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平安時代初期、大森城主、尾関勘八郎に創建された歴史の古いお寺

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投稿日

名鉄瀬戸線の大森金城学院前駅から線路沿いに徒歩数分で行ける場所にある禅宗、曹洞宗のお寺さんです。

山門に入る入口側には大きな駐車場が完備されており、山門前には同住職の教えを説いた言葉が案内板に記されていましたね。

同お寺は、檀家として当家も大変お世話になっており、父などの親族の法要をお願いしており、毎年お盆になるとお経供養のため、ご住職も自宅(当家)に参られます。
当家にとっても大切なお寺さんです。

本堂の境内も広く、法要場所が2つ(手前、奥)用意されていますね。

簡単に同お寺を説明しますと、平安時代初期の貞観2年(860年)に大森城主である尾関勘八郎が創建した天台宗の尼寺正宗庵が起源となる大変歴史の古い古刹(古いお寺)ですね。

その後に小牧長久手合戦(秀吉公と家康公の戦い)最中に焼失し、江戸時代初期の寛文年間に徳川家の家老である酒井氏により現在地(以前は名古屋第二環状自動車道、大森インター近くに有り)に再建され、山正法寺と号した後に、法輪寺(ほうりんじ)と号したようです。

同お寺の山門を通り抜けると直ぐに、真新しい小さな祠(ほこら)に小さな宝篋印塔(ほうきょういんとうと言う供養塔)が三基あります。印塔は、平家討伐のために討ち死又は、自害にした源義経公の家臣、佐藤継信、忠信の兄弟と佐藤兄弟の安否を気遣い奥州から上京し再会したが、大森の地で亡くなった母を弔った供養塔と、佐藤兄弟の供養塔のようです。歴史好きな私ですが、同お寺の説明はこれ位で終えます。

歴史ポイント
大森城は、名古屋市守山区大森(法輪寺の前身である尼寺正宗庵も所在)に所在し、今は大森公園という名称で住民の憩いの地になっています。
同城(館)は、平安時代初期(西暦800年代)尾関勘八郎により築城されました。
その後、新居城主(尾張旭市内)である水野氏に攻められ落城し、織田信秀公、織田信長公の勢力が及ぶまで水野氏がこの地を治めていたようです。
尚、築城した尾関氏の末裔は、豊臣家御子の大名、福島正則公に仕えたようです。

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写真

概要

店舗名

法輪寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県名古屋市守山区大森3-2101

アクセス

最寄駅
バス停
  • 八剣から280m (徒歩4分)
公開日
最終更新日

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