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世界が変わる、は存外偽りではない。

5.00
投稿日

世界が変わる。その言葉は人それぞれで形も変わる。なんて堅苦しい事を言ってみたが、個人的な感想としては「変わる」とだけ言っておきたい。

ただし、これも言っておきたい。人によって大きく左右されると思うが「個人差が激しい」と思う。気付く人は恐らく早い。これは先生も口にしていた。早い人はとにかく一瞬で変わると。

その一方で「行き詰まる」人は割と沼にハマる。その理由は「癖」と「認識」にあると。自身の人生で育ててきた「独自の運動ーオリジナルの代償動作」は既に身体に溶け込み、その人自身の一部となる。一緒に人生を過ごしてきたいわば「戦友」と言えるもの。使い込まれ、使いこなした「専用の道具」と言える。

それを今更否定できるのか。「理想的」だと思っていたものが「非効率的」だと認識を改める事ができるのか。否。それはとても難しい。わかっていても難しい。年齢を重ねる程に難しくなるはずだ。でも、先生は言う。「それは最低限必要な事」であると。

自分が至らないと知る事、気付く事、そして認める事。それができて初めてスタートラインに立てるという。感覚を上書きしていく為にはなぞる、真似るだけでは不足で、自分の中での納得と理解が最初に必要であるとのこと。それは最早「価値観の転換」に近い。価値観を脱皮させる必要がある。

それができるのか否か。それは先生の手にあるものではなく我々の内側にあるもの次第と言える。そう「覚悟」である。もっと気軽に、もっと簡単に考えてる場合は恐らく辿り着けない。

先生はその点、一貫している。「健康は決して軽いものでは無い」と。一方で「痛みを改善させるのはとても簡単」とも。この両者を同一視している時点で先生と視点がズレる。それは結局先生のおっしゃる「ミスマッチ」に繋がるのではないかと推測する。

先生は常に本気で真摯に伝えてくれる。受け取る側がそれを「濃い」と捉えるか「重い」と捉えるか。そこもまた分かれ道になるのではないか。先生のスタンスは常に一貫していると感じる。

私はまだCCレベルのヒヨッコだが、実は来た時点ではFEという誉な状態からのスタート。それが宿題を2つこなした時点で確実な変化が感じ取れた。先生の「拾い上げる」という言葉の意味がやっとわかったのだ。

私の世界に小さな変化が生まれた。これはきっと大きな変化の扉となる。拾い上げるという感覚は今までの人生に無かったからだ。

世界は変わる。それはCCレベルの私でも断言できる。ただし、それは「待っていたら変わる」訳でなく「受けていたら変わる」訳でもない。

自分で気付く、拾い上げるという努力、取り組みが求められるのだ。

先生は最初にこう伝えてくれた。「私達は何処までいっても道案内が限界です。リスク要因から可能な限り皆さんを遠ざける事。それが私達の仕事の限界なんです」と。

私はまだここに通って半年程度。素人だが感じ取れる事はある。

技術は申し分ない、触れられる感覚でわかる。

知識は申し分ない、渡される情報量とその流れでよくわかる。

人柄は特に申し分ない。話をすればわかる。とても誠実な先生だ。

提供サービスについては文句のつけようがない。過去に様々な先生にかかったが、この様な密度、丁寧さを持った先生は経験が無い。

後は「私たち自身の問題」である。

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先生は哲学者×学者×研究者+臨床家

5.00
投稿日

今やっとA+A+まで到達しました。カラダの不調は殆どありません。出てきてもお風呂入ってグッスリ寝たら翌朝にはスッキリする感じです。今は「歩行」の練習と「癖抜き」に入っています。これが本当に難しいです。自分の感覚を否定しないと前に進まない悲しさ。

自分自身が「これが正解」と信じてきた感覚。それが「惜しい」と1つ1つ修正されていくのは「気付けた喜び」と「自分の積み重ねを否定するという悲しさ」とが共存した何とも言えない複雑な気持ちになります。最初は。一度ふっきれると「そっち側に行きたい」と気持ちが切り替わるので学ぶことがとても楽しくなります。修正をするのが楽しいというか。最初は中々感覚を掴み切れずに「え?え?え?」と頭の中は「?」で一杯になりますが、コツを掴むと「!」と閃きの様な発見の様な高揚感に満たされます。カラダの感覚が全然違う。うわ!と気付く感覚です。

先生が言葉にする内容は達人というか仙人というか、鬼滅風にいえば至高の領域な気がするのですが、階段はキチンと1段1段と用意されていて。それをしっかり踏んでいけば私でもそこに近付けている様です。そう信じています。

カラダをキチンと整えること。

カラダをキチンと使う事。

カラダを繋げていく事。

「立つ」こと

「歩く」こと

先生は「走る」までは指導していない様ですが、聞いたら「2足は歩行以上は負担が大きい」とのこと。走るという行為は基本4足に任せておけばいいというスタンスの様です。

2足歩行の生き物としての在り方をトコトン追求する先生。

色々な院を巡ってここに落ち着いた理由は「自分が成長できる」という環境である事。先生はこちらのペースに合わせて指導をしてくれること。キチンと論理的に答えてくれること。自分にとってとても心地よいです。


先生の言う「自分のカラダを教科書にして、カラダを学んでいく」というスタンス。自分にはピッタリハマりました。


辛くなったら受けに行って、楽になって「ああ、一安心」という通い方を10年近くしていた自分にとってここは「ゴール」だと思っています。


健康は他人任せにしてはいけない。している限り健康は手元から離れていく。


先生の言葉がズドンと響きました。結局は自分が一番の原因だったというオチでした。

ここまで来て自分も改めてそう思います。健康は決して委託して良いものではないと。自分で育て、守るもの。

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本当に「あ」で世界がひっくり返るで

5.00
投稿日

ランクはSSになっています。もう4年目くらいです。それでもなお辿り着かない「あ」という世界。他の方が言うには一瞬で変わるという話だが自分には来ない。カラダは楽になった、軽くなった。でも「世界が引っ繰り返る」が未だない。前と同じ世界線のまま、グレードアップしたような感じ。

その突破口として期待していたのが「歩行」の練習。カラダは手に入れた、使い方も割と安定した。不定愁訴はもう特にない。発展形として「2軸歩行」を身に付けたいと通い続けてはや4年、くらい。5年だったりして。

ああでもない、こうでもない、あれこれ考えながら、悩みながら歩く日々。教えられたことをなぞるのは得意だけど、感覚を養いながら何かをするのは苦手かも、というより苦手だったんだなぁ。と改めて自分の不器用さにやられる日々。

2軸とは何ぞや。先生のいう「委ねる」の感覚は何ぞや。そう思いながら日々の歩行練習に明け暮れていると。。。。。。



「あ」



というか




「あれ?」




という感じ。




「ん??」




とも言える。




「今の。。。何?」




明らかに違う感覚。感触がやってきた瞬間がある。それを自覚した。


まさか、、まさか、、、これ?これがそう??


期待しながら再現しようとあれこれ試行錯誤。段々と手応えが出てくる。理屈が頭の中で結びつく。自分で再現できる様になる。



「うわ!こういうことか!」



噂は本当だった。本当に「世界が引っ繰り返った」と言っていい。歩くの感覚が本当にスッと変わった。軽いも重いもなく、ただスッと通り過ぎていく。これは新鮮。今まで経験した事が無い。


これが歩く? そうなのか?


