw 歩くを掘り下げたい。
だから私も行くぞ!100㎞ウォーク!
病院からの紹介です。私は脳外科の先生からです。
割と大きめの病気をしたので、後遺症が少し残っているのですが、そのリハビリは病院の保険適用だけでは追いつかないからと。
その病院の先生に言われた事と、こちらの先生に言われた事が一言一句同じだったので「考え方が一緒なんだろな」と紹介に納得しました。
私はリハビリが目的なので痛みが、とかよりも体の感覚の話になりますが、それでも伝えられる部分は伝えたい。
リハビリは動きを取り戻す為の取り組みですが、私はここで「取り戻す」ではなく「見つける」と「育てる」を行っています。
今まで使ってこなかった、使っているつもりだった筋肉を自覚し使える様になること。そしてそれらを繋げていく作業。
繋がるほどに身体が育つ実感があります。後遺症のリハビリではなく「自分を再発見する」様な感覚です。
私も先生と同じ気持ちになりました。
病気の前に、自分の理想形に出会ってみたかった。
取り戻せないものがある中での取り組み。知れば知る程に悔しさは出てきますが、それでも「以前の私」とは全く別の私が育っていくのも確か。
今はただ、紹介をいただけた。出会えたことに感謝しています。
ウォーキングの専門メニュー第1号になりました。
関西エクストリームウォークで先生を発見したのがきっかけですw
淡々と?ペタンペタンと?何かが違う歩き方をしている人がいる。
しかも草履で。何だあれは?
そんな感じで声をかけさせていただき、2軸を知りました。
少しご一緒させてもらって気付きました。
坂道になってもペースが変わらない。リズムも変わらない。
周りがペースダウンするなら、1人だけ淡々と坂道を上る。
えーーーなんで?しんどくないの? 今、深夜0時だよ?>
これが2軸だそうです。これは衝撃的だった。
平坦な道と何も変わらないんですよ。何で?
5月の関西エクストリームウォークまでの6ヵ月間で2軸に切り替える。頑張るぞ!
やっと来れました。
ずっと前から紹介されていたけど、何やかやときっかけがなく。
やっと来れました。
本当に聞いていた通り。
してもらう、やってもらう、お任せする
それとは全く正反対の院です。
情報を整理してくれる、プロセスを教えてくれる。道筋を示してくれる。支えてくれる。
でも、取り組むのは自分自身。
本当にパーソナル。まさに健康のパーソナル。
自分で健康になりたい、体のことを知りたい、教えてほしい。
そんなタイプの人にはこれ以上ない場所。
私にとっては天国みたいな場所です。
問いに対する答えが全て揃っている。何より失敗や寄り道まで認めてもらえる。
楽しいです。
身体から感じ取るモノが変わってくる。
考えながら生活する。
気づく度に何かが変わる。
身体を動かす生活そのものが楽しくなります。
かかりつけの先生からの紹介です。
いつまでも元気でいたーい!といつも言っていたからでしょうか。こちらを紹介されました。
整骨院さんとかパーソナルには通っていた時期がありますが、今はすっかり駅前トレ派の私。
自分の好きな様に運動する怖さを思い知らされました!何この×だらけの結果!私は力任せに頑張っていた人みたいです。
運動ってすればいい訳じゃなかったのね・・・・・
そんな感じで自分の勘違いをドンドン修正していく感じです。
体の使い方、体の状態、自分の知識とかも。
先生は聞いたらなんでも答えてくれる。楽しい。質問票を持ち込む人がいると聞いたらそれ私です。忘れるからメモしていってますw
知るほどに楽しくなるからだ。知るほどに奥深いからだ。
楽しんで健康になれる。それって最高だと思いません??
私はそう思ったよ!
