「少し待ってみようかな」と思える日が増えていく
(前編)
お母さんへ。
子どものことを
心配している時間が長くなると、
お母さん自身も
ずっと力を入れたまま
毎日を過ごしていることがあります。
このままで大丈夫かな。
もっと頑張らせた方が
いいのかな。
みんなと同じように
できるようになるのかな。
学校のこと。
勉強のこと。
友達のこと。
そして、その先の進路のこと。
一つ考え始めると、
心配は次々と出てきます。
だから、
子どもが少し動き始めても、
「よかった。」
と思った次の瞬間には、
「でも、まだ……」と、
その先を考えてしまう。
それも、子どものことを
ずっと見てきたお母さんなら、
無理もないことだと
私は思います。
ところが、
子どもの小さな変化が
少しずつ見えるようになると、
お母さんの言葉にも
変化が現れることがあります。
「今日は、自分からやっていました。」
「前より少し話します。」
そして、ある時、
こんな言葉を
聞かせていただくことがあります。
「この子なりで
いいのかもしれませんね。」
将来への不安が
なくなったわけ
ではありません。
心配しなくなった
わけでもありません。
それでも、
以前ならすぐに
声をかけていたところで、
もう少しだけ
見ていられる。
何もしていないように見える時間も、
「今は、これでいいのかな。」と
少し待ってみることができる。
すると不思議なもので、
今までなら
見過ごしていたような、
子どもの小さな動きにも
気づくことがあります。
自分から部屋を出てきた。
少し話してくれた。
好きなことを始めていた。
待つ時間ができたからこそ、
見えてくる姿もあるのだと思います。
これは、
子どもの変化とは
また少し違った、
お母さん自身に起きている
小さな変化なのかもしれません。
子どもだけが
変わっていくのではありません。
そばで見ているお母さんにも、
「今日は、急がなくてもいいかな。」
と思える日が
少しずつ増えていく。
私は、そんな変化も
大切に見ています。
「この子なり」は、あきらめることではありません
(後編)
お母さんへ。
「この子なりでいい。」
という言葉には、
少し迷いを感じる方も
いらっしゃるかもしれません。
それでは、
この子の可能性を
狭めてしまわないだろうか。
もっとできることが
あるのではないだろうか。
そう思うのも、とても
自然なことだと思います。
でも、
「この子なり」というのは、
何も求めないことでもなく、
成長をあきらめることでも
ありません。
今、この子は
どこにいるのだろう。
何ならできるだろう?
何に興味を持っているだろう?
今日は、
どこまでなら
気持ちよく動けるだろう?
そんなふうに、
「ほかの子」ではなく、
目の前にいる
「この子」を見ることだと、
私は考えています。
ですから、
「この子なり」は、
できることの基準を
下げることでもありません。
その子に合った入り口を見つけて、
そこから伸びていく力を
一緒に探していくことです。
すると、
昨日できなかったことより、
今日できた小さなことが
見えやすくなります。
返事をした。
少し笑った。
自分から教材を開いた。
途中で止まっても、
また戻ってきた。
そんな一つひとつを、
「まだこれだけ。」
ではなく、
「今日は、ここまで。」と
見られるようになる。
すると家庭でも、
「早くしなさい。」
「いつになったらできるの。」
という言葉の代わりに、
少し待つ時間が
生まれることがあります。
もちろん、
お母さんの不安が
全部なくなるわけではありません。
比べてしまう日もあるでしょう。
先のことが心配になって、
眠れない夜だって
あるかもしれません。
それでも、
「この子には、この子の歩き方がある。」
そう思える瞬間が
一つ増えるだけで、
親子の間にある空気は
少し変わります。
そして、
その少しやわらいだ空気の中で、
子どももまた、
自分のペースで
次の一歩を探しやすくなる。
「この子なり」は、
立ち止まるための言葉
ではありません。
その子の今いる場所から、
もう一度、
一緒に歩き始めるための見方。
私は、そんなふうに
考えています。