千年を超える歴史を持つ神社です

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土岐一族の明智氏(明智光秀公)所縁の神社

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岐阜県恵那市明智市内の観光地である大正村(エキテンで紹介済)の名所として指定されている区域内にある神社で、土岐一族の明智氏所縁の神社です。

また、同神社は明智光秀公の生誕地である明智城址(中世城館の山城)山麓からは徒歩5分(明智城址の本丸は徒歩登山で約20〜25分)のところに所在します。

同神社に入る道筋は、江戸時代又は、昔ながらの街道となっており、昭和から大正、明治時代の建造物が建ち並んでおり、大正時代の建造物が特に多いため、その道筋又は、周辺一帯は大正村(明智町の中心街)と呼んで、休日になると観光客が絶えません。

さて、同神社から30m位石階段を昇ると境内が見えて来て、階段の上に設置してある立派な唐門(山門)は、室町末期又は、江戸時代初期の建造物で県及び、市の重要文化財に指定させている大変立派な門構えとなっていますので、同山門を観るだけでも十分な価値がありますね。

境内には所々に「桔梗紋」(歴史ポイントで後記述)が目立ち、本殿を上がる左右に備え付けてある古い大屋根瓦(俗に言う鬼瓦)も立派な「桔梗紋」が施されています。
本殿、拝殿、祝詞殿並びに、境内にある人麻呂神社本殿などは共に、県及び、市指定の重要文化財となっているもので共に江戸時代初期の建造物と思われます。

本殿の右裏側には、「明智太鼓」の太鼓小屋があり、光秀公が誕生した時に誕生祝で、太鼓を鳴らしたという伝承があり、今でも催事などで有形文化として有志が叩いているようで、太鼓小屋内には多くの太鼓が所狭しと並んでいます。太鼓が見れますよ。

昭和時代の昔を思い出させるような田舎の神社ですが、大変由緒ある、明智一族の繁栄が顧みることが出来る場所のひとつです。お勧めです。

歴史ポイント
土岐一族である明智家は「桔梗紋」が有名で、本能寺の変で信長公が討たれた(自害なのかは未だに不明)際、馬回りらが「あれに見えるは桔梗紋、明智の軍勢です。」などと言われたようです。
東濃地方の遠山家も土岐一族のため桔梗紋でしたが、室町時代後期又は、江戸時代初期から「丸に二つ引き」となったようです。
また、土岐一族である証は、光秀公の有名な詩に「時は今、雨が下知る皐月哉(さつきかな)」がありますが、時=土岐一族、雨=天(てん)と約し、「土岐一族(明智)は今(5月)、天下を支配する。」となりますね。皆さんもご存知と思われます。

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写真

概要

店舗名

八王寺神社社務所

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 明智駅前から230m (徒歩3分)

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