ミトシウチハラキョウドシギユウグンシリョウカン

水戸市内原郷土史義勇軍資料館

3.52
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再訪

5.00
投稿日

桜の季節に再訪。出入り口前にある桜が満開でした。かつて桜は満蒙開拓青少年義勇軍のシンボルにもなっていましたね。
この資料館から歩いて1〜2分ぐらいのところに渡満道路というのがあります。かつてここを通って少年たちは満州に向かったんですね。ここの桜並木がとても見事で現在は代表的な水戸のお花見スポットとなっています。

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満州へ渡った少年たち

5.00
投稿日

かつて、10代後半の少年たちが、農業で一旗揚げることを夢見て、ここ内原にあった施設で訓練を受けていました。ここではその生活ぶりを垣間見ることが出来ます。
終戦と同時に訪れた悲劇により、多くの方たちが命を落としたり、また日本に帰ることができないままとなりました。でも、ここでは戦後に関してはサラッと触れているだけで、あくまでもここ内原での生活に視点を置いていましたね。

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満蒙開拓青少年義勇軍の跡地

5.00
投稿日

トランプの移民政策が世界を震撼させていますが、日本人の移民もアメリカ、ブラジルとあり、さらに昭和初期の満州事変後にも、満州国の開拓民が政策的に送られました。試験移民の成功を受けて、昭和11年から満洲開拓移民計画が決議されました。
満州の農業移民として、さらに青少年の満州開拓も昭和12年に閣議決定されました。満州開拓青少年義勇軍の訓練所が、この内原に全国唯一建てられました。ここから8万人以上の青年が満州に送られました。ソ連の参戦、戦後の混乱のなか、郷里に帰国出来なかった若者は2-4万人ともいいます。
戦後の飢餓の中、サツマイモの苗を全国に配布という義挙もこの訓練所の最後の栄光でした。
開拓スピリットを学べる大変な資料館です。ぜひご覧ください。

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水戸市 内原の歴史と 少年たちを垣間見ることが出来ました。

4.00
投稿日

此方は、水戸市内原にある資料館です。
国道50号線から少し行った所にあります。
小さな建物ですが、とても心に残る資料館でした。
義勇軍コーナーでは、昭和10年代から戦況の悪化にともない、今の高校生ぐらいの若者を国策で農業移民で満州に送るための学校があったとのこと。主に家族での満蒙開拓団は知っていましたが。
一応志願にはなっていますが、次男坊以下の人などの入団が多いですね。
満州にわたって数奇な運命が待っていたことなど印象に残りました。

この施設では、ほかに内原の歴史や外に宿舎の復元したものなども見ることが出来ます。

ここは入場料は無料です。あまり知られていない歴史の一ページを一度見ておくのもいいかもしれないと思いました。

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概要

住所

茨城県水戸市内原町1497−16

アクセス

最寄駅
バス停
  • 内原中学校前から250m (徒歩4分)

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