もうすぐ夏休み、すなわち夏期講習ですが、この夏休みという時期は、読解力すなわち読む力、考える力を大きく伸ばす絶好の機会です。なぜ伸びるのかということは、かねがねお話ししておりますので、今日は読解力と切っても切れない「感情移入」についてお話ししたいと思います。
受験関連で目や耳にすることが多いのですが「感情移入してはいけない」という「教え」のようなものを、お聞きになったことがありませんか。文章を読む上で、「感情移入」、つまり文章の内容(人物の心情)に感情的にのめりこむと、正しく読めなくなる、という意味のようです。その言葉を、部分部分補足・拡大して良い目に解釈すれば、全否定することもないのですが、往々にして「感情移入は読解の敵だ」というように言われているものに出会います。そうした言葉をうのみにしてしまわれないよう、ご注意下さい。
芥川龍之介の『羅生門』では、最後に引剝ぎ(ひはぎ)になる下人が羅生門の楼上へ上がる場面において、それまで「下人」と表現されていた彼が「それから、何分かの後である。(中略)一人の男が、猫のように身をちぢめて(後略)」と、「一人の男」として主語になっている箇所があります。それはもちろん、大きく場面が転換していることをあらわしますが、そのことを問う『スーパー読解「羅生門」』の記述例では、次のように説明しました。
問い 「羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段」で息を殺しながら「上の容子(ようす)」をうかがっている人物は、「下人」ではなく、「一人の男」と表現されている。このことは、どのような効果を持っていると考えられるか。
記述例 場面が大きく変わっていることをあらわすとともに、「下人」に対して読者がそれまでに有しはじめていた感情移入を捨てさせ、客観的な、息づまる状況へと引きこむ効果。
少し詳しくご説明します。『羅生門』を冒頭からこのくだりまで読んでいくと、都が荒れている中ですっかり荒廃し、死体がうち棄てられている羅生門にたどり着いた下人は、仕事をクビになり今晩寝るところもない、悲惨な境遇です。その彼がせめて一晩楽に寝られそうな場所を求めて羅生門のはしごを登る直前まで読むうちに、「この下人はかわいそうだ」とまでは考えなくても、読者は知らず知らず下人の境遇に同情の気持ちを持つものです。これが「感情移入」です。
そのような感情の変化を一切持たずに読んでいたら、その読者は小説だけでなく、説明文でも随筆でも、文章の意図するところを読みとることはできません。というより、意識、自覚していない子はかなりいると思われますが、意識下で「何となく」感じるくらいの変化は、だれにでも起きているはずです。
ただ、そのような下人への同情は、この直後に楼上で奇怪な老婆に出くわす下人には不要ですし、そこからの緊迫した場面を読む時に、先入観などない方がいいのです。きれいさっぱり下人への同情を捨てさせ、楼上で何が起こるか、息をつめて読み進むために、「一人の男が・・・」の表現は、非常に大きな効果を持っています。
さて「感情移入」に戻りましょう。下人=一人の男が楼上へのはしごを登りはじめるまでの段階で、読者の心中には、下人へのある種の同情が、たしかに生まれます。言葉と文章がそのような印象を与えるからです。そこで生まれる同情心が「感情移入」であり、これは通常、必然的に生まれるものです。それを否定するのではなく、むしろ感情移入できるように文章を読む力を育てることが、「真の国語」の勉強です。夏休み=夏期講習はそのために最適な時期なのです。
もちろん、受験やテストで正解を導くためには過度な感情移入は良くないです。ただそれは自分勝手な、強すぎる思い込みのことです。羅生門の楼上で老婆と出会う前の下人にはある種の同情心が必然的に芽生えるものであり、それを「あってはいけない」とはじめからシャットアウトしてしまったら、子どもさんが文章を自分の身に引きつけて読むことなど、できるはずがありません。それよりも、そのような無意識の自分の心情を発見し、表現することのできない子が「国語の苦手な子」なのですから、自分の心のわずかな変化を見つけ出し、表現していけるよう、夏休みに良い文章を読んで、「真の国語」の体験をしてみて下さい。
夏期講習説明会は以下のとおり開催致します。
◇言問学舎の夏期講習説明会<本日程・6月分>
6月20日(土) 10時50分~ / 13時00分~
6月25日(木) 14時00分~
6月27日(土) 10時50分~ / 13時00分~ / 17時35分~
※土曜日の説明会日程でご都合の合わない方は、平日に個別相談の形で対応を致します。お気軽にメール・電話でご相談下さい。