知り合いからの紹介です。
ずっと整骨院に通って維持してきた身体でしたが、根本的に物事を解決できないか?と考えていたところ紹介してもらえました。
パーソナルに近いからそこだけ注意して、と言われました。
実際に先生にお会いしてその通りだと思いました。カイロプラクティックの技術を使ってのパーソナル、という感じです。
身体のことをここまで調べられたこと、体のことをここまで詳しく教えてもらったことはありませんでした。それくらいに情報量がすごいです。私は溺れました(笑
どちらかというと直感人間なので「この先生は違う」と感じた私はひたすら宿題をこなす日々。
おしりの宿題を通過したときに変化は劇的に起こりました。
あの「自分だけど自分じゃない」感覚は新鮮です。何が違うか説明がつかないけど、間違いなく何かが違う。うわーってなりました。
考えてみたら「子育て」もそうでした。
何かを育てるってきっとこういうことなんでしょうね。小さな小さな積み重ね。自覚するのはある日突然。
本当に私は出会えてよかったです。
あれこれと文章を書くのは得意ではないので簡潔に紹介したい。
一般的な「院」という概念が通じない。コンセプトが違う。
健康にしてください!そんな「与えてもらう場所」ではない。
健康になりたいんだ!何したらいいの!これでいいの!教えて!
そんな「教えてもらう場所」だ。
つまり。自分自身が明確に「そこに辿り着きたいんだ!」という意思が必須。ここで「連れて行って!」は通用しない。
「答えを与えてくれる」ではなくて「答えが知りたい!」という人向けの院。
先生は手伝ってくれる。とてつもなく優秀すぎる「手伝ってくれる人」なのだ。
自分は通うの楽しいです。毎回先生に挑む感覚です。いや、先生の「検査」に挑む感じです。
通う前の自分、通い続けている自分。
はっきり言って「段違いに」違うよ!
ここにたどり着くまで、本当に沢山の院を巡りました。どの院もとても親切な先生ばかりでした。
でも、求めていた場所ではありませんでした。
私は痛みを取りたい訳じゃないんです。いや、痛みも取りたいんですけど、その前に「何でこうなっているのか」を知りたかったし「どうすれば良いのか」を知りたかった。
知りたかっただけです。
その私の問いに答えてくれる、応えてくれる院がやっと見つかった。
何が起こっているのか。どうしてこうなっているのか。
そして今、何が必要なのか。
私の身体を検査して、理路整然と状況を整理してくれました。
何故か?それはこんな状態だから。こんな身体だから。
じゃあ何をすればいいのか?
ここから始めたらいい。やり方はこんな感じで。
やっと地図が手に入った。そしてガイドも雇えた。これだ。これを求めていた。
最短距離を示しながら、最速で辿ることよりも試行錯誤を優先する先生。
失敗を通して成長するのは身体より私自身。
自分の身体を、自分の健康を人任せにしない。その為の学習と経験がここには詰まっている。
とにかく楽になりたいなら他の院を私は推奨する。
とにかく知りたい、学びたい、身に着けたいなら迷わずここだ。
上とか下とかではない。土俵がそもそも違うのである。
ここは痛みをとる場所ではない。健康を学び、健康を身に着ける場所なのだ。
慢性化した腰痛、肩こり、首のだるさ、頭の重さ、しんどさ。
いろんな症状を抱えていました。
整骨院、整体院、鍼灸院も沢山行きました。脳ドッグにも行きました。でもダメでした。
心療内科で紹介されたこちらに来て、私は変わりました。
何も特別なことはしていません。多分。
生活を改めて、きちんと体を動かして、お風呂に入ってグッスリ眠る。ただそれだけのことで身体はどんどん良くなりました。
何が違ったのか。
1つ1つの指導がとてもきめ細やかにしてくれただけです。
何をどんな風に取り組めばいいのか。教えてもらったことを反復しただけ。それだけでずっと悩んでいたことが1つ1つと剥がれ落ちていきました。
丁寧に、誠実に。言葉だけじゃなくて行動でも示してくれる先生でした。
今は年4回です。
パーソナルの先生から紹介されました。
先生が通っている先生だそうです。
私が希望したのは「健康になること」だけです。痛みは特にないですし、フルマラソンも走っていて、パーソナルでも頑張っていたのでそれなりに自負もありました。
イメージとしては「更に健康を加速させる」感覚でしたが、1から作り直しになりました(泣
自分の意識、脳に寄せた健康の作り方から自分の体に寄せた健康の作り方へのシフト。
体と会話するという言葉の意味が少しずつわかってくると面白いです。
特に食事。頭ではもっと食べたい、味わいたいと感じているのに、身体はそれを望んでいない。その感覚が「なんとなく」わかるんですよね。
それの逆で頭はもうリタイヤしたい、しんどいと囁くのに、身体はもっともっと動きたがっている。
事件は会議室(脳)で起きてるんじゃない!現場(身体)で起きてるんだ!が自分の体に起こっている。
こちらの紹介でいくつか目にした謎の文言「世界が変わる」「風景が変わる」
その意味が私もわかる様になってきた。
身体は本当に奥深い。生きている間に扱いきりたい。
トレラン仲間からの紹介です。
きっかけはその人の走り方が急に優しくなったこと。フォームを変えたのかと聞いたら「走るということが変わった」という珍回答が。
その心は?と重ねると「とある先生」というから私も来ました。
私は単なる走ることが好きな人なので、体のことはよくわかりませんが、体を使うことは人並みかと思います。
なので、ただ先生の指示通りに宿題をこなしていました。身体は確かに軽くなってきたけど、走り方が劇的に変わる様なことじゃない。じゃああの人はどうやって?
