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特養ホームで相当数の要介護高齢者を
看取ってきました。
認知症分野や介護予防関係、そして
ケアマネ資格取得後、身体を悪くする
メカニズムを独自に勉強し始めました。
寝たきり世界一の日本の窮状を憂いたの
です。
交代勤務をこなしながら夜勤明け
往復5時間以上かけての通学は丸3年に
及び、休日には習得技術の訓練と座学に
勤しみました。
答えが見つからない事柄については
納得のゆく結論にたどり着くまで行動
しました。
その他 見識を深めるために様々なことを
してきました。
そして、すべてを知ってしまったのです。
身体が悪くなってゆく原因や経緯、
そしてメカニズムを…
これからは 私が到達した知識つまり
健康問題の対策法を必要な人に伝えたり、
技術を駆使して健康問題で困っている人達を
助けて行こうと舵を取り直しました。
これからは「予防の時代になる」と
いうことを確信したからです。
これが 総合健康院きれいな手を
立ち上げた動機です。
「きれいな手」とは 私が のべ30年
言われ続けている身体的特徴です。
私のいちばんの理解者であり、
そして当院建立の最大の功労者
であった母が亡くなりました。
そしてその日は、私の誕生日でした。
約半世紀まえ、命がけで私を産み、
同じ月日に 風前の灯を迎えたのです。
自宅で看取る形になりましたので、
呼吸が止まる深夜に 私は母の枕元に
そっとひざまずいていました。
呼吸が止まった時、
「マサル、誕生日おめでとう、
今までありがとうね」
という声が聞こえた気がしました。
療養生活から90日、
この日まで頑張ってくれたのだと
思います。
母は 五黄土星の寅年で、
すごい才覚を有した人でした。
料理が上手く、洋服も作る人でした。
子どもの頃は 家で喫茶店さながらの
クリームソーダやパフェを作って
食べさせくれ、友達を驚かせました。
施術着(作務衣)を作ってくれたのも
母です。
何をするにも こだわってひと工夫を加え、
優れた物をこしらえるセンスを
持ち併せていました。
世の母親の皆が そのようではないことを
私が認識したのは
だいぶあとになってからです。
内面は、人並み外れた忍耐強さを持つ一方、
私にも他人にも とびきり優しい人でした。
他人に優しく 自分に厳しい、いや
少々厳し過ぎたのかもしれません。
そして、父親役もすべてやっていました。
いじめっ子男子に 身体を張って
立ち向かって行った時は、どんなにか
頼もしい母親だと思ったことでしょう。
とにかく、女性のおしとやかな側面と
男性的な責任感を有した稀有な人物
でした。
しかしその一方、孤独でもありました。
私を産むまでの20数年間も、
私を産んでからの約50年間も、周囲と
ずっと戦い続けた人生だったからです。
私だけが味方となり、これまで
できる限り 寄り添ってきたのてすが、
限界があったようです⋯
当院は、今年で 10周年を迎えました。
母にとって、当院の存在と、なにより
私の活躍は 夢と希望でありました。
母と、ささやかながらお祝いを
したかったですが 叶わず残念です⋯
私は母から「人様のお役に立つ生き方」
を教わりました。それを形にした
最終形態が、当院です。
健康問題を抱える方々を
なんとかしようと 私が 調査し始めた時に、
応援し、私を信じてくれた母。
それがのちに私の天職となることを
分かっていたのでしょうか。つづく
「皆が喜ぶ仕事をしなさい、
マサルなら大丈夫だから」
といつも言ってくれました。
そして、ここに書き込まれた口コミ投稿を
見ては 安堵していました。
そんな母の顔を見るのが 私の喜びでも
ありました。
「親を安心させること」
これこそが 最大の親孝行だと
母は認識していたようです。
私は、母の考え方 そのままを
実践することでここまで来れました。
私の持つ、
女性と見まがうほどの「柔らかい手指」、
整体技術に活かせた「手先の器用さ」、
素人の立場を最重視する「対話の力」、
来た人が構えずに済む「実直な接客態度」、
これら全て 母から受け継いだものです。
私が努力したのは せいぜい3割で、
7割を占めるのは 母親の力でした。
運転したのは私だとしても、
ガソリンを入れたのは 母親なのです。
整体業界で、独立開業に頓挫した
仲間達をたくさん見ました。
整体は 今や人気職業で 目指す人が多い一方、
憧れや努力以前に、バックボーンがないと
自分のサロンを持つことは難しいのが
現実です。
そのバックボーンを 母は私に遺して
くれたことから
「総合健康院きれいな手」は、
「母そのもの」だと 私は思っていますので、
これからも サロンを大切に守りながら
生きてゆきます。
来てくださる方々の笑顔のために、
自分にしかできない仕事をします。
お母さんとは 僕が考えていたよりも
早くお別れになってしまったけれど、
世界一 尊敬しています。
肉親にそのような人がいた 自分は
幸せ者です。
いつかそっちでお母さんと再会した暁には、
「これだけの人を助けてきたよ」
って胸を張って報告できるよう
頑張るからね。
本当に今までありがとう、どうか安らかに。
母は まさしく″泥中の蓮″でした。
尊く清らかな精神を私が受け継ぎます。
私を信頼し、懇意にしてくださっている
方々も、どうか母のことを忘れないで
ください。お願いします。
ここまで読んでくださりありがとう
ございます。はじめての方で 当院に
少しでも興味を持っていただけましたら
嬉しく思います。
当院に御縁がある方にも、ない方にも、
健やかな今と 安心の未来を。