口コミ
ヨガとピラティスからカイロに乗り換えました。ヨガもピラティスも物凄く楽しかったです。教室の空気もよかったし、先生も凄い素敵な人で充実していました。じゃあなんでこちらに変えたのか?
それは年齢も50を過ぎて、きちんとカラダと向き合いたいと思ったからです。ヨガもピラティスもそれができていなかったとは思いません。沢山のことを先生から教わりました。本当に感謝しています。
じゃあどうして?となりますよね。
私の場合は「正しく、きちんと」知りたくなったからです。母のカラダが少しずつ悪くなり、日常生活にも支障が出始めたとき、あれだけ活動的だった母がどうして?と思いました。体操にもいき、ウォーキングイベントにも積極的に参加し、先生にはいつも「元気ですね!」と褒められて喜んでいた母がです。ふと、本当にふと思ったのです。母はよく「元気でいたいから行ってくる」といった言い方はしていなかったと。その代わりに「皆に褒めてもらいから頑張って行く」と言ってたことを。
自分にそのまま当てはまっている気がしたのです。いつもヨガの先生もピラティスの先生も凄い褒めてくれる。それがとても嬉しく、それが安心だから両方につい通っていた自分を自覚したからです。
「褒められている」ということが「キチンとできている」と繋がっているのだろうか?本当に健康な体を維持できているのか?
それが母の姿を見て突然不安になりました。自分も全く同じ道筋を進んでいる気がして。それがきっかけです。なので、こちらの先生のこと自体は前から知っていました。ただ、自分はもう通っている場所があるからと来ていなかっただけで。あ、あとやっぱり男性1人の院というのも引っかかっていました。自意識過剰かもしれません(汗
ですので、メールでの問診の時に「ハッキリと伝えてほしい」と前もってお願いをしました。「褒められて安心をしていた自分」もしっかりと伝えた上で。初回の時には「本当に良いのですか?」と確認を取られました。カラダの状態とイメージは大きなギャップがあることが多いので口頭では控えめに、代わりにカルテデータでキチンと送っているから把握はできますよと。
構いません。正しく把握したいので。と伝えて施術がスタート。最初のストレッチボードから躓きました。関節も、筋肉も褒めていただけましたが、肝心の使い方の方はやはり不自然なものですと。
この先生の凄いところは、何が?どこが?どの様に?という質問にとことん付き合ってくれるところ。それも本当に細かい、具体的な説明で返してくれます。きっと他の方も感じたのだろうなと思います。この先生は真正面から向き合ってくれている。公正な立場で向き合ってくれている。言葉を選びながら話してくれる様子に誠実さを感じました。
結局、私が思っていた通り。嫌な予感の通り、カラダはとても不自然な状態に仕上がっていました。先生の表現がとてもユニークで面白いです。
筋肉は柔軟、関節はとても滑らか。ここまではお見事です。「ただし」その優れた環境を強すぎる「意識」で完全に制御をしている。それでは筋肉も関節も、ノビノビと動くことができません。今のお身体は意識に振り回されている状態です。
カルテもピラミッドはとても奇麗、うれしかったですが、周囲の「使い方」の方は×と▲がとても沢山。やっぱりそうか。そうなんだ。
自分の嫌な予感が当たった事はチクリとしましたが、自分の感覚が間違っていなかったのは少し自信にも繋がりました。
先生は何が問題なのか、何が必要なのかをきちんと伝えてくれます。私はそれを理解しながら実践するだけ。2週間単位での通院で、その2週間が勝負だと先生は仰る。「受けること」より「その間」が大切という考え方。日常が大切ということ。
自分の中にスッと入ることばかりでした。
そして、途中で私も感じました。「あ」の時です。先生のいう「意識が力を制御する」という意味もわかりました。「力に従う、力を見守る」という意味もわかりました。
先生の伝えたいことは「溶け込む」ということ。巧みに操るではなく、全体の一部として溶け込むこと。
それが結果的に「巧みに操る」ことに繋がっているという気付き。母もこの先生と出会えていたら。と少し悔いだけ残ります。
母は確かに沢山歩いていました。でも、娘の私からも一目でわかるくらい「O脚」でした。そのまま歩いていたから、膝も股関節も、腰さえも。少しずつ削っていたんだなと、今ならわかります。
もっと早く一歩を踏み出していたら。今更なんですけどね。
でも、母も「できる限りを伸ばす」と張り切っていますのでそれもまたよし!
もう通って半年くらいになるかと思いますが、未だに学ぶことが多いです。気付く事が多いと言った方が良いのかな。もう学ぶも気付くも一緒かw とにかく「へぇ~」と自分で勝手に得心してしまう経験がここは多いです。それも院外で。院内では理屈で納得いく事が多い。そうなのかぁと。そして宿題を通して、その練習の最中で感覚的にあれ?と気付く事が多い。その時にかなり怪しい挙動をしている気がする。気付いた瞬間に楽しくて周りが見えなくなってしまうからだ。
最近は屈伸の凄さを実感したw屈伸。あの曲げて伸ばしての屈伸だ。宿題の中に屈伸が入っているのですが、結構苦手意識がある人が多いと思う、真面目にすると楽しい反面結構キツイ。夏なんて汗だくになる。屈伸なのに。でも力が流れる感覚が掴めると楽しくてやってしまう。力が何処かで詰まると悔しくなる。もう一回。良しうまくいった。もう一回試したい。結局は割と結構な数字を叩きだす。そして時間も結構過ぎている。人生において屈伸でここまで楽しむ日が来るとは思った事も無かった。
先日、ひょんなことから屈伸を含めた宿題をしてからウォーキングに出る機会があった。いつもは宿題は寝る前にしている。後は起きた後とか。その日は本当にたまたまだった。その時である。20分くらい歩いていて私は気付いたのだ!足が妙に軽い事に!!歩行が上手になったから?違う。そういう感じじゃない。カラダから感じ取れるのは単純に足が軽いだ。足が軽々と上がる。明らかに前とは違う。何で急に?何をした?何が今までと違う?
先生に仕込まれたお陰ですぐに考えてしまう。何かがあるはずだと。そして思い至ったのが「宿題をやったな」という事。特に屈伸多めで。となると、この変化を作り出したのは屈伸か!としか思いつかなかった。となると、きっとそうだ。屈伸に違いない。他の宿題も股関節の運動入ってるしなぁ。。と思いながらも屈伸が一番近い気がする私。
取り敢えず足が軽い。その軽さがまた違うのだ。表現するのが難しい。とにかく軽い。カラダがスイスイと進んでいた。そう「進んでいた」のであって、自覚するまでに20分掛かっていたというオチ。正に気付いた瞬間は「あ」ではなく「え?」という感じ。あれ?いつのまに?という感じ。
そんな変化があちこちで起こるのがここの面白さ。先生はカラダの伸び代を全部伸ばそうとしてくれます。何処まで伸ばすかはこちらが決めていいので楽です。ペースも自由に決めていい。ゆっくりの人はお金と時間が掛かるから注意しろ!逆に急ぐ人は1つ1つの階段を登る事が必要だ!順番飛ばしは健康が安定しないそうな。
RPGの様に、少しずつでも確実にレベルアップさせる事が好きなので、私は1つ1つを順番にが性に合う。楽しい。成長が自覚できるしケアも自分でできる様になる。
何より感覚が鋭くなってくるのが楽しい。先生の言う「カラダは一生のおもちゃ」というのが少しわかる。使いこなす程に感覚が刷新されるまさに「するめ」系のおもちゃだ。
先生の動きを再現する事はまだできない。という事は伸び代はまだまだあるということだ。行かねばなるまい、いや行きたい!
