■長福寺の3つの特長

◇ご遺族様のお気持ちに寄り添ったご葬儀
曹洞宗の儀礼に則りながら、できる限りご遺族様のご意向に沿った形でご葬儀を執り行います。
また、永代供養のご相談も承りますので、ご要望の方はお気軽にお問い合わせください。

◇役行者尊祭典(えんのぎょうじゃそんさいてん)
長福寺は「空を飛んだ釣鐘」伝説で知られており、修験道信仰の中心地である大峰山とご縁があります。
毎年8月には修験道の開祖といわれる役行者尊を祀った祭典が開かれています。

◇創建1300年の曹洞宗の古刹
長福寺は神亀三年(726年)に創建された曹洞宗の寺院です。
みなさまが足を運びやすい、開かれた寺院を目指しております。
仏事のことでお悩みの方はお気軽にご相談ください。


■長福寺のご葬儀
長福寺は曹洞宗の儀礼に則ってご葬儀を執り行います。
主に静岡県近郊のホールで行うご葬儀に出向をいたしますので、ご要望の方は遠慮なくお問い合わせください。
また、当山ではご遺族様のお気持ちに寄り添ったご葬儀を行いたいと考えておりますので、「急な葬儀が入ってどうしたらいいか分からない」「段取りのことなどについて相談したい」などご不明な点やご不安な点がございましたらお気軽にご相談ください。

◇永代供養について
当山では永代供養のご相談も承っております。
境内墓地の一画に建立した合祀墓にて、故人様のご遺骨を永代にわたってご供養いたします。


■役行者尊祭典(えんのぎょうじゃそんさいてん)
役行者(えんのぎょうじゃ)【役小角(えんのおづの/おづぬ)】は修験道の開祖といわれています。
伝説では不思議な力を駆使して空を飛び、野山を駆け巡り、鬼神を自在に使役したといわれ、数々の不可思議な事績を遺した偉大な修行者として崇められてきた存在です。
祭典の歴史は古く、「空を飛んだ釣鐘」の御縁にて大峰山より拝請した役行者尊を行者堂にお祀りして約1,000年を数えます。
役行者尊祭典は毎年、8月の第3日曜日に開催されます。
祭典では開運厄除けを願う「火生三昧(かしょうざんまい)-火渡りー」や六尺の大太鼓を中心とする大小15個の組太鼓である「遠州行者太鼓」の奉納演奏が催され、『愛すべき郷土が安寧であれ』という先人たちの願いが、長い歴史のなかで伝説を生み、伝統として現在まで引き継いでいます。
その願いこそが「遠州役行者尊祭典」であり、未来に繋げる郷土の誇りです。

◇幻の銘鐘「空を飛んだ釣鐘」伝説
昔、山伏が長福寺を訪ね、大峯山までの路銀を乞うたところ、当時の和尚は「“かね”とつくものはあの釣鐘くらいのものだ。
あれでよければ持って行きなさい」とからかって答えました。
すると、山伏は釣鐘を杖にさして担ぎ上げ、西の方に向かって飛んでいってしまいました。
その翌朝、大峰山の切り立った岩山の上の大松に『遠江の国 佐野群原田郷 長福寺鐘 天慶七年六月二日』と彫りつけてある釣鐘が見つかったといわれています。
やがてこの事は長福寺まで伝えられ、大峰山から役行者尊の霊をお迎えしてお祀りする事にしました。
大峰山には今でも長福寺と名前のある釣鐘があり、この釣鐘は日本最古の釣鐘(16口)の1つといわれています。


■長福寺について

◇長福寺の縁起
長福寺は神亀三年(726)に行基菩薩によって開創され、五智如来を安置したことが始まりだといわれています。
以後、真言宗の寺として栄え、元慶八年(884)比叡山座主智證大師により天台宗に改宗、当時は遠江国を二分する勢力を有していました。
その間、「幻の銘鐘」空を飛んだ釣鐘の伝説があり、その鐘は国の重要文化財として奈良県の修験道の根本道場、大峰山頂大峰山寺に現存しています。
宝治2年(1248)には工藤信濃守祐光が遠江国を所領し、当寺を菩提寺とし、明応3年(1494)八月北条早雲の兵火により伽藍を焼失しましたが、時の名僧、松堂高盛禅師を請し、遠州太守頼景に寄進により寺は再建され、以後曹洞宗に改宗され現在に至っています。
ご本尊である聖観世音菩薩は厨子入秘仏とされており、広く近隣の信仰を集めています。
寺伝によると、身丈九寸の座像、脇に不動明王、毘沙門天を従えておられると伝えられており、その信仰の霊験は非常にあらたかです。


■アクセス
JR「掛川」駅より天竜浜名湖線に乗り換え、「原谷」駅下車、
徒歩5分 新東名高速「森掛川I.C」より車で5分

口コミ

写真

概要

店舗名

長福寺

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅

駐車場

駐車場なし
駐車場補足

関連ページ

公開日
最終更新日

店舗・施設の情報編集で最大60ポイントGET