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京都の三条木屋町を少し南に下がった高瀬川沿いにあります。子供に恵まれなかった豊臣秀吉は、次期の関白を甥の豊臣秀次にゆずることにしていたが、側室の淀君との間に秀頼が生まれると、邪魔になった秀次を切腹させ、秀次一族を処刑したそうで、このお寺は、秀次と処刑されたその一族を弔うために建立されたもので、秀次のお墓や一族を弔う五輪塔、地蔵堂のほか秀次にかかわる資料も展示されています。
1611年に角倉了以が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため建立したお寺となります。
京都三条の鴨川と高瀬川に挟まれた飲食店が立ち並ぶ木屋町にあるお寺です。
人通りの多い場所ですが、このお寺の境内はひっそりとしている感じが印象的です。
浄土宗西山禅林派の寺院。
本尊は、阿弥陀如来。
この土地は、かつて、鴨川にあった大きな中洲でした。
1611年、角倉了以氏が開山、立空桂叔氏とともに創建。
1788年、天明の大火で焼失。
1805年、再建。
1942年、大阪豊公会により、49基の五輪塔婆が立てられました。
松戸の武術師範より
浄土宗西山禅林寺派の寺院。
豊臣秀次とその一族のお墓があります。
秀次は、近江八幡の城主として、民にも慕われていたそうですが、謀反の濡れ衣を着せられて切腹、一族も三条河原で処刑されました。
そのような悲劇を後世に伝えるために建てられたお寺です。
非業の死を遂げた秀次と何の罪もないのに処刑されてしまった家族のことを思うと心が痛みます。
拝観料は無料です。(境内のみ自由に参拝できます。堂宇には入れません。)
また、駐車場はありません。

悲運の豊臣秀次一族を弔うお寺
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木屋町三条にひっそりと目立たないような雰囲気であります。
1度訪れました。豊臣秀次と妻妾子供の墓があるこじんまりとしたお寺です。
豊臣秀次は秀吉の甥として関白職にありました。しかし、淀君に男子が生まれて、秀吉は心変わりしました。石田三成の讒言もあり、秀次は高野山に出家させられて、切腹をします。
その後に、秀次の妻妾と子供はこの三条河原で斬首されます。そして、1ケ所に埋められてしまいます。
このお寺は、ここで斬首させられた妻妾・子供と秀次を供養するためのお寺です。
京都の鴨川の河原はカップルで一杯です。このような歴史のあることを知っておられるのかといつも思います。