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尾張国落合城主、戸田弾正宗忠公が創建し、織田信長公家臣の林三郎正俊公が寺領を寄贈した寺

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同お寺は、曹洞宗、龍洞山久雲寺と言い、東海四十九薬師霊場の一寺となっている由緒あるお寺です。

同お寺の歴史は後述しておりますが、同お寺には名古屋市方面又は、瀬戸市内からはR248号線を通り、瀬戸市品野町交差点を過ぎ、数百メートル過ぎると左側に同お寺の看板が見えて来て駐車場は急坂を登った本堂前の整地された広大な場所が駐車場となります。

さて、車を駐車してからは、改めて山門前のお寺の寺名石碑まで後戻り、そこから山門まで100メートル程登りました。その途中には幾分か古そうなお地蔵さん達が迎えてくれましたね。
江戸時代に建てられたと思われる古そうな山門は、どこかの中世城館の大手門のような佇まいがありました。長い年月を経て少し風化した古びた山門は良いですね。

本堂前に到達する前(伺ったのは早朝)、本堂ではご住職のお母様らしい方が本堂の各窓を開けておられたため、「お詣りさせて頂きます」と言葉を掛けさせて頂きました。
その甲斐あって遠目ではありますが、ご尊像である「釈迦牟尼如来像」を拝見することが出来ました。

私自身20年近く前、同お寺の三十一世大和尚の再興開山200年を記念する座禅と説教の一日体験をさせて頂きました。当家も曹洞宗です。
その時は永平寺で頒布された希少な長数珠も使用させて頂きました。
今でも首から掛ける「半袈裟」(略肩衣)と白装束は自宅の仏間で保管しています。
ご住職であれば輪袈裟(わけさ)と言い、「半袈裟」は門徒が使用するものらしいです。
尚、座禅をしている時は出来るだけ無の境地にしていたと記憶しています。

一目では判断出来ない奥深いお寺ですので、拝観をお勧めしたいですね。

歴史ポイント
当初は725年に創建された天台宗の勝元寺であったようで、その後、室町時代(南北朝時代)に南朝(京都以南の吉野朝廷)の家臣である戸田弾正宗忠公が創建し、織田信長公の家臣(武将)で菱野城主、林三郎兵正俊公が寺領を寄進し、江戸時代の初期にこの地に移り、久雲寺と改称したようです。
正俊公が築城した菱野城は私が住んでいる自宅から徒歩数分の場所にあり、現在は人家となっていますが、土塁跡と堀跡らしい跡が確認出来ますね。
また、菱野城址の大手門は伊勢湾台風前までは、西光寺(瀬戸市西脇町、エキテンで紹介済)の山門となっていたようです。

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写真

概要

店舗名

久雲寺

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 品野から250m (徒歩4分)
公開日
最終更新日

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