口コミ
同業で開業しています。国家資格持ちです。
元々いた職場のセミナーでこちらの先生が単発講師として講義に来てくれたことがきっかけでした。その時は触診がテーマだったのですが、もう何か他の講師の人とは話す内容が違っていました。凄いとかじゃなくて、とてもフワフワというか抽象的というか。ふんわりと言う感じ。なので余り印象には残っていませんでした。
恥ずかしながら関節矯正の先生の方に夢中になっていたので。
そして実際に開業して全部が自分の責任となってから思い知りました。触診、検査がよっぽど大事だったんだなと。自分の矯正に責任が持てない、自信が持てない。本当に必要なのか判断ができない。だってカラダの状態が把握できていないから。固いから動かす?固いのに動かすの?無理やり?
考え出したら止まらなくなりました。怖くて矯正できなくなるし。古巣に相談に行ったら「場数だ」「根性だ」と凄いアドバイスを受けることにw
自分に足りないものが多過ぎた事、自分が会社と院の看板に守られていた事を痛感。もう一度きちんと勉強しようと色々な先生、特に講師として来られていた先生の元を巡ることに。楽しかったです。とても勉強になりました。
ヨガ、ピラティス、整体、整骨院、各講師陣のスタジオや院に伺い施術を受ける。レッスンを受ける。そして説明を聞く。なるほど勉強になる。よし参考にしようと燃えてくる。
そして一番最後にとっていた触診の先生にもとにいく。何で最後にしたのか。派手さが無かったから?それとも一番ふんわりしていたから何かを感じていたから?時間が長いから?単価が高いから?未だによくわかりません。
ただ、何となくで最後にしていました。ゆっくり受けたかったからかなぁとも思います。知らんけど。
で、受けました。
これ、同業の人で特に色んなセミナーを巡った人なら余計に感じると思います。僕は最後にここを受けたから余計に感じたのかな。
全く別モノ。別の場所というか別の次元の取り組み。
治療、施術、医療類似行為と呼ばれる行為の中で、全くどのイメージにも当てはまらない内容です。検査?施術?刺激を入れている?運動療法?これは何に該当するのか?
自分の頭の中のデータベースでは「no data」「unknown」と表示される。
自分は今、一体何をされているのか?これは何を目的としたものなのか?その整理が追いつかない。説明をされるが全く頭が追いつかない。だってストレッチボード。これはうちの院にもある、職場にもあった。でも、これって乗って伸ばすだけのモノだと思っていた。
でも、俊先生はストレッチボードだけでも検査、運動、運動連鎖の確認、不具合時の運動不良の感覚確認、関節の運動感覚の確認など、用途が複数展開されていた。取り扱い説明書通りに使わずに自分のアイデアに道具を引き込んで活用している感じ。
まず道具をこんな風に使っている先生を初めて見た。これだけでも目から鱗。道具に任せていない。道具に手助けしてもらっている感じ。
そして触診。これがまた凄い。ほんの少しの角度、方向性、そしてこちらの意識した力、脱力。1つの検査で一体幾つの検査が複合されているのか。たった1つに見える検査が複数の情報を瞬時に先生の手元に提供する。
先生はそれを「聞き出す」と言っていた。「探しては駄目」と。来たよこのふんわりな表現(汗 完全にこれ感覚知の世界だよね。
自分は検査は探すものだと思っていました。痛みの再現性や可動性の確認など。それが「探る検査」の限界だそうです。1検査に1結果という紐づけ。
探せば力を流し込む。流れてくる力を読み取る事。カラダからのオープンキネティックを感じ取る事、カラダをクローズドキネティックにしては駄目。
キチンと言葉にして伝えてくれるが次元が違い過ぎてさっぱりわからん。がしてもらってその違いはわかる。それが余計にもどかしい
自分の今では到底理解ができない感覚の世界。
それを嫌味なく思い知らされた1日でした。自分は自分なりに頑張って勉強してきました。職場でも役職を与えられ信頼され、教育係もこなしてきた。
それなりの自負はある。自信もある。はずだった。
繁盛する院、そして繁盛はしなくても安定する院、先生のところは安定派だと思う。
繁盛しているから良い院なのか。
何かもう物凄く考えさせられる120分でした。
自分の考えていた努力。多分先生の足元にも遠く及んでいない。向き合い方が余りに違いすぎました。
やるしかない。
just do it!
ありがとうございました。
紹介者なしです。探して探して、さまよい続けてやっとここにたどり着きました。
ここに登場する皆さんと同じく、とにかく有名どころを頼りました。TVに出ている先生の系列院や芸能人をみている先生の院も行きました。SNSでバズッた先生のお弟子さんの院にも行きました。
行けば何とかしてくれると信じていたからです。高いけど、払うもの払ったら後はもう大丈夫なんだろうと。
ご推察の通り、見事にどん詰まり、沼にドはまりしてしました。受けた後は「ああスッキリ」とスキップして帰り、数日後には「ああ、戻ってきた」とどん底に。どんどん減っていく諭吉さま。出ては戻ってくる放蕩息子のような症状。担当の先生は弾ける笑顔で「頑張りましょう!」と支えてくれる。きっと担当の先生には見えているんだと信じて続ける日々
ある日、友達に言われてハッとする
「それ、大丈夫なの?」
一瞬で我に返る私。そうだよね、だよね。何かこれダメな流れだよね。でもどうしよう。今更また1から探すの?やっと見つけて、やっと通えた場所なのに。
かなり悩んで悩んで、それから必死に探すように。そこでも気づく。ああ、私って「探していなかった」んだと気づく。こんなに必死だったのに、何とかしたいと思っていたのに大して調べることもしていなかった。わかりやすい情報に惹かれ、都合の良い返事をしてくれる場所を求めてたどり着いた場所。
それが有名所ばかりだった。ああ、自分が悪いのかも。そう思った時はむなしくなった。勉強代にしてはあまりに高くついた。お金はなくなり、体は何も変わらず。自分の情けなさだけが残った感じ。ばかみたい。
ここと出会ったのはそんな「やさぐれ」時期です。いや正確にはもっと前に出会っていました。印象に残っているのはどこかで聞いたフレーズのチラシ
「20代と30代の間は覚えておいてください。40代になったら思い出してください」
あ、行こう
なにかも直感的に感じて、ネットで調べてみる。出てこない。院の名前を直接打ち込んでやって出てきた。ああ、出会えないわけだ。
youtubeの動画を全部見る。凄い深い、重い。何か凄い内容。音楽も何か重厚感ある。でも内容は納得する。
きちんと身体と向き合うときかも。そもそも体と向き合うことってどういうことなんだろう?
この際、キチンと学びたいと思ったので予約する。最短でも翌週だった。うそ!明日行こうとか思っていた自分が情けない。まだ自分の都合でものを考えていた。
で、開始
普通の家、先生も普通の先生。特別なオーラがあるわけじゃない。穏やかな先生。で始まる
何か凄い、何か凄い
細かい、丁寧、説明がちんぷんかんぷん。
カルテは×ばっかり。▲もたくさん。〇が少ない。
何故?じゃなくて当然の状態。それを丁寧に説明される。悩む前の段階らしい。カルテ見て納得
こんなこと、誰も教えてくれなかった。調べてもくれなかった。だからなんだ。じゃあどうすればいいの?
