音楽教室
和楽器・民族楽器レッスン
小田急線 JR横浜線 町田駅より徒歩1〜2分
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【1回 2時間〜】 お一人様 3,000円 子供割引 2,000円 ※小学生対象。 太鼓体験 お一人 1,000円
1回 : 2時間以上 ※お稽古には途中休憩が入ります。
教室日程の詳細は下の公式ホームページをご参照ください。
秩父屋台囃子教室では、まず小太鼓の拍子打ちからスタートします。 小太鼓の「テケテッケ」の拍子は秩父屋台囃子の肝なので、必ず毎回お稽古します。 テケテッケの拍子がある程度打てるようになると、次に大太鼓へと進みます。 大太鼓は屋台囃子のメインの太鼓です。思う存分打ち鳴らすことができる一人舞台です。豪快に打ってください。 大太鼓が打てるようになると、鉦をお教えします。 既に小太鼓・大太鼓が打てるようになっていますので、鉦は比較的簡単に感じます。 そして最後は小太鼓の「玉入れ」へと進みます。 玉入れは秩父屋台囃子の集大成です。打ち手のセンスと技のみせどころです。 このように「小太鼓の拍子打ち」→「大太鼓」→「鉦」→「小太鼓の玉入れ」と1つ1つ順を追って進んでいきますので、初心者の方でも確実に屋台囃子の各パートが習得できます。 『今まで一度も太鼓を叩いたことがない』という初心者の方、大歓迎です。年齢も不問です。 まずは「体験申込」をして一度体験にお越しください。 また、和太鼓経験者や、現在和太鼓をやっているという方も大歓迎です。 ぜひ当教室で本物の屋台囃子を習得してください。
● 入会金は不要です。 ● お月謝制ではありませんので教室に来られたときだけ料金をお支払いください。 ● バチは購入する必要はありません。すべてこちらでお貸しします。
毎年12月2日(宵宮)・3日(大祭)に行われる秩父神社の例大祭「秩父夜祭」は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭(ひきやままつり)の1つとして有名です。 2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。 12月3日の大祭には、4台の屋台と2台の笠鉾の計6台の豪華絢爛な山車が市街地を曳行されます。 そして、その山車の中で打たれている太鼓が秩父屋台囃子です。 重さ最大20トンもある山車が前進するときは豪快な大太鼓が打ち鳴らされ、山車が方向転換 (ギリ廻し) するときは軽快な小太鼓の「玉入れ」が打たれます。 山車には屋台囃子演奏のために15〜20人も乗り込み、山車の中の限られた狭いスペースで演奏するため、座って太鼓を打ち鳴らすという、郷土芸能の太鼓の中でもめずらしい「座位打ちスタイル」になったのです。 屋台囃子の演奏は、笠鉾であれば床下の土台の中、屋台であれば幕で囲まれた楽屋の中で行われるため、外からは太鼓を打っている姿は全く見ることができません。 初めて夜祭見物に来た人が「どこで太鼓を打っているのか?」と不思議がるのもそのためです。 しかし、演奏が全く見えないからこそ、山車の中から響いてくる太鼓の音は迫力満点なのです。
秩父屋台囃子の小太鼓の拍子 (リズム) は「テケテッケ」と打ちます。 「テケレテッケ」とも呼ばれています。 多くの和太鼓グループのように「テケテケ (トコトコ)」と左右交互に打つ、単純な2拍子の連打ではありません。 「テ (右)・ケ (左)・テッ (右)・ケ (左)」と4打で打つ、4拍子のリズムです。 2拍子のテケテケとの違いは、テケテとケの間に「ッ」という短い【間】が入ることです。 それを続けて「テケテッケテケテッケテケテッケテケテッケ・・・」と打ちます。 とても難しそうに感じますが、これを打つにはコツがあり、それを知らずに「テケテッケ」という言葉だけを捉えて打ってしまうと、うまく打てるようになるまでにはかなりの時間を要します。 秩父屋台囃子教室ではそのコツを最初からお教えしていますので、初心者の方でもすぐに慣れて「テケテッケ」と打てるようになります。 秩父屋台囃子の小太鼓の拍子は、他の郷土芸能の太鼓には類を見ない、秩父ならではのクセのある独特な拍子なのです。
