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大正ロマンを感じさせる建物を残している明智の町ですが、その中心部から少し高台になった場所にあるお寺で、明智光秀をはじめとする明智一族の墓があります。参道の手前には光秀公の御霊廟があって、歴史ロマンを感じます。
明智鉄道?明智駅から歩いて10分ほど、斜面の上に建っているお寺です。大きさは中くらいといった感じですが、本能寺の変で有名な明智光秀公の御霊廟やあの「遠山の金さん」も入る明智遠山家の墓所など、歴史好きにはたまらない感じの史跡が色々あってなかなか楽しめました。
日本大正村に訪れた際に、立ち寄ったお寺さんで、2回目の訪問となりました。 同寺の山門直ぐに、明智日向守・光秀(明智十兵衛光秀)公の供養塔があり、供養塔の前にはお寺の散策マップがあります。 また、このお寺の裏山には、戦国時代に明智城址があり、光秀の生誕の地であり、明智氏も中世には東濃地方を治めていた名門の土岐一族です。 光秀公は織田家重臣で、主君である織田信長(織田上総介信長)公を本能寺の変で信長公を討ったことでも有名です。戦国時代は下克上とも呼ばれていましたね。 光秀公の辞世の句には、「時は今、雨が下たるさつきかな」で有名ですが、歴史家達の解釈では、時とは土岐氏(岐阜県東濃地方の豪族)を指し、雨を天(天下)と捉え、期は熟し土岐一族である光秀が天下人になれると言ったようなことですね。 お寺の左奥を進むと、遠山家代々の墓石が立ち並んでおり、江戸徳川時代に旗本としてこの地を治めていた頃の繁栄期が伺えます。 当然ながら、遠山家も土岐一族であり、明智氏も遠山家の血筋です。 遠山家(一族)で最も有名な人物は、時代劇で有名な金さんこと、遠山金四郎(左衛門尉)ですね。 岐阜県東濃地方の歴史又は、中世史に興味のある方は、是非、お勧めしたいですね。 隣接地には、岩村城址(信長公の伯母が女城主で有名、江戸時代は岩村藩)があり、少し足を伸ばせば、土岐一族で遠山家本家が所領していた苗木城址(江戸時代は苗木藩)がありますよ。
日本大正村(明智町)を観光したときに参拝しました。場所は、日本大正村の地区で、明智駅から歩いて10分ほどのところにあります。 今から400年余り前に明智城主の遠山利景によって建立されたお寺さんで、以来、代々遠山家の菩提寺になっています。 境内には、遠山家累代のお墓や供養等があって、時代劇で有名な遠山の金さん(遠山金四郎景元)も合祀されていました。 境内には、明智光秀の供養塔もあります。 日本大正村を散策されたら、是非、お参りしてみてください。時代劇や歴史好きの方にオススメです。
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