最短結婚ナビゲーター
田園風景広がる、埼玉県育ち。子どもの頃は優等生だったが高校時代に不登校になる。出席日数ギリギリで高校を卒業した後、自己改革と自分探しをしたくてシアトルへ語学留学。しかしたいして勉強もせず、やる気も起こらずたったの1年で帰国。何もかもが中途半ぱで進むべき道が見出せなかった時に 、ティーンズ雑誌に書いた恋愛手記が高く評価されて、それをきっかけにライターの仕事が数多く舞い込むようになる。「自分が生まれかわるなら今だ!」それからは、ライターの仕事になりふりかまわず必死でくらいつき、そのがんばりの甲斐があり20代ではある芸能雑誌の筆頭ライターとなる。取材記事や恋愛記事の他にも少女小説を18冊、エッセーを2冊書く。20代は仕事が楽しく取材で国内外を飛び回り結婚は後回し。30代に入り、結婚を意識するようになるが好きになるのは、取材で知り合う売れないバンドマンばかり。恋愛をしても、その先に結婚はなかった。35になってしまい恋愛が結婚に結びつかないことに焦りを感じだし、恋愛する相手を夢を追う生活基盤のない自由な男性から結婚できる固い職業の男性にかえてみた。その後、固い企業に勤める年下の男性とつきあうが1年経っても彼は「結婚」を言い出さない。出産を考え焦りを感じ、36歳の誕生日に彼に結婚を迫るとあっさりとふられてしまった。振り出しに戻ってしまった36の春。時間がない私が最終婚活として選んだのが「お見合い」だった。なぜならお見合いで目の前に座るのは、「結婚をしたい」と思っている男性だけだから。お見合いで、現在の夫に出会い2週間後にプロポーズ。その後、妊娠するも、流産を繰り返し辛い不育症検査の末に40歳で双子の母となる。子育てをしながらライターの仕事を続けていた時、婚活記事の取材である仲人さんに出会う。取材を通じ、仲人という仕事の素晴らしさに魅せられ、仲人を生涯の仕事としようと一念発起。自分が最短結婚をした経験を生かし、結婚相談所の成婚率と出会う人数を鑑み、研究した独自の最短結婚プログラムを考案。最短結婚ナビゲーターとして活動を続けている。
- 趣味・マイブーム
家族旅行、料理、ブログを書くこと。