力が伝わる、力を伝える、カラダは力の中継器、力はそこに最初からある。押すな、引くな、接続するだけで流れ込む。


こういうこと?そういうこと? うわぁこれは楽しい。歩くのが本当に楽しくなる。


他の方が仰る「あ」とはこういうことだったんだ。とやっと経験できました。積み重ねの先にあった「あ」の瞬間とそれがもたらしてくれるもの。


頑張る価値あると思う。「カラダを使う」という言葉の定義そのものが変わりました。


カラダを使うというより、カラダを流れる力を感じ取って見守る感じ。委ねる感じ。あ、それ全部先生が言葉にしてたw


得難い経験をさせてもらったと思う。


感謝感謝でございます。


あ、でも通院は継続します。もっと先をみてみたい。

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健康というか、自然体というか、何というかw

5.00
投稿日

先日、卒業しました。自覚症状は大きなものは特になし、40代過ぎてからちょっと健康が気になりだしたのでそれでこちらにお世話になり始めた形です。元々は近くの有名な整骨院に通っていました。奥さんや義理の両親がそちらでお世話になっています。

通院ペースは土台が安定するまでは月2回の提案でした。ですが強制ではありません。凄い自由なんだなと思いました。先生に「そのリスクは?」と興味本位で聞きましたら「経験上ですが、基礎固め無しでの月1だと安定に至る道筋はかなりハードモードになります」とだけ。

え?それ大事やん。それが聞かないと出てこないのか?と思った。でも確かに最初に「土台安定までは月2回が推奨」と伝えられているわ。とも。

後から改めて理由を聞いたら「説得は避けている」との事。なるほどな。確かにこちら側からしたら「通わされる」感覚になるか、通ったから結果を保証しろよとなるかも。リスクヘッジなんだ。

さて、内容については本当に検査検査検査。でもそこにこちらも関わっているので「一方的」という感じはない。そして検査結果がその場で即出る感じ。血液検査みたいに検査結果が1時間後とかの話ではない。もう瞬間的にその場で出る。ドンドン出てくる。その情報量が確かに雪崩、濁流、押し寄せる。

先生はサクサクと処理をしてあれこれ考えだしているがこちらは追い付かない。本当にこの先生はこちら側に寄せてこない。ひたすら突き進む感じ。The専門職という感じ。でも検査の説明や確認はとても丁寧で優しいです。結果も伝えてくれますが、それがどう繋がっているのかは説明されますがチンプンカンプンという事。

施術で埋め込み、宿題で仕上げる。

これを先生は何度も伝えてくれます。宿題が如何に大切か。それなくして「繋がり」が無いと。宿題が「繋ぎ」になるんですね。面白い発想。

宿題はとても簡単、シンプル。と思いきや。とても奥が深い。最初に説明されるのは「本当に大切な部分」だけ。その先に行けば「更にレベルアップ」な内容がドンドン追加される。最初から言ってくれよとなる?ならないならない。だって最初に全部説明されていたら絶対に頭に入ってこない。

目的をもって取り組む事、目的をしっかり理解する事。何が欠けても宿題が効果を発揮できない。その理由まで説明してくれる。

じゃあ今まで取り組んできた「やっておけばええんやろ」的な取り組みは何だったのか?ここで学んだ。「代償動作を育てていた」という事にドンピシャ。知らない事の怖さ、都合の良い解釈の怖さ、そして溢れる情報の落とし穴を論理的に伝えられる。

ここはこういった情報に価値がある。技術は当然ながら「疑う必要のない情報」にこそ価値がある。男目線ではそう映る。

健康を意識したから来たけれど、痛みを意識して来ていたら元の整骨院に戻っていたと思う。ここは確かにテーマが違う。深い。場所が違う。

この院と同じテーマで取り組んでいる院、病院ってあるのかな?と思う。今まで通ってきた整体、整骨、鍼灸にクリニック。何処もその場で変化を出す事や30分くらいで終わる様な場所ばかりだった。

ここで一度受けると「あの時間で何を把握されていたんだろうか」と思わざるを得ない。でもそれも答えが出た。

「即効性を大事にする」のと「カラダを作り直す」という事は同じ体でも全く取り組み方からして異なるものなんだなと。

どっちが正しいじゃない、どっちも正しくて方向性が違うだけ。

だから先生が言う様に「選ぶのは自分自身」であり、最初に問うべきは「自分が何を求めているのか」を明らかにする事。

「なるほどなぁ」

ここに来たらそんな言葉ばかりが口から出てくる。今までの院は「痛く無いです」「動きます」とかそんな言葉ばっかりだったのに。

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同業として思う。ああ別格だわ。と(泣

5.00
投稿日

同業プランでお世話になっています。症状がある訳ではなく完全に勉強の為なので通院ペースは隔月でお世話になっています。支払いは年間契約での事前振込です。

きっと同業で通っている人は殆どが自分と同じで「ああ、ここは目指しちゃダメなやつ」と割り切っていると思います。余りにレベルが高過ぎて。あるいは「見なかった事にしよう」と違う意味で割り切っているかもしれません。その気持ちは痛い程わかる。同業として、ライバル競合として認めてしまうと怖くて仕方が無い。違う土俵だと思わないとやっていられない。その気持ち痛い程わかる。

何故なら、実際に通っている自分がそうだから。2ヶ月に1回の通院、数回行ったらもう「次の段階」に進んでいる。カルテが新型に、施術の中身が別物に、色々と統合されたり省略されたり、追加されたり。見た目は前と同じでも、中身が前と違うモノが増えている。

え?こんな短期間で変化するの?私のカルテ、もう5年以上は同じものを使ってるんだけど。。。施術なんて殆ど変わっていない。。。

それを自分のは「完成度が高いから」なんて嘯けるか?いや無理無理無理無理。無理だって。先生のカルテ見たらそんな都合のいい事言えないって。

先生の許可をもらったので自分のカルテの原本を添付しておきます。気になっている食わず嫌いの先生方に見てもらいたい。こんな検査量、想像できますか?それも一連の流れの中で自然に、スパスパスパ~っと流していく。

もう我々の固定観念が通じる先生ではないんですよ。ここ。

痛みを取るとか、楽にしてあげたいなんてもう置き去りです。先生の頭の中には人間という生物にとっての自然とは何か?歪みとは何か?地球上での生命活動はどの様な影響下で行われているか?そこに文化がどう関わっているのか?

どう向き合い、どう整えていくべきか。「健康」「自然」という大きなテーマに沿って人のカラダを捉えて分析、そして方法を編み出している感じ。

デカい、デカいわ先生。信者になるわ。

背筋が凍ったのは添付したカルテのバージョン。聞いて驚け94ですって。これ25年バージョンですよ、10ヶ月の間に94回の修正が入っているという事。

頭の回転が違い過ぎて想像がつかない。これがライフワークとなった人の強さだと思う。「仕事」でできる話じゃない。

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この仕事が天職な先生

5.00
投稿日

私がこの先生を選んだ理由、ずっとお世話になっている理由。

ズバリ!

「仕事用の人格を作っていない」

これ1点買いです!!!!!

沢山の院に通った経験がある人ならわかってくれる案件だと思います。あくまで私個人の認識なんですけど。

個人的には今までお世話になってきた先生は「仕事用の人格」を用意していたと思っています。だからこちらを案じてくれる言葉とは裏腹にその日のうちに10万近くする回数券の提案があったり、ローンを組む話を提案されたりと。

信頼関係が成り立っていない段階でもう営業の話になってしまう。それはやっぱり「仕事用の顔」として向き合っているからだろうなと思っています。考える余裕が与えられないというか。緩く思考を追い詰めてくる様な。

何回かそういうのを経験してくるとちょっと怖くて行けなくなるんですよ。笑顔の裏側の本音みたいなものが透けて見えてしまう。それが辛い。また言われたらどうしようとか。言われるのかなぁとか。

で、私はここを紹介してもらえた次第です。

私は信者と呼ばれるレベルかもしれません。それくらいにもう安心しています。先生の仰ることは絶対、とまでは言い切れませんがw それでも経験則的には「まず間違いない」と思う。

どうしてそうなったのか。それは明快で「先生は仕事が好きすぎて別人格を作れない」という事がすぐにわかったから。

元々はコンサルをしていたそうなので、営業なんて得意中の得意のはず。でも、営業トークが全く無くて、むしろ「カラダトーク」が止まらない。とても楽しそうに喋る。「カラダって面白いでしょ!でしょ?」と共感を求めてくるw

話しててすぐに「ああ、この人カラダの事が本当に好きなんだ」という事と「この仕事が天職なんだろうな」というのがわかる。トークが営業用じゃないのでスッと入ってくると言いますか。「売る為の言葉」ではなくて「知ってもらう為の言葉」というのが私には心地よいです。

仕事に、というかカラダに対して凄い正直な先生なので結果の保証は一切ありません。1つだけあったのは「キチンと取り組めば、カラダが変化する事だけは100%保証できます」とだけ言われました。それ以外の結果に関しては「神のみぞ知る」とのこと。

そこに無責任さは感じません。神のみぞ知る、だから人事を尽くしてから考えようと言われる。「今は1つ1つ、ヒトができる事をしましょう」という感じ。

及ばない領域の心配や不安より、手が届く確かな領域での確かな取り組み。それが先生にとっての「可能性の消し込み」という事。症状に至る可能性が高い「不自然」を1つ1つ整えて自然なカラダを整えていく。

その過程で症状が薄まればよし、薄まらない場合は更に先に進んでいく。全部を整えて問題が無くなっても症状が取れないとき、改めて考えましょうと。

私はカラダの状態が整っても症状が少し残っていました。どうなるんだろう、一生のこのままなのかな?と思ったりもしましたが、先生はハッキリと言ってくれました。※25年時点です。それ以前は「まだ確信が持てなくて中々言い出せなかった」と先生も言ってました。

カラダが整った、使い方も上手になった。その先にあるものとは!!!