今はここを優先します
だからこれやってきてね。
このやり取りの繰り返し。キチンとすれば前に進み、いい加減にしたら足踏みが起こる。場合によっては改悪が起こる。
本当だ、自分次第だ
まだまだ旅の途中だけど、私が感じ取った変化はいろいろ
階段が軽い
歩くのが楽
立つのが楽
姿勢がきれいになっている
視界が広くなった
周りがよく見える
よく眠れる
寝起きがいい
気持ちがなんか穏やか
まだまだあるけど、今はここまで
身体の声を聴くって言葉の意味がやっとわかってきた感じ。
答えは最初からそこにあったんだ。私がただ聞いていなかっただけ
それを教えてくれる、聞き方を教わる場所だとおもう。
出会えてよかった。
きっとここが私の終着点だと思う。
安心感がまるで違う
監督からの紹介でお世話になりました。何処かが痛い、というなら年中どこかが痛いという状況でした。でも目的はそこじゃなくてもっとパフォーマンスを上げたい、それも根本的に上げたいという気持ちです。
体の使い方についてはそれなりに自負がありました。沢山調べて勉強して自分なりに実践してきたものです。それなりの実績も上げてたので自分なりに納得して積み上げてきたものでした。
それが全部、ここで壊れました。粉々に砕かれました。本当にショックでした。最初はどうしても認められなかったです。何か自分を否定された様な気がして。だから迷いました。ここに通ったら自信が全部なくなっちゃうような気がして。
でも、同じくらい感じました。「ここに行けば本当に変われる」という期待感。
監督に相談もしたらいわれました「自分を問い直す場所になるだろw」と。決めるのは自分だといわれて、決めました。頑張ろうと。
で、通いました。
自分の誤解、固定観念を1つ1つ壊しては学び、自分で実践しては感じ取り、本当に自分の体との会話になりました。最初は意味もわからなかったことが、だんだんと感覚としてつかめる様になると途端に楽しくなりました。
そして自分が今まではこの感覚を感じることなく動いていたことを知りました。だから怖くなりました。知らない間に体を消耗し続けていたことを知ってドキッとした感じです。
力にゆだねる、体にゆだねる。
その為の身体つくり、立つこと、歩くこと、動くこと。実際の練習や試合。
今まで自分が動いて何とかしようとしていたけれど、それを逆に自分を場に合わせて変化させる、適応させるという逆の発想を取り入れた途端に見え方が変わりました。
よく見える、見通せる。何をすべきかがわかる。だからするだけ。そうすれば結果的に点につながる。
先生の言っている意味がやっとわかりました。自分だけじゃなくて、全員でゲームを動かすこと。それには相手の動きも含まれること。自分がコントロールするのではなくて、動いている場に自分がはまり込むこと。すごい。本当にこれはすごいと思う。
こういうプレイって頭が無いとできないと思っていました。でも、身体を整えることで、余裕が生まれて風景が広がる。だから頭が使えるんだと知りました。
今までどれだけ無駄に動き回って消耗していたのか。自分勝手に動いていただけなのか。自分を中心に考えていたことを学びました。
からだって奥が深いです。もっともっと先がありそうにしか感じない。知りたいし学びたいし、先生に追いつきたい。
なので今も通っています。でも、月1回の運動訓練?と宿題をもらいに行っている様な感じです。
先生がサラッとできることが私は考えながら落とし込まないとできません。それが私が埋めるべき課題だと思っています。力を制御して実現している私、先生はもう感覚的にその動きを実現している。ここでも私は無駄な情報処理を頭の中でしているはず。
何処かに意識が向いている間、他の場所に向くべき意識が遮断される。それが結果的に動きの硬さにつながっている。
わかっているんです。わかっているのに、まだ自分の体を先生のように制御できない。それが悔しい。だから頑張ります。
私にとってのここは「学校」です。
痛みもしびれも違和感も、いろんな身体の違和感は今となっては私の一部みたいなもの。今までは遠ざけようと何とか消そうとしてきました。でもここにきてそれも大切な情報だと知りました。
身体を守るために教えてくれていること、だから私は耳を傾ける。先生の言うことは深くて難しいですけど、理解できると本質的で本当に透き通っています。
先生の言葉の真意を知りたい。それも宿題の1つのような気がします。
健康になりたい!健康って何だろう??
本当に疑問を感じて、本当に知りたいと思っているなら、こちらの院は本当におススメです。すごい丁寧に何回でも答えてくれます。
確かに総額としては安くはないお金になると思います。私もそうです。でも、得られる経験と知識と感覚はその何倍も価値あるものが自分自身に残ります。
だからここって学校だと思います。体の学校?健康の学校?
私はずっと先生に挑戦する気持ちで通っています。
初めて聞いた時は「?」か「へぇ~」か「ふぅ~ん」という感じ。まずはそこから始まる。
宿題を適当にこなすと結果が出てこず「ホンマかいな」と疑いが出てしまう。こんなもんなんかなという感じ。
先生に結果が出てこないという話をして、宿題を見てもらうと雑にしているのがバレる。先生の説明と自分の取り組みが全然違う。目的も違った。要は最初は適当に聞いていたということ。ああ、自分の責任。
キチンと宿題をする。本当に1週間、2週間で結果が出る。ただ目的の結果とは違うから「これでええんかな」とも思う。先生に聞いたら「今はそこしかできない」とのこと。パキっとできないのか?と問う。「できるけど、そのハイリスク・ローリターンを取りたいなら、技術レベルとしては倍の金額でないと割に合わない」とのこと。できない訳じゃないんだと知る。
宿題、屈伸動作。屈伸動作やろと思いきや全然できない。ここで自分のカラダがバラバラに動いていた事を知る。というより、実際はバラバラなのに感覚的には繋がっていると感じていた事実に驚愕する。
確かに先生の屈伸と自分の屈伸は全く別物。先生はヌルヌル、ぬぅ~んという感じ。滑らか。
キチンと立つ。ここに入ると嫌でも感じた。立った時の安定感がまるで違う。根っこが生えた。面白い、次の動作に入り易い、力の意味がここでわかった。
あれこれ割愛
歩行練習、ここで初めて全身の繋がりを実感する。足から始まる力が頭と腕を抜けていく。ワサビの辛さがツーンと鼻先に一直線に抜けていく様なあの一直線。
で、気付いた。
上がらなかった肩が、まだ肩の施術なんてしてないのにスッと上がっている事に。自分の方がサクッと上がっている事に後から気付いた。
私は「あ」ではない。「あれ?」だった。
ここで全部繋がった。カラダが繋がったじゃない。先生のやっていたことが頭の中で腑に落ちた。全部が繋がっている。施術と宿題自体がまるでインターネットの情報網の様に繋がっている。
だから一つも欠けたら駄目だし、順番がある。歩行の動作の中に宿題が全部「埋め込まれている」事に気付く。ああ、あれ、これ、それが繋がり合って歩行なのか。
じゃあ、歩行から練習したらダメじゃん。走るから入ったらダメじゃん。
先生が私に言って、私が「え?何で?そうなんかなぁ」と信用しきれなかったあの言葉。それを私は今自分で納得した。というか自分で自分を説得した様な。
先生の見ているものはやっぱり違うんだなと思う。素人が詮索したところで何もわからない。
