人生で初めて「カラダ」を学んだと思う
こちらでお世話になって1年くらいだと思います。通院ペースはもう年4回になっていますので、振り返るにはちょうど良い頃なのかなと。という訳で振り返ってみる。
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あれもこれもと多過ぎて、何から振り返ればいいのやらw
そうだ、総括をしよう。その方がわかりやすいと思う。という訳で総括をしてみよう。
こちらに来て何を感じたか、何がどう変わったのか?
もうそれは「カラダを学んだ」という事ではないかなと。「健康を学んだ」という言い方もあてはまるけど、ピッタリあてはまるのは「カラダを学んだ」の方かなと総括する。
健康は後から勝手についてくる。というか、健康は気付いたらそうなっていた。そんな感じで迎えた一周年。そう、カラダをキチンと使えば健康は自然と整っていくのである。これがきっと恒常性?ホメオスタシス?という「戻ろうとする力」の事なのかなと。
でも、先生はシビアな意見も持っていた。印象的なものが「カラダは戻ろうはしていない」という意見。え?マジで?と思ったら全部が全部という訳でもなく。
戻ろうとするのは「免疫力」や「自己修復」の話。筋肉や神経は戻ろうとするより「適応」しようとする。
これはもうなるほど!そういうことか!と納得してしまった。あれもこれもが放っておけば戻る訳じゃない。戻ろうとするもの、そして戻らずに環境に適応しようとするものがある。それを先生はキチンと分けて考える。でも我々は都合よく考える。
先生は私達から「ご都合主義」を抜き取ってくれます。それを有難いと思うか、余計なお世話にするか。自分をそれでも信じるのか先生を信じるのか。選択は正に自分自身に委ねられている。
私はもう先生を信じた方が良いと断言しますが、自分に自信があったり自分なりに調べて積み上げてきた人なんかは難しいかもしれない。でも、した方が絶対に正解だと思う。
それはもう私達は何処まで頑張っても「素人」だという事。そして先生は専門家というより「研究者」「追及者」型の人なので、もう立ち位置が私達とは全く違う。解像度が余りに違いすぎるのだ。
それを「信者」と揶揄する人も出てきますが、それは先生とちゃんと話をしていないから言える言葉でしょう。まともに話をしたら理解の深さ、引き出しの数の違いがもう嫌でも理解できます。同じ人なの?と思いたくなるくらい。
だから、素直になったらいい。そして信じて突き進めばいい。集中力や意識は全て自分のカラダに向けてしまった方が絶対にいい。効率的だ。そうタイパがいい。コスパもいい。全部いい。
私達はカラダを誰からも学ぶことが無かった。それをまず自覚する事が大切だ。そして1から始めるにはここがいい。経験を交えて全てを学べる。時間は掛かる。お金もかかる。
でも、それらを費やしてもここで得られるもの、自分の中に積み重なっていくもの。それはもうプライスレスだと思う。カラダの知識と健康はそれくらい重要だ。私達の様な人生の折り返しを迎えた人間にとっては。
人生の折り返しを迎えた人、絶対にここでカラダを学んだ方がいい。自分の感覚を疑って、カラダというものと向き合って、健康とは何か。普通とは何か。自然とは何か。
小さな「あ」という気付きの瞬間が自分に驚きを与えてくれる。それが楽しいし、気付いた瞬間に感覚が変わる。これが面白い。
自分の人生で健康を何処まで追求できるのか。カラダをどこまで使いこなす事ができるのか。お金のかからない遊びを手にした気分である。
そして、そのリターンは「健康」そのものである。
こんなにタイパとコスパに優れた遊びがあるだろうか。
無いと思う。いや無いって。
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