健康を追い求めるレクレーション。それが俊カイロだ!
コスパもタイパも確かに最高だ!激しく同意する!
この業界は割と長い方です。同業者です。同業プランでお世話になっています。といっても、もう卒業したので今は「一般プラン」で受けさせてもらっています。
同業者の方が気にしている点だと思うので、先生の許可を得た上でこちらで紹介をしますと
同業プランは12回の規定カリキュラムが終わった時点で終了です。そこから先は一般プラン扱いで半額の10,000円で受けることができます。ただし、一般の方向けの流れになるのと「もうわかっていますよ」というペースでサクサク進みます。
なので学ぶというより確認の為みたいな感じです。特に先生は半年に1回くらいは大掛かりな変化が起こるので年4回くらいは行かないと変化についていけない。ウラシマ太郎みたいになってしまう。
おっと。話が逸れていました申し訳ない。
話を戻すと、私から見た先生は業界でも数少ない「IPホルダー」持ちの先生だと思います。だからお世話になる様になったんですけど。
要は開発エンジンから開発そのものまで、全部が内製で完結している存在。外から取り入れた情報や技術は一旦全部を溶鉱炉で溶かした後で、改めて再構築する徹底ぶり。完全に自分のものにしてから追加装備というかアタッチメントの様に組み込んでいく。まさに内製の強さが発揮されている先生です。
今の時代、本当にこういう先生は減りましたよね。貴重な人だと思います。
紹介できました。会社の同僚からです。カラダの事が深堀できる。健康が深堀出来るとやたら昼食時に話してくるので相当お気に入りなんだな、とは思っていましたが。それが何回も続くと流石に「どういうところなの」と気になってきて。というのも、確かに何かが変わっている。前とは違う。というのは印象として受けていたからです。何かやたらシュッと立っている人いるなぁと思っていたら「え?お前?」なんてオチが何度かあったり。スルッと歩いている人おるなぁと社内で見ていたら「え?お前か!」なんてことがあったり。
前からあんなだっけ?いや違うよな。なんて自問自答を何度か繰り返し。いや、あいつ変わってきてるよな、何か違うよな。と話していると「あ、変わってきてる?」と本人が反応するのも何か負けた気がしてw
何やってるの?整骨院じゃないの?ストレッチ通ってるの?パーソナル?まさかヨガか!と詰問を開始。すると「カイロだ」と想定外の答えがやってくる。え?カイロってあのパキポキスッキリのやつやろ?カイロってこんなんなるの?と驚きました。
でも聞いてみると何か違う。パーソナル寄りのカイロ。いや最早カイロと言うには云々と蘊蓄が始まる。結局何やねん。行ったらわかる。カラダのお勉強やと状況が更に混迷する。
走るのが嫌な自分にはいいのかも、なんて軽い感覚で行ってみる事にした。カイロだけどパキポキはまずしない、という同僚の言質を取ってw 何故なら怖いから。
で行ってみる。初回で納得。なんだこれは。これはカイロなのか?想像と何か全然違うものだった。2時間ずっと先生は喋りっぱなし。情報が本当に雪崩の様に押し寄せる。処理が追い付かない。え?これ立つってことの解説やんね?何か項目多くない?立つってもっとシンプルちゃうの?ええ!
みたいな感じです。
自分が見る何気ない動作、姿勢。それが自分には全10工程の作業に見えていた。カラダって凄いんだなぁと。これはテレビ番組で言っていたから私の信頼足るソースであった。が、ここでは立つが全30工程?くらいに細分化されていた。それが繫がり合ったら「立てる」と。「立つ」とは工程の連結に過ぎないと。正に「結果」であると。
うわあ、これがプロか。
同僚に「目覚めるで」と言われたが理解できた。自分の中にある固定観念が具体的にひっくり返されるという事だな。「思ってたんとちゃうやんけ」と。そして先生は「さぁどうする?」とアーロン(FF10参照)の様に問い掛けてくるわけだ。
知ったら行くっきゃないでしょう。だって知っちゃったもん。
そうか、ここではみんな「ネオ」になるんだ。さぁマトリックスから目覚めようぜ!
アムロ、いっきまーす!!!
確かにここはカラダと健康を深堀する場所に相違ない!
ネット検索で辿り着きました。ここに来てからはもうここ以外の選択肢はありません。戻ろうにも戻れない。余りにオンリーワン過ぎる。私は理屈が大好きなタイプで納得がいかないとどうにも足が動かない。腰も重くなる。ここは全てに答えを提供してくれた唯一の場所。ここまで詳細に全身の繋がりを説明してくれた先生は本当に初めて。120分枠が本当に使い切る前提の院です。先生に質問をしたり、相談をしたりしていると一瞬で時間が溶ける。説明がとにかく詳細。自分が思っていた何倍も深い課題、問題だったのかと聞いた後に気付かされる。ここが私にとっての転換点でした。ここでいう「あ」の瞬間です。
自分が持っていた問題意識、課題意識。その同じ内容が先生の手に掛かるととんでもない深さ、幅を持った課題、問題に置き換わる。自分が目の前の課題を簡単に捉えていた事が問題だったんだと。全10工程を2工程くらいで受け止めていたから変化が期待に追い付かない。そもそも「正しく把握していなかった」という問題。こんな簡単な事に気付くまでに割と時間が掛かりました。ここに来て説明を受けてなかったら気付けていたかどうか。そんな発想が無かった、という様な説明がドンドン出てくる。そしてその1つ1つがやたらと説得力がある。たとえ話がまた面白い。そこでその例え?となる。でも本質的にはその通り。
納得しか生まれない。こんな先生は初めてでした。
でも、この圧倒的熱量は中途半端な熱量で立ち向かうと一瞬で焼かれる。それも同時に思った。先生自身のエネルギーが半端ないのだ。
ここで知ったこと、学んだ事、身に付けた事。
それは健康に関しての「忘れ物」だということ。この年齢になるまでに本当は学んでおくべき事、覚えておくべき事、知っておくべき事、どれが一番適切なのかはわからないけれど、健康に関してスッポリと抜け落ちている部分をここで補う事ができました。
知らない事ばかり。そうじゃなくて教えてもらえなかった事ばかり。
本当はこれこそ教わるべきだったのに。後から気付いても教わる場所もなく、どうしたらいいのかと悩んでいました。
自分でするには限界がある。テレビやyoutubeは信用していいのかわからない。新聞は?一般書は?