「癖」

自分では普通、でも本来の形からは不自然。

それが最後に浮き上がる。残る。居座る。だって自分では「普通」だから。

ラスボスは癖?それってラスボスは「自分自身」だったっていうオチ?いや最初からそう言ってたか。。。。w

習慣、環境、癖、それが自分を育ててきた。自然か不自然かはともかくとして。先生は「悪いモノではなく、あくまで全体最適化の結果」と言ってくれる。

先生は本当にカラダに対してニュートラル。こういう感性も自分には心地よい。

兎にも角にも、

信じていい先生だと思います。

「誰も見てないのに」じゃなくて「自分がわかってるから」というタイプ。

生まれる時代がもう少し前だったら超モテたんじゃないかと思う生き方男前系ですよ。令和だと勿体ないw

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カラダ基準で判断をする先生

5.00
投稿日

ひたすら可能性の消し込み作業が続けられる。そんな感じの場所だと思います。腰痛、肩こりといった症状名で判断をする事は無く、あくまで判断の基準となるのは「医学的な身体」が基準となります。

腰が痛いからこう、肩が上がらないからこう、そういった働きかけをする先生ではありません。

「本来の状態からここ、ここ、ここ、そこが崩れている」

「順番的にはここから、次にここ、その次にここ」

と整えていく場所が指導されていきます。その整えるが施術ではなくて宿題になる感じ。施術で身体に仕込みを入れて、宿題で仕上げに掛かるという感じ。だと私は思う。思った。きっとそうだ。

宿題をサボる、カラダに変化がでない。症状に変化出ない。

宿題をする。身体に変化が出る。症状に変化が「うっすら」出る。

この差に気付けたら変わった。感覚が変わった。症状が「うっすら」の部分にはじめは意識が向いてしまう。先生の「拾い上げよう」がそこの事だと思ってしまう。でも違った、もっと手前の「カラダの変化」の方だった。症状の「うっすら」は後からついてくるオマケみたいなもの。拾い上げるべきはカラダの「小さな」変化の方。この小さな変化に気付けたら本当に変わる、

階段の1歩
寝起きの爽快感
頭のスッキリ感
身体の軽さ
足の軽さ
どっこいしょが出ない日常
立っている方が楽と感じる時

どれも探して見つけたものではなく「あれ?」と後から気付いた小さな変化ばかり。そう、先行してた「変化」に対して「認識」が追いついた時。※先生の受け売り

「ああ、自分は寝れてなかったんだ」「自分はキチンと立ててなかったんだ」「自分はキチンと歩けてなかったんだ」「自分はキチンと屈伸ができていなかったんだ」と沢山の「現実」に気付く。ああそうだったんだと。

自分が知らないだけでそうだった、という事は負担が知らない間に蓄積していた。だから症状となってやってきていた。

その負担の段階で気付く為の訓練でもあったのか、宿題は。

そう思った時に私は思う

え、何ちゅう深いところまで考えて取り組んでるのここ?

ここまで私達に学び、きっかけ、気付きを提供してくれる先生って学校の先生くらいしか思いつかないw 大学時代の恩師がパッと思い付いた、

そうかそうか、ここはきっとそういう場所だ、

施術を受けて楽になった~じゃない、もう一度健康を学び直して自分の世界を広げる場所。カラダの寺子屋だ。

ここで「歩く」「立つ」「座る」「屈伸」をはじめとして基本的な動きを学んだあとに、通勤時に色んな人を眺めているとよくわかる、

自然な形で歩けている人って殆どいないんじゃないのか?

自然な形で立っている人って殆どいないじゃん。

ああ、国民病って原因が明らかというのはこういう事だったのかな。とか

確かに自分が見える世界が変わる。自分のステージが変わった感じがする。間違いなく、自分は以前あちら側にいた。その側をこうして対岸から眺めていると

「そりゃ、腰痛になる、肩こりもなる、片頭痛だって起こるよね」

と納得してしまった。

ここに来た当初は先生に「何でこんな症状が出てくるんですか?」「何が悪いんですか?」と良く聞いていました。

今の私は「そりゃ、なるよねぇ。。。」と言えるだけの経験値が溜まった様である。

それだけでも私は随分と変わった、ここに来て。

ここは間違いなくカラダの事、健康の事、姿勢の事を学ぶ寺子屋である。

当時の私に、今の私から伝える事があります。

「何も知らない状態で悩んでも仕方ないよ」

信頼できる専門家を見つけて、頼って学び直そう!それが一番手っ取り早い!

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やっとわかりました。ようやくわかった。

5.00
投稿日

お世話になって2年目くらいかな。割と長いですよね。でもペースは1~2ヶ月に1回くらいです。別にもっと伸ばしてもいいですよ、と言われるけど自分の希望でこのペースにしています。

何故なら「歩行」を極めたかったから。歩行そのものというか、歩行を通して「力」を学びたかったから。でもわからん。先生の言っている意味がわからん。どういう事や、偉い抽象的で難しい。

なんて思っていました、今の今まで。

地球は不動、私達がその上を歩く。決して地球をけらない、引っ張らない、押さない。動くのは私達であって地面ではない。

この意味がやっとわかった。わかりました。これ本当に面白い。歩くがコロンと変わった!そういう意味か。そういうことか。ああ、わかったわ。

力は本当に使わない。力はもうそこにある。力の中継器である。力を遮るな、留めるな、あれだけ意味が分からないと感じていた先生の言葉が全部一斉に日本語になったw 先生は抽象的どころか、全部「超具体的」に説明してくれていたんだ。本当にまんま、その通り。

面白いよ、今通っている皆、本当に歩くって面白いよ。これ「歩行」じゃないのよ、力を運ぶ練習と体験をしているのよ、「歩行」を通して。

力が流れていって、同時に戻ってくる。その力が常に循環してるわけ。それを下半身が受け止めて、背骨を通して上半身に伝えて、腕が力を導いていく。ホンマや。先生の言う通りや、自分の力なんて何もいらん。力を導くだけ。

そのリズムを保つと歩くし走る。

こんな世界が待っているんやで、今頑張ってる人。絶対にそのまま続けた方がいいよ、この世界に来た方がいい。世界が本当にひっくり返る。今までの感覚が吹っ飛ぶで。

途中で「もうええわ」ってなる人、それはそれでアリだけど個人的にはホンマに勿体ないと思う。こんな世界が待っているならドンドン突き進んだ方が絶対にいい。この感覚が掴めたら「宿題」が全てまた変わる。先生は必要な事だけをずっと伝えてくれてるやで。

やり方1つで宿題が変わる。やっぱり正しくカラダを扱う事が大事。

歩くってこんなに色んな顔色というか、情報を体中から集めてくれるんやね。マインドフルネスの大切さってこういう事やできっと。力の流れ方、戻り方、詰まる場所、流れる場所、全部がホンマに伝わってくる。だから「手前で問題に気付ける」という訳よ。

違和感の段階ではっきりと伝わってくる「何かおかしいで」と。それを自分で拾い上げて仮説を立てて、宿題を使うか歩行を使うか、とにかくなんかして対応していく。

セルフメディケーションの完成やね。

こんな世界味わってしまって、卒業なんかできるか!!まだまだ知りたいし使いこなしたい。先生にみてもらわんと不安でしゃーない。

という訳でまだまだ続けるで!堅苦しい書き方苦手だから最後は何か凄い話言葉になったけど、モーマンタイで。

参考:現在のランク:SSです。

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今の時代では非常に稀なド直球スタイルの院

5.00
投稿日

本質的な院なので、簡潔に本質を伝えたいなと思います。自分なりにですが。

ド直球で事実を伝えてくれます。健康に関して。

「わかってるんですよ、でもね」

我々受け手がこう受け止めている限りは状況は変わらない。中には転院する人もいると思う。だって楽な道を探したいから。

「やっぱりそうですよね」

こっちになった人は結果が早い。それは先生が何とかしてくれる訳ではなくて、先生の示した道筋に沿って進んだから。つまり「何とかしたのは自分自身」となる。

そんな院です。

キレイごと、都合の良い事は無し。医学的に是とされている、判断されている情報を整理して提供してくれます。聞けば絶対に「納得せざるを得ない」正論ばかり。でも、楽したい場合はそれを認めたくない。だから逃げたくなる。もっと楽な道は無いのかなと。