と思っていた私は、自分が「ピラミッドもAまで来たし、終わりが見えてきたのかな」なんて勝手に思っていただけだと思い知ることに。
歩行訓練に入った後です。劇的に変わったのは。というか気付いたのは。そこで私は気付きました。
そう、今までの宿題や施術が「仕込み」に過ぎなかったのだとw 歩行の練習はもうオールスターです。宿題のオールスター。すべての宿題の要素が連結しあって歩行動作が完成する。
足上げ歩行から押し出し歩行へ。1軸歩行から2軸歩行へ。ここで私の歩行が劇的に変わりました。そしてその先のランも変わりました。いや正確には歩行がランに溶け込んで、ランが正統進化した感じ。
歩行の変化がランを成長させた感じかな。表現が難しい。
ここからである。記録に興味がなくなったのは。
歩行でもランでも地面から伝わる情報を拾うことが楽しい。身体に伝わる情報を追うのが楽しい。
足場一つでこんなに変わるのか。いや変わっていたのか。
歩く、走るという行動の定義が確かに変わった。歩くって新鮮だし、走るのも新鮮。個人的には歩くの方が俄然楽しくなっている。拾える情報量が多い。情報を終える時間もある。
いやーこれは新鮮だ。まったく世界が変わった。
自分が世界に溶け込むようだ。力が循環する。いや、知らない間に先生に感化されてしまったのか。
もっと掘り下げたい。今はそう思う。
社会人で野球しています。チームがというよりコーチがこちらの先生を推奨していたので割と皆お世話になっています。自分は月1で3年目です。
チーム契約になると色々と面倒らしくて、個々人の判断で通うという形にしているそうです。というか先生がまずそういうの嫌がると思うけど。
今まではやっぱりチームが提携?していた整骨院の先生にみてもらっていましたので、その延長にあるもんだと思っていました。全然違うかった。
キチンと紹介しようにも、自分は何されているのかさっぱりわからないので、感覚的なものだけ伝えられたらと。
まず感覚。これが本当に変わった。
痛い、とか何かおかしい、みたいな感じ方ならできていたけど、それがもっと具体的になった感じ。「力が膝で止まってる」みたいな感じ。これ伝わりますかね?
右足は力が足から背中まで抜けていくのに、左足は膝で止まって、そこからまた力が追加されている感じ。不自然なんですよ。きれいに流れるほうに比べて。
今までそんな事感じることもなかったので、初めて感じたときは「何これ?」と自分にひきました。でも先生が見ているのはこういう事なんだなと。
次に感覚w
実際に使っている時の感覚が、力が止まるだけじゃなくて、繋がる感覚もわかる様になるから、自分のポテンシャルに「良い塩梅」が自分でできる。
無理をしようとするとやってくる「ギシギシ感」がそれを許さない。手を抜くと「離陸失敗」みたいな感じで抜けることなく力が萎んでいく。
これマジですごいよ。これ何なの?
こんな感覚も使い方も、今まで誰も教えてくれなかったんだけど。
なんで今?もうちょっと早く知りたかったよ。
今の感覚を持ってもう一回高校生からやり直したい。絶対に全国楽勝だって。
PS-下の予算は年額で一応書いておきました。