瑞應寺
- 住所
- 愛知県名古屋市北区如意2-73
- アクセス
味美駅(東海交通)から徒歩18分(1.4km)
口コミ
同寺は、臨済宗妙心寺派のお寺で、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて修行を積んだ高僧の夢窓疎石(夢窓国師)が開基、創建した由緒あるお寺のようです。
また、室町時代の武将で尾張国如意城主、石黒重行公(以下、重行公)とその一族及び、子孫に所縁のある寺で、同寺の山門右前には、重行公を顕彰する石碑が立っており、重行公から八代目の重成公までの墓が残っているようですが、重行公一族は元々、北陸地方の豪族であったようです。
ご住職とは拝観の件で挨拶をさせて頂きましたが、石黒一族の墓石を尋ねなかったことが心残りですね。
さて、名古屋市内の郊外の住宅地として、同寺の境内は大変広く、山門を挟み境内全体を白塗り壁塀で覆われた立派な佇まいのお寺です。
山門を潜ると長い参道の奥には本堂と、右側には鐘撞堂や小山を見立てその小高い天辺には仁王像のような厳しい顔立ちをした銅像が立っていました。(詳しくは不明)
本堂内も拝観の承諾を頂き本堂内でお参りをさせて頂きました。
折角挨拶(前記述)したご住職でしたが、お寺の歴史会話を楽しむべきと思いましたね。
次回、訪れる機会がありましたら、八代続いた墓石にお参りをしたいと思っております。
同寺の佇まいを拝観するだけでも楽しめるお寺でした。
歴史ポイント
重行公は南北朝時代の戦いに敗れた後は、長谷川という母方の姓を名乗り、その地である如意(現在の名古屋市北区如意)に隠れ住み、尾張国守護の斯波氏に仕え、室町時代末期には織田家に仕え、色々な合戦に与力したようです。
同中世城館は、如意城を言いますが、長谷川城(母方の姓)とも呼んでいたようです。
また、重行公の子孫は長谷川姓を名乗り、尾張徳川家の家臣として仕えていたようです。
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