民話と伝説で伝えられるお地蔵様と観音様
境内の延命殿にセキ地蔵尊が祀られております。足利の民話ではお地蔵様は畑の中に埋まっていて明治の初めにコノお寺の境内に御堂を建てました。最初に御婆さんがセキが楽になりますようにと願いました。お地蔵様は帽子も前垂れもなかったので御婆さんが住職に話してタスキをかけてもらいました。するとセキが出なくなりました。一緒にお参りした孫はまだ時々セキをしていたのでお地蔵様のタスキを1本借りてきて夜寝る時に孫の体にタスキをかけてやるとたちどころに良くなりました。その噂が広がり喘息や百日咳などの人もお参りに来られタスキを借りて治れば借りたタスキをお返しし新しいタスキをお礼参りするようになったというお話です。口から口へと伝わり遠くは関西や四国からも来られた人々もあったそうです。現在もお地蔵様の肩には袈裟のようにタスキがかけられお参りに来られる方がおられるようです。物静かな表情をしておられ地元の人々に愛されているお地蔵様です。お寺から少し離れた場所の高台に子安観音が祀られております。お寺専用の駐車場に車を置き石段を上りました。天狗山ハイキングコースにもなっていて御堂の裏につづら折りの道が整備されておりました。足利の伝説では足利義兼公の奥方である時子様がコノ子安観音をご自分の守り本尊として大切にしておられました。時子様がお子を身籠られた時に陰陽師を呼んで占いをさせるとお腹のお子は姫とのことで何人もの陰陽師に占わせても姫だといい義兼公はどうしても男の子が欲しくて高僧である理真上人に変成男子の呪法を行わせお腹の女の子を男の子に変えて頂きました。義兼公は大喜びでご自分の館内に寺仏堂を作り大日如来をお祀りし理真上人に守ってくれるように頼まれました。後に義兼公が鑁阿寺を建て初代住職となるのが理真上人です。子安観音は理真上人が呪法が行われた場所に観音堂を建てそこに祀られましたというお話です。現在は御堂の中にはおられません。福厳寺に安置されており年に一度4月8日に御開帳されます。高さ10cmで子供を抱いた立像で銀で作られた観音様で1736年に寺の工事で岩窟を掘っていた時に1枚の鉄板と一緒に観音が現れたとのことです。鉄板には義兼公が理真上人を招いて変成男子の呪法を行わせたと刻まれているそうです。伝説か民話か背景やら何やら謎に包まれた観音様を拝顔しに来年以降の4月8日にお寺に参拝したいと思いました。
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お寺から離れた墓地にある伝説のお地蔵様
田島町の高台の墓地の御堂に祀られている木造 地蔵菩薩坐像(足利市文化財)で菅田
町の光得寺が管理されております。前回拝顔した時と違って御堂が立派に建て替えられ
ておりました。それもそのはず令和5年3月建立の出来立てホヤホヤの御堂です。堂内
でお地蔵様は澄まし顔をしておりました。居心地が良さそうです。このお地蔵様は別名
黒地蔵とも豆腐食い地蔵とも呼ばれて足利の伝説に登場しております。一人の色の黒
い若者が毎日夜更けに村の豆腐屋に一丁買いにやってきて嬉しそうに帰っていきます。
村で見たことのない若者で何か薄気味悪いので村人達に話し村人達が豆腐屋で待ち伏せ
をし豆腐を買った後について行きました。すると地蔵堂の近くで姿が見えなくなり地蔵
堂のお地蔵様を見ると若者の顔にソックリで口のまわりが濡れておりました。青くなっ
て逃げだし豆腐屋に話すと銭箱の中に銭に混じって木の葉が入っておりました。木の葉
で豆腐を買いにきた地蔵様に腹を立てた豆腐屋は村人達と地蔵様を荒縄でグルグル巻き
に縛りあげると豆腐を買いに来なくなりました。しばらくしてから気の毒に思った村人
は荒縄をほどき時々豆腐をお供えしました。お願いすると安産を助けたり夜泣きを直し
てくださる有難いお地蔵様となり人々を見守っておられるとのお話です。今でも豆腐を
供えているのかは分かりませんが大事にされているのは間違いないと思いました。見晴
らしの良い高台で人々の様子を眺めているようにも見えるお地蔵様です。
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