優しい人ほど、
「なんとかしてあげたい」と思いすぎてしまいます
(前編)
お母さんへ。
お子さまが
苦しんでいる姿を見ると、
「なんとかしてあげたい。」
と思うのは、
自然なことです。
学校へ行けない。
勉強が止まっている。
友だちとの関係が
うまくいかない。
そんな姿を毎日
そばで見ていると、
「私がもっと頑張れば……。」
「何かいい方法があるはず。」
と考えます。
調べてみる。
本を読む。
学校へ相談する。
子どもに声をかける。
できることを、
一つずつ探していく。
特に、真面目で
優しいお母さんほど、
「まだ何かできることがあるのでは。」
と考え続けて
おられることがあります。
でも、
一生懸命に支えようとするほど、
いつの間にか、
お母さん自身が
疲れ切ってしまうことがあります。
そしてお子さまも、
「お母さんが心配している。」
「何とかしなければと思っている。」
そんなことを、
言葉には出さなくても
感じ取っている・・・。
すると、
お母さんは、
「少しでも動いてほしい。」
と思う。
子どもは、
「動かなきゃ。」
と思う。
でも、動けない。
お母さんは、
さらに心配になる。
そんな循環に
入ってしまうこともあります。
だから私は、すぐに
大きく変えようとするより、
まず、
一緒に安心して
過ごせる時間をつくることを
大切にしています。
一緒に音読してみる。
短い動画を見る。
何でもない話をする。
少し笑う。
今日は何も
進まなかったように見えても、
昨日より少し
穏やかに過ごせた。
それも一つの変化です。
何かをしてあげる時間だけが、
子どもを支えている時間
ではありません。
同じ部屋で、それぞれ
好きなことをしている。
そんな何でもない時間が、
親子にとって
必要な日もあります。
「全部、私がなんとかしなきゃ。」
ではなく、
「今日は、少し一緒にいられた。」
そのくらいからでも
いいのだと思います。
お母さんにも、
「一人で抱えなくていい場所」が必要です
(後編)
お母さんたちと
お話ししていると、
「私がもっと頑張らなきゃ。」という
言葉を聞くことがあります。
学校のこと。
勉強のこと。
生活のこと。
将来のこと。
一つ心配が落ち着いても、
また次の心配が出てくる。
それを毎日、
一人で考え続けていたら、
疲れてしまうのは
当然だと思います。
だから、お子さまに
安心できる場所が必要なのと
同じように、
お母さんにも、
安心して話せる場所が必要です。
「今日は何もできませんでした。」
「また言いすぎてしまいました。」
「私も、どうしたらいいのか分かりません。」
そんなことも、
そのまま話していい。
すぐに答えを出さなくてもいい。
私は、長く
人と関わる仕事をしてきて、
「人を動かそう」と
力を入れることだけが、
人を支える方法ではない
と感じるようになりました。
今は、むしろ、
安心して一緒に座れる。
分からないことを、
分からないと言える。
できたことを、
小さくても
一緒に見つける。
そんな時間を大切にしています。
これは、お母さんたちにも
同じだと思います。
いつも落ち着いて
いなくてもいい。
心配になる日が
あってもいい。
大切なのは、
お母さんが完璧になること
ではありません。
苦しくなった時に、一人で
抱え続けなくてもいい。
そして、
少し肩の力が抜けたところから、
また子どもを見ることが
できます。
誰かに相談することは、
子どものことを
人任せにすること
ではありません。
一人で背負っていたものを
少し分けることで、
また穏やかな気持ちで
子どものそばに
戻れることがあります。
すると、
「今日は何もできなかった。」
と思っていた一日にも、
一緒にご飯を食べた。
少し話した。
一度、笑った。
そんな時間があったことに
気づくようになれます。
子どもを支えることと、
お母さん自身を大切にすることは、
別々のことではありません。
お母さんにも
支えてくれる人がいる。
その安心があるからこそ、
急がずに、長く
子どものそばにいられる。
お子さまも、少しずつ、
自分の足で
動き始める時を
迎えていくんです。