流山街道沿いに、見慣れた名前のお店。 ずいぶん、松戸店を訪れて、ボディビルの本を立ち読みしたり、格闘技の本を購入したりしました。 知識の海で、しばし、いにしえの文豪たちと対話をしました。 松戸の武術師範より
公園の近くに空手の道場。 駅からほどよく歩いたところにあります。私が通った道場はみんな、歩いて気合が入りました。 昨日より今日、今日より明日と汗を流す姿に、かつての、大山総裁の、 「正義なき力は無能なり」 「力なき正義は無能なり」 という言葉を知り、いつも遅刻が多い少年が、1時間早く起きて、鍛錬を始めたことを思い出しました。 松戸の武術師範より
曹洞宗のお寺です。 本尊は、薬師如来。 元は、天台宗の共同墓地でした。 浅見本家が、流山市名都借から曹洞宗の僧侶を招き、江戸時代初期に、曹洞宗の寺院となりました。 流山七福神の大黒天のお寺。 1868年、新選組が流山に陣を敷いたときに分宿していました。 司馬遼太郎氏の作品で、「流山」が出てきたときに、歴史が肩を叩いたような気がしました。 松戸の武術師範より
娘と息子が小さいころ、よく訪れました。 ポロシャツやTシャツを買いました。 大きな鉛筆のぬいぐるみは、20年経った今でも家にあります。 車で行きましたが、駅からすぐです。 松戸の武術師範より
1606年、了蓮社覚誉氏によって開山。 東国巡視の旅に出ていましたが、この年、流山村に入り、「観音松」という松の木の下で、草庵を結び、布教を始めました。 1836年の火事で建物、寺宝を失いました。 1864年、再建。 私の生家にも松の木があありました。名前は・・・ 駅から程よい距離です。 松戸の武術師範より
「梅本山常興寺記」によると、1326年に日念氏が開山。1636年に日遊氏が流山に中興。 1872年、学制の発布により、小学校教員の養成が急務となり、印旛県が設けた教員養成所「印旛官共立学舎」が常与寺に設置されました。 境内には、「千葉県師範発祥の地」の石碑があります。 教育に携わる人間の一人として、感慨深いものがあります。 松戸の武術師範より
草加流山線沿いに、懐かしいお店の名前「すぎのや」 つくば市へ帰ると、必ず我が両親と楽しいひとときを過ごしました。 刺身や天ぷらにグラスビールがセットになっている「かぐや姫御膳」の復活を望みます。 松戸の武術師範より
よく通った南流山店も駅からすぐですが、流山おおたかの森店も駅からすぐです。 変わらず、「竹下食堂」から「嵐げんこつらーめん」までいい味を出しています。 松戸の武術師範より
駅からほどよく歩いたところに、空手の道場。 私のまわりには、退職してから極真空手を始めた人や、大山総裁から直接習った人がいます。だから、尊い汗を流す人たちを、いつも応援しています。 少年時代に読んだ総裁の本で、どれだけ勇気づけられたことでしょう。 「おれも苦しい。しかし、強くなるのは苦しいときなんだ。腕立て伏せでもそうだろう。もうだめだと思ったときに、全身の力を振り絞って、もう一度だけ頑張ってみる。これが力になる。わかるか」 松戸の武術師範より
習志野の駅に着くと、目の前に懐かしい看板。 松戸市柔道連盟会長(元理事長)を訪れるときに、必ず目印にしていました。帰りにミネラルウォーターを買いました。 「富治商会」「forever」「family」の「スリーエフ」 松戸の武術師範より