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阿倉川駅から徒歩6分(480m)
同お寺は近鉄阿倉川駅下車が便利と思われ、車では名古屋方面からR23号線の四日市に入る手前の富田を右折し暫くすると同お寺があります。 過去に3回訪れており、前ご住職とも長時間同お寺の歴史談議をお聞かせ頂きました。 歴史談議は、同お寺と赤堀氏(羽津赤堀氏)一族との関わりを含め、羽津城主代々の墓石についても事細かく解説して頂きました。 中世の歴史好きな方でしたら、訪問時の失礼が無いと言う前提で、遠慮なご住職などに同お寺の謂れをお尋ねになっても良いと思われます。 他の神社仏閣をお尋ねする際も、「私は神社仏閣を巡っている歴史好きな者です。お手透きであれば同○○の歴史を知りたいのですが・・・」などとご住職又は、施設関係者にお尋ねしても結構歓迎されるものですよ。 さて、同お寺は、禅宗(大本山総持寺御直末寺院)、曹洞宗延命山、正法寺と言い、鎌倉時代の中期の13世紀に羽津城初代城主である赤堀右衛門大夫、盛宗公(以下、盛宗公)が建立したお寺で、羽津城六代城主の墓石があります。 写真は数多くありますが、自我撮り写真からの転写が不可のため、7月中旬に出向いた際は、同お寺と同お寺に所縁の羽津城址の写真を複数枚アップさせて頂きますのでご期待下さい。 歴史ポイント 羽津初代城主、盛宗公の父である赤堀肥前守景忠公は、上野国赤堀城主にて、鎌倉時代、時の将軍、足利尊氏公から伊勢国赤堀郷などの広大な所領を安堵され、次男に赤堀城(上野国)を譲り渡し、伊勢国赤堀郷(現、四日市市赤堀町)に赤堀城を築城し、景忠公の嫡子である盛宗公も赤堀城主を次男に譲り、富田の地に羽津城を築城しました。 四日市市を中心に、赤堀一族の羽津城、赤堀城、浜田城、中野城など、六城を要していました。 また、羽津城の子孫は阿波国、徳島重臣、藩士(初代家老職相当)として幕末まで家系を維持し、上野国赤堀城の子孫は地元赤堀町(現、群馬県伊勢崎市)で大地主として昭和時代初期まで家系を維持されたようです。
正法寺 山門
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