常泉寺
- 住所
- 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47
- アクセス
中村日赤駅から徒歩7分(560m)
口コミ
同お寺は、名古屋市中村区内の中村公園に隣接する日蓮宗のお寺で、太閤山(たいこうざん)常泉寺と言います。
交通手段としては、地下鉄中村公園駅下車、徒歩10分のところに所在するお寺です。
開基は豊臣恩顧の武将で、賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人として功名を挙げた加藤清正公で、名古屋城、熊本城などの名城の築城に関わった築城の名将でもありますね。
お寺の創建は1606年、関ケ原の戦いの6年後に建立したお寺のようです。
境内に入ると左側に、秀吉公が太閤殿下の頃のお姿であろう特大ブロンズ像(推定3m前後か)が設置してあり、その像の右後方に秀吉公が産湯であると伝えられている井戸やお手植えの柊(ひいらぎ)などがありますね。
また、当日は見ることが出来なかったが、同お寺には加藤清正公が大坂城から持ち帰ったとされる秀吉公の木像、秀吉公の肖像画、秀吉公愛用の采配などが所蔵されているようです。
但し、徳川幕府下の江戸時代では、公に秀吉公を祀ることが禁止されていたようですから、公のお寺行事(お勤め)とは別に、幕末までは秀吉公を弔うこと自体はひっそりと行われたのでしょうね。
私自身、同お寺ではお詣りと共に、知人の親の病が治まるようにお札を頂きました。
加藤清正公が秀吉公を祀るため慶長時代に建立したお寺を是非、ご覧下さい。
歴史ポイント
加藤清正公は、皆さんがご存知の通り、豊臣恩顧の武将である反面、秀吉公の嫡子である秀頼公を保護しながらも、関ケ原の戦いでは、もう一人の豊臣恩顧の武将である豊臣政権下の五奉行の一人、石田三成公の西軍には就かず、徳川家康公率いる東軍に列し、肥後国熊本城主の大大名となりました。
しかしながら、豊臣恩顧の大名である加藤清正公没後(大坂の陣前に毒殺説有)三男が熊本城主を継いだが改易させられ、もう一人の豊臣恩顧の武将、福島正則公も大大名となり広島城主となったが、広島城の石垣補修工事を巡り、幕府の許可なしで補修工事を行ったとして、無理難題を被せられ改易(信州で蟄居)させられました。
徳川政権下とは言え、徳川江戸幕府下では豊臣恩顧の大名らは反勢力でしか無かったようです。
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