大太鼓の節 (フレーズ) は、大きく分けて「大波」「小波」「ドコンドコン」「つなぎ」などから構成されています。 実際の演奏では、1人の打ち手が大波・小波を2〜3回くらい打ち、次の人へバトンタッチしていくというのが一般的なパターンです。 大太鼓は (基本となる節から大きく外れなければ) どのように打っても自由なので、打ち手はそれぞれ自分独自の屋台囃子を打ち、他人との違いを表現します。 いずれにしても、大太鼓は小太鼓の拍子「テケテッケ」にしっかり乗せて打つことが大事です。
玉入れは屋台囃子の集大成です。 玉入れはコロコロと玉を転がすように軽快に打ちます。 玉入れにも大太鼓と同じように「大波」や「小波」があります。 但し、打ち方は同じではありません。 玉入れにも基本となる節があり、大太鼓同様 (それを大きく外れなければ) どう打っても自由なので、打ち手によって演奏が違います。 まさに玉入れは打ち手のセンスと技のみせどころです。 実際に山車の中で打たれる玉入れは、重さ最大20トンもある山車がギリ廻しされるときに打たれますので、ギリ廻しに時間がかかった場合、1人の打ち手が10分以上打つ場合もあります。
秩父屋台囃子は、その素晴らしい演奏が先人たちから脈々と受け継がれてきました。 昔は「名人」と呼ばれる人が、各町会にゴロゴロいたそうです。 そして、そういった人たちは「聴かせる太鼓」「鳴らす太鼓」を打ったそうです。 その当時の演奏は、小太鼓の拍子もブレることなくきれいに揃っており、アップテンポの実に素晴らしい屋台囃子です。
威勢のいい江戸囃子、親しみやすい佐原囃子、テンポの早い野州囃子、祇園風の三手古囃子など、関東各地の祭り囃子は、どれも流暢で洗練されたものばかり。 しかし、一歩秩父に足を踏み入れると、全く趣の違う勇壮な秩父屋台囃子に遭遇する。 一般には、秩父屋台囃子だけは他のお囃子とは一線を画し、独自に生まれ・独自の進化を遂げてきたお囃子のように思われる。 しかし、専門家の見解は異なるようである。 秩父屋台囃子研究の権威である中村知夫氏は「江戸歌舞伎の下座音楽」が秩父に持ち込まれたものとしている。 また、江戸囃子研究の権威で、江戸型山車にも造詣の深い田中興平氏は「江戸囃子系の祭り囃子を伝承している」としている。 他の研究者の多くも江戸囃子との関連性を指摘している。 江戸時代、秩父は行田の忍藩に属していた。 忍藩では、毎年秩父夜祭に際して藩主の名代を派遣し、お旅所付近桟敷席で上覧させる一方、地元行田での華美な祭礼行事を禁止した。つまり、秩父夜祭は忍藩にとっての公式の祭礼だったのである。 秩父夜祭の起源は江戸時代以前だが、江戸初期、秩父が忍藩領になると、藩によって、藩の公式祭礼にふさわしい姿に再編整備されたと考えられ、そのときに、中心地江戸の天下祭りにならった姿になったのだろう。 その後、屋台や笠鉾が造られるにあたっても、先進地江戸の屋台や山車の形式が取り入れられた。 後年、寛政改革で屋台が禁止されたとき、藩主導で復興の嘆願が行われている。 秩父夜祭と忍藩との結びつきを示すエピソードである。 これらのことから、秩父屋台囃子は、屋台や笠鉾とともに、江戸から導入されたと考えるのが自然な結論であろう。 屋台の指導者として、結城文右衛門と八郎左衛門が来秩したことは知られているが、同様に江戸囃子の指導者も招かれたのかもしれない。 屋台ができてもお囃子がなくては、祭りは盛り上がらないものである。 屋台創建と時を同じくして、江戸風の秩父屋台囃子原初形態も誕生した。 その後、長い年月をかけて徐々に秩父特有の叩き方に変化していったが、その大きな画期となったのがだんご坂といわれている。 秩父鉄道の建設に伴い、大正の初め頃から屋台、笠鉾はだんご坂を登るようになった。 これにより、それまでの流暢なお囃子から大太鼓をメインとする勇壮なお囃子へと変わっていったのである。 参考文献/さきたま出版会「秩父夜祭」