そもそも判断をする為の知識も経験も私にはない。だから余計に困っていました。でも、ここはそういった困りごとにも対応しています。わからない事は全部聞けた、いつでも教えてくれました。
キチンと伝えて欲しいと伝えれば、キチンと身体の状態についても説明をしてくれました。聞くのはキツかったけど、正しく把握したかったから頑張りました。
まずはしっかり現在地を知る事、そして埋めるべきものを埋めていくこと。とてもシンプルな取り組みですが、確かな情報をもとに進むから手応えもある。
「迷わなくていいって本当に楽」
信頼できるパートナーを得るとこんなに加速するものだと知りました。パーソナルだと思います。ここは。健康のパーソナル。自然なカラダのパーソナル。
健康を育てる、育む。それも自分の手で自分の身体を。
それは理想的でもあり、同時に「なるべく避けたい」と思っていた手間暇の世界。私はそれでも「確かなモノ」を手にしたかった。
だからここを選んだ。
大成功でした。
最後に、お金のお話。
私みたいに、健康を学びながら育て直すつもりなら、10万くらいは予算で確保しておいた方がいいと思います。1回2回で何とかしようとは思わない方がいい。
私達が思っている以上に、カラダの中に課題点はありますから。大丈夫、支払った金額以上の価値が自分自身の中に育つよ!
カラダの使い方を基本から教えてもらえました。
凄い勉強になりました。
あ、今も継続中です。今は肩甲骨まで到着しました。
自分の身体の状態を通して、自分の何が問題だったのか、課題は何か、どうしてそうなったのか。先生が一緒に考えてくれて、自分でも考えて。
「あ、ひょっとして」が沢山出てきて、「あ、それだ」が沢山出てきて。自分が良いと信じていたモノがドンドン「カラダを複雑にしていた」と知って、自分は一体何をどう信じてきたのか考え直して。
あ、そうだ。私は見つけた情報、触れた情報を「疑う事なく」勝手に「そうなんだ」と信じていただけなんだ。とここに来て初めて知れました。
ヨガ、ピラティス頑張ってました。パーソナルだって頑張ってました。でも頑張る程に何かカラダがおかしくなる。先生には褒められるけど、健康ってこうだったっけ?と何か腑に落ちない。
でも頑張ってるから+にはなってるはずだと信じてました。信じたかっただけだと知りました(汗
どうしてそれが問題なのか。どうやって今みたいな状態になっているのか。先生は1つ1つ全部を理論的に説明してくれました。細かすぎて私にはわからない事もあったけど、先生は理路整然と説明をしてくれます。「わかっている人だ」とすぐにわかる。先生は私に「説明」こそすれ「説得」はしていない。
そう考えると今までは沢山の「説得」を受けてたんだなぁと改めて実感。言われるがままに通っていた自分を反省。
予約も凄いシンプル。今までは「次はいつ来ますか?今決めてしまおう」と底に私はいませんでした。でもここでは「〇日以降で検討して下さい」とあっさり。え、自分で予約って決めていいんだ?これが私には画期的。そうか、それでいいんだって思った。
先生の動きと私の動き、鏡の前で見ると全然違う。違うから私の身体には課題がある。だから課題をこなしていけばいい。悩むのは課題が全部終えてから。ああ、とってもシンプルでわかりやすい。私には向いているかも。
私が今まで聞いていた事、おススメされていた運動、禁止されていた運動、1つ1つを先生に説明して、1つ1つを整理する。人によって解釈は違ってくると思うけど、私は先生の意見に従うと「自分で」決めた。
そうか、ヨガをする、ピラティスをする、パーソナルに行く、じゃないんだ。「誰を頼るか」の問題だったんだ。
私は自分の中にあった大きな勘違いにここで気付けたと思う。
先生も言ってました「何、よりも誰、が先」だと。
私は先生の事は友達にペラペラ説明ができる自信がある。先生はそれ程に個性的かつわかりやすい。そして先生は本当に患者?生徒?と良く会話をする。本当に沢山の事をお話します、施術を通して。
でも、今まで通った先生は「とても良い人」「優しい先生」「凄い資格がある」「凄い実績がある」といったボンヤリとした紹介しかできない事にも気付いた。私は先生をよく知らないまま通っていた。先生も踏み込んだ事は聞いてこない。お互いの関係性が本当にボンヤリしていたと思う。
やっぱり一番の課題は私自身の中にあったんだなと今なお思う。
奥さんから紹介された。そしてこちらに来た。
先生が色々と説明してくれるが難しいのでこう伝えた。
「難しい話はわからないが、言われた通りにすれば良くなるのか?」
先生の答えはこうだ。
「立場上、求められる結果保証はしかねるが、カラダが変わる事は約束できます」
カルテは7割が×だった。それを7割〇に変えるまでは従おうと決めた。私の課題は腰だったが、腰は足腰が安定すれば大丈夫でしょうとのことだったので。
これが首肩だったらもう少し先の話になっていたらしい。
そこらへんの理屈はよくわからない。何せ素人なのだ。
とにかく言われた通りにした。キチンと先生が教えてくれた通りにした。
した。
言われた通りにしてみた。
腰の問題、なくなった。
奥さんの言った通りだった。
どう表現したらここの良さ、というか特殊性?が伝わるのかなと悩み始めてはや1年。卒業してからもう1年経ったけれど、まだこうだ!という表現がはっきりとしていない。迷う。
でも迷い続けていたところでいつまで経っても書けないので現時点で自分が思っている事を書こうと思う。
まず、私個人の感想です。健康食品の宣伝と同じだと思ってもらっていい。あくまで私個人の感想です。
世界が変わるよ、という話を聞いて受けてみた。それについて私が感じてること。それは
「世界が変わる瞬間は何度かある」
まずこれ。
私は何回あっただろう。割とあった。
ー「股関節」と「肩関節」を使えた手ごたえを感じた時
ー「呼吸」で色んな所が順番に膨らんで萎むのを感じた時
ー「重心」位置をキチンと知った時
ー「かかと」と「爪先」の違いを実感した時
ー「屈伸」をキチンと知った時
ー「歩く」で視野が広がった時
ー「背骨」がしなる感覚を掴んだ時
ー「手足」が背骨で繋がった感覚がわかった時
ー「踵重心」の力が頭まで伝わった時
あ、なんか割とあるな
こんな感じで1つ気付く度に世界が変わっていった。本当に変わっていく。今までの世界と今見ている世界が違う。いや、世界は同じ。自分が変わった。
そんな経験、ここでしかしたことない。
そしてとっておきの気付き。これは世界がぶっ飛んだw
ー宿題が全て「歩く」「立つ」に繋がっていたと気付いた時
「立つ」と「歩く」は分解して動きを繋げると、宿題の動きの集合体だってわかった。
先生本当に育ててくれてたんだ。自立できる様にって。って感動した
本当にここは「先生」がいる。「専門家」じゃなくて「先生」がおるんよ!
