最近、繊細で敏感な気質をもつ
中学生たちと
関わる機会が増えています。
たとえば、Mちゃん。
とても感受性が豊かで、
優しいまなざしをもった
中学生の女の子です。
初めて出会ったとき、
Mちゃんは、ほとんど
声を出すことが
できませんでした。
学校では
人と話すことが怖くて、
教室でも
ほとんど言葉を発さない。
それでも、お母さんの
そばにいるときだけは、
ときおり、
柔らかな表情を
見せてくれていました。
お母さんは、そんな
Mちゃんの姿に寄り添いながら、
ずっと悩んでいました。
「どうしたら、この子が少しでも
前を向けるようになるんだろう」
「声が出せないのは甘えなの?
それとも何か理由があるの?」
そんなふうに、自分を
責めてしまうことも
あったそうです。
私はお母さんに
伝えしました。
「焦らなくて、大丈夫ですよ」。
この子には、
この子なりのペースがあります。
声を出さなくても、
「聞く力」や
「感じる力」は、静かに
育っていますから・・・と。
はじめは、
お母さんと並んで
本を開くだけの時間から
スタートしました。
文字を声に出すのは
まだ難しくても、
耳で聞いて、
うなずくだけでも十分。
そんな小さな積み重ねを、
何よりも
大切にしていきました。
するとある日、
Mちゃんがぽつりと、
こう言ったのです。
「読んでみてもいい?」
その一言は、
かすかな声でしたが、
閉ざされていた
扉が静かに、
確かに開いた瞬間でした。
お母さんの目には、
静かに
涙が浮かんでいました。
ここまでの不安、焦り、
そして、
たくさんの葛藤。
でもそれ以上に・・・
「この子は、
ちゃんと育っている」
「つながることができた」
そんな深い安心と喜びが、
きっと
その涙の奥にあったのだ
と思います。
繊細な子どもたちは、
たくさんのことを
感じ取ています。
ちょっとした音に
びくっとしたり、
友だちの何気ない一言に
胸を痛めたり、
テストで
ひとつ間違えただけで
「もうだめかもしれない」と、
心を閉ざしてしまうこともあります。
でもそれは、「弱さ」
ではありません。
それだけ心がやわらかくて、
世界を丁寧に、細やかに
受けとめる力があるということ。
だからこそ、大人である私たちが、
「早く」「ちゃんと」「普通に」といった
枠から少し離れて、
その子の呼吸に合わせて、
一緒に歩くことが、とても
大切なのだと思います。
Mちゃんのように、
言葉にするのが難しかった子が、
ある日、小さな
「ありがとう」を口にしてくれる。
たったひとこと
かもしれません。
でもそれだけで、
その日はきっと、
宝物のような一日になるのです。
母子で一緒に過ごす
その時間には、
点数や評価では決して
測れない、
かけがえのない
育ちの瞬間が
たくさんあります。
目を合わせること。
静かにうなずき合うこと。
声にならない想いを、
優しく受け取ること。
そうした時間を重ねるなかで、
子どもたちは少しずつ、
「自分の声」に、
自信を持てるようになります。
私は今、
診断の先にある
「日々のつきそい方」を
テーマにした、
小さな冊子の準備を進めています。
発達障害や学習障害という言葉に、
必要以上にとらわれる
ことなく、
「この子にとって、
心地よい時間って
どんな時間だろう?」と、
お母さんと
一緒に考えていけるような、
そんな考えをお届けしたいのです。
もし、この記事を
読んでくださっているあなたが、
「うちの子も、少し似ているかもしれない」
・・・そう感じたのなら、どうか、
一人で悩まず、
ご連絡ください。
お子さまが
安心できる場所を
探しているのと同じように、
お母さんも、
安心して気持ちを
話せる場所を
必要としておられるはずです。
Mちゃんも、そして、
あなたのお子さまも、
今は、自分のタイミングを
探しているだけ。
声にならない思いが、
「ことば」になる日を信じて。
その日まで、私たち大人が、
そっと寄り添い
続けられますように。