そして回り道をして気づく。「結局はそういうことだよな」と。その時に気付く。「確かな専門家と繋がることの大切さ、見つけることの大変さ」というものに。

この院は私達自身が「ほんの少し変わること」を提案している。それが一番確実で確かなものだとはわかっている。でももっと簡単な道は無いのかと探してしまう。

みんな、安心してください。

「そんな道はない。」

そこに気付いた時、この院の価値が急激に浮かび上がってくる。

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医学が目指している予防医学ってこういうものかも

5.00
投稿日

健康オタク?健康マニアです。趣味が健康を追求することであり自分が目指している予防医学を実現できる場所探しをしていました。最近はようやくテレビでも「予防が大切」と謳う様になりおぉ遂にそんな時代に入ったのか!と感動をしたものの、予防医学で診察に行くと「う~ん」となることが多かったです。通常の風邪受診とあんまり変わらないなぁと。

そこから理学療法士さんが独立した予防医学推しの整体院にも通ったりしましたが何か違う感じがする。私が求める予防とは「リハビリ」的なものではなくてもっと踏み込んだものなのですが、そういったものには中々出会えず。エゴスキューメソッド、フェルデンクライス、野口整体体操等にも手を伸ばすものの、どうも「型」がはっきりとしていて「私の」という感じにはならない。効率的なものもあるのだろうが、パターン分けが成されている感じが合わず。

そんな感じで道に迷っているところで出会ったのがこちらです。新しい方?のHPを拝見して、その考え方が私自身と限りなく一致。金額より内容、質を求めているので予算は気にしない。それよりも「積み重ねを大切にする」という点や「経験を蓄積する」といった点が響く。何故なら、それをさせると我々患者側は「セルフ」で対応可能になる為に何処もそれを避ける。それを敢えて勧めるとは如何に。

ここは何か毛色が違う。

そう感じての予約でした。明日いけますか?に対して来週だったら可能ですという対応。もうこの時点で違う。あ、アタリを引いたかもと期待が膨らむ。

事前に目を通す資料が送られ、問診はオンラインで。効率重視の今どきの院。そして当日を迎える。これが驚いた。現場では超アナログ。電子機器は一切登場せずに、全て先生の手技で完結。EMSが登場する事もなくマッサージ器が登場する事もなく、姿勢分析機が登場する事もない。徒手検査で全てが完結する。それ自体が運動にもなり次の日は軽く筋肉痛になる。先生に思わず質問するが答えが面白い「初診で筋肉痛になる人はたまにいる、それだけ運動不足であるという事」というもの。筋肉痛が出る事に「何で?」と思ったが、それは施術自体が何か悪かったというより検査という運動にすら耐えられなかった自分のカラダの弱さを思い知った。そう、私は「自分の身体がそれだけ弱っている」と認識していなかったという事だ。ああ、これが先生の言う「認識を切り替えていく」という事か。

施術は検査が中心、というか検査と施術が境目が無い。運動訓練が検査となっている。カラダに対する成熟度が凄い。こんな先生は初めてだ。

そして宿題が出る。これをして次回に臨む事が基本の流れ。「明日はダメなのか」と問うと「意味が無いからおすすめしない」とのこと。何処まで正直な先生なのか。カラダに対して誠実とはなるほどなと。今までは大抵が「明日いけますか?」か「詰めてきてください」が基本だった。全然違う。

自分で自分のカラダを育ててくること。そして更なる高みを目指す事。それがここの醍醐味か。

ああ、これが求めていたものだ。そうなのだ。これこそが「予防医学」だと私は思う。※ここは民間療法なので「医学的な取り組み」と言うのが限界。立場は民間療法だが内容は「極めて医学的に近い」と言って良いと思う、

ホームドクター的というか、キチンとみてもらう代わりにコストは掛かる。でもそれは当たり前の事だ。質を求める側は大抵コストはそこまで問題ではない。確かなものを見つける労力の方が極めて高コストだからだ。

宿題指導も細かい、感覚を染み込ませてから自宅へと送り出される。これも「やったつもり」「やっただけ」防止の為とのこと。単にやればいい訳では無い、「正しく行う」が大切とのこと。耳が痛い。

今、医学の世界が謳いだした「予防医学」という世界。実際に今色々な予防医学を経験した私は思う、

予防医学的な取り組みをしているこの先生だが、予防医学が目指している形はこれに近いのではないかと。

1人1人に合わせた分析と提案、そして指導。

それに見合った報酬。※ここは絶対に合ってない。安過ぎる。

我々は確かな質に安心を得て粛々と取り組むのみ。ここは情報に価値があり、その場の結果ではないモノに重きを置き、それを軸に信頼関係を構築している場所だ。

私はどうもどっぷりとつかった様だ。安心して任せられるというのは本当に居心地がいい。

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カラダの理解を深める場所

5.00
投稿日

紹介で来ました。

本当に普通のカイロプラクティックとは違います。体操教室とカイロプラクティックが合体した様な?でも別に体操教室の様なマット運動をする訳でもありません。高齢者向けの健康体操の様なシンプルな動きを宿題で教えてもらう形。でも「やればいい」という訳ではなく「意味と意義」をしっかりと伝えられます。それを理解しないと間違ったまま突き進むケースがあるそうです。それなりそうな気しかしなかった。

私は先生の仰る「パーソナル」がぴったり当てはまると思う。パーソナルジムは「筋トレ機械」を使う形。でもここは「カイロプラクティック」を使う形。パーソナルジムは「筋トレ」「ピラティス」「ヨガ」のやり方を個人指導してくれるけど、ここは「カイロプラクティック」を通して「カラダの正しい使い方と知識」を教えてくれる感じ。この差はきっと何度も受けないと見えてこないんだろうなと思う。私もそうだった。「受けたらいいだけ」のイメージが強過ぎて。

でも今ならわかりますよ。はっきりとわかる。理解できるとホントに世界が引っ繰り返る。ここは「学習の場」です。断捨離の場。私達が今まで取り込んできた健康や運動に関する情報を一気に断捨離してくれます。私なんて自分で仕入れて大切にしていた健康情報の8割はここで断捨離しました。全部納得して。先生が1つ1つ聞いたら説明してくれます。実演付きで。それがまたわかりやすい。複雑で難しいのもあるけど。でも、真面目に答えてくれます。

段々と「もうここでいいや」となる。他から仕入れる情報が余りに断捨離されてしまい、そもそも自分に判断するだけのアンテナが無いと理解すると迂闊に情報を扱えない。だったら「先生から仕入れよう」となる。それが一番手っ取り早かった。

カラダの使い方もそう。健康にいいもの、カラダにいいもの、基礎代謝を上げるもの、あれこれ随分と試してきました。全部断捨離しました。1つ1つを説明され、何故先生がおススメできないかを説明され。TV怖い、雑誌怖い、ネットはもっと怖い、SNS怖い、饅頭怖い。になりました。カラダの事を知らないとこうも簡単に踊らされてしまうのね。順番が私は違ったのね・・・ああ。。。なんて達観しそうになる。そしてラジオ体操でいいと言われて「それでええんかい!」と思わず突っ込んでしまうw

何が、ではなくてどの様にが大事だった訳ですよね。正しくカラダを使えればラジオ体操が完璧な運動になる。歩行だって下半身はそれで十分となる。都合の良い欲望を1つ加える度に摩訶不思議な動作になる。正に人工物の純度が上がる。もっとカラダの構造に従った運動でいい。なるほどな。地球の上を「私」が歩くと思わないでいい。「地球」に合わせて自分が寄せていく事を覚えようと。最初聞いたらチンプンカンプンです。でも、段々とそれがわかってくる。地面を掴んで蹴ってじゃないの。地面に接したら力が地面から提供される。先生の言う「接続」の瞬間がわかる。指を使うとそれが急に外れるのもわかる。ようになる。

そうなると本当に楽しい。自分の世界が引っ繰り返る。

もっと沢山の人がこの感覚に気付いて欲しい。本当にコロンブスの卵。発想と感覚1つでコロっと変わるよ!

