勉強の話をしているだけなのに、なぜケンカになってしまうのでしょう
(前編)
お母さんへ。
こんなお話を
聞かせていただくことがあります。
「勉強のことで、
つい言いすぎてしまいます。」
「言わないとやらないので、
どうしても注意してしまって……。」
「気がつくと、
毎日同じことでケンカになります。」
本当は、
そんなことを
言いたいわけではない。
学校から帰ってきた子どもと、
普通に話して、
一緒にご飯を食べて、
穏やかに一日を
終わりたい。
それなのに、
宿題が残っている。
テストが近い。
明日の準備もしていない。
そんな姿を見ると、
「宿題したの?」
と聞いてしまう。
返事がないと、
もう一度言う。
それでも動かないと、
「いつになったらするの?」
となってしまう。
お母さんが
子どもを困らせたいわけではありません。
むしろ、
困ってほしくないから
言っているのだと思います。
そして、言ったあとで、
「また言ってしまったな。」
と思うこともあるでしょう。
今日は勉強の話をしないでおこうと
思っていたのに、
結局また同じ話になってしまった。
そんな繰り返しに、
お母さん自身が
疲れてしまうこともあります。
でも、これが毎日続くと、
いつの間にか家庭の中で、
お母さんが
「教える人」「注意する人」になり、
子どもが
「言われる人」になってしまうことがあります。
すると、
「今日どうだった?」
という普通の一言まで、
子どもには、
「何か言われるのかな。」と
聞こえてしまうこともあります。
親子の仲が
悪くなったわけではありません。
お互いに嫌いになった
わけでもありません。
ただ、
勉強をめぐる役割が、
親子の間に
入り込みすぎているのかもしれません。
だから
子どもだけを変えようとする前に、
「勉強を、親子の間だけで
何とかしなくてもいいのでは。」
と私は、
考えることがあります。
親子だからこそ、
勉強とは関係のない話をしたり、
一緒に笑ったり、
何も言わずに過ごしたりする時間も、
残しておきたいのです。
「教える」を少し手放すと、親子の会話が戻り始めることがあります
(後編)
では、
勉強のことでぶつかる時間を
少し減らすためには、
何ができるでしょうか。
私は、大きく三つの転換が
あると考えています。
一つ目は、
「学ぶ場所を、家庭の外にも持つこと」
です。
先生や教室など、
子どもが勉強について
相談できる相手ができると、
お母さんがすべてを
教えなくてもよくなります。
「ここは先生とやっておいで。」
そう言えるだけでも、
家庭の役割は
少し変わります。
二つ目は、
「できた経験を、少しずつ増やすこと」
です。
難しい問題が解けた、
ということだけ
ではありません。
今日は自分から始められた。
昨日より少し読めた。
途中で止まったけれど、
もう一度戻れた。
そんな小さな「できた」も
積み重なっていきます。
三つ目は、
「家庭を、勉強以外の話ができる場所に戻すこと」
です。
「今日は何食べる?」
「これ、おもしろいな。」
「明日、雨らしいで。」
そんな何でもない会話が
少しずつ増えてくる。
すぐに勉強時間が増えなくても
構いません。
まず親子の間に、
勉強とは関係のない時間が
戻ってくる。
私は、それも大切な変化だと
考えています。
もちろん、
お母さんが何も言わなくなれば
すべて解決する、
という話ではありません。
必要な時には、
声をかけることもあります。
一緒に考えることもあります。
ただ、
「全部、私が何とかしなければ。」
から、
「勉強は、ほかの人の力も借りながら
一緒に支えていけばいい。」
へ。
その転換ができると、
お母さんにも、
少し余白が生まれます。
そして子どもにも、
自分で動いてみる余白が
生まれます。
親子関係を良くするために、
特別な会話を
始めなくてもいいのかもしれません。
まず、
親子の間に入り込んでいた
「勉強しなさい」を、
ほんの少し減らしてみる。
するとその場所に、
何でもない会話や笑い声が、
少しずつ
戻ってくることがあります。