あるく さん
2026-06-09

「あ」はマジで感動の瞬間やった

5.00

ここでもちょこちょこ出てくる「あ」の瞬間がようやく!やっとやで!

迎えたからには私も好き放題次のあなたに言う権利を得たな!と喜び勇んで書く事にしました。いや本当に長かった。1年くらい掛かったんちゃうかな。

→今通っている人、これから通おうとしている人

先生は本当に最初から最後までずっと「大事な事」「本質的な事」だけを教えてくれています。そこは本当に一貫している。それに納得がいかない人も多いと思う。だって「理解できない」もんね。難しいというより「頭の中で結びつかない」という方が正解じゃないですか?皆さん。

私もそうよ、そうだったのよ。何を言われても「へ?」という感じで良くわからない。ホンマにそうなんかいなと。どうしてもイメージが沸かない事も多かった。

それはね、先生が悪いんじゃなくて私達が「わかっていない」だけだと今ならわかる。先生は私達でもわかる様に「丁寧に」説明はしてくれるけれども「砕いて」はくれない。1から10まで丁寧に教えてくれるだけ。

わかるかな?

私達が与えられているのは「正解」だけど、私達自身が全然足りていないから「わからない」という構図。

だから、その「わからない」を自分なりの形で埋めていかないといけない。先生に質問をするもよし、あれこれ試してみるもよし。でも、それは本来「宿題」が担ってくれているのも今ならわかる。だから宿題を「先生レベル」まで引き上げる事に集中をすればいいだけ。それで答えが近付いてくる。

最初から全部用意されているのに、私達が「今の私達に理解できない」という理由で「食わず嫌い」や「つまみ食い」をしているだけなのである。そして答えは遠ざかる。そりゃ当然やんか。

「あ」の瞬間を迎えると本当に「雪解け」という感じ。沢山の「ああ、そういう事か」が次から次へと繋がっていく。そして最後に「全部、先生が言ってたことやん」となる。回り道をしていたのは「私の拘り」に過ぎなかったんやなと気付く。

あ、そうそう「あ」についてやね。

私の瞬間は「歩く」でした。先生のいう「力に委ねる」「力はもうある」「流れに身を任せる」「カラダが教えてくれる」という禅モード。

歩いても歩いても、さっぱりわからん。どういう事やと思いながらのウォーキング。何故か、どうしてか?は未だにわかりません。ですが「あ」となった瞬間はありました。自分の力じゃなくて「力が先に、引っ張られる様に身体が追い掛ける」という感覚。

最初は「え?(今の何?)」で次には「あ(そういうことか!)」となった。

その瞬間から、歩くのがエンタメとなった。歩く事がこんなに楽しいとは!1歩1歩が教えてくれる、その意味がやっとわかった。本当だ、1歩1歩が全然違う。毎回違う情報を伝えてくれている。え?今までもずっとこうやったってことなの?

自分が拾えていないだけ、ってこういうことか。カラダが繋がるってこういうことか。地球とやり取りをしているってこういうことよ。

凄い凄いの連発である。

先生、最初から教えてくれよと思いつつ、思い返すと「全部教えてくれてたやんか」となる。やっぱり自分が遠ざけていただけ。わからなかったから。

そう、その時、その時点で「私がわかる形で」の答えを求めていただけ。自分で求めようとしていなかった。それが気付かなかった最大の要因。

それに気付けたのは気付いた後。

何という茶番劇かwというのが私の「あ」の瞬間でした。今はもう歩くのが楽しい。歩く程に歩くが進化していく。成長していくのがわかる。これは確かに感覚が別ステージになったわ。


〇今、悩んでいる人へ

ここに「何とかしてください」と来るのは絶対にやめた方がいい。その気持ちの時点で多分難しいと思う。ここは答えを丁寧に伝えてくれる。でも省略は一切ないから膨大な情報量になる。頭がパンクしない人はいないと思うくらい。

自分に足りないものを学びに来る、埋めに来る。そんな「覚悟」が無いと絶対に耐えられない場所だと思う。学ぶ場所、学び舎なのだ。

「知りたかった」という人は絶対にここがいい。来たらわかる。先生と話をしたらわかる。質問をしたらわかる。

私達の世界がどれだけ狭くて小さなモノだったかを思い知らされるよ!頑張れ!

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