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自分の色がガラリと変わった

5.00
投稿日

野球をしています。こちらにはコーチ繋がりで紹介をされました。外野手で3番任されています。

ホームランバッターになりたかったのでこちらにお世話になったのが始まりですが、今は全く方向性が変わりました。ホームランを狙う為のカラダを作っていく中で違う路線の楽しさに目覚めました。

一発の怖さより野手全員を削るバッターに。そんな形の野球がある事を全く知らなかったので勉強になりました。実際に自覚したのは打球が変わってきてからです。先生の言っていた意味がやっとわかりました。一発の選手は「打つ瞬間」に空気がヒリ付きます。でも、削るバッターは立った瞬間から削り出す。それが楽しい。ピッチャー以外にも影響力を及ぼせる事が楽しい。バッターボックスに立つのが楽しくて仕方ないです。

それが結局はチームをサポートする形になると感じてからは一発よりも如何に打球を鋭くするかばかり考えています。その為に力を通せるカラダを作る。力を中継できる下半身を作る。そればかりです。走り込む目的とか意味がわかる様になると走り込む事自体が楽しくなります。こういう事を教えてもらえる環境になかったので本当に楽しい。

あと、力の使い方を通して守備範囲が一気に広がりました。ファインプレーがない代わりに安心感のあるプレイをする。それもまたチームに貢献できるし相手へのプレッシャーになると知りました。守備がこんなに奥深くて楽しいものだとは知らなかったです。

先生は自分より野球は詳しくないのに、野球を深く理解している様な感じがします。サッカーやバレーでも理解してそうな感じ。実際、先生から言わせると「ルールが違うだけでカラダを使う点は同じ」だそうです。なるほどそういう見方するのか。

コーチからは「守備」「バッティング」を教えてもらっていますが、先生からは「カラダの扱い方」「力の流し方」を教えてもらっています。どっちも学校で教えてもらえたらいいのにと思う。

今までは試合が楽しい、打席が楽しい人間でしたが、今は全く違う部分で楽しいです。練習が楽しい、打席に立っている間が楽しい、守備も打球が飛ぶまでの時間が楽しい。今までは知らなかった駆け引きがそこら中にある。

こんな風景をこの年齢で見させてもらえてラッキーです。

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少し目線を変えてみるといいと思う。

5.00
投稿日

自分が感じた事と似たような感覚を覚えた方が投稿されていたので背中を押してもらった気になっています。その気持ちが薄れないうちにこちらの紹介文を送ろうと思います。

こんなに凄かったよ!こんな症状がこれだけ良くなったよ!といったいわゆる「口コミ」を投稿する事には抵抗がありました。ええ、とてつもなくありました。理由は「かつて強要された事がある」からです。

割引特典としての口コミならわかりますが、割引特典を受ける訳でもなく、普通に施術を受けに行った割と有名な院で何度も何度も担当の方にお願い(懇願?)されて仕方なしに投稿をしたことがあったからです。それも投稿前に「宜しければ拝見しても良いですか?」とまで。断れる雰囲気でもなく。

やっぱり評価の高い口コミってこうやって量産されていくんだなと。身をもって知っていた事が若干のトラウマに(笑

だから「良かったら感じたままに書き記して下さい」と先生に伝えられた時は「ゲッ」と思ったものでした。書かなかったら何かあるのかなと。

はい、何もありませんでした。

でも何も書く事も無く。というか自分が書くなら何を書くべきか。こちらに通いながらそれも考えていました。宿題の事?自分の症状の事?それとも他の何かがいいのだろうか?とか。

悩みだすと進まない。そのまま暫く放置して他の方の投稿を拝見していたら「あ、そういうのでいいんだ」と何か納得してしまう様な投稿を発見。よし、自分はこれを伝えよう。というモノが見つかりました。


ズバリ


「お金」と「通い方」について


これを伝えておこうと思います。あくまで自分にとってのベストな解釈です。でも、ここに通う人にとってはこの感覚はベストに近いと思っています。何となく。知らんけど。


〇捨てた方が良いと思う事。

「なるべく早く切り上げよう」という目論見。

これを捨てるのって本当に難しい。誰だって「なるべく安く、早く」と考える。自分だってそうでした。

でも、その考え方自体が割と上位層の原因だったと思います。

根本的な解決から遠のいている原因は自分の考え方だったのです。


じゃあ、どうするのよ?どうしたらいいのよ?という話になりますよね。


〇取り入れた方が良いと思う感覚。

「予算をあらかじめ取る」

これが超大事だった。個人的には一番大事だったかも。

簡単に良くなるとは思わないが、延々と払い続ける、通い続ける訳にはいかない。

どうしよう。だったら「予算を組もう」という流れ。

予算を確保して予算内は一心不乱に向き合う。それで駄目なら諦めよう。

そんな形で取り組むのが良いと思います。

これ、先生も仰っていましたが、患者さんが1回ごとで判断をつけようとすると、殆どの施術家は「その場の変化」を最優先にした施術を組み立てるはず。

それは「対症療法」であって「根本療法」とは真逆の取り組みとなる。わかっちゃいるけど払った分の対価はその場で欲しい。それもわかりやすい形で。

その「煩悩」を捨てる事で大きく状況は変わるはず。

この予算の効果はまだある。

素人判断が無くなる。カラダの素人である我々がその場の変化で良し悪しを判断する。そんな無茶な話がまかり通るのが痛み産業です。そしてその判断、ほぼ間違いなく「曇っている判断」が状況を更に複雑にしていく。


そんな極めてコンプレックスな状態からの脱却が図れる。


崩れた健康はそう簡単には取り戻せない。でもそれを何とか実現しようとする。


先生も仰っていたが「ダイエットみたい」だ。


1週間で-5kgなんて断食道場レベルの変化だ。でも、それをついつい求めてしまう。メディアには「達成しました!」という成功体験が沢山あるのだから


そういった夢物語を「無い」と断定できる様になればきっと世界は変わる。


自分の健康観、見えている風景はガラッと変わった。

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予防医学をとことん尖らせた

5.00
投稿日

巷でよく聞く「予防医学」という言葉。それは「ならない様にしましょう」という至極まっとうな意見だと思います。正にその通り。異論はありません。ですが、予防医学にどうしても気持ちが乗らない理由は「予防にお金をかける意義を見出せない」という事でした。私の場合は。

既に起こってしまったことに対してお金をかけるのは「メリット」がはっきりとしているのでわかる。一刻も早く元に戻りたい。その為なら予算を組むのもやぶさかではない。目的がはっきりしているので「対価」の見える化が進むからだ。

でも予防だとそれが見えない。それが私自身が予防医学にどうしても気がのらない理由でした。じゃあどうしてここには通っているんだという話。

それは「攻めっ気が強すぎる」から。健康に対する攻めっ気が強い、とても強い。それは私なりに言うなら「対価がわかりやすい」ということ。ここは「そうならない様に」という目的は共通している一方で、その方法論が少し違う。「なりようもない身体になろう」というもの。健康を攻める、というおもしろいキャッチに引かれたが正にそれでした。健康を守る、守るが方法が攻める。正に「攻撃こそ最大の防御」という発想。

以下、先生の受け売りが目立つが許可をもらっています。先生は「自由に書いてください」と仰っていた。

身体の使い方を学び、使いこなし、身体と対話する。それによって問題の見える化が劇的に進む、改善する。問題が小さな小石の時点で浮かび上がる。それは「痛い」じゃなくて「何か変」という小さな違和感。今までは意識にのぼってこなかった小さなメッセージ。それがカラダに浮かび上がってくる。

そして循環系の強化によって内側からの常時サポート体制を構築する。豊富な酸素、栄養、そして循環経路。なるほど理に適っている。小さな問題で浮かび上がるのはセーフティネットの「第二段階」なのか。第一段階だとばかり思っていた。そう、微小な問題の種を循環がオートで回復へと導いてくれる体制を整える。身体自身の力、そしてそれを使いこなすという事。セーフティネットが多段階で組み上げられる。

更にはそれを日常に落とし込むことで「常時発動」が完成する。日常生活がエンジンとなり、身体が持つ循環を常に走らせる。まるで24時間循環式の温泉のようだ。常にお湯は新鮮なのだ。

ここまで読んでくださって感謝する。もうお気づきだろう。

ここは既にカイロプラクティック院の領域を遥かに凌駕している。整体院、整骨院、鍼灸院、パーソナルジム、いずれの領域もだ。目的地としてはヨガやピラティスに近いかもしれない。でも「プロセス」が全然違うのだ。そこがここにしかないものだと言える。

