リュウセンジ

龍泉寺

3.42
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厄払い☆

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前厄のため、こちらで厄払いをしていただきました。真冬でしたが、待合所もストーブがあり、暖まりました(^^)
しっかりとお祓いしてもらい、お守りも購入し、スッキリしました☆
テレビでも特集されていることが多いお寺ですので、一度参ってみる価値があると思います(^^)

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戦いの拠点として城郭があった戦国時代には軍事的なお寺

5.00
投稿日

同お寺は、天台宗のお寺で、名古屋城を鎮護する尾張四観音の一つとして尾張藩の保護を受けたお寺の一つで、弘法大師にも所縁のお寺です。

同お寺への公共交通機関としては、JR等の総合駅である大曽根駅から名古屋市営ガイドウェイバス(陸上の高架に設けた専用バス路線)から乗車し、竜泉寺又は、竜泉寺口から徒歩3分のところにあります。

名古屋又は、近隣のお寺の中でも、節分大祭と初詣(除夜の鐘)が有名で、節分時又は、初詣には多くの人で賑わいます。

山門前の右手には10台程度駐車出来る専用駐車場があり、その向かいには芸能関係者が祈願する小さな南無弁財天の社があり、そこを50m位通ると、同お寺の仁王門(山門)があり、その仁王門には鋭い眼、鋭い形相で立っている南北朝時代に造られた国の重要文化財となっている仁王像(左右に二体)がありました。

その仁王門を潜ると仏殿があるが、参拝者を和ませるように、お賽銭箱の前には人懐っこい猫がお出迎いしてくれましたね。

境内には10数匹の人懐っこい猫がお出迎いしてくれますので、表現は失礼ながら猫好きな方には一挙両得ですね。お寺さんで飼われている猫と思われます。

また、仏殿右裏側には天守閣を模した宝物館があります。宝物館が建っている辺りに、尾張国末森城主であった織田信行公(後記述)が築城した龍泉寺城があり、その後、秀吉公が小牧長久手の戦いの軍事の要として龍泉寺城が砦として活用されたことは地元では有名な話で、その戦いで同お寺の本堂などの建造物が焼失し、その後直ぐに再建されたようですが、明治時代に放火され、焼け跡から出土した慶長大判などの金で本堂が再建されたようです。残念ながら宝物館は日曜祝日の開館となっており、当日は土曜日であったため、入場出来ず、その背景は遠目の写真だけとなります。

追記、龍泉寺が所有する広大な敷地内には霊苑墓地があり、数千の墓地を誇る広大な霊苑は現在も霊園内の区画分譲の募集をしているようですので、ご希望者は問い合わせては如何ですか。名古屋又は、名古屋周辺でも最も有名なお寺であり、有名な霊園です。
また、職員さんらも数多く、お寺の見学者である私にも全ての職員さんが丁寧な挨拶をして頂けるため、気分の良い参拝となりましたね。

歴史ポイント
織田信行公は、実兄である織田信長公との確執の違いで、同龍泉寺城を築城し、兄弟での利権争いを行い、最終的には信長公の御前で自決して果てたようです。
その際、信長公の父、信秀公からの古老(家老)であった柴田勝家公が信行公に味方し、その後自決するところを信長公の許しを得て、生涯織田家に仕えたエピソードがあります。その反面、秀吉公側にも賤ヶ岳の戦い迄の経緯(秀吉公と勝家公は犬猿の仲)に異論はありますが。
また、戦国の世は親子(武田家、真田家)、兄弟(織田家、伊達家など全国各地で)、親族など、一族の結束を結ぶ半面、親族でのお家存続又は、利権争いが日本全国で繰り返されました。九州では佐賀藩の家老である鍋島が主である龍造寺を討ち、秀吉公に認知されたという下克上話もあります。
このように歴史を少しだけでも知ることにより、神社仏閣への参拝が面白くなりますね。

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概要

店舗名

リュウセンジ

龍泉寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902

アクセス

最寄駅
バス停
  • 竜泉寺から180m (徒歩3分)
公開日
最終更新日

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