確かに取引先にあれこれ質問されても殆どが的外れで困ってしまう。というか時間が勿体ないと私も日々感じている。不安を解消させるには大切だとも思うが、バランスが難しい。
先生が向き合っている課題はきっと、技術的な問題よりもこうした納得の部分じゃないかと思う。
でも、これは相当私達が育たないとわからない。先生の世界観は余りに深く広すぎる。
私達メガドラ世代には64色が限界だ。中間色を使っても512色あたりだろうか。
先生は1677万色の世界にいる。
ここに来て最大の収穫。というかここで何をやったのか。
先生の言葉をそのまま横流ししますと、本当にそういうこと、こういうこと。
私の運動が、私の健康と繋がった。
こういうことだと思う。ほんとこういうこと。
今まで、私の運動は「達成感」と「記録」に直結していました。一方で「健康」とは道が繋がっていなかった。と今になって思う。
前は繋がっていると思っていた。それが当たり前、運動の基本だろうと思っていました。運動とは健康促進のためにするものだと。運動をすれば健康が育っていくものだと。
でも、膝は痛い、足首は捻挫する、ぎっくり腰もする。寝つきが悪い、片頭痛、肩こり。色んな症状は治まることを知らない。何故だ?運動習慣はきちんとあるのに。何が悪いのよ。
そう思っていた。
それがそもそもの間違いだった。とここで知った。
記録と結びついた運動は、身体をただ追い詰めていくだけ。体を使いこなしたからこその記録だと思っていたけど、記録用の運動と健康促進の運動は全く道が異なると知った。身体を使いこなすと追い込むは全く違う。別物だ。
健康に直結する運動、身体を正しく扱うということ。ひとつひとつを丁寧に説明されて、実際に宿題で取り組み、感覚が変わっていくこと。
何より症状が1つ1つと穏やかになっていくこと。自分がいかに空回りをしていたのか、勘違い、固定観念の中で生きていたのかを知った。本当に無料情報って怖いと思った。疑うことなく10年以上取り組んでいたからだ。そのツケをやっとここで支払いきることができたと思う。
正しいことを知る、正しく取り組む、正しい感覚を身に着ける。そして正しく扱う。
「正しい」の定義が曖昧な世の中で、誰もが「私こそ正しい」と喧伝する世の中だからこそ、選ぶ側の責任が重たくなる。そういうことまで教えてもらえて。
相手のせいにするのは簡単。でも選んだのは確かに私自身だ。少しでも簡単に、楽に目的に至れる方法を求めていたからこそ、私はそれを選んだ。ええ図星。つまり自業自得。
誰も悪くないのである。私以外は。
「どれくらいでよくなりそうですか?」
私のこの問いに先生は答えてくれた
「あなた次第ですよ」
ほんとその通りだと思う。
振り返り投稿とします。
ここにきて学んだ事は沢山あります。知らないことだらけだったし、自分の中で正しいと思ったことが全然違っていたし。信じていたものが全く違っていたことなんて日常茶飯事。
そして先生の施術を受けるとコロッと変わる体、感覚を自覚して「魔法みたいだ」といつも思っていたこと。
それは全部「科学」であったとやっと理解した。
同じ何かを見ているとき、感じているとき、そして言葉にするとき、
私たちは当然自分の知識や経験をもとに論じる。それが自分の理解だからだ。
それを幽〇白書的に表現しよう。それが一番わかりやすい。
仙水と浦飯のあのやり取りだ。
「君の霊力を10とすると、私は100だ」
私たちの知識と経験をフル動員すると10とする。
ここの先生の知識と経験をフル動員すると540,000だ。
もう、同じものを見ていながら、同じものをみていないに等しい。
これがここで展開される日常である。
10の我々にとっては「魔法」となり、540,000の先生にとっては「科学」となる。
そして、そんなことをどうして私が言えるか白状しよう。
刮目せよ!!!!
私は鍼灸師であり、同時に柔道整復師である!!!wwwww
自分がここに辿り着いたのは6院目です。スタートからゴールまで4年くらいでしょうか。最後の1年がここ。
1:病院
2:有名な病院
3:国際基準のカイロ
4:オリンピック選手をみている整骨院
5:オリンピック選手のコーチ?をしている整骨院
6:ここ
今までに注いだ金額は100万以上です。だって「4,5,6」って1回15,000円とか20,000円で30分くらい。通院は週3回とかだったから。
それでも健康はお金じゃないと思って通った。けど見返りは無かった。というか悲しいというか惨めな気持ちは沢山味わった。これ、多分わかる人にはわかる、わかってもらえると思う。
信じてきてるのにその対応はあんまりだろ、と言いたくなる様なやつ。そう、きっとそれ。
考え出すと悲しみより怒りが沸いてくるからやめる。
で、ここに来た。紹介で。やってもらうが駄目なら、自分でやってみなよと言われてきた。
こうなってくると「1回10000円?安いな」と感じる自分の感覚がおかしいと思う。完全にやけくそ状態。
でも、素人の自分でも感じた事がある。これだけ有名?な院、先生に通ってきたからわかる事だってある。伊達に100万オーバー使ってない。
熱量がまるで違う。ハッキリ断言しよう。熱量の次元が本当に違う。
こんな熱量、いや、この熱量の1/10すら感じなかった。高名な先生からは。というか「院」全体から。大繁盛しているからだと思うけどルーティンワークの中に組み込まれる感じだった。
ここは違う。流れ作業じゃない。凄まじい熱量が注ぎ込まれてくる。覆いつくされる勢いでくる。
それも、私にではない。私の身体に対してである。
先生は「私の横に立て」と言う。横に立って自分のカラダを理解しろと言う。解説は全部してやると。ひとつ残らずしてやるから、自分でしっかり覚えて行けと。
「耳の穴かっぽじって良く聞くんだ、だって君のカラダの事だぞ」
こんな感じの熱量が来る。
「全部明らかにしてやる、教えてやる、だから自分でやれ」
本当に全然違う。スタンスが違う。
何なら、先生、施術着を着ていないwwwwwww
完全な研究者スタイルでいる。
駄目だ、話し出したら止まらない。あれもこれも話したくなる。そんな先生他にいるか?いなかったぞ。
先生は私と私の身体に敬意を払ってくれている。そしていうのは「自分の身体にもっと敬意を払え」という事「耳をもっとすませろ」という事。「身体の声を聴け」と。もうブルースリーじゃないか。
でも、100万以上掛けてどうにもならなかったカラダは、トータルで20万もいかない金額で比べ物にならない結果が出た。
悩んでいた痛みや痺れが、ではなくカラダがとにかく軽い。そして「世界が違って見える」という事。
ずっとぼやけていた世界が一気に明るくなって、季節を感じる事ができる様になった。カラダの問題は心まで影響するのか。というかしていた事を自覚した。
生きるって楽しい。
でも、それにはまず「元気な身体」が必要なのだ。
メンテナンスは年4回推奨。でも年2回でも1回でも「任せる」と言ってもらえる。
それが嬉しい。信じてもらえている感じがする。
溜まった負担を取るのではなく「感覚がズレていないか」を確認する為のメンテナンス。
その前向きな考え方も私は気に入っている。
問題無ければ年1回、問題が出てたら年2回。それくらいが丁度いい。
何故なら、宿題という財産が私にはあるからだ!先生に育ててもらったカラダと知識・経験は伊達じゃない!
