口コミ
この城北公園の城北菖蒲園は6月の菖蒲園の開園は有名です。コロナが蔓延する前までは毎年のように6月の菖蒲園の開園を見に行っていました。最寄駅からは少し歩きますが、多くの菖蒲の花が咲き乱れ、とてもきれいです。コロナが収まったらまた見に行ってみようと思います。
大阪の東淀川区から淀川を越えて旭区に向かう菅原城北大橋を渡ると、
淀川沿いにある城北公園が広がっています。
ここは市民が集う広々とした公園ですが、
ここにある菖蒲園がなかなか有名です。
これは昭和39年に作られた回遊式庭園で
6月に入ると例年菖蒲が咲き誇り、
初夏を彩る色彩感に富んだ光景が楽しめます。
ただ残念ながら今年は諸般の事情で閉園でした。
未練がましく門の隙間から中を覗きこんでみますと
菖蒲はしっかりと咲いています。
らせん階段風の陸橋の中程からも園内の様子が窺えるのですが、
遠目に中国風の東屋やその回りに咲く可憐な菖蒲の花がかろうじて見えます。
何人かの人がここから写真を撮ったりしていましたが、
やはり例年通り近くで見たいものです。
まあ、来年に期待しましょうか。
城北公園は淀川の近くに広がる公園で、
普段は人が少ないので静かな感じです。
ここには河川敷を利用してつくられた
花菖蒲園があるのですが、梅雨の季節には
多くの菖蒲の花が咲き乱れ、とてもきれいです。
雨に濡れる菖蒲の花もまたいいものです。
菖蒲園の時期はこの城北公園はすごく賑わいがあって毎年行っています。
高架下があるのですが、よくボール遊びや近くの野球チームが練習しています。
朝は散歩やランニングに最適で自然いっぱいなので気分転換に最適です。
淀川を渡る通称100円橋こと菅原城北大橋の真下に広がる城北公園です。平成元年、市政100周年旭区記念式典において旭区の区の花&シンボルマークとして制定された花菖蒲の菖蒲園でも有名です。菖蒲園開園期間の毎年6月頃になると、城北菖蒲園フェスタや花しょうぶと音楽の夕べなど様々なイベントが開催されます。
今は桜が咲き誇って絶好のお花見スポットになっています。基本的に公園内でのバーベキューは禁止されているので、バーベキューをしたい人達は橋の下で遠慮がちになさっていました。またバドミントンを楽しむ姿もたくさん見られ、皆さん休日を思いっきり楽しんでおられるようでした。橋を挟んでお花見スポットの反対側は池になっていて、釣りを楽しむカップルの姿もありました。意外と知られていないのがミニコンサートも可能な一角です。池の北側で淀川の堤防中腹にあります。
淀川の堤防まで上がると千人塚という慰霊碑があります。元々は城北公園の堤防中腹にありましたが、現在の場所に移されました。その理由は下記由来記に記されています。毎日新鮮な花が供えられ、千羽鶴もたくさん掛けられています。私もこの千人塚に手を合わせる人をよく目にしています。この千人塚ですが、昭和20年の大阪大空襲で城北公園や淀川河川敷に避難した人々を400機余りのB29による機銃掃射が襲い、多くの方が亡くなりました。そのうちの千数百の遺体を集め、家屋の廃材で茶毘に付されたのです。
以下、千人塚の碑に刻まれた千人塚由来記です。興味のある方はご一読下さいませ。平和な時代に生まれた我々は幸せですね。
千人塚由来記
日本未曽有の大敗戦の昭和20年6月7日残存せる大阪を壊滅せる大空襲により戦災死者数万人中身元不詳の千数百の遺体を此処に集め疎開家屋の廃材を以って茶毘に付す
鬼哭啾々たる黒煙天に柱し、3日3晩に及ぶ 悉く市民の奉仕協力による
遺骨はその侭土中にして此処に葬る
訴うるに声無き無辜の国民の痛恨の空しく土に埋れ草に掩われて世に忘れ去られんを憂いて巷間の義人東浦栄二郎氏庭石に唯千人つかと刻して此処に置く
進駐軍治下と近畿地建の管理地なるを以てなり
爾来30有星霜香華絶ゆる事なきも世人この塚の謂われを知らず 茲に其の由来を刻しこの地下に眠る無事無縁の霊位の冥福を祈り国家安泰と軍官専横苛政による国民塗炭の痛恨と犠牲の再現を永く阻止し世界人類の和平を祈願する日本国民の総意を世に問うものなり
1980年5月5日 後世正亮記
概要
住所
アクセス
- 最寄駅
- 城北公園通駅 から880m (徒歩11分)
- バス停
- 城北公園前から98m (徒歩2分)