出世の草履の舞台
境内には享保年間(1716~1735)に建てられた山門(真岡市文化財)、総門(真岡市文化財)があります。その山門にまつわるお話があります。八木岡の大工の棟梁に茨城県関城の知らない寺の僧正から山門の修理を頼まれたそうです。僧正の久しぶりとの声かけに見覚えがない棟梁に僧正は古ぼけた草履を見せました。棟梁はあっと叫び30年前のいたずらを思い出しました。芳全寺の山門の修理をしているときに19歳で修行を始めたばかりの善道という僧がおりました。修行がまだまだなので何時も職人にからかわれておりました。ある日道端に落ちていた古草履を職人が出世のお守りと称して善道の頭の上に載っけました。善道は草履をじっと見つめて励まされているような気がして勇気がわき厳しい修行を重ね僧正になりました。棟梁に草履の御陰だと頭を深々と垂れたというお話です。善道は負けてたまるかとヤル気スイッチに火が点いたんでしょうね。なお山門と総門の間はお寺が経営する幼稚園の敷地になっております。敷地内を通過する為に幼稚園の先生にお伺いをたて許可を得ました。まだ園児達は登園していなかったので門をジッと眺め出世物語の舞台を噛みしめました。
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宇都宮氏の重臣である多功氏の菩提寺
お寺が管理している多功不動尊が少し離れた下多功公民館の側にあります。境内の上三川名木古木の標柱の文字はカノ有名な棟方志功先生が書かれております。その名木古木のエノキは枝を上空に向け伸び伸びとしておりました。昔は境内に清水が湧き出ていてお不動様の金明水やお不動様の霊水と呼ばれ近隣に知られていたそうです。この霊水は乳の出ない婦人を救う力があり礼拝して願をかけ清水を器に入れて持ち帰りコノ水でご飯を炊いて食べると乳が出るようになったとのお話です。現在は埋められて跡形もありませんが仏様の御加護があったイイお話です。お寺の境内には多功城主多功家累代の墓(上三川町文化財)があります。多功氏を名乗った初代の多功城主宗朝~14代城主綱賀までの五輪塔が整然と並んでおります。多功氏は宇都宮家の重臣で武勇をもって知られ上杉謙信を敗退させた武勇伝が特に有名であります。本家宇都宮家の宇都宮城と運命を共にし多功城は豊臣秀吉により没収され多功氏一族は身をひそめて寂しく世を去り家来も離散せざるえなかったそうです。お参りすると350年に渡って城を守った多功城主の皆さんの活躍が次から次へと頭に浮かびました。
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