流行っている先生は、ここまで私個人と向き合ってくれなかった。
でもここは徹底的に向き合ってくれる。正にホームドクターだ、
シンプル
凄いシンプル
でもはっきりとしている。
「先生、何が悪いんですか?」
→カラダのここ、そこ、あそこが本来の状態では無いです。
「先生、どうしたらいいですか?」
→まずはこれをこうしたらいいですよ。ここから始めましょう。
「先生、どれくらいで良くなりますか?」
→この「×」と「▲」が「〇」になったら良くなっていると思いますよ~
「先生、どのくらいの期間かかりますか?」
→それはもうあなた次第ですよ~頑張る程に早く終わる!
キチンとやれば良くなる可能性が高くなる。
ダラダラすれば、良くなる可能性が低くなり長期化する。
ここは問いに対する答えがしっかりとしている場所。
こちらが問い掛けていたはずなのに、逆に問い掛けられる場所。
健康は他人任せではなく、自分で責任をもって向き合うモノだと学ばされます。
ここは健康、予防に向けての最高のパートナーを得られる場所だ。
あれだけ「無理無理無理!!!!こんなん人が履くモンとちゃう!!」と言っていた歯が後ろについている一本下駄。
そして「これこれ!これはホンマに履きやすい!」と言ってた歯が下にある一本下駄。
それが
それが。。。
そ・れ・が!!!
まさか逆転するなんて誰が想像していたであろうか、いやない(反語)
こんなに後ろに歯が付いた一本下駄が「履きやすい」「力を抜いても立てる!」と感じる様になり、
普通の下に歯がついている一本下駄は「うわ!無理!こけるって!」「足首やられるって!」と意識しないと立てなくなった。
信じられないけれど、それが私の足に起こった真実である。本当に感覚が180度引っ繰り返った。引っ繰り返っていた。
じゃあ、やっぱり自分が今まで感じていた「普通」「楽」「自然な感じ」が全くそうでは無かったという事か?自分にとっては普通であっても、本来のカラダにとっては「普通では無かった」という事か。
感覚的にわかってきたけれど、どうしても理解が追いつかない。カラダって自然とベストな状態に戻る働きがあるんじゃなかったっけ?どうして自然じゃない状態でカラダを固めてしまうのか。
感覚ってこういうふうに変わっていくもんなの?もっと何かこうわかりやすい感じで変わっていくのだと思っていました。でも実際は突然でもあり緩やかでもあり、何せ理解が追いついていないので表現するのも一苦労。
ナニコレ?
という感じで起こる。
いや、この1本下駄は本当に衝撃的だった。当たり前の様に立っている自分を見て未だに「え?何で?」となっている。
ここは「当たり前」が崩れていく場所なのかも。だってその「当たり前」って普遍的なものではなくて「自分にとっての当たり前」に過ぎない訳で。
ここでは「人間にとっての当たり前」という正に普遍的なモノを教えてくれる場所であって。「自分とニュートラルな人間」の間に広がったギャップを埋めてくれる場所じゃないかな。
自分の感覚が正しい、間違いないと思いたいけど、これを経験しちゃうとダメだな、認めざるを得ない。
自分が培った感覚、普通はやっぱり「独りよがりのもの」だったんだな。大きなけがをする前に修正できるものはした方がいい。間違いない。
何処で?
ここでしょ!
自分にもやっときました。「あ」の瞬間が!
控え目に言って凄い!感覚が本当に一瞬で変わる。変わる?いや違うと思うな。これは「気付く」だと思います。
カラダの変化はじんわりと起こっていて、でも自分はそれを拾い上げる事ができてなくて。で「いつになったら変わるんやろか」と思いながら過ごしていたのかなと。
でも、確かに予兆はあったんですよね。車を運転していてやたらと目線が上に向いている。やたら広く見える。足元が疎かになってしまって逆に怖かったけど、慣れてくると遠くを見通せるから危険予測がとてもしやすい事に気付く。あれも立派な予兆だったのかなと思う。あくまで「今となっては」です。その時はそれとこれが結びつくなんて思いもしていませんでした。
2軸歩行、先生がいう「置く」の感覚がわかると面白い様に身体が進む。本当にカラダが前に進む。「蹴る」「引く」だとどれだけ自分が地面を引っ張り込んでいたかが良くわかる。本当に全くの別物。動き自体はよく似ているのに。凄い不思議。これ本当にコロンブスの卵だ。本当に世界がコロンと引っ繰り返った。ヒトのカラダってめちゃ面白い。自分が知らない事ってあとどれくらいあるんだろう。
で、感じた2軸歩行はどんなものか。
あくまで自分感覚になりますが、キチンと残します。まず、一番の感覚変化は「太腿の筋肉が溶けた」という感覚です。今までも太ももの筋肉が歩く動作から抜けていくのは感じていました。でも今回の「あ」は全くの別物です。スルッと溶けていった。膝の筋肉が歩く中で運動には参加しているけれど、前みたいに主役を張る事はなくなった。
2番目の変化は「お尻」をしっかり感じ取れるという事。今までは膝で体重を受けてるなーという感覚が残っていたけど、完全に膝は通過して股関節で受け止めている感じが伝わる。お尻の筋肉がしっかり歩くに参加しているのがわかる。凄い楽。しかもお尻がドンドン引き締まる。
3番目は何だろう。先生のいう「力に乗る」という言葉の意味が分かった気がする。そこにある力を循環させるという意味。わざわざ使う必要は無いし力を出す必要も無い。気功の達人みたいやなと思っていたけど、その意味が2軸歩行でわかってきた。本当に力って「最初からある」とわかる。自分で歩く必要が無いんですね。偉大だな万有引力。
歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても歩いても
全く疲れない、ペースが落ちない。しんどくもならない。筋肉痛も出ない。あ、でも頑張り過ぎたら「鉛の様に重だるくなる」という変化もでた。筋肉痛じゃなくて筋肉が鉛になる。これも新鮮な感覚。正に筋肉疲労という感じ。しっかり使っているからなのだろうか。
歩くのが楽しい、歩くだけで沢山の発見が見えてくる。カラダからドンドン情報が上がってくる。これが先生の普段の風景なんだな。あの人良くパンクしないなとも思うけど、それは「好きこそものの」だろう。好きな人からすれば確かに天国になるはずだ。
通い続けてもう2年ちょいかな。やっと身体の状態に感覚が追い付いたという事なのかな。カラダはずっと待ってくれているとはこういうことだったんだなーとか、こういうことだったのかなとか。
色々と考えてしまう今日この頃。
カラダ、本当に変わるし、感覚なんてもっと変わる。
健康を掘り下げるって本当に奥が深い!
紹介でこちらにお世話になりました。こちらにお世話になるまでは相当な数の院を回りました。整体、整骨院、鍼灸院、ストレッチ、とにかく何とかしたかった。何とかしてもらいたかった。だから先生を信じて通った。
でも、痛みはマシになるものの、やっぱりすぐに戻ってくる。マシになった!動ける!と感動して帰っても、暫くしたらやっぱり「いる」と感じるあの絶望感。本当につらかった。もう出口無いんじゃないかと思った真剣に。
たまたま紹介されたのがこちら。紹介してくれた人からはしっかり言われました「自分でやらんと何ともならん場所やで」。どこでもいい。現状を打破してくれるなら何でもやる。
とにかく現状を何とか変えたかった。
初めて行ったとき、不安になった。本当に普通の家。実家の家かと思う様な家感が凄い。というか家。そして看板がちっちゃ!とにかくちっちゃ!いかにもな雰囲気が無いので「大丈夫なのか、、、ここ」と不安になる。
最初の説明もノンビリと。説明に使われるイラストも凄い手作り感MAXなイラスト。
ホンマに大丈夫かいな。
どうしても不安がぬぐえなかった。先生もどことなくのんびりしてるし。
だがしかし。杞憂に過ぎなかった。始まったらすぐにわかる。細かい、細かい、細かすぎる!!!そして段取りが早い、とんとんとんとん進んでいく。先生は一人で頷き、私はさっぱり。でも解説はきちんと入れてくれる。入れてくれるし細かいけどさっぱりわからん。何か凄い細かいことを説明されているのだけはわかる。
だがしかし、素人の自分にはさっぱりわからない。でも今までの院とは全然違う。この密度は何だ?やり方も今までの院とは全然違う。
これは何だ?私が受けているのは一体何なんだ?
