意味が見えたとき、子どもの表情は変わります
(前編)
お母さんへ。
子どもたちと接していると、
ときどき
不思議な瞬間に出会います。
それまで勉強にほとんど
関心を示さなかった子が、
ある日を境に、
目の色を変えて
取り組み始めることがあります。
そのきっかけは、
難しい問題が
解けたことでもなく、
テストの点数が上がったこと
でもありません。
「この勉強は、将来の仕事につながっている。」
「今やっていることが、社会で役に立つかもしれない。」
そう感じた瞬間です。
子どもたちは、
大人が考えている以上に、
自分の将来や
社会のことを見ています。
どんな仕事があるのだろう。
大人は、どのように
働いているのだろう。
自分にも、
できることがあるのだろうか。
まだ言葉にはできなくても、
心の中では、そのようなことを
考え始めています。
だからこそ、
ただ「勉強しなさい。」
と言われるだけでは、
なかなか気持ちが
動かないことがあります。
何のために覚えるのか。
なぜ今、取り組む必要があるのか。
その意味が見えないままでは、
勉強が自分とは
関係のないものに
感じられてしまうからです。
けれども、
学んでいることと
社会とのつながりが
少し見えると、
表情が変わります。
例えば、
計算が仕事の
お金や時間の管理につながっている。
文章を読む力が、
人の話を理解し、
自分の考えを伝える力になる。
英語が、
世界の人や情報と
出会う入り口になる。
そんなつながりを知ったとき、
「それなら、少しやってみようかな。」
という気持ちが生まれることがあります。
人は、
勉強そのものに
心を動かされるのではなく、
その学びが
自分の人生につながったときに、
初めて本気で
向き合い始めるのかもしれません。
後編では、私自身が
学びと社会のつながりに
気づいた経験から、
勉強の意味について、もう少し
お話ししたいと思います。
知識が、人生を支える道具に変わるまで
(後編)
お母さんへ。
前編では、
勉強と社会との
つながりが見えたとき、
子どもたちの
表情や取り組み方が
変わることをお話ししました。
これは、
子どもたちだけに起こること
ではありません。
私自身も、若いころに
同じような経験をしました。
会計の仕事に関わり始めたころ、
数字や理論を覚える勉強は、
正直なところ、
あまり面白いものには
感じられませんでした。
言葉を覚え、
計算方法を学び、
決められた形に
数字を当てはめていく。
それだけを見ていると、
知識が自分の生活や仕事と、
どのようにつながっているのかが
分かりませんでした。
けれども、あるとき、
会計の数字が、
会社の経営や、
そこで働く人たちの生活、
そして
社会の仕組みと
つながっていることに
気づきました。
売上や利益という
数字の向こうには、
商品を作った人がいる。
働いた人の時間がある。
これから会社が進む
方向を決める判断がある。
そう見えるようになった瞬間、
それまで
退屈に感じていた勉強が、
まったく
違うものに変わりました。
ただ覚えるための
知識ではなく、
社会を理解し、
人の仕事を支えるための
道具になったのです。
人は、
勉強そのものが嫌いなのでは
ないのかもしれません。
学ぶ意味が見えず、
自分とのつながりを
感じられないときに、
力を出しにくくなるのだと思います。
だから私は、
生徒たちに、
「もっと勉強しなさい。」
と伝えるよりも、
「この勉強は、どこにつながっているのだろう。」
と一緒に考えることを
大切にしています。
すぐに答えが
見つからなくても構いません。
仕事や暮らし、
人との関わりの中に、
学んでいることとの
小さな接点が一つ見つかるだけで、
勉強の景色は変わり始めます。
学びが社会とつながったとき、
知識は
未来を支える力になります。
そして、そのつながりに
気づいた瞬間から、
人は自分の意思で、少しずつ
前へ進み始めるのだと思います。
スタディ・コーチング・ラボラトリー
代表 福田秀一