口コミ
平成29年7月、津市内に出張の際、津市役所の近くで徒歩数分、三重県庁からも比較的近隣地区とあって同神社に訪れる人も多いようです。
私自身、これまでも幾度となく同神社を訪れています。
同神社は高山神社(こうざんじんじゃ)と言い、神社仏閣の中でも創建は比較的新しく、明治初期に民衆の手で創建された津藩藩祖の藤堂高虎公を祀っている神社で、津城址の大手門から右側の石垣沿いにある神社ですね。
色々な文献を見ても、その明治時代初期、大名、武将を神社仏閣で祀る流行があったようです。
大鳥居を潜ると、余り大きな敷地ではない境内に入りますが、右手にはお稲荷さん、左手奥には社務所があり、大鳥居を潜って真左に駐車場が完備されています。
隣接地にある市役所の駐車場でも許可を取れば駐車も可能なようですので、境内内の駐車場が満車の場合は、市役所にお問合せ下さい。
また、数多くの戦を先陣切って果敢に攻め入り数多くの功名を挙げ、個人的にも、大衆的にも非常に好まれた猛将、武将であり大名であるため、持論と所見を交えて後記述で紹介したいと思います。
歴史ポイント
同神社を紹介するには、藤堂高虎公の簡単な紹介が必要と思われます。
藤堂高虎公は、近江国(今の滋賀県東部)の土豪(足軽、農兵地侍)に生まれ、加藤清正公、黒田長政公とならび3大城(高虎公が手掛けた主な城は、伊賀上野城、宇和島城、津城、宇和島城、江戸城など)作り名人と言われた人物で、その裏では主君を7人替えて大大名となった裏切り者又は、八方美人的に言われた人物ですが、下克上の時代、生きるか死ぬか、出世しないかするかなどを考えると戦国時代特有の武将であったと思います。
私自身は尊敬しています。
その中で、羽柴秀吉公の実弟である羽柴秀長公が亡くなるまでの10数年仕えた人物で、
秀長公を師と仰ぎ、秀長公没後に秀長公の嫡子にも仕えたのですが17歳で没したため、高野山の身(剃髪)を置こうとしたのですが、家康公の強い説得により家康公に仕えたようです。天下人の秀吉(木下藤吉郎)公も主君10人近くは替えていたと思われます。
また、戦国時代では考え付かない程の大男で、身長約190cm、体重は約110kg以上、現在でも相撲取り又は、重量級のスポーツ選手の井手達で、槍の名人とのことです。
その中で、津(安濃津)を含む、全国に32万石以上を有する大大名となりましたね。

津市にある神社です。
- 投稿日
津市にある神社です。
こうざんじんじゃと、呼ばれている神社です。
藤堂高虎を祀る神社だそうで、落ち着いた雰囲気の神社です。
また、津市の発展に寄与した高山居士の名前に由来した神社だそうです。
三重会館から徒歩5分位の所にあります。
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概要
店舗名
コウザンジンジャ
高山神社ジャンル
電話番号
住所
アクセス
- 公開日
- 最終更新日