カイロ?整体?え?という感じで進んでいく。
そして自分の中で驚いたのが、変化がその場でどんどん出てくるという事。先生は余り言葉にしないですが、最初の検査時の動きや感覚が、検査?をされて力を入れたり抜いたりしていると、再チェックの際に明らかに軽い。動く。
え?ナニコレ? でも先生は何も言わない。「先生。何かさっきより軽いんですけど」と聞いてみると「今使ってもらってますからねw、でもこの変化はすぐに戻ります。」と。
戻るのか。。。。良くなったとは違うんかなと落ち込むと、先生すかさず「正しい関節運動で正常化することが証明されていることが大事なんですよ」とフォロー。
そうか、一時的でも回復することが確認できたから良いのか。なるほど勉強になるな。
みたいな感じで気付けばもう2時間。あっという間の2時間である。
そして宿題もきちんと説明される。またこれが細かく説明される。どうして必要なのか、どのようにすべきか。こんな風にしたらダメよなどの注意点も。
何かこう至れり尽くせりとでもいうのか。ここまでサポートしてもらえる院ってあるんだ。というか今まで受けてきたものは何だったのか?
受けた後にLINEで届いた資料がまた凄い。これで1万円って激安じゃないの?前に通っていた院は50分で施術だけで9,000円くらいだった。こんなフォローの資料なんてない。
ここに辿り着けなかったら自分はどうなっていたのか。ちょっと考えると怖い。ずっと迷い続けていたのかもしれない。
紹介をしてもらえて本当に運が良かったと思う。
健康を取り戻すぞ!と意気込む皆さん!私はこちらを全力でオススメする。
信頼に足る先生だと断言するよ!!!!!
いや、凄いよ。「あ」の瞬間を迎えたからわかるけど、本当に凄いよ。多分、この感覚を掴み取る為の「仕込み」をずっと先生はしてくれていたんだと思う。いや絶対にそう思う。
歩行が変わる。というか、変わっていた。ホントに。
感覚的には「変わっていた事」に後から気付いたという感じ。「あれ?」とか「おや?」という感覚が先に来て、それが何かをずっと探し続けて、自分の中で「あ」と気付く瞬間。その瞬間に色んなモノが頭の中で繋がった。
今までの宿題、先生が何度も繰り返していた言葉、動作、全部が繋がった。というか、全部が繋がり合って今の歩行が仕上がり、その歩行を通して「あ」と気付いた。
うわ、マジですげぇw。この先生、マジですげぇ。
気付く前までは「言っている事が良くわからん」だったのに、気付いた瞬間に「マジすげぇわ」にヒックリ蛙。ヒトって納得したらこうなるんだね。そして納得できないとああなるんだね、それが良くわかったわ。
歩いているのは自分、感じ取っているのも自分。でも、カラダが再現している動き自体は「まるで他人事」の様に客観的に感じ取れる。
感じたその日に書いているのでまとまりは無いですが、何とか伝えたい。鉄は熱いうちに打ってしまいたい。忘れてしまいそうで怖い。これは絶対に忘れてはアカンやつの気がする。
今日はお陰で2時間も歩いてしまった。さぁ考えよう。
何が違う?
そう、歩いている時に関節がコロンコロンと転がる。この感覚までは掴んだ。関節が繋がる流れの上に自分が乗っかっているという感覚。これは別に練習を通して感じていた。。。。はず。それなりに自信がある。理屈もわかっていたし。
問題は逆展開だ。
そう、ちょっとトイレに行きたくなったけれど、トイレまでは少し距離がある。でも今の「自然なリズム」では間に合わないかもしれない。少し急ごうか。でも走るのはしんどいから早歩きで。
タッタッタッタッタッタッタ
この瞬間である!!!!!!私は「あ」を迎えたのだ。
そう、さっきまで柔らかく力を流していた足首、膝、足の付け根が一瞬で「バシュン!」と硬くなったのだ。そして着地の瞬間にガツン!と足首や脛、膝や太腿に重たい感覚がやってくる。
明らかに違う、別物になったのだ。歩くが。早歩きにするだけで。
あれだけ自由気ままに動いていた関節が縮こまり、閉じ込められ、ギューギューになり、そんな中で速いペースで足が回転していく。
さっきまでの柔らかい力のやり取りは何処行った?この程度の速度の変化でこんなにも差が生まれるの?
じゃあ・・・・・「走る」ってどういうこと?そういうこと?
先生が言っていた言葉がどんどんここで花開く。うわぁホンマや。先生の言う通りやわ。今までこんな感じで関節に負担を押し付けていたんか。カロリー消費を最優先にして。
こんなに違うんや。
もう本当にビックリしました。
同時に「じゃあ、割とちゃんと歩ける様になっていたんや」と自分の歩行が変わっていた事を自覚できた。前の自分とは全く別物になっていた。全然気付かなかった。
早歩きのペースを変えても一緒。力に委ねたペースより回転数を意図的に上げた瞬間に切り替わる。関節が固まり、太ももが張る。
ペースを自然に戻すと、太ももの張りが半分以上減る。足首や膝、足の付け根はフワッと自由になってコロリンコロリンと動き出す。ああ、そうそうこのリズムよと心地いい。
固まった歩行を経験したばかりだからこそわかる様になった。自然な流れで歩く場合、本当に関節が繋がり合う。とても滑らかに動き回る。ボールベアリングみたいな感じ。特に足首と脚の付け根。膝はあんまり関係ないのか?
何か見える風景が一瞬で変わった。先生の仕込みが活きてたよ。気付くのおそ!!!でも取り組んでいてよかった!
全然違うで!2軸歩行の世界!
あくまで私個人の見解です。でも、というか普通に共感を得られると思う。同じ感覚の人は絶対にいると思う。
予防医学。
この言葉の意味を「自分で健康を維持する、未病段階で自分で止める」こんな感じで考えている人がいたら、絶対にここはハマると思う。
最近の予防医学って結局は「病院に来てね」というものばかりだと感じています。あれがどうしても「予防」に受け止められない。予防って本来「家庭の医学」みたいなものじゃないのかな?と感じるからです。
病院のお世話にならない様に、自分で健康を管理する事。それが「予防医学」だと私は思っています。
そういう意味での「予防医学(在宅活動?)」を提供している場所は無いのだろうか?そんな場所を探しているとしたら、絶対にここがいい。
結局行ってるやん!というツッコミが出てきそうですが、そうじゃない。
ここは「予防の仕方」を学びに行く場所なんです。それは「カラダを正しく使う事」であり「カラダの正しい情報」を知る事。
情報の取捨選択、断捨離をしてくれるというか「自分でする方法を学ぶ場所」がここです。
だから目的は明確で「健康の自立」であると。先生もはっきり言葉にされていました。
これって理想的じゃないですか?
