このお店の内装について考えた時に、自分は“映える”と感じました。それはマスターの拘り、哲学が随所に盛り込まれてるからかな?と。最近の他意的(わざと映えるよう)に作られた映えよりも、職人が手間暇かけて作った“何か”の己意(ある種のわがまま)が溢れた(結果映えと多くの人に認識されるようになった)物、場所の方が人が本来惹かれる映えになり、五重の塔や金閣寺のように後世に残っていくのだと施術中に考えさせてもらいました。
そう考えていくうちにそのマスターの“哲学”が詰まった髪型が完成していき、出来上がった時にまさに今自分映えてるな(笑)と思う夕方でした。