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「小牧長久手の戦い」で戦死した数多くの武士、武将、兵士を安昌寺の初代住職が埋葬した

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同お寺は曹洞宗のお寺で、山号は久岳山と言います。

創設者は岩崎城主(現、日進市岩崎町)の丹羽氏次公(後記述)で天正13年(1585年)の建立にて、草創したのは雲山和尚(後記述)とのことです。

「小牧長久手の戦い」の長久手の戦いの地で、徳川家康公が布陣した色金山(色金山歴史公園)が同お寺の裏山(寺の霊苑隣接)となっていますので、同寺を拝観されたら色金山歴史公園(エキテンで紹介済)と首塚(後記述)を是非、ご覧下さい。

同エキテン投稿をスマホで確認しながら又は、コピーして拝観(回覧)されればより一層詳しく見られると思いますので是非活用して下さい。

さて、同お寺の山門を潜る目前の右側には、旧井戸跡が残っており、山門前には林謙三氏に寄って読まれた岩作八景「安昌寺晩鐘」の歌碑があります。
林謙三氏は、大正から昭和に掛けて活躍した日本の音楽研究家であり、彫刻家でもあり、雅楽の古い楽譜の解読などで知られた著名人です。

仏殿は普通にありましたが、お賽銭箱が何故か参道に置いてあったので疑問に思いましたが良いご縁があるようにと50円を納めさせて頂きました。

同地(旧岩作村=現長久手市)では「小牧長久手の戦い」、「長久手の戦い」の激戦地帯であり、「長久手の戦い」では2500人以上(書物などによる推定数)が戦没していますが、戦死者の多くが岩作村だったようで、戦いの折に戦没した兵士(武士、郷士ら)の霊を弔うため、同寺の住職であり同寺の草創者である雲山和尚が中心となり岩作村の農民に協力を求め、首塚(写真参考にて同寺から目前、徒歩で1、2分)を建てて埋葬供養したようです。

同お寺に拝観されたならば、「長久手の戦い」の首塚を是非拝観して下さい。
戦国時代など中世の歴史好きの方には必見の場所と思います。

歴史ポイント
同お寺を建立した丹羽氏次公は、織田信長公の家臣でしたが、信長公が本能寺の変で明智光秀に討たれ、その後は次男の信雄公に仕えたが対立後に家康公に仕え、小牧長久手の戦い、関ケ原の戦い、大坂の陣などで活躍し2万3千石の加増となり、岩村城主(岐阜県恵那市、岩村藩)3万石の大名となり明治まで代々栄えたようです。

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写真

概要

店舗名

安昌寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県長久手市大字岩作字色金92

アクセス

最寄駅
バス停
  • 岩作から71m (徒歩1分)
公開日
最終更新日

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