自分で自分の健康を守る方法を学ぶ事。自分でできる様になる事。
最後は自分で自分管理していく事。
これこそが私の求める予防医学です。そしてそれがここで学ぶことができる。
自分の健康を守りたい。その為の方法を知りたいし教えてもらいたい。
だったらここでしょ!
受けてて今なお思います。
予防医学ってこういうことだって!
長かった!いや本当に長かった!!やっと出会えたよ!こういう場所に!え?どういう場所かって?そりゃもうあれです。あれですよ。
!!基礎を大切にする先生!!
もうこれ!ここ!。結局はこれだと思います。何事においても。20院位巡って巡って辿り着いたのがこういう結論。「当たり前の普通の結論」だった訳で。でも辿り着いたからといってすぐに出会える訳でもなくて。
10院位はテレビで有名な先生を巡って、10院くらいはインスタとかyoutubeで有名?な先生を巡って。そこから10院くらいはまた自分で探して考えて選んだ先生の所を巡って。
1回では辞めてないよ!全部5回くらいは通ったよ!だから財布はスッカラカンだったよ!だって今時1回10,000円とかザラだもんね!でも健康だけはどうしても妥協したくなかったから経費だと割り切って探したよ!
で、やっと出会えたのよ。出会えちゃったのよここに。そんな感じ。
〇〇療法は沢山試したし聞いてきたよ。どの先生も独自の施術理論を持っていてそれを説明されて。他にもサポートグッズというのも沢山見せてもらったし、聞いたし、買ったし。自分のカラダの事も沢山聞いてきました。筋膜とか神経とか、脳波とか、姿勢とか。本当にたくさんの先生から色んなお話を聞いていた。
そういうのはもういいんです。もうお腹一杯。結果が全てなんて言うつもりもない。だって今日昨日で出来上がったモノでも無いと自覚している。だからその場で姿勢チェックされても、痛みチェックされても余り響かない。
知りたかったのはもっとシンプルで奥深い事。
自分のカラダは今どんな事になっているのか。自分に必要な事は何なのか。自分が何をすればよいのか。
それが知りたい、知りたかった。別に施術技術の話でも無く、姿勢の歪みの話でも無く、筋膜がどうこうという話じゃない。だってそれは「実際、本当かどうかわからない」事ばかりだから。確認しようが無い事を言われても言われた側はどうしようもない。
カラダが固い、それもわかる。自分のカラダだから。だから緩めていきましょうではなくて、知りたいのは「どうしてこんなに固くなったのか」という事。ストレッチの仕方がまずいのか、ストレッチの内容がまずいのか。要はもっと具体的に掘り下げて知りたかった。
でも、こちらの要求に応えてくれる先生がいなかった。ずっと聞いたことのある話が何処でも出てくるだけ。何度も聞き過ぎて、説明の前に何を説明されるかまでわかる様になる始末。
専門家って何なんだろう。そんな疑問すら沸くくらいにわからなくなってしまいました。ホント。だって下手したらこちらの方が知っているまである。伊達に患者歴長い訳じゃない。死に物狂いで調べたし勉強だってしたのだ。
こちらの質問に困る先生、怒る先生、不機嫌になる先生。どうして真正面から向き合ってくれないのか。その為の専門家であり対価の発生ではないのか?
目の前の先生は何でもって対価をなしてくれるのか。支払う金額と時間、そしてその対価。何かバランスが変だなとも多々感じた。
でもとてもにぎわっている院ばかりだったので「自分がよそ者なんだな」とも流石にわかる。ならばどこにあるのか自分の居場所。
そんな感じで流れ流れる浪人生活。そして最後に辿り着いた俊カイロ。
今までの院で、最も外観が「普通」であり院長の勢いも「普通」であり、国家資格は持っていない民間資格。
でも、こちらの口コミを見てもわかる様に「凄い」というより「異質」な何かを感じる。HPを見ても「いい事書いてるなぁ~」とは思うものの、そこまで特別な何かを感じる訳では無い。
興味本位、そして期待。
そして受けた私。
私が感じた率直な意見。それはずばりのズバリ
「極まった普通」
これだ!!
「普通」が「極まる」事で「応用」が生まれている。ここから感じたのは「応用」が先生の内側から「生まれている」と感じたことだ。
学んだじゃない、ここで「生まれている」感じ。これが先生のいう「向こう側」という事なのか?
徹底的に磨きあげられた基礎、そこに派手さは無い。見事にない。だが圧倒的な安心感と安定感がある。
実際に宿題を1つ1つこなす、覚えが悪いから人より遅い。でも先生は「失敗はなるべくし尽くした方がいい」と見守ってくれる。
1つ階段を登るとカラダが変わる。というか変化はその手前で感じる。軽い、伸びる、楽、これが私のカラダか?これが基礎を固めたご褒美か?
カラダの仕組みに従った「当たり前」を「順番」に「キチンと」こなしてくという作業。
こんなに地味な作業のご褒美がこれか!やればよかっただけ。
でも「何を」を丁寧にキチンと教えてくれたのはこの先生だけだった。
紹介でお世話になっています。
こちらの院で行っている事を表現するにはシンプルな形が一番かなと思い、自分はシンプルに仕上げてみました。
よくわからない、という人は是非受けてみて下さい。
「基本的な動作を極める」
それがこちらで取り組む事、我々が学ぶ事であり、それが達成できた暁には「求める健康」が手に入る。というよりその時には「既に手に入っている」という状況が生まれているのかと。
健康は結果であって過程では無い。健康を形作り支えるプロセスは「基本的な動き」の中にあった。
シンプルですが本質的。
それが俊カイロの特徴であり、間違いなくオンリーワンの証だと思います。
余り文章を書くのは得意な方では無いので簡潔にお伝えしたいと思います。
今まで受けてきたものが何だったのか。
今まで説明されてきたことは何だったのか。
今まで信じていたことは何だったのか。
今まで縋っていたことは何だったのか。
まだまだ出てきます。
とにかく健康について、身体のことについては今までの積み重ねが全て崩れました。自分の中の正しいが全て崩れ去る。本当にそんな感じです。
自分は今まで、何に時間とお金、労力をかけてきたのか。単なる自己満足だったのか?それとも自己暗示だったのか?
知らない自分、知ったつもりになっていた自分、随分と遠回りしたと思います。随分と遠くに来たもんだ~と歌いたくなる。
餅は餅屋。素人が下手に突っ込んでいい事はなかったのかも。だったら信頼できる専門家を探した方がよほどいい。よく考えたら仕事なんて正にそうじゃないか。
できないこと、知らない事だからこそ専門家を頼る。探す。任せる。そして支払う。
最初からそうしておけばよかったんだ。本当に最後はそう思う。
健康は中途半端に手を出すのが一番痛い目にあう。浅瀬でチャプチャプと遊んでいた自分が恥ずかしいです
素直になろう!私たちはどれだけデジタルメディアから情報を得ていようが「殆ど知らない」ことに変わりはないのだから!自分の無力さを自覚して認めた方が圧倒的に早い!あとは信じて突き進むのみである!