「ただやればいい」ではないのだ。「正しく理解し、取り組み、馴染ませる」という手癖にするまでの工程がより重要で、その為の学習、練習、復習の為に通っているようなもの。「受けていたらいい」だけでは無いのだ。

私は「受けたら良くなる」先生を求めて関西と関東を巡りました。有名な先生は高かった。1回5万とか10万とか。20分くらいで。それを週2~3回ペースで頑張ったりも。

私は「はっきり伝えて欲しい」と問診票にチェックを入れたので先生はきちんと伝えてくれた。私が信じていたものはその信じる心に響く様に作られていることが多いと。それもある意味で「寄り添う」という言葉があてはまると。寄り添うにはいくつかの種類がある。どの寄り添うを選ぶかを決めたのは「あなた自身だ」と。

そう、私の「早く楽になりたい」「何とかしてくれ」という「他人任せ」「委託」の心が今までの「任せてください」と心強い言葉に惹かれていただけ。それは自分が引き寄せ選んだことに過ぎない。それをガツンと思い知らされた。他責より自責で振り返ってみると180度ひっくり返る。気付かされることが多すぎる。

でも、それがあったからこそ、ここに来た。見つけた。それも断言できる。だから私にとっては今までのコストは「必要経費」だと感じる。それを先生に素直に伝えると「もう大丈夫ですね」と先生は太鼓判を押してくれた。

今までの先生は「(ここに来たから)、もう大丈夫」と太鼓判を押してくれ、そして私は匙を投げられた。

ここの先生は「(そう受け止めれるなら)、もう大丈夫」と太鼓判を押してくれた。自分の体に責任をもって自分で作り直していく。向き合うものは自分の「今までの使い方」「癖」「習慣」だ。正に自分自身。

先生の仰る意味が今はわかる、届く。前なら間違いなく届かなかった。だから必要な遠回りだったんだと思う。

急がば回れ

正にそういう事なのだ。

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自分の10年間が吹き飛んだ

5.00
投稿日

ここに辿り着くまでに私自身が積み上げてきた「健康論」が全てリセットされました(笑 自分なりの理論を全て先生に伝えて聞いてもらい、おかしな点があれば全部を教えて欲しいとお願いをした結果です。

とても丁寧に、私の理論がどう無理があるのか、体の構造と照らし合わせるとどの様な矛盾を抱えているのか。1つ1つを本当に丁寧に、言葉を選びながら教えてくださいました。私が傷つかない様に、でもきちんと正しく伝えようと誠実に向き合ってくださったのが良くわかります。

スクワット、ランジ、懸垂、ランニングシューズ、五本指ソックス、加圧インナー、機能性靴下、ベンチプレス、バランスボール、エルゴチェア、EMS、もうどれ程の質問をしてきたか。

1つとして先生が「それはよいとおもいます」と言ってもらえるものがありませんでした(笑 「それはこうです、これはそうです」と私が聞いていたこと、思っていたこととは随分と異なる答えが返ってくる。私が信じたものは一体何だったんだろうかと。

特に9,800円を支払ったとある先生が開発した靴下。それを980円の同系統の商品を見せて下さり「これと同じだと思ってください」と言われたショック。圧力がどうとか、誰が監修したかではなく「構造が同じ」という視点。俊先生は見る場所、判断する基準が私とは違う。キャッチコピーや謳い文句には目もくれない。あくまで「構造」「素材」で判断をする。それが一番正確だったということ。

私は「引きの強い部分」だけで判断をしていたまでのこと。がっくり。でもここにきてそれを教えてもらえたので良かった。今は先生にならって「草履」生活に入っている。これも面白かった。

「先生、草履だと足が何かつる感じがします。今まではこんなことなかったのに!大丈夫なんですか?」

私は本当に焦って先生に質問をしたら、答えが面白い

「足だけで歩くとそうなる。つまり、それだけ靴に支えてもらっていたという事です」

私は普通に歩けていなかっただけなのか。普通に歩いているつもりで、割と多くの割合を靴の機能に委託していたという事なのか。ああ、私の今までが普通じゃなかったのだ。普通だと私が勝手に思い込んでいただけで。

ああ、そうか。普通を取り戻すんだ。自分の中で「普通」の基準がいつの間にかずれていた。「自然」と「不自然」が入違っていた様だ。私にとっての「自然」はカラダにとっての「不自然」で、体にとっての「不自然」が私にとっての「自然」となっていた。

何というコロンブスの卵。それに気づけなければずっと彷徨っていたかもしれない。

普通に体を使う事。それができなくなっていた自分を自覚し、普通を1つ1つ取り戻していくこと。

そういえば息が上がる様な運動なんていつからしていないのか?それで心肺機能を心配していたのもおかしな話で。そもそも大して使っていないのに磨かれる訳がない。筋肉だってきちんと使いこなしていないのに、育つわけがない。それどころか偏って使えば不自然なバランスに仕上がる。

体調が崩れるにはそれなりに理由がある。痛みが出るのにもそれなりに理由がある。

それを分析して足りないものを補っていく作業。それがここでしていることだ。原因は自分にあるということは、自分次第でどうとでもなるという事である。

何をすればいいのか、これで間違っていないか?大丈夫か?

それは先生が示してくれるから安心だ。ここは至れり尽くせりで健康と向き合える。こんな場所、何で今まで無かったのか?と今となっては思う日々。

こういうホームドクターみたいな健康と向き合う場所こそこれからは必要とされるのではないか?

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日本型というより北欧型リハビリな場所

5.00
投稿日

一般的な整体やカイロというイメージでここに来るからきっと誤解が生れているのだと感じました。「カイロ」の看板なのでそこは仕方ないのかもしれませんが。

イメージ的には発展的な予防医学系統の取り組みです。北欧型といいますか。健康を守ろうという点は一致していますが、積極的に守るのではなく「攻め込む」形での取り組みをされています。それが「健康なカラダを作ると学ぶ」の両展開という形に仕上がっている。

攻撃は最大の防御、みたいな感じです。

カラダをより良い状態に仕上げていく、育てていく。健康のキャパが広がると結果的に「故障を抱えるリスクが減る」し何かが起こっても「育てた健康が包み込んでくれる」という「健康のセーフティネット」が限りなく広がっているみたいな。

健康の+貯金を沢山しておけば、ちょっとやそっとのマイナスがあっても健康が動じることは無い。何なら小さな問題の時点で芽を刈り取ってしまおう、それも自分の手で。そんな感じの場所です。

確かにジャンルが確立されていない領域だと思うので、余りに差別化が図られ過ぎてて広告には苦労されていると思う。というかあまり積極的に広告をされていないみたいです。紹介が中止なのかな。

かといって情報ソースは全てが「医学書?」と「論文?」みたいで、それを独自の解釈で自分の言葉にした上で伝えてくれます。なので難しい内容もわかりやすい。「自分の言葉」を持っている先生は安心できると思います。

内容は施術と宿題のコンビ。施術の中でカラダを徹底分析し、補強すべきポイントを宿題で補っていく。そして次に必要となる場所へと進んでいく。RPGゲームみたいに1歩1歩進んでいく感じです。

自分は「正しい情報」が知りたかったこと、そして「信頼できる先生」とガッチリと組んで取り組みたかったのでここは最高の場所でした。

受けてその場で楽になりたい、という感じだとここは余り向いていない場所だと思います。そういう事を目的とした場所では無いです。

それよりも「健康になりたい」「自分のカラダはどうなっているの?」とか「何をしたらいいの?」といった答えが自分では見つからないから困っている。という感じの人が来たら楽しい場所だと思います。

自分の身体に関心はありますか?

知りたいと思いますか?

健康な体になりたいと思いますか?

カラダを使いこなしたいとは?

