もず六

3.28
口コミ
2件
写真
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本日の営業状況
11:00〜15:00

営業時間

本日の営業状況
11:00〜15:00
11:00~15:00

口コミ

気軽に

3.50
投稿日

なんとなく行きました。彼女と一緒にたまたま入ったのですが、予想より
はるかに美味しかったです。もともとうどんは好きなのですが、さらに好きになりました。これからもいきたいと思いました。おすすめ店です(^o^;)

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310号線沿いにある隠れた名店

4.00
投稿日
予算
¥600

 堺市310号線沿いにある手打ちを売りにします「うどん・そば」店です。定食類も充実した店です。

 私は、島根県出雲地方で育ちました。出雲地方といえば、出雲蕎麦です。私が麺類好きというのは、そこから来ているのかもしれません。

 ここの蕎麦とうどんを数度訪問したのですが、さすがにしっかりとしたコシがあっておいしいです。私は、定食というのをとらないのですが、サラリーマンにはぴったりの定食類も手頃な価格で充実しています。

 出雲地方が蕎麦で有名になったのは、江戸時代からきています。

 戦国時代に出雲地方は下克上で成り上がった尼子経久・晴久の武将が、今は安来市広瀬にある月山富田城を根城に支配していました。
 しかし、安芸の1豪族だった毛利元就が権謀術数の限りを尽くして中国地方を制覇しはじめて、ついに尼子は滅びました。毛利の一族である吉川氏が出雲地方を統治したのです。
 戦国時代の最大の決戦 関ヶ原では、毛利氏は西軍の大将として位置しましたが、1戦もしませんでした。それは、この出雲地方を統治する吉川氏が徳川家康と通じていたからです。しかし、狡猾な家康は毛利氏を中国地方の中大名にしようとはじめから画策していたのです。周防と長門の2州と毛利はされて、吉川は岩国に転封されました。

 替わってきたのが、豊臣秀吉の家臣でありながら徳川についた堀尾吉晴の堀尾家です。根城の月山富田城は縁起が悪いので、松江の亀山を城としました。松江の歴史は、1600年代からです。
 堀尾家は3代で絶え、京極家も1代で絶えました。そこで、登場するのが、徳川家康の2男結城秀康の息子の松平直政が藩主としてきました。直政はいわゆる「部屋住み」で藩主などなれる身分ではなかったのですが、大阪冬の陣で奮闘し、あの真田幸村から「敵ながらあっぱれ」と扇子を投げられ賞賛されました。それが、上り坂となり信州の1大名となったのです。信州は蕎麦の盛んなところで、それは真田氏の功績が多い。直政は、職人を連れて松江にきて、蕎麦の栽培を命じました。出雲大社は藩主の参拝する場所でもあり、おいしい蕎麦を料理する場所となりました。そして、現在に至ります。

 おいしい蕎麦を食べますと、ついこの話しがしたくなります。うんまい蕎麦をこの店でも食せます。おすすめです。

3

写真

概要

店舗名

もず六

ジャンル

電話番号

住所

大阪府堺市北区中百舌鳥町6丁1001

アクセス

最寄駅
バス停
  • 府立大学前から77m (徒歩1分)

営業時間

営業時間/定休日
    • 11:00~15:00
    • 11:00~15:00
    • 11:00~15:00
    • 11:00~15:00
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