餅は餅屋!なのである。
ちょっと自分と似たような体験談が上がっていましたので私も自分の体験談をここで載せてしまおうと思います。もう通っている期間は3年くらいなのですが、今のペースは季節ごとです。こちらの先生は本当に「マメに通院して下さい」「期間はなるべく詰めて下さい」といった提案が全くありません。全くです。
そういう点でも信用できる先生、誠実な先生だと私は感じています。ビジネスとして正解か、と言えば難しい所ですが、畑違いとは言え商売をしている自分としては「ある意味で理想的」な方法だと思います。
その理由は「ここにしかないサービス」が確立されているからです。他の院に移ったとしても、ここと同様のサービスを探すのは難しい、というか不可能だと思います。これは受けたことがある人なら皆同じ事を言うと思います。それくらい「全く別次元」です。
ただし。。。。。。それが「響くか否か」は完全にこちら側の主観になるとも思います。良くも悪くもこちらの先生は全く我々に媚びません。営業もしません。ただ淡々とカラダを分析し、とんでもない詳細を教えてくれるという感じです。
で、話を戻しますが私が何にどう衝撃を受けたのか。それは「思っていた自分のカラダ、感覚」と「実際のカラダの状態」の余りにかけ離れた乖離状況をこちらで初めて知ったからです。
私自身は社交ダンス、パーソナルジム、そしてこちらではない整体院で姿勢矯正をずっと受け続けていました。割と健康意識は高いつもりです。食に関しても気を遣って生活をしています。血液検査も問題無しです。
自分に自信がありました。これだけ作り上げたのだから何が問題なのかと。お褒めの言葉も良くいただくのでそれもまた自信に繋がっていました。
だから、奥さんがお世話になっているこちらの「全身チェック」というものを受けた時、余りに衝撃を受けました。認めるのにどれだけ時間が掛かったことか。
本当に細かく、詳細にお伝えしてくれるのですが一言で私の当時の状態をいうならば。。。。。
「意識で形作られたカラダ」
という事でした。綺麗な姿勢、綺麗な立ち方、歩き方、そしてカラダの使い方。全てに意識が届いている。それが私は褒め言葉だと思ったのです。誰もがそうなるでしょうと言い訳をしておきたい。
意識がしっかり届いたカラダの扱い方。私はそれで有頂天になったものですが、実際はもっと奥のある話で「カラダの隅々までが意識で制御されている」という事だったのです。
それは「力による制御」であり「操作」であり、カラダから力の循環を奪い取っている状態だと。力で抑え込んでいる状態だと教えて頂きました。
最初は本当に意味がわかりませんでした。綺麗な姿勢と使い方、それの何が問題なのか。
「際立った姿勢、動きは不自然な制御だと思ってください」
「アナウンサーやモデルさんの姿勢、動きと同じです」
「見え方を意識した姿勢と動きは見た目は綺麗ですが、中の負担が大きいのです。」
え?
は?
本当にその時はそんな感じでした。
次から次へとあれも書こうこれも書こう、伝えておきたい。となってしまいとっちらかってきました。
それくらいに余りに画期的な経験がここでは多過ぎました。知らない事がこれ程沢山あったのか。信じていた情報がこれ程までに斜めにズレていたのか。
自分の情報選別の力の無さを痛感したものです。聞いた話が1つ1つ医学的?科学的?に論破されていく。あれはそう、これはそう、あれもそうです。あ、これもそうですね。という感じ。私が何十年にも渡り蓄積した情報理論・情報武装が気持ちいいくらいに無双されていきます。とても丁寧に無双されました。
ここは健康になりたい人なら絶対に来た方がいい。学びに来た方がいい。ただ、勇気は持たないと絶対についていけない。情報量が余りに多過ぎる。そして確かな情報は我々の持つ「夢、希望、楽観論」を全て崩します。都合の良い解釈が何一つ通用しない現実を思い知らされます。とても丁寧に。
そして知るのです。「近道なんて存在していない」という当たり前の事実を。
先生は良く「ダイエットと同じ」と言葉にされます。「体重に合わせた生活をすれば、体重はゆっくり確実に落ち着き、安定する」と。
「求める健康に合わせた生活をすれば、健康はゆっくりと確実に落ち着き安定する」と言うこと。
「求める健康に合わない生活」
根本原因はたった1つ
その厳然たる事実向き合う為の場所。
ありもしない近道を探すな場所では無く、最初から足元にある1本道を一緒に歩いてもらう場所である。
だから私達自身の問題である。と先生は伝えてくれるのです。
私は症状が重たい為かすぐに楽になった訳ではありません。少しずつゆっくりと回復していった流れでした。ゆっくりのメリットなのか、症状が戻るという事は軽い揺れが生じるものの、大きく戻って「ああ。。。。」とショックを受ける様な事はありませんでした。
それよりも何よりも。自分の中で衝撃的だったのは「生活の質」が激変した事です。これには本当に驚きました。
宿題をこなす。たったそれだけなのですが、まず寝起きが本当に楽になりました。起きた時のカラダの軽さが全然違う。これには本当に驚きました。でも思い当たる節が宿題くらいしかない。あれだけ怠かった朝が軽い。身軽。それだけでどれだけ朝が楽しくなったことか。
私はその経験があったので、先生を完全に信頼する事にしました。※最初からちゃうんかい!と突っ込まれそうですがw 最初から8割は信用していましたよ!
そして宿題をこなして、自分なりにウォーキング等を少し加えていくと。。。。今度は夜「眠たい」がやってきました。起きるより寝たいが勝つ。「寝てるの勿体ない」となっていた自分からしたら想像もつかないこの睡魔の欲求!これにも驚きました。
そして睡眠の質。ただ「暖かく」を実践しただけなのにこれまたショートスリーパー?と言いたくなるくらいに5時間くらい寝たらスパっと起きる様に。それもスッキリ感が半端ない!ここまで違うのか?というくらいの変化を経験できました。
症状よりもその変化に驚いた私。先生のおっしゃることは本当だと思います。健康は私達の足元にあって私達自身がそれを蔑ろにしているだけ。一つ一つを丁寧にしてあげれば自ずと健康はまた戻ってくる。というか足元から育っていく。
ああ、自分次第って本当だわ。そうね確かにダイエットと同じ。自分を律せるかどうか。そしてそれを「新しい日常」としてシフトできるかどうか。全部自分次第じゃん。
健康を与えてもらう、作ってもらう、整えてもらうと考えていた私自身の考え方、捉え方が少しずつ変わっていった気がします。
「やっていたらいい」と思っていた事。今はもう1つ1つがカラダとの会話という意識で意識を向ける。使う事、使い方に意識を向けるのではなくて、カラダの反応に意識を向ける。「意識して使う」から「意識して感じる」へのシフト。
カラダってこんなに語り掛けてくるのかと驚いた。生まれた時からずっとこうだったんでしょうね。それをいつからか私が押し付ける形になっていた。そう考えていくと確かに歪な健康論で自分を固めていたと思います。気付いたら本当に反省。でも気付くまではそれが正しいと信じていました。恐るべし固定観念。
ここで健康を学びました。カラダとの向き合い方も学びました。本当に結論は「自分がどう向き合うか」だけ。あれこれと魅力に誘惑、便利に溢れた世の中ですが、カラダの視点で見てみれば「しんどいだらけ」に見えてくる。「脳」と「カラダ」と「私自身」という三すくみ。
生きるってこういう事だったのね。と改めて自分自身を俯瞰できたと思います。
自分、世の中、そしてカラダ(健康)と。
先生の言葉を借りると「まだまだ知らない事ばかりです」という事ですね。
