永見禅寺
- 住所
- 愛知県長久手市大字熊張字杁ノ洞2331
- アクセス
公園西駅から徒歩22分(1.7km)
口コミ
瀬戸市内からは、県道57号線(瀬戸大府東海線)を南下すると長久手市に入りますが、入って2km程車を走らせ、大草城址の看板を目当てに行くと、同お寺さんがありますね。
同お寺は、禅宗曹洞宗の寺で、水福山永見禅寺と言います。
同お寺に、鎌倉時代に創建されており、同お寺の敷地と後方には、同お寺と同時期の鎌倉時代に築城した大草城址(後記述)と熊野社もあります。
当然ながら、大草城を築城した山田郡の地頭である山田重忠公(エキテンで何度も紹介)及び、その一族が同お寺を保護したことは言うまでもありません。
同お寺には、長久手市指定の有形文化財である「円空仏」も有名なようです。
また、同お寺を南下すれば、長久手の合戦(秀吉公と家康公の戦い)跡地が散在しており、同お寺も負傷した多くの将兵が体を休めた場所にもなったと考えられますね。
同お寺を拝観した後、隣接地にある土塁などの跡らしきものが残る大草城址(石碑有)を訪ねて下さい。可愛いお地蔵さんも迎えてくれますよ。
歴史ポイント
同お寺を含めた後方部には東西南北約250mという中世では広大な城館である大草城があり、お寺とその後方部が東南郭、馬出場となっていたようです。
当時の大手門は、
城主は、山田氏を経て、戦国時代末期(安土桃山時代)に織田信長公の家臣である森長成がこれまでの城館を戦いの城郭に整備し、この地の地頭で豪族である福岡新助を城代(家老)に配置したようですね。
その後、長久手の合戦では落ち延びた森、池田の軍勢1000人位が立て籠もり籠城戦を行う予定であったようですが、秀吉公の軍勢がこの地に進撃したという情報で、家康軍は撤退を余儀なくされたようです。
追記、写真も追加投稿しましたので多方面(角度)から確認して下さい。
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