「これ読むの?」:小さな一言から始まる変化
(前編)
お母さんへ。
子どもの変化というと、
「やる気が出てきた。」
「自分から勉強するようになった。」
そんな分かりやすい姿を
思い浮かべるかもしれません。
でも実際には、
もっと小さなところから
始まることがあります。
ある日のことです。
いつものように
教材を用意していると、
こちらから何も言わないうちに、
「これ読むの?」
と聞いてきました。
たった一言です。
そのあと何十分も
集中したわけではありません。
たくさん勉強したわけでも
ありません。
でも私には、
その一言が
とても印象に残りました。
なぜなら以前なら、
「今日は、これ読もうか。」
「ちょっとやってみよう。」
と、こちらから声をかけて
始まっていたからです。
それがその日は、
ほんの少しだけ、
子どもの方から
こちらへ動いてきた。
別の日には、
声をかける前に
椅子へ向かったこともありました。
また別の日には、
机の上に置いてあった教材を
自分から手に取った。
一つ一つは、
見過ごしてしまいそうな
小さな出来事です。
そして本人も、
「今日は自分からできた。」
などとは、
思っていないかもしれません。
いつもの時間の中で、
なんとなく手が伸びた。
なんとなく聞いてみた。
変化は、そんな自然な姿で
現れることもあります。
もちろん、
次の日も同じように
できるとは限りません。
こちらから声をかける日もある。
何もしたくない日もある。
それでも、
「自分から」が一度でも
顔を出したことを、
私は大切にしています。
子どもの自主性は、
「自分からやりなさい。」
と言われて、
突然生まれるものでは
ないのかもしれません。
ここなら間違えても大丈夫。
分からなければ聞いていい。
今日は少しだけでもいい。
そんな経験を重ねる中で、
「ちょっとやってみようかな。」
という気持ちが、
子どもの内側から
出てくることがあります。
大きな変化ではありません。
でも、
誰かに動かされたのではなく、
自分から少し動いた。
その小さな一歩を、
私は大切な変化として
見ていたいと思っています。
「やらされる」から、「ちょっとやってみよう」へ
(後編)
お母さんへ。
子どもに、
自分から動けるように
なってほしい。
これは多くのお母さんが
願っていることだと思います。
だからこそ、
動かない姿を見ていると、
つい声をかけたくなります。
「そろそろやったら?」
「宿題、大丈夫?」
「早く始めた方がいいよ。」
どれも、
困らないようにしてあげたい
という気持ちから出てくる
言葉です。
でも、
子どもが自分から動くためには、
時には、
大人が少し待つ時間も
必要なのかもしれません。
ここでいう「待つ」は、
何もせず、
放っておくことではありません。
必要な時には
手伝えるようにしながら、
本人が動き出す余白を
少し残しておくことです。
すぐに答えを求められない。
間違えても責められない。
途中で止まっても、
また戻ってこられる。
そんな経験が重なると、
子どもは少しずつ、
「自分で決めても大丈夫。」
と思えるようになることがあります。
すると、
これまでなら、
「次は何をするの?」
と待っていた子が、
自分から教材を選んでみる。
「これやっていい?」
と聞いてみる。
終わったあとに、
「次は?」
と言ってくる。
ほんの小さな変化です。
でもそこには、
「やらされている」だけではない自分
が少しずつ現れています。
私は、
自主性というものを、
何でも一人でできることだとは
考えていません。
分からなければ聞いていい。
手伝ってもらってもいい。
今日は自分で
決められなくてもいい。
その中で時々、
「これは、やってみたい。」
「こっちにする。」
と自分の意思が出てくる。
まずは、それで十分だと
思っています。
安心できる場所では、
子どもは少しずつ、
自分の気持ちを
外へ出せるようになります。
そして、
その小さな意思が、
やがて自分から動く力へと
つながっていくことがあります。
急いで「自主的な子」に
しなくても大丈夫です。
「これ読むの?」
そんな何気ない一言の中にも、
昨日まではなかった
小さな「自分から」が、
もう始まっているの
かもしれません。