歴史のあるお寺です。 

口コミ

重厚な山門や庚申塔

4.00
投稿日

名鉄の尼ケ坂駅から南に歩いて3分ほどのところにあります。現地にあった説明板によると清洲城主の松平忠吉が旧領の武蔵国忍城下(現在の埼玉県行田市)で祈願所としていたものを寺として清州に遷し、1610年いわゆる清州越の祭にこの地に遷ってきたものだそうです。それほど広くはない境内ですがよく手入れされた植栽、重厚な山門や庚申塔など静かな雰囲気の中拝観することができました。

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松平忠吉公が創建した真言宗智山派の由緒ある寺院

5.00
投稿日

同寺は名鉄瀬戸線尼ケ坂駅から近く、尾張徳川家の中級家臣(数百石から1000石程度)の武家屋敷があった場所からも至近で、私が務めている東区東大曽根町から県庁又は、市役所方面に車で向かう時、中心部が混雑している時に迂回する側道の閑静な住宅地にある由緒ある寺院です。
当然ながら名城、名古屋城(尾張藩藩庁)からも2km程の場所です。

同寺は松平忠吉公(以下、忠吉公)が関ケ原の合戦後に功名を挙げて、清洲52万石の所領を与えられた時に、武蔵国長久寺(現在の埼玉県行田市)から高僧を迎えて創建した寺院ですね。同寺の寺称も同名称です。
その10数年後に、政治の中心地を清洲から名古屋(那古野)に移した有名な清洲越えで、再度同地に構えたようです。
また、江戸時代には尾張徳川家の祈願所となり、真言宗の学問所があったようです。

戦国時代又は、中世の歴史好きな方であれば、埼玉県行田市には忍城(映画、のぼうの城で有名)があることに気付きますね。
家康公が秀吉公から関東に移封された時、家康公から忠吉公が賜った忍城でもありますね。
同寺は名古屋市指定の観光地にもなっており、平日でも観光客が訪れる寺院としても有名なようです。

さて、慶長時代に清洲から移築した同寺の山門(薬医門形式)は重みがあり、お寺の周辺は白壁で囲われている趣きのある構えとなっており、山門を潜って直ぐ目の前には「庚申塔」(こうしんとう)があり、見ざる、言わざる、聞かざるの例えにもなっており、江戸初期の塔で名古屋市指定文化財となっており、当時の武士内に庚申信仰が根強くあったようです。

本堂は閉まっており、本堂内には立ち入ることが出来なったのが残念でしたね。
本堂の奥は施錠されていましたが、有名な儒学者である細野要斎が住んでいたようで、施錠された門前ではありますが、その当時の建造物らしき物がありましたね。
山門と本堂の中央には多くのお地蔵様がおり、お迎えをして頂いているような情景でした。 次回訪れた際は是非、ご住職とお話がしたいですね。
また、名古屋市内の観光地の一つとして同寺院を拝観(回覧)をお勧めしたいですね。

歴史ポイント
忠吉公は徳川家康公の四男で、徳川秀忠公(二代将軍)の弟です。
前記述しましたが、忠吉公は清洲城主(初代清洲藩藩主)でしたが嫡子が無く、忠吉公の弟である徳川義直公(家康公の九男)が初代尾張藩主となり、清洲を含めた尾張国、美濃国を治めました。
色々な説には、二代将軍である秀忠公は弟である忠吉公の死を大変悲しんだようです。

追記、中世、織豊、戦国時代の歴史と神社仏閣、中世城館巡りが大好きです。
私の能書きを楽しんで頂けたら嬉しいです。

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写真

概要

店舗名

長久寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県名古屋市東区白壁3-24-47

アクセス

最寄駅
バス停
  • 白壁から240m (徒歩4分)
公開日
最終更新日

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