自力で見つけました。あちこち色んな院を巡って、相手の責任にしては別の場所に行って。それでも良くならなくてまた移って。良くならないのは専門家のせいである、そんな認識でずっとやってきました。
自分が良くならないのは技術のせいなんだと。神の手と出会えたらきっとよくなる。だから神の手を探そうと頑張っていました。
で、有名な先生に紹介を貰えてやっと大丈夫だと一安心したのですが、、、、実際には状況は変わらず。むしろ割高の料金と頻回の通院で予算がドンドン削られていく一方に。そっちに不安が募りました。
感じる変化と予算の削れるペースが釣り合わず、質問をしても「個人差がある」と受け流され。そこでハッとしました。ああ、多分自分の様な人が沢山いると。そしてそういう人が院の売上に貢献しているんだと。
急にです。急に頭の路線が切り替わったというか。カチャッとなったというか。「あ、今のままじゃ駄目」とだけはっきりとわかった感じです。悟りを開いたみたいな感じ。
そこから改めて院を探す様に。自分が手にしたいゴールをはっきりとさせて、それをどのように実現してくれるか、そのプロセスをしっかりと伝えてくれる先生を。技術よりも通り道を知りたいと考える様に。
検索ページの10ページ先くらいまで探して探してやっと見つけたのがここ。ここより上に表示されている整骨院や整体院はほぼ行きました。
ここだ。ここなら信じていい気がする。単なる直感でしたが、書いている内容が他とは異なる色合いだったので先生が見えた。そんな気がしたのです。
で、実際に受けてみて確信。ここだ。
技術で良くするなんて言わないし、もう大丈夫とむやみに安心させる事も言わない。もう流石に学んだ。結果を初回で保証する先生は結果に責任を負わない人だ。「個人差がある」とはもう散々聞いてきた。
だから「やってみないとわからない」と答える先生に誠意を感じた。嘘が無い事が重要だから。
そんな曖昧な言葉で信じた訳じゃない。信じたのは「伸びしろは山ほどある」という言葉。そっちを信じました。
そしてカラダのカルテとご対面。赤ばっかり。だから今の状態になったのかとわかる。そしてそれを塗り替えていく作業は簡単ではない。最短距離を提示するが、それはあくまで「安全」基準であって「効果」基準ではない。それもキチンと伝えてくれる。
だから信じてやった。宿題を1つ1つ。
足首をした。膝をした。股関節をした。そして運動で繋げる練習もした。
何もできていなかった自分が段々とできる様になっていく。それに伴い動きが軽く、何かが違って感じ取れる様に。
キチンとすれば、ちゃんと変わるのだ。
じゃあ、今までの自分がしてきたことは何だったのか?いや、選んだのは自分、それは自分の責任に過ぎない。
自分ですれば良かったんだ。ああ、本当だ。答えはずっと足元にあった。
自分がそれを真っ先に遠ざけていただけ。
先生の言う通りで、健康は自分次第。行動も大事だが、それを「どう考えるか」「どう感じるか」という心の問題が大きい。
それを「価値観」「優先順位」と先生は言う。
健康を崩すのは健康の優先順位が低く、価値が低いから。だから蔑ろにする。
健康を取り戻すのは自分の中での価値の正常化、優先順位の適正化。その結果としての行動なのだと知る。
やっぱり答えはずっとそこにあったのだ。それに気付かせてくれたのは個々の先生。
カラダを使いこなすってとても楽しく健康的だと思う。
運動が楽しい、血圧が安定する、心拍も安定、血液検査も安定した。何より日常が軽い。頭の中が軽い
いい事ばかりだった。
病院の先生に紹介をされました。病院として紹介はできないからあくまで「個人的な紹介」という形になるけど、という形でした。
民間療法というものへは余り良いイメージは持っていませんでした。その時に通っていた整骨院の先生から「無資格者は危ない、素人だ」と言われていたからです。「自分達の業界を乱されている」とまで。そうか、そんなに身勝手な人達なのかと完全に思い込んでいました。
その先生は地域で有名でアスリートも何名も抱えている先生だから完全に信頼をしていました。なので、紹介をされたもののちょっと様子見をしていた感じです。
初めて検討したのは紹介されてから半年後くらい。カラダの状態が余り変化せず、流石にこのままだと困ったなと焦りだしたときです。病院の先生には「付き合いがあるから中々・・」と言葉を濁し、通っていた先生には「少し問題が根深いな」と言われ、いつまでこのままなのかと不安が膨らむ。
状況に変化を与えたいな、きっかけが欲しい。そう思って予約を入れました。朝にかけて夜には受けたいと思ったら、最短で翌週しかないと言われてしまい意気消沈。すぐに受けられるものじゃないの?と理解が追い付かず。
で、すぐじゃないならいいや。と暫くまた様子見をしていました。
でも整骨院ではやはり変化が見られない。益々マズいと思い、改めて予約をする。「前に空いていた時間で予約が取りたい」と伝えると「埋まってしまっているので、その翌週になります」とのお返事。
私はそこで気付いた。自分が勝手に「選べる立場」だと思っていた事に。この院の施術を受けようとしているのは私だけじゃないし、敢えて私に便宜を図る理由も無い。
何を勝手に自由に予約できるものという感覚になっていたのか。
改めて空き時間を確認予約を入れる。問診はオンライン。今時な感じ
初回を迎える。
普通の家。にまず驚く。正に院!という感じの外装ではなく内装も普通に家。手作り感がある。
え?大丈夫なの?と不安になる。そんな感じの初回でした。
説明が入り、問診の確認をされ、施術が始まる。ここからの120分間はもう怒涛の展開。怒涛怒涛の流れ。確かに雪崩というのがふさわしい。
施術?検査の流れも雪崩、先生からの説明も雪崩。情報量が余りに異次元過ぎてついていけない。とにかく自分のカラダには沢山の問題点・課題点が溢れている事は良く伝わった。
これを一気に治してくれるのか?期待が高まる。が、先生から最後に「だから一朝一夕には治りませんよ」と言われてショック。
この困難を高い技術でサッと変えていくのがプロではないのか?その為のコストでは無いのか?思わず先生に問う。
すると先生はキチンと応えてくれる。
「カラダはサッと変えられない事を伝えるのが仕事なんです」
「富士山登山と同じです。簡単に考えているが実際はとても困難が待っている。」
「正しく認識を持ってもらう事、正しく安全に、目的地にたどり着くお手伝いをする事が仕事です」
先生はこう答えてくれた。
先生はさらに続ける
「その願いに応えてくれる先生に今まではお世話になっていたのでは無いですか?」
図星に困る。その通りだ。その結果はどうだ。他でもない自分が良くわかっている。
「今なら引き返せますから、ゆっくり考えて下さい」
初回が終わって先生は判断をこちらに委ねた。次回の予約を聞かれないのは初めての経験で戸惑う。(やんわり拒否された?)