圧倒されました。ホントそれ。
実は私、こちらでお世話になる前に関東で有名な先生のもとに通っていました。1回の施術はこちらの倍以上、日本で一番細かい検査をする、国家資格の先生が行う、芸能人を顧客に抱える。プロ選手も沢山来ている。オリンピック選手も来ていました。だから信頼しきっていました。そんな凄い先生に見て頂いていると。
ですが、家庭の事情で関西に引っ越し。その先生のお弟子さんの院を紹介してもらいそちらでお世話になっていました。それは大阪です。そちらも芸能人、モデルさん、宝ジェンヌが通う院だとの事で有難いと通っていました。
ただ、年齢のせいか段々とカラダの調子が戻らなくなり、先生にも何度か相談し、サプリやインソールなどを追加して対応する日々。其れでも良くならない。何度か東京から先生に来て頂いてという事もしましたが、中々。
カラダがそろそろ限界を迎えているのかな。。と諦めてきたときに色々な先生を紹介して頂きました。でも結果は芳しくなく。
気持ちにかなり焦りが出てきていた時に、紹介されてはいたものの、詳しい話が聞けずにそのままにしていた院がありました。それがこちらです。
あの時は国家資格が無い民間資格という事で余り印象に残らず、気にもしていませんでしたが、こうなると都合の良いもので。改めて紹介してくれた方にお話を伺う事に。
正直に当時の心境を伝え、今の心境を伝え、お詫びをしつつ改めてお話を聞く事になりました。ですが「切羽詰まってるなら受けた方が早い、言葉でわかる内容じゃない」とアッサリとしたもので。
かといって他にあてがある訳でもなく、とにかく一度受けてみようと予約をお願いしました。
事前に問診票に入力をして当日に向かいます。先生はお若い、娘と同世代かな?というくらい。院は一軒家です。テナントでは無さそうな建物でした。
問診表の確認が幾つか入り、すぐに検査に入ります。その検査が本当に全身至る所までの検査でした。それも早い。手際よくササっと流れていきます。その都度先生が色々と思案をされる。何がどうわかるのか、伝わるのかがさっぱりわからない。時折先生が解説をしてくれるのですが、私には全くわかりません。
この時点でわかる事は「私は全くカラダの理解ができていない」という現実と「先生はもう私以上に身体の状態を把握している」という漠然とした事実のみ。
今までの先生でここまで細かくカラダをチェックされたことはありませんでした。「日本で一番検査をする」という東京の先生に比べても軽く倍はあります。何より時間が倍以上でした。それにも驚きました。
今までお世話になっていた先生は初回は1時間前後ありましたが、問診表の記入時間、確認時間、会計処理なども含めての時間でした。
ですが、ここは問診はオンラインで先に済ませており、現場では確認が幾つか入るだけ。「カラダに聞いた方が早い」とばかりに検査に入ります。会計処理も待つ時間も無くその場で即なので施術時間120分のうち90分は検査で、残り30分がカラダの説明や宿題の説明、練習など。
本当にみっちり詰まった時間でした。
そして先生ははっきりと伝えます。「日常には勝てない」と。だから「在宅ターンを大切に」と。方向性がはっきりとした院です。
自分で育てる健康、自分で向き合う健康。
他人任せにしてきた自分の健康負債を自分で返す事をサポートしてくれる場所。
その方法論として「カラダを綺麗に使いこなす」という事。
痛みを何とかする事ではなく、カラダを在るべき形に整えていく事。そして大切に扱っていく方法を学ぶ事。
健康を学ぶ場所だと解釈しました。
そして1つ1つの課題をこなしている今、自分が悩む症状が少しずつ変化している事も実感します。
内側から剥がれ落ちる。という言葉が身に染みる。これが自然に剥がれていくという事。それは内側から自ら導くという事。
カラダの奥深さ、健康の奥深さ。何より健康は常に半歩先、足元に今なお在り続けるという事を教えて頂いています。
とても素敵な院です。
紹介組です。
もうここの施術?は受けたらわかります。受けなきゃどれだけ考えてもわかりません。一見すると受けたことがある様な感じの流れです。でも段々と感じてくる。「これは一体何?」という感じ。何を受けているのか。何をしているのか。決してスピリチュアルではありません。完全に医学や物理の話が展開します。私が受け取っている限り。
その深さと幅広さが今までに受けたどの施術にもあてはまらない。私もここに来るまで「全身調整」という調整は受けたことがあります。部分的な調整ではもう駄目な年齢に来たなと感じていたので。ですが、ここの全身調整は今まで受けてきた全身調整と余りにかけ離れており比較できるものが私の中にありません。検査?施術?学習?動作訓練?神経?一体どれに該当するのだろう。
リハビリのような、でもリハビリではなく。整体のような、でもそうでもなく。カイロのようなパキポキが出てくる訳でもない。じゃあこれは一体どういうモノなのだろうか。それがわからない。
先生が作り上げたものだから、というのもあるでしょうが、ジャンルに偏っていない、カテゴリーにはまっていない。幕の内弁当?のような感じ。でもテーマはあくまで「人のカラダ」という一貫したものがある。だからバランスが取れている?
目的が1つあって、そこに必要なモノが集められてそぎ落とされていく。そんな感じでしょうか。きれいな流れですが、元々がそこにあったものとも思えない様な、思えるような。素人が考えても仕方がないかwと最後は諦める。
受けて終わり、受けたら楽になった、では全くない。そういうスタンスで身体をみていない。判断もしていない。施術が終わって見えてくるのは「体の現在の状況」それもとんでもない詳細が明らかになっています。そして「今、なにをすべきか」が示される。後はお任せします。という簡素な流れ。
「やればやった分だけ変わる。正しくすれば正しく変わり、不自然にすれば不自然に変わる」
最初の施術の最初と最後に先生が説明をしてくれたことです。先生自身が痛い目を見たとのことで「やればいい訳じゃない」とのこと。
キチンと理解し、正しく取り組めば最高のメリットがやってくる。一方で適当にこなすだけではメリットは小さくなり、やり方を間違えている場合はデメリットがやってくる。すべては「自分次第」という事。
ここは請け負い型ではありません。学習支援型です。身体の事を教えてくれるしサポートもしてくれる。でも「替え玉受験」をしてくれるわけではありません。あくまで予備校、サポート校です。だから結果をどう引き寄せるのかは自分がカギを握っている。「健康って本来そういうものです」と先生はもう振り切っている。少なくともここの軸はそうだ
自分の健康を自分の手で育てたい。健康というものを改めて学びたい、知りたい。確かめたい。
自分のカラダ、健康の可能性を生きている間に追求してみたい。そんな気持ちが前へ前へ、と前のめりになる人にはここは最高の環境です。楽しい。行くたびに学びがある。漏れがあっても教えてくれる。でも埋めてくるのは自分自身w
一般的な医療系とは全く違う。これはスパルタと言えるか?いや、逆だと思う。ここは健康の自立支援をしてくれる場所。生涯を健康で生きるために、自分で自分の面倒を見るための準備をしてくれる場所だと私は感じた。
一周まわって、これこそが「予防医学」の姿なんじゃないかなと思うんだけど、違うのかな?先生が「私に任せろ」ではなく「一緒に頑張りましょう」とサポートしてくれる。教材は「わたしのからだ」という最高の教材。
何でこういう場所がないのか?ここにきてはまったら絶対に感じるはず。
みんな、答えわかっているよね。
これは先生でないと無理だよw