盛巌寺
- 住所
- 岐阜県恵那市岩村町殿町147-1
- アクセス
岩村駅から徒歩12分(910m)
曹洞宗の寺院です
口コミ
同お寺は、曹洞宗のお寺で、天正年間(安土桃山時代)に松平家乗公が開基し、某大和尚を招いて創建されたお寺です。
家乗公については、後記述の歴史ポイントで説明させて頂きます。
同お寺の駐車場は山門の右手奥の側道に面しており、参拝者であれば自由に駐車が出来ると思われます。
さて、山門は二階層となっている大きな山門で、観るだけでも立派さに感心し、写真に写った山門の姿は正面、左右から観ても壮大な造りに圧倒されますね。
山門の上層部は十六羅漢像が安置された四脚楼門となっています。
同山門は、江戸時代中期(1705年)に造営されたものです。
本堂がある境内に入らさせて頂きましたが、本堂には鍵が掛かっていたため、本堂内での拝観は出来なかったのが残念でした。
次回当地に訪れた際は、同お寺に許可を頂き、本堂内を拝観したいと思います。
また、同お寺を開基した松平家乗公が居城していた岩村城址(山道で登山する本丸ではなく櫓門)までは同お寺から徒歩5分程度のところにあるため、岩村城址の櫓門などの写真も投稿させて頂きます。
通常の大手門と異なり、櫓自体が大きいため、藩は小さくとも立派な構えの大手門となっています。
同お寺と岩村城址をセットにした回覧、拝観は是非お勧めしたいですね。
歴史ポイント
松平家乗公は、大給松平家(三河国大給、現在の豊田市)六代目当主で、幼少時に徳川家康公から「家」の字を賜り、関ケ原の戦いで功名を上げ、同岩村藩(岩村城)2万石の所領(大給藩では1万石)加増を与えられ同地に移封となりました。
その以前である1590年、家康公は秀吉公からの関東移封の命に伴い、家乗公も上野国(群馬県)内に配置換えをされた際、父と祖父の供養のために当地に建立したお寺が盛巌寺であり、家乗公の岩村藩への移封時に同寺も移転したものである。
その後、浜松藩に移封となると、同寺はそのまま当地に置かれていた。
また、大給松平家の最終所領地である三河国西尾藩(愛知県西尾市)には、同寺と同じ名である盛巌寺(愛知県西尾市)を建立し、同家の菩提寺にしたようです。
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