初回終了の数日後、カルテと健康状態のピラミッドが届く。我ながら酷い。
これだけの検査を、これだけの報告書?を今まで用意してくれた先生はいただろうか?先生はこれだけの根拠を持って説明をしてくれた。私は単なる自分の願望を訴えただけだ。
健康は先生に何とかしてもらうものだと思っていた。だから名医を探す事には時間も手間も惜しまない。整骨院の先生にもそうやって出会えた。
まだはっきりと言葉にはできないが、自分の考え方選択の仕方は「何かが違うのでは?」と疑問が浮かぶ。
赤く染まるカルテ、凸凹が酷いピラミッドを見て思うのは「カラダはここまで崩れていたのか」ということ。痛みはそこまでない。でもこうなっている。
わからない。何を信じていいのかわからない。
そんな気持ちになる。自分の価値が揺らぐ。
自分の知らない世界の住人である先生を信じるべきか。私は迷い迷い、最後は「信じてみよう」と切り替えた。
言われたとおりにやってみよう。素人の私が考えても詮無い事だ。
ここまでくるのに時間が凄くかかった。
皆が知りたいことは敢えて最後にした。
もっと早く、さっさと行動すべきだったと今は思う。
思い返せば病院の先生は確かに言っていた。
「立場は民間療法ですけど、国家資格くらいの知識は余裕でお持ちの人ですよ」
これからの人生を楽しく生きたい。それには健康が基本となる。だから健康を学びたい。カラダの使い方をキチンと学びたい。そう思ってこちらにお世話になる様になりました。カラダの勉強をし直すという意識です。
初回:こちらの院の方針を聞く、カラダの仕組みをザックリと聞く。そして検査、施術する。
数日でカルテが送られてくる。ピンク一色で「×」だらけ。「▲」が次点で「〇」が少ない。検査で殆どができなかったために「そうですよねぇ・・・」と納得するしかない結果。
でも、底についたら上がるだけ。上に進めば良いと切り替える。
2回目~:流れは基本的に同じ。1つ1つを細かく説明をしてもらえる。何がダメでこうなっているのか。だから何が必要なのか。説明がとにかく細かい。そしてカラダが全体で1つ、繋がり合っているという事が少しずつイメージで掴めてくる。
自分が今まで受けてきたモノは一体何だったんだろう。何を目的としたものだったのだろうか。そんなことを思い出しながら施術を受ける。
宿題は毎回1つか2つ。状態に応じて判断される。2週間の在宅ターンに入り宿題をこなす日々。正解の感覚を教えてもらったおかげか、確かに取り組む程に変化が出る。
6回目~:足腰が安定した時点で1週間伸びて3週間に1度になる。この時点で腰痛は殆ど気にならない。足が軽い。簡単に上がる。そして自分の身体に緊張が入っている事を自覚できる様になる。この緊張の存在に気付けていなかったのが今までか。だから「原因が思い当たらない」だったのかと知る。
自分の中のアンテナが磨かれた様だ。今ならわかる。そしてそれを抜く練習に入る。先生曰く「そもそも入れない」が理想だそうだ。
10回目~:遂に上半身へ。肩甲骨を動かす練習に入るが難しい。私は肩だけで使っている訳では無く、頭と肩甲骨、背骨がトリオで無理をしている状態だったそうだ。
指先は力を使う場所じゃない、導く場所であると知る。今まではむしろ「積極的に使え」と指導されてきたので驚く。聞いてみるとこれまた詳細を説明してくれた。なるほど納得。
15回目~:全身が安定して、全身の運動を繋げる段階も無事に終わり、ここで「立つ」「歩く」を極める段階へ。「立つ」はまぁいけるが「歩く」は思った以上に複雑だった。だがこれも解説が詳細でわかりやすい。そして綺麗な筋が通っている。一本下駄に容易く立つ先生に驚く。私もそうなりたい。
チェック期:最後は季節ごとのメンテナンスに。正しく使えているかの感覚チェックの為のものらしい。まだ通いたいというと「21日周期が最短です」とのこと。通わせないというスタンスが誠実に感じる。自立を促す先生だ。
先生の言葉に偽りなし。言葉の通り「カラダを再構築する」という目的に向けて突き進む場所。
私の身体と意識は間違いなく生まれ変わった。
今まで沢山の院に通ってきました。カラダの状態を何とかしたいとずっと願って。気持ちと裏腹に状況が変化せず、時間と費用だけが積み上がっていく状態に焦っていました。
もうどうしようもないのかなと。オペという選択肢があったものの、それだけは何とか避けたいと思いつつ、避けて通れないものなのかなと。
でも、結果的に避ける事ができました。こちらにお世話になって。
今まで通った院は東京から名古屋、大阪、有名な先生を求めてばかりでした。良くなるなら安いもの。藁にも縋る思いで頼りました。
その「頼る」がそもそもの間違いだったんですね。それをここで教わりました。健康はお金じゃない。お金では代えられないものだと言葉にしながら、いつまでも先生に任せていた事。それが自分の流浪の旅路の根本原因だったと教わりました。
沢山の院を通り抜けてきました。
でも、この俊カイロさんだけは違いました。今まではただ通過するだけだったものが、初めてお世話になったあの日、そして卒業を迎えた先日。
入る前と出る時と、こんなに風景が、人生観が変わった経験は初めてです。
同じように苦しみ、悩んで、辿り着いた人達はきっと同じ風景を見てここを卒業していったのかなと思います。
答えはずっと自分の中にあった。気付かなかったのは私自身。
健康は他でもない自分自身のものなんですよね。
今、困っている人、悩んでいる人へ。
誰かに任せる、決めてもらうだけでは健康は遠のくと学びました。自分で学び、考え、自分を育てていく事で健康は育つものだと経験しました。
私達は「何も知らない」という現実を何より受け入れる事が健康の近道だと思います。
知らないなら知ればいい。ここはそういう場所だと思います。
先生も仰っていました。気持ち1つで変われるのが人間だと。
とても素晴らしい場所だと思います、
同業で開業しています。国家資格持ちです。
元々いた職場のセミナーでこちらの先生が単発講師として講義に来てくれたことがきっかけでした。その時は触診がテーマだったのですが、もう何か他の講師の人とは話す内容が違っていました。凄いとかじゃなくて、とてもフワフワというか抽象的というか。ふんわりと言う感じ。なので余り印象には残っていませんでした。
恥ずかしながら関節矯正の先生の方に夢中になっていたので。
そして実際に開業して全部が自分の責任となってから思い知りました。触診、検査がよっぽど大事だったんだなと。自分の矯正に責任が持てない、自信が持てない。本当に必要なのか判断ができない。だってカラダの状態が把握できていないから。固いから動かす?固いのに動かすの?無理やり?