そんな「希望」があれば、この先生は「答え」をくれます。というか「道筋」を示してくれますよ。

後は自分で先生に見てもらいながら進んでいくだけ。とてもシンプルだけど、身体と健康についての本質的な場所だと思います。

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アプローチが独創的で理論的

5.00
投稿日

クリニックからの紹介です。もっと元気になって欲しいから頑張って!とこちらを紹介されました。

クリニックの先生からかなり細かい説明と資料を事前に受け取り、連絡をすると色々な確認がこちらの先生からも入りと「ミスマッチ」を避ける為のネットがかなり細かく設置されていました。

「対症療法はしていません」
「根本的なカラダの再学習と再構築をします」
「「下半身・体幹・上半身」と「連結」「連結2」と全体が繋がる内容です。」
「痛みを取るではなく、変化に伴い剥がれ落ちていく様な変化が起きます」

この様な説明が本当に事前に「細かく」入る。※これはクリニック経由だからかもしれない。

そんな感じで始まりました。

初回は体験感覚で全身検査。満遍なくという感じ。

2回目からは流れは同じでより細かく。狙いを定めて取り組む感じ。やはりガタガタだった「下半身」の調整が中心となり、流れで体幹~上半身もキチンと施術が成されていく。

下半身が安定すれば下半身は確認程度に留まり代わりに「体幹部分」の割合が濃くなっていく。でも上半身もしっかり流れの中で毎回チェック、施術をされていく。

そして「体幹」が安定すると上半身の内容が濃くなっていく。カラダの状況に応じて「注力するポイント」が変わっていく感じ。理に適ってると思う。

他のところと違うのはやっぱり「宿題」だと思う。その位置づけが割と高め。「持ち帰る施術」といった感じでしょうか。施術をしたカラダを活かすか否かは「宿題」に掛かっていると教えられた。施術はあくまで「確認」と「仕込み」に過ぎないと。宿題が浸透し易い状態に仕上げたから、次の回までに宿題でカラダに変化を染み込ませておいて欲しいという感じ。

何なら施術は宿題を活かす為の「脇役」「引き立て役」なのかと感じる程。なので「正しく」宿題ができる様にかなり入念に指導・練習が最後に入る。30分くらいは正しい感覚を掴む練習となる。でもこれが大切。適当にやっていたらカラダは全然良くならなかった、というより少し変な方向に進んでしまった。先生に聞いたら「あ、違います。こっちです」と指導が入る。自分が思っていたのと割と違っていた。

キチンと感覚を掴んで持って帰る事を強くおススメする。先生からの説明にもあるが、カラダの改善の鍵を握っているのは「自分」だということ。それを自覚させられた。カラダはやればやるほど、正しく取り組む程に変わっていく。でも適当にしていたら適当に変わった。

つまり、今の自分のカラダは「自分が創り上げた」という事だと気付いた。それが何よりも勉強になった。

先生の言う「健康になる為に、健康を知る。普通を知る。自然を知る。」ということ。その為に自分のカラダを教科書にする事。これは確かに勉強になる。経験になる。初めての体験だ。

健康はプロに任せるもの、任せておけばいい。そう思っていた。自分は素人なのだからと。

ここは「健康になる」という事が目的なのは変わらない。でも、その方法論が独創的で「自分が素人から抜け出す」という事。「自分のカラダのプロになる」というのがここで健康を育てる為の手段であり目的なのだ。

その手段と目的を手にした結果、というよりその過程で「カラダは健康へと回帰していく」という経験をした。確かにこれは目から鱗だ。健康は自分の手の中にあった、身近にあったと学ばせてもらえた。

何の為に通うのか?痛みがなくなるまで通うのか?否

カラダを学び、より自然なカラダの使い方、在り方を感覚に落とし込んでいく為に通うのだ。

ここは「学校」だと思う。間違いなく「健康・カラダの学校」である。

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途方もない先生です

5.00
投稿日

同業プランでお世話になっています。2年目です。

通院ペースは初期は月2回、そこから月1回、それが隔月となり、季節ごとになり、最後はお任せになります。本当に強制がありません。自分で決める事を求められます。

その代わりに「請け負う」という事を放棄しています。そこが特徴かも。自分は聞きました。気になったので

「最初に月1、隔月でも良いのか?それでよくなるのか?」

これは皆が思う所かなと思います。なるべく安くしたいし、通うペースは遅くしたい。※詰めたい人もいるか。早く良くなりたい人とか。

先生はサクッと答えてくれましたよ。

「ズルズルと引き摺るパターンになるかな、と思います」

ああ、先生はわかっていてもなお「委ねる」事を選んだんだと思いました。それも聞いた「何故ですか?」と。提案をしないのですかと。それも答えてくれました※先生はこの問答を掲載する事も許可してくれています。無断掲載では無いです。

「提案はします。ただ強制はしません」

「患者さん自身が決めたペースの中で最善を尽くすのみです」

「正直、結末は見えますがそれを伝えても納得は生まれにくい。少なくとも今まで頑張りましたが無理でした」

「なので当院では説得工程は0です。でも、説明と提案はちゃんとしますw 選択と決断は患者さんに委ねます」

「良くなる人は覚悟が違う。良くならない人は覚悟が浅い。本当にそれだけ」

「覚悟が決まった人はとても素直で吸収力が違う。考える力が備わっている」

「そんな人達は迷わない」

「迷っている人は”望み通りの答え”を求めているだけでスタートラインに立っていないと感じる。」

「うちは身体が求めている本質的な要求を言語化して伝える事に注力したい」

「だから請け負わない」

「全力でサポートをする」

凄い振り切った場所です。与える安心感の質が違う。

安心できる言葉で安心させるのではなく、即効性で安心感を与えるのでもなく、正しい情報と道案内で安心感を与える。

なるほど、請け負うのをやめるのではなく「結果を請け負う」事をやめた訳か。その代わりに「正しい情報の提供」を請け負っている訳だ。

その為の情報量、検査量。なるほど、なるほど、確かに全く毛色が違う。そしておいそれとマネができる代物でもない。

同業プランの先生はきっと初回で気付く。「これはとても真似できるものじゃない」と。たぶん、下半身の検査の時点で気付く。「あ。これ無理」と。何せ先生が集める情報がさっぱりわからない。

どうやってその情報をその検査で集めるというの?真似しても何も伝わってこないんだけど?そんな感じが続く。

先生の検査は患者さんに見せる、納得させる為の「魅せ検」ではない。完全に「情報を引き出すための生検」といえる。検査の質からして違う。それがわかるのはたぶん同業者だけだと思う。一般の患者さんには理解不能だと思う。

それくらいに技術が洗練され過ぎて「何されているのかわからない」レベル。

通い続けて見えてきたのは「雑味」が無いから、最小限の動きと力で十分すぎる返事が聞こえている。そこまではやっとわかった。

そしてイレギュラーな力や動きはそれ自体が「検査結果」として更に検査に厚みを加えていく。検査という言葉でおさまらないと思う。刺激自体は検査より施術よりになっている。

検査の為の刺激がモビリ、モンパルとして役割を担っている。なんちゅうレベルよ。

そうでしょうね、と思ったのは

先生は既に「技術」レベルでの悩みは無い。既に到達している。ただ、洗練し過ぎてシンプルになり過ぎて「どう伝えれば伝わるか」の部分で困っている。「された感」が薄いから納得が生まれにくい。玄人過ぎて派手さが無いのは身体にとっては最適だが、感情にとっては物足りないとなる。

これは感情の生き物である人の厄介なところ。カラダが変わっても自覚できない場合は「ない」と判断される。

わかる人には感動が起こり、わからない人には「無風」となる。先生が悩んだのはそこか。そこに辿り着いた先生なんて殆どいない気がする。

だから説得をやめて、ひたすら磨く方に振り切ったのか。凄いなその選択。大抵はユーザー側に寄せるだろうに。職人や。マジ職人や。

先生と対等に語れる人っておるんかな。先生は絶対に孤独やと思う。会話が噛み合わないはず。

私は少しでも追い付きたい。というか自分にとって理想的なので頑張って学ぶ。まずは理解する。真似る。最後は自分の色が出せるように。

なので私は今、隔月です。通院ペース。月1でもいいんだけど、次の人にも席譲らないと。という感覚

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情報の整理整頓

5.00
投稿日

「健康」

ずばりこれ。これが私の人生後半戦のテーマ。これをどう守り通すか。それをテーマにしてあれこれ取り組んできました。市が主催する健康教室に通い、近くにできたパーソナルジムに通い、奥さんと一緒にピラティスやヨガにも通い。これは割と皆が通る道かなとも思います。

雑誌なんて本屋さんに行って目に入った健康系の書籍はまとめ買い。とにかく気になったら情報を集める。チャットGPTとどれだけ健康談義をしている事か。とにかく最適解を知りたい。正しいって何だ?そんな感じで突き進んでいました。

手持ちの武器は多い。

・五本指ソックス(理学療法士開発)
・加圧サポーター(理学療法士開発)
・枕(理学療法士開発)
・パジャマ(疲れが取れるシャツ)
・靴(当然、最上位モデル)

