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探し当てました。長かった。此処に辿り着くまでに通った院は10を軽く超えています。そして支払った金額はもう考えたくもない。。。。
何故、私がこんなに時間が掛かったのか。というかどうしてそこまで探しまくっていたのか。というか何を探していたの?
安心できる場所
もうこれに尽きる。とにかく私は健康に関してちゃんと知りたい、学びたい。何より踊らされるのはもう御免だ。振り回されるのはもう嫌だ。もうそれに尽きる。
今までは散々に信じた、信じた、そして後で気付いた。「何かおかしい」
どうして5,000円もする靴下を毎月買わなくては元に戻るのか。どうして月何回も通わなくては元に戻るのか。沢山の説明を受けた。
色んな道具を買ってはトライした。でもダメだった。プロの手を借りないと自分の健康は成立しないのか?でもそこでは「野生の力を取り戻そう」という事だった。
野生の動物ってプロの手を借りないと健康が維持できないのか?野生ってそんな社会性あったっけ?
俊先生と出会い、沢山の話をして合点がいったことが沢山あった。それは自分が経験してきたからこそだと思う。知らなったら「まさか、そんなことは流石に」と疑っていたと思う。
でも、自分は実際に経験してきたのだ。だからこそわかる。俊先生の口から出る悲しい現実は「事実」だと。
現実は現実として仕方ない。そんな中で自分は「安心できる先生」を探していた。それが動機だ。
とにかく疑う必要の無い先生を求めてた。プロとして安心して任せることができる相手、信頼に足る相手を。
国民皆保険によって救われ、同時に壊された国。
最初は意味がわからなかったけど、今ならよくわかる。なんでもすぐに病院に行けば対応してもらえる国。それは本当にありがたい。
でも同時に自分で判断をする事がなくなった。できなくなった。その結果が「自分のカラダ、健康が全くわからない」という事。何なら「わからないから、誰かに決めてもらいたい」という自分から遠ざける習慣。まるで自分は無関係かの様に。
俊先生はそもそもの制度設計がもたらした健康への無関心を憂いている。何かもうスケールが大き過ぎて(笑
健康は私たちの足元にある、それは生まれた時から最後の時までずっと。それを手放した、遠ざけたのは自分自身。
だから取り戻すのも自分自身。気付くのも自分自身。
全部、自分次第で何とでも変わる。
変わる気があるからおいで。変わる気がないなら来るだけ無駄だ。
俊先生のスタンスはとてもシンプルだ。
「来たらカラダを何とかしてあげる」ではない。
「来たらカラダの全てを教えてあげる」の方だ
知り、学び、そして取り組む。
全体像をわかりやすく描いてくれる。道筋は全て示してくれる。そしてすぐ後ろで見守ってくれている。
道具の説明から使い方、そして練習までとことん付き合ってくれる。
でも、こちらの手を引いて先導はしてくれない。先生は必ず「見守る」に徹している。
常に前に進むのは私自身だ。
失敗すればすぐにフォローをしてくれる。失敗の理由も教えてくれる。
ここまでしてくれるのに、決して先導する事だけはない。
これを「冷たい」と思うだろうか。思う人は多いかもしれない。ここまでするなら最後まで面倒みてよと。
私個人としては少し解釈が違う。
ここまで「自分で」を徹底するのは「代わりができないから」ではないかと。
代わりに先生がする。それは矯正等の技術に当たると思うがそれでは何も変わらない。
先生が目指す、求める「健康の自立/自律」とは自らの手で育てた経験と感覚によって培われた「ヒト本来の姿」ではないだろうか。
それが先生のいう「私が不要の、あなたの健康」だと私は思っている。
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