考え出したら止まらなくなりました。怖くて矯正できなくなるし。古巣に相談に行ったら「場数だ」「根性だ」と凄いアドバイスを受けることにw
自分に足りないものが多過ぎた事、自分が会社と院の看板に守られていた事を痛感。もう一度きちんと勉強しようと色々な先生、特に講師として来られていた先生の元を巡ることに。楽しかったです。とても勉強になりました。
ヨガ、ピラティス、整体、整骨院、各講師陣のスタジオや院に伺い施術を受ける。レッスンを受ける。そして説明を聞く。なるほど勉強になる。よし参考にしようと燃えてくる。
そして一番最後にとっていた触診の先生にもとにいく。何で最後にしたのか。派手さが無かったから?それとも一番ふんわりしていたから何かを感じていたから?時間が長いから?単価が高いから?未だによくわかりません。
ただ、何となくで最後にしていました。ゆっくり受けたかったからかなぁとも思います。知らんけど。
で、受けました。
これ、同業の人で特に色んなセミナーを巡った人なら余計に感じると思います。僕は最後にここを受けたから余計に感じたのかな。
全く別モノ。別の場所というか別の次元の取り組み。
治療、施術、医療類似行為と呼ばれる行為の中で、全くどのイメージにも当てはまらない内容です。検査?施術?刺激を入れている?運動療法?これは何に該当するのか?
自分の頭の中のデータベースでは「no data」「unknown」と表示される。
自分は今、一体何をされているのか?これは何を目的としたものなのか?その整理が追いつかない。説明をされるが全く頭が追いつかない。だってストレッチボード。これはうちの院にもある、職場にもあった。でも、これって乗って伸ばすだけのモノだと思っていた。
でも、俊先生はストレッチボードだけでも検査、運動、運動連鎖の確認、不具合時の運動不良の感覚確認、関節の運動感覚の確認など、用途が複数展開されていた。取り扱い説明書通りに使わずに自分のアイデアに道具を引き込んで活用している感じ。
まず道具をこんな風に使っている先生を初めて見た。これだけでも目から鱗。道具に任せていない。道具に手助けしてもらっている感じ。
そして触診。これがまた凄い。ほんの少しの角度、方向性、そしてこちらの意識した力、脱力。1つの検査で一体幾つの検査が複合されているのか。たった1つに見える検査が複数の情報を瞬時に先生の手元に提供する。
先生はそれを「聞き出す」と言っていた。「探しては駄目」と。来たよこのふんわりな表現(汗 完全にこれ感覚知の世界だよね。
自分は検査は探すものだと思っていました。痛みの再現性や可動性の確認など。それが「探る検査」の限界だそうです。1検査に1結果という紐づけ。
探せば力を流し込む。流れてくる力を読み取る事。カラダからのオープンキネティックを感じ取る事、カラダをクローズドキネティックにしては駄目。
キチンと言葉にして伝えてくれるが次元が違い過ぎてさっぱりわからん。がしてもらってその違いはわかる。それが余計にもどかしい
自分の今では到底理解ができない感覚の世界。
それを嫌味なく思い知らされた1日でした。自分は自分なりに頑張って勉強してきました。職場でも役職を与えられ信頼され、教育係もこなしてきた。
それなりの自負はある。自信もある。はずだった。
繁盛する院、そして繁盛はしなくても安定する院、先生のところは安定派だと思う。
繁盛しているから良い院なのか。
何かもう物凄く考えさせられる120分でした。
自分の考えていた努力。多分先生の足元にも遠く及んでいない。向き合い方が余りに違いすぎました。
やるしかない。
just do it!
ありがとうございました。
紹介者なしです。探して探して、さまよい続けてやっとここにたどり着きました。
ここに登場する皆さんと同じく、とにかく有名どころを頼りました。TVに出ている先生の系列院や芸能人をみている先生の院も行きました。SNSでバズッた先生のお弟子さんの院にも行きました。
行けば何とかしてくれると信じていたからです。高いけど、払うもの払ったら後はもう大丈夫なんだろうと。
ご推察の通り、見事にどん詰まり、沼にドはまりしてしました。受けた後は「ああスッキリ」とスキップして帰り、数日後には「ああ、戻ってきた」とどん底に。どんどん減っていく諭吉さま。出ては戻ってくる放蕩息子のような症状。担当の先生は弾ける笑顔で「頑張りましょう!」と支えてくれる。きっと担当の先生には見えているんだと信じて続ける日々
ある日、友達に言われてハッとする
「それ、大丈夫なの?」
一瞬で我に返る私。そうだよね、だよね。何かこれダメな流れだよね。でもどうしよう。今更また1から探すの?やっと見つけて、やっと通えた場所なのに。
かなり悩んで悩んで、それから必死に探すように。そこでも気づく。ああ、私って「探していなかった」んだと気づく。こんなに必死だったのに、何とかしたいと思っていたのに大して調べることもしていなかった。わかりやすい情報に惹かれ、都合の良い返事をしてくれる場所を求めてたどり着いた場所。
それが有名所ばかりだった。ああ、自分が悪いのかも。そう思った時はむなしくなった。勉強代にしてはあまりに高くついた。お金はなくなり、体は何も変わらず。自分の情けなさだけが残った感じ。ばかみたい。
ここと出会ったのはそんな「やさぐれ」時期です。いや正確にはもっと前に出会っていました。印象に残っているのはどこかで聞いたフレーズのチラシ
「20代と30代の間は覚えておいてください。40代になったら思い出してください」
あ、行こう
なにかも直感的に感じて、ネットで調べてみる。出てこない。院の名前を直接打ち込んでやって出てきた。ああ、出会えないわけだ。
youtubeの動画を全部見る。凄い深い、重い。何か凄い内容。音楽も何か重厚感ある。でも内容は納得する。
きちんと身体と向き合うときかも。そもそも体と向き合うことってどういうことなんだろう?
この際、キチンと学びたいと思ったので予約する。最短でも翌週だった。うそ!明日行こうとか思っていた自分が情けない。まだ自分の都合でものを考えていた。
で、開始
普通の家、先生も普通の先生。特別なオーラがあるわけじゃない。穏やかな先生。で始まる
何か凄い、何か凄い
細かい、丁寧、説明がちんぷんかんぷん。
カルテは×ばっかり。▲もたくさん。〇が少ない。
何故?じゃなくて当然の状態。それを丁寧に説明される。悩む前の段階らしい。カルテ見て納得
こんなこと、誰も教えてくれなかった。調べてもくれなかった。だからなんだ。じゃあどうすればいいの?
