自然ゆたかで四季おりおりの趣がある寺院
口コミ
同お寺は、曹洞宗のお寺で瑞應山祥雲寺と言い、瀬戸市内でも岐阜県側に近い郊外に位置し、山寺と言った感じですね。
同寺は、瀬戸警察署上品野駐在所近くの国道363号線沿いの小道を200m近く入った小山の麓にあります。
隣接地には秋葉山麓の秋葉八幡社があり、その地には室町時代末期まで品野城があり、織田信秀公(信長公の父)の家臣で、品野城主である坂井秀忠公が同お寺を創建したようです。
さて、同お寺の山門前の石碑を横目に車を100m近く上がると立派な駐車場が完備しており、お寺の隣接した丘陵地には広大な墓地があり、秋分の日であったので参拝人で賑わっていましたね。
改めて山門前まで徒歩で戻って、山門を潜ると本殿がありますが、他寺院との比べ真新しいものは無く、特に目立ったのは黄金に輝く特大の観音様でしたね。
特にお寺を紹介するような案内板は無かったですね。
尚、国道363号線は、江戸時代から明治時代まで中馬街道の一部であり、愛知県瀬戸市から岐阜県瑞浪市、土岐市を結ぶ主要道路で、岐阜県境には中馬街道に遺跡もありますから、田舎の自然と歴史散策に訪れてみては如何ですか。
歴史ポイント
品野城は、鎌倉時代初期、広大な東春日井郡(現、名古屋市守山区、北区、尾張旭市、瀬戸市など)を治めていた地頭、山田重忠公(エキテンで数多く紹介済)の家臣である大金氏が築城し、その後の室町時代に坂井秀忠公が居城し、その後に三河国の松平清康公(家康公の祖父)に攻められ、城中で自決したようです。
秀忠公の家臣ら城兵は総勢250余名だったようです。
その後、織田信長公の家臣と今川氏方の命を受けた松平氏の間で戦いがあり、その後に同城を含む、桑下城、落合城の品野三城は焼失廃城となったようです。
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