綿神社
- 住所
- 愛知県名古屋市北区元志賀町2-53
- アクセス
黒川駅(愛知)から徒歩5分(360m)
口コミ
お手伝いをしています。
- 投稿日
北区西志賀町に御鎮座、歴史ある神社です。年間行事のお手伝いや清掃のお手伝いを
させて頂いています。初めて、教えていただくことばかりで、新鮮です。
秋季例大祭が10月13日(土)、14日(日)に齊行されます。
どなたでも参加いただけます、どうぞお待ちしております。
同神社は、名古屋市北区内の元志賀町に所在し、公共交通であれば名古屋市営地下鉄名城線の黒川駅下車、徒歩10分位のところにある神社で、織田家家老の平手政秀公所縁の神社で、戦国時代に荒廃した同神社を再興した人物です。
同神社の近隣には、志賀城址(平手政秀邸跡)があり、同城主は政秀公であり、当地を治めていた領主でもありました。
政秀公については、後記述の歴史ポイントで簡単に説明します。
また、同神社には決まった駐車場が無いため、車で訪れた際は近隣の有料駐車場に駐車(黒川駅付近に多数有)した頂きたい。
さて、同神社の大社を潜る前には、左横に名古屋市教育委員会の同神社(綿神社、わたじんじゃ)の由緒書き(その奥にも詳しい由緒書き有)が立てられているため、散策し易いですが残念ながら、政秀公に纏わるような構築物は残っていないようです。
同神社の由来と言い伝えについては、写真で確認して下さい。
大社を潜り、参道を奥まで進むと神殿が見えてきますが、社務所は留守のようです。
本殿の左右には、色々な神々が祀っている小さな祠と鳥居があります。
都会の閑静な住宅街の神社では、境内は広い方と思われますが平日の同神社は人影も無いのが現況でした。
参拝を終えた後は、近隣にある志賀公園(名古屋市北区平手町)内の志賀城址(平手政秀邸屋敷跡)を是非訪れて下さい。
石碑と案内板位しかありませんが、戦国の世を浮かべながら訪れてみて下さい。
尚、同神社に最も所縁がある志賀城址又は、平手政秀館(同神社から数百mの隣接地)の写真5枚を撮りましたから、是非見て頂きたいですね。
歴史ポイント
平手政秀公は織田信秀公(信長公の父)に仕え、織田家家老として信長公の後見役(傅役)を務め、美濃国の斉藤道三公との和睦を行い、信長公と濃姫の婚約を取りまとめた人物です。
但し、信秀公が逝去すると、織田家中に小競り合いが勃発すると共に、信長公の奇妙な振る舞いと乱暴さを治めるために自らの命(自刃)で信長公を諫めた人物です。
政秀公は、当家先祖(織田家家臣)又兵衛忠利の上役(先輩)に当たります。
同話は信長公を語るにはとても重要な事柄で色々な諸説がありますが、政秀公の自刃が信長公自身の戒めとして影響したことは言うまでもありません。
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