今はここを優先します
だからこれやってきてね。
このやり取りの繰り返し。キチンとすれば前に進み、いい加減にしたら足踏みが起こる。場合によっては改悪が起こる。
本当だ、自分次第だ
まだまだ旅の途中だけど、私が感じ取った変化はいろいろ
階段が軽い
歩くのが楽
立つのが楽
姿勢がきれいになっている
視界が広くなった
周りがよく見える
よく眠れる
寝起きがいい
気持ちがなんか穏やか
まだまだあるけど、今はここまで
身体の声を聴くって言葉の意味がやっとわかってきた感じ。
答えは最初からそこにあったんだ。私がただ聞いていなかっただけ
それを教えてくれる、聞き方を教わる場所だとおもう。
出会えてよかった。
きっとここが私の終着点だと思う。
安心感がまるで違う
監督からの紹介でお世話になりました。何処かが痛い、というなら年中どこかが痛いという状況でした。でも目的はそこじゃなくてもっとパフォーマンスを上げたい、それも根本的に上げたいという気持ちです。
体の使い方についてはそれなりに自負がありました。沢山調べて勉強して自分なりに実践してきたものです。それなりの実績も上げてたので自分なりに納得して積み上げてきたものでした。
それが全部、ここで壊れました。粉々に砕かれました。本当にショックでした。最初はどうしても認められなかったです。何か自分を否定された様な気がして。だから迷いました。ここに通ったら自信が全部なくなっちゃうような気がして。
でも、同じくらい感じました。「ここに行けば本当に変われる」という期待感。
監督に相談もしたらいわれました「自分を問い直す場所になるだろw」と。決めるのは自分だといわれて、決めました。頑張ろうと。
で、通いました。
自分の誤解、固定観念を1つ1つ壊しては学び、自分で実践しては感じ取り、本当に自分の体との会話になりました。最初は意味もわからなかったことが、だんだんと感覚としてつかめる様になると途端に楽しくなりました。
そして自分が今まではこの感覚を感じることなく動いていたことを知りました。だから怖くなりました。知らない間に体を消耗し続けていたことを知ってドキッとした感じです。
力にゆだねる、体にゆだねる。
その為の身体つくり、立つこと、歩くこと、動くこと。実際の練習や試合。
今まで自分が動いて何とかしようとしていたけれど、それを逆に自分を場に合わせて変化させる、適応させるという逆の発想を取り入れた途端に見え方が変わりました。
よく見える、見通せる。何をすべきかがわかる。だからするだけ。そうすれば結果的に点につながる。
先生の言っている意味がやっとわかりました。自分だけじゃなくて、全員でゲームを動かすこと。それには相手の動きも含まれること。自分がコントロールするのではなくて、動いている場に自分がはまり込むこと。すごい。本当にこれはすごいと思う。
こういうプレイって頭が無いとできないと思っていました。でも、身体を整えることで、余裕が生まれて風景が広がる。だから頭が使えるんだと知りました。
今までどれだけ無駄に動き回って消耗していたのか。自分勝手に動いていただけなのか。自分を中心に考えていたことを学びました。
からだって奥が深いです。もっともっと先がありそうにしか感じない。知りたいし学びたいし、先生に追いつきたい。
なので今も通っています。でも、月1回の運動訓練?と宿題をもらいに行っている様な感じです。
先生がサラッとできることが私は考えながら落とし込まないとできません。それが私が埋めるべき課題だと思っています。力を制御して実現している私、先生はもう感覚的にその動きを実現している。ここでも私は無駄な情報処理を頭の中でしているはず。
何処かに意識が向いている間、他の場所に向くべき意識が遮断される。それが結果的に動きの硬さにつながっている。
わかっているんです。わかっているのに、まだ自分の体を先生のように制御できない。それが悔しい。だから頑張ります。
私にとってのここは「学校」です。
痛みもしびれも違和感も、いろんな身体の違和感は今となっては私の一部みたいなもの。今までは遠ざけようと何とか消そうとしてきました。でもここにきてそれも大切な情報だと知りました。
身体を守るために教えてくれていること、だから私は耳を傾ける。先生の言うことは深くて難しいですけど、理解できると本質的で本当に透き通っています。
先生の言葉の真意を知りたい。それも宿題の1つのような気がします。
健康になりたい!健康って何だろう??
本当に疑問を感じて、本当に知りたいと思っているなら、こちらの院は本当におススメです。すごい丁寧に何回でも答えてくれます。
確かに総額としては安くはないお金になると思います。私もそうです。でも、得られる経験と知識と感覚はその何倍も価値あるものが自分自身に残ります。
だからここって学校だと思います。体の学校?健康の学校?
私はずっと先生に挑戦する気持ちで通っています。
初めて聞いた時は「?」か「へぇ~」か「ふぅ~ん」という感じ。まずはそこから始まる。
宿題を適当にこなすと結果が出てこず「ホンマかいな」と疑いが出てしまう。こんなもんなんかなという感じ。
先生に結果が出てこないという話をして、宿題を見てもらうと雑にしているのがバレる。先生の説明と自分の取り組みが全然違う。目的も違った。要は最初は適当に聞いていたということ。ああ、自分の責任。
キチンと宿題をする。本当に1週間、2週間で結果が出る。ただ目的の結果とは違うから「これでええんかな」とも思う。先生に聞いたら「今はそこしかできない」とのこと。パキっとできないのか?と問う。「できるけど、そのハイリスク・ローリターンを取りたいなら、技術レベルとしては倍の金額でないと割に合わない」とのこと。できない訳じゃないんだと知る。
宿題、屈伸動作。屈伸動作やろと思いきや全然できない。ここで自分のカラダがバラバラに動いていた事を知る。というより、実際はバラバラなのに感覚的には繋がっていると感じていた事実に驚愕する。
確かに先生の屈伸と自分の屈伸は全く別物。先生はヌルヌル、ぬぅ~んという感じ。滑らか。
キチンと立つ。ここに入ると嫌でも感じた。立った時の安定感がまるで違う。根っこが生えた。面白い、次の動作に入り易い、力の意味がここでわかった。
あれこれ割愛
歩行練習、ここで初めて全身の繋がりを実感する。足から始まる力が頭と腕を抜けていく。ワサビの辛さがツーンと鼻先に一直線に抜けていく様なあの一直線。
で、気付いた。
上がらなかった肩が、まだ肩の施術なんてしてないのにスッと上がっている事に。自分の方がサクッと上がっている事に後から気付いた。
私は「あ」ではない。「あれ?」だった。
ここで全部繋がった。カラダが繋がったじゃない。先生のやっていたことが頭の中で腑に落ちた。全部が繋がっている。施術と宿題自体がまるでインターネットの情報網の様に繋がっている。
だから一つも欠けたら駄目だし、順番がある。歩行の動作の中に宿題が全部「埋め込まれている」事に気付く。ああ、あれ、これ、それが繋がり合って歩行なのか。
じゃあ、歩行から練習したらダメじゃん。走るから入ったらダメじゃん。
先生が私に言って、私が「え?何で?そうなんかなぁ」と信用しきれなかったあの言葉。それを私は今自分で納得した。というか自分で自分を説得した様な。
先生の見ているものはやっぱり違うんだなと思う。素人が詮索したところで何もわからない。