現時点で考えられる「最強布陣」で臨む日々。それが「健康オタク」の私でした。

そして前々から気になっていたココ。この院。チラシがサンドイッチマン過ぎて印象に残っていた。「40代になったら思い出してください」って私はもう50代に入ってしまう。急がねば。いや何も急ぐ必要は無いんだけど。

最強の布陣でカラダを創り上げ、MAXな状態で私はここに挑みたかった。そして初回でカルテが満点に近く「特に問題無いですよ、凄いです」と言ってもらいたかったのだ。

だからジムに通い、ヨガに通い、ピラティスに通いプールにも通い。カラダを作ってからここに挑戦した。

「DE」

予定では「AA」くらい。結果は「DE」という燦燦たる有様。何が起こったというのか。私は一体何をしていたというのか。先生に何回もやり直しを要求し、応えてもらい、どんどん検査結果が悪くなっていく。

「ね」

「持続性が無いんです、今の状態だと」

「力に頼っています」

「この子(先生は筋肉を子ども扱いする)に依存している」

「ほら、今捻りを加えたでしょ?無意識に」

「ご自身のスタイルが染み込んでいる状態です」

「『不自然×不自然=自然』これが今のあなたです」

「ほら、姿勢維持できますか? あ、ほらプルプルしてるでしょ」

「力が逃げているんですよ」

「ほら、ここから抜けていった、こっちの方向に」

「こっちだと得意ですよね、でもほら、こうしたら。ね」

「独自ではあっても自然では無いんです。」

私は今まで、褒められる事ばかりだったと記憶している。年齢から考えたら凄い、普通はこれできないですよ、しっかりした体幹です。奮発した体重計にも毎朝褒めてもらっていた。だから自分はてっきり年齢にしては健康な方なんだとばかり。

え?

ええ?

えええ?

ええええええええええええ

そんな感じで始まったこちらの院。独自の価値判断というか価値基準が実に論理的でユニーク。血液検査なんて「あれは壊れてから出てくる数値ですから」と一蹴。「血液検査の異常は想像の3段階は悪いと思って下さい」と。「異常無しで取り組む予防が一番大事です」とブレない。

そうか血液検査で異常が出てきてから対応するから状況が中々好転しなかったり、繰り返したりするのか。と何か納得。

「内臓疲労度を測る検査があればいいんですけど」

とこれまたユニークな見識を。私も話を聞いた後だと納得。それがあれば一番いいじゃないか。

私は今まで予防医学のつもりでジムに通い、ヨガに通い、ピラティスに通っていました。が、気付けば自然から遠のき、独りよがりな満足に染まっていた様だ。「できている自分は大丈夫だ」という過信のもと。

そんな私に鋭いハリセンが突き刺さる。

「それより、こっちができる様になっておきましょう」

「むしろそれ、いりませんよ」

「カラダが喜ぶ事を先に馴染ませましょう」

その1つ1つの何とシンプルな事か。というかシンプル過ぎて地味に感じる。派手さが無い。どうしても手応えに欠ける。「ホンマにこれでええのか」となる。

1年通して通った今の立ち位置から言おう

「素人がすいませんでしたぁぁぁ!!!」

派手さを求め、手応えを求め、達成感を求め、その場の変化を求め。鏡に映る自分にウットリしていた自分を恥じる。恥じる。恥じる。

理屈も教えてもらえる。何故大切なのか。何故重要なのか。何故今なのか。

全てが理詰め、科学的な理詰めです。だからか。と納得しかできない。納得できない人はやめたら良いのだ。先生は強要はしない。提案のみ。

この院は何も私達に要求はしない。

でも、実際には要求されている。「わかる」か「わからない」かの問題だ。

厄介な事に「後からわかる」事だらけ。凄い親切なスパルタとは言ったものだと思う。

私は「誠実なスパルタ」だと思う。

卒業する時には情報武装ではなく、情報の取捨選択が自在にできる。

その時の導き手は頭脳とカラダだ。

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人間性能を引き上げてくれる先生

5.00
投稿日

お世話になったのは私自身ではなく私の息子です。サッカーをしています。とあるチームのユースに所属しているのですが、年齢を重ねるうちに「単に器用で上手な選手」という小さな枠に収まっていっている様な気が自分の中でしてきまして「今大切なモノはそこなのだろうかな」という疑問が沸き、そしてそれがどうしてもぬぐえず。

息子が熱心に練習するのは基本的な「テクニック」が多く、やはりボールが絡みます。最初は上達する息子を見て応援していたのですが、たまに目にする突き抜けた子はそもそもが違う土俵にいると感じされる事が多く。息子が筋トレまで始めたいと言い出した時に「少し道が外れてきていないか?」と更に考える様になりました。

その答えが知りたくてサッカー出身のトレーナーのジムを頼ったりしていたのですが、フィジカルの話とマシンによる強化、有酸素運動という形に落ち着く為にどうにも納得ができず。

色んなトレーナーさんをあたって話を聞くも、やっぱりフィジカル強化の話とマシンのセットに落ち着く。

自分の感じている違和感が何かもわからないまま、そうやって色んな専門家にあたっているうちに、紹介されたのがこちらでした。パーソナルをされている先生が「自分も学びに通っている先生で、きっと方向性はこことあう」と紹介されました。

そんな感じの流れで辿り着きました。

とてもユニークで、自分が求めていたものだったと思います。こういう場所がもっと沢山あればいいのにと本当に思う。

以下、簡単な紹介

〇得たモノ
サッカー選手として、というより「生き物」としての根本的な底上げが図られた。底上げというより全方位のアップグレードという感じ。

表現が難しいのですが、立体的に成長させてもらえたというか。XYZの幅・高さ・奥行に対応した成長を、成長の機会を?与えてもらったという感じです。表現が難しい。

〇取り組んだこと
全身調整の施術と、課題点の炙りだし、そして宿題指導。その繰り返しでした。とてもシンプルな運動訓練?運動療法?でも1つ1つをこなす程に明らかにサッカー選手としてのパフォーマンスが上がっていくのは見ていてわかりました。地味な変化がゲームに影響を及ぼすという面白い現象を見させてもらえた。安定感が増す?と表現した方がいいのかもしれない

〇目から鱗だったこと
私自身、先生の話を聞いていて勉強になる事が多く、先生はホッケー選手だったそうですが、ポジション的に息子と近くアドバイスも的確でした。そう、ここだ。競技が違っても先生にとっては「ルールが違うだけ」の話でするべきことは同じという感覚と認識。それが画期的というか新鮮というか。

それができるカラダをつくり、それができる様に反復し、後は実際にすればいいだけ。すべき時を見極めて、危なげなく実行するだけ。その為には無駄な動きを削ぎ、必要な情報を集める。それも「普段から集まる様に慣れておく」ということ。

競技の為に練習をしていた息子と、普段から見えている情報量を競技に当てはめていただけの先生と。この「根本的な認識の違い」に気付かせてもらえたのが一番の収穫でした。実際に息子はそれを理解して劇的に成長した。

競技を、試合を特別なものとして認識して取り組んでいた時点で伸び悩むのは必然だったという事。先生からしたら道路上の車の流れと競技上の選手の流れは同じ「非自己」であり、そこに適用されるルールが違うだけ。

だから、当たり前の様に負担なく空間の把握ができてしまうということ。これは本当に目から鱗でした。

あと、筋トレが一切禁止になったのも嬉しかった?楽しかった?カラダに対する認識がとてもナチュラルで論理的。子供の年齢にあった最適な提案をしてくれる。1つ1つが科学的なので納得しかない。実際に従ったらやっぱり結果がついてきた。

こういう先生を求めていたのだ。純粋にヒトのカラダに精通し、自然な形で底上げを図る知識を提供してくれる先生。アスリートとしての息子の成長に期待しているが、それ以前にまず「自然な形で、健康的に成長して欲しい」という想いがある。それを長い目で見据えてくれる専門家が欲しかったのです。

今はアスリートコースがあるのかどうか知りませんが。あるなら入った方がいい。子供には難しい話が沢山出てくるが、わかる子はわかる。内容がわかるのではなくて「先生の理解はこちらの及ぶ場所じゃない」とわかる。

だから従える、信頼できる。正しい道筋でカラダを育ててくれる先生だ。

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概要

住所

大阪府吹田市千里丘下20-18

アクセス

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