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丁重な接待をして頂いたご住職に感謝したいお寺さん

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投稿日

同寺院は、名古屋城西側の浅間町の交差点に所在する近代的な寺院で、見延山直末の日蓮宗文久山妙見寺と言います。
外見的には、納骨堂「思親閣」が極めて目立ちますね。

同寺の拝観希望でしたが、名古屋中心部に近い大きな交差点の場所に隣接所在するため、駐車場を如何しようか迷っていたところ、同寺院大祭(5月某日)が終了した直後にて、ご住職が寺院前に居られ、寺院前で停車している私を見つけて頂き、声を掛けて頂きました。

「ご拝観希望の方ですか」との問いに、「寺院巡りが好きなため、拝観させて頂きたいですが・・・」と応えたところ、快く「よくお出で頂きました。」と返答が返り、同寺院(全館5階建ビル)の1階駐車スペースに誘導して頂き、大祭が済んだ直後の多忙に関わらず、30分近くの時間を費やして頂き、5階の本堂を初めとして全館を案内して頂きました。3階には4室の納骨堂があり、その日の雰囲気で4種の部屋(概ね10名程度又は、以上の参拝者)が選択出来るようです。

私はこのように接待して頂いたご住職に感銘し、名古屋市内の都会の地にこのような奇特なご住職が居られるとは思いもしなかったですね。
初対面の神社仏閣好きな私のために、感謝、感謝でしたね。

同寺院の近代的な納骨堂は宗派を問わず募っているようですので、墓守の居ない家庭又は、死後親族に迷惑を掛けたくない方にはお勧めかもしれません。

追記、宗派は違えども、丁重なご住職が居られるお寺さんにはお世話になりたい位ですね。

同寺院の歴史ポイント
文久元年(1861年)の幕末、田中宇助と言う僧が、熊本から加藤清正公像を奉じて諸国を巡礼した際、名古屋の地で「題目堂」と名付けて開基したのが始まりらしく、初祖から二代続け明治初期までは庵主様(尼僧侶)だったようです。
その話をご住職から聞かされ、「当家の先祖◯◯又兵衛忠利公は織田信忠公(信長公の父)からの家臣で、織田家滅亡後は羽柴秀吉公に従い、加藤清正公が活躍した「賤ヶ岳の戦い」(七本槍)の屏風絵(大阪城天守閣所蔵)では秀吉公の前に列していますから、清正公の出世は兎も角として、又兵衛公は清正公の上司であり、清正公の先輩ですね。」と会話した後、ご住職からは「ご縁があったのですね。清正公に所縁のお話が出来て大変嬉しく思います。勉強になりました。今日はよくいらしてくれました。」などと親しみ深い言葉が返り、話も弾みました。

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写真

概要

店舗名

妙見寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県名古屋市西区浅間2-5-5

アクセス

最寄駅
バス停
  • 押切町から110m (徒歩2分)
公開日
最終更新日

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