確かに取引先にあれこれ質問されても殆どが的外れで困ってしまう。というか時間が勿体ないと私も日々感じている。不安を解消させるには大切だとも思うが、バランスが難しい。
先生が向き合っている課題はきっと、技術的な問題よりもこうした納得の部分じゃないかと思う。
でも、これは相当私達が育たないとわからない。先生の世界観は余りに深く広すぎる。
私達メガドラ世代には64色が限界だ。中間色を使っても512色あたりだろうか。
先生は1677万色の世界にいる。
ここに来て最大の収穫。というかここで何をやったのか。
先生の言葉をそのまま横流ししますと、本当にそういうこと、こういうこと。
私の運動が、私の健康と繋がった。
こういうことだと思う。ほんとこういうこと。
今まで、私の運動は「達成感」と「記録」に直結していました。一方で「健康」とは道が繋がっていなかった。と今になって思う。
前は繋がっていると思っていた。それが当たり前、運動の基本だろうと思っていました。運動とは健康促進のためにするものだと。運動をすれば健康が育っていくものだと。
でも、膝は痛い、足首は捻挫する、ぎっくり腰もする。寝つきが悪い、片頭痛、肩こり。色んな症状は治まることを知らない。何故だ?運動習慣はきちんとあるのに。何が悪いのよ。
そう思っていた。
それがそもそもの間違いだった。とここで知った。
記録と結びついた運動は、身体をただ追い詰めていくだけ。体を使いこなしたからこその記録だと思っていたけど、記録用の運動と健康促進の運動は全く道が異なると知った。身体を使いこなすと追い込むは全く違う。別物だ。
健康に直結する運動、身体を正しく扱うということ。ひとつひとつを丁寧に説明されて、実際に宿題で取り組み、感覚が変わっていくこと。
何より症状が1つ1つと穏やかになっていくこと。自分がいかに空回りをしていたのか、勘違い、固定観念の中で生きていたのかを知った。本当に無料情報って怖いと思った。疑うことなく10年以上取り組んでいたからだ。そのツケをやっとここで支払いきることができたと思う。
正しいことを知る、正しく取り組む、正しい感覚を身に着ける。そして正しく扱う。
「正しい」の定義が曖昧な世の中で、誰もが「私こそ正しい」と喧伝する世の中だからこそ、選ぶ側の責任が重たくなる。そういうことまで教えてもらえて。
相手のせいにするのは簡単。でも選んだのは確かに私自身だ。少しでも簡単に、楽に目的に至れる方法を求めていたからこそ、私はそれを選んだ。ええ図星。つまり自業自得。
誰も悪くないのである。私以外は。
「どれくらいでよくなりそうですか?」
私のこの問いに先生は答えてくれた
「あなた次第ですよ」
ほんとその通りだと思う。
振り返り投稿とします。
ここにきて学んだ事は沢山あります。知らないことだらけだったし、自分の中で正しいと思ったことが全然違っていたし。信じていたものが全く違っていたことなんて日常茶飯事。
そして先生の施術を受けるとコロッと変わる体、感覚を自覚して「魔法みたいだ」といつも思っていたこと。
それは全部「科学」であったとやっと理解した。
同じ何かを見ているとき、感じているとき、そして言葉にするとき、
私たちは当然自分の知識や経験をもとに論じる。それが自分の理解だからだ。
それを幽〇白書的に表現しよう。それが一番わかりやすい。
仙水と浦飯のあのやり取りだ。
「君の霊力を10とすると、私は100だ」
私たちの知識と経験をフル動員すると10とする。
ここの先生の知識と経験をフル動員すると540,000だ。
もう、同じものを見ていながら、同じものをみていないに等しい。
これがここで展開される日常である。
10の我々にとっては「魔法」となり、540,000の先生にとっては「科学」となる。
そして、そんなことをどうして私が言えるか白状しよう。
刮目せよ!!!!
私は鍼灸師であり、同時に柔道整復師である!!!wwwww
自分がここに辿り着いたのは6院目です。スタートからゴールまで4年くらいでしょうか。最後の1年がここ。
1:病院
2:有名な病院
3:国際基準のカイロ
4:オリンピック選手をみている整骨院
5:オリンピック選手のコーチ?をしている整骨院
6:ここ
今までに注いだ金額は100万以上です。だって「4,5,6」って1回15,000円とか20,000円で30分くらい。通院は週3回とかだったから。
それでも健康はお金じゃないと思って通った。けど見返りは無かった。というか悲しいというか惨めな気持ちは沢山味わった。これ、多分わかる人にはわかる、わかってもらえると思う。
信じてきてるのにその対応はあんまりだろ、と言いたくなる様なやつ。そう、きっとそれ。
考え出すと悲しみより怒りが沸いてくるからやめる。
で、ここに来た。紹介で。やってもらうが駄目なら、自分でやってみなよと言われてきた。
こうなってくると「1回10000円?安いな」と感じる自分の感覚がおかしいと思う。完全にやけくそ状態。
でも、素人の自分でも感じた事がある。これだけ有名?な院、先生に通ってきたからわかる事だってある。伊達に100万オーバー使ってない。
熱量がまるで違う。ハッキリ断言しよう。熱量の次元が本当に違う。
こんな熱量、いや、この熱量の1/10すら感じなかった。高名な先生からは。というか「院」全体から。大繁盛しているからだと思うけどルーティンワークの中に組み込まれる感じだった。
ここは違う。流れ作業じゃない。凄まじい熱量が注ぎ込まれてくる。覆いつくされる勢いでくる。
それも、私にではない。私の身体に対してである。
先生は「私の横に立て」と言う。横に立って自分のカラダを理解しろと言う。解説は全部してやると。ひとつ残らずしてやるから、自分でしっかり覚えて行けと。
「耳の穴かっぽじって良く聞くんだ、だって君のカラダの事だぞ」
こんな感じの熱量が来る。
「全部明らかにしてやる、教えてやる、だから自分でやれ」
本当に全然違う。スタンスが違う。
何なら、先生、施術着を着ていないwwwwwww
完全な研究者スタイルでいる。
駄目だ、話し出したら止まらない。あれもこれも話したくなる。そんな先生他にいるか?いなかったぞ。
先生は私と私の身体に敬意を払ってくれている。そしていうのは「自分の身体にもっと敬意を払え」という事「耳をもっとすませろ」という事。「身体の声を聴け」と。もうブルースリーじゃないか。
でも、100万以上掛けてどうにもならなかったカラダは、トータルで20万もいかない金額で比べ物にならない結果が出た。
悩んでいた痛みや痺れが、ではなくカラダがとにかく軽い。そして「世界が違って見える」という事。
ずっとぼやけていた世界が一気に明るくなって、季節を感じる事ができる様になった。カラダの問題は心まで影響するのか。というかしていた事を自覚した。
生きるって楽しい。
でも、それにはまず「元気な身体」が必要なのだ。
メンテナンスは年4回推奨。でも年2回でも1回でも「任せる」と言ってもらえる。
それが嬉しい。信じてもらえている感じがする。
溜まった負担を取るのではなく「感覚がズレていないか」を確認する為のメンテナンス。
その前向きな考え方も私は気に入っている。
問題無ければ年1回、問題が出てたら年2回。それくらいが丁度いい。
何故なら、宿題という財産が私にはあるからだ!先生に育ててもらったカラダと知識・経験は伊達じゃない!
流行っている先生は、ここまで私個人と向き合ってくれなかった。
でもここは徹底的に向き合